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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
105/136

102の話~白花の巫女~

 そして長い夜が明けた。

 ロッカでなくとも、彼女をどうしてこのように人目にさらさねばならないのか、とあらためてヴィンチェンツォは苦々しく思う。

 大聖堂の前に集う民衆の想定以上の多さに、ヴィンチェンツォは圧倒され、身を切るような初冬の寒さもあいまって、幾度かバルコニーからの風を体に感じ、身震いをする。


 純白の真珠をふんだんにちりばめた衣装のビアンカは軽く目を閉じ、何者も寄せ付けない空気を纏ったまま、椅子に座っていた。

 あの衣装は去年のイザベラのものだ、とヴィンチェンツォは、目を閉じたビアンカを一言では言い表せないような複雑な心境で、黙って見つめていた。

 ドレスと同じような白い絹のヴェールで、巫女の顔の半分は隠され、その表情をうかがい知ることは難しかった。

 

「やっと、ここまで来たな。ビアンカ、もう少しの辛抱だ。よろしく頼む」

 エドアルドの緊張した声にヴィンチェンツォは、「これが終着地点ではありませんが」と部下らしい反応を示していた。

 年若い国王は、自分と同じ年の宰相を見つめ、そして無言で彼の肩をそっと叩いた。


 ヴィンチェンツォは今一度、周囲をぐるりと見渡した。

 エドアルドと同様に、固い表情のフィオナとカタリナ、そしてお付きのメイフェアやアデル、クライシュと瑠璃といった姿があった。

 ここからは確認できないが、城下を巡回しているランベルトやバスカーレ、ステラやロメオといった友人達、そして水道橋の周辺で待機しているロッカがいる。


 昨晩わけのわからないまま、瑠璃から勧められた強壮剤が効きすぎたのか、アデルは眠気とは無縁の状態で、気が付けば昼を迎えていた。

 だがこれも夕方になれば、嘘のように効き目がたち消えるはず、とアデルは大きな瞳を見開いたまま、何度もビアンカのドレスの裾の形を直し、化粧を重ねて時を待っていた。


「バーリ公爵様から、聞いてるよね。ウルバーノが城下にいるかもしれないって。かなり前から探ってるんだけど雲隠れしてるみたいで、まるで消息がつかめないんだ。でも聖誕祭になれば、何か動きがあるかもしれない。…頼んだよ」

 早朝に礼拝所へやってきたロメオが、気遣うような発言を残し、「じゃあね」と素早くアデルの唇に軽やかな音を立てて、立ち去っていった。


 自分は、バーリ公爵はおろか、聖都フィリユス・サグリに駐留する父からでさえも、ウルバーノに関する情報は皆無といっていいほど、まるで入ってきていない。

 目の前の大衆に紛れて、ウルバーノが巫女のお披露目を見物しに、潜伏しているのだろうか。

 

 長らく前から、ロメオたちがウルバーノを探っていたと知り、アデルは一人取り残されたような気持ちになる。

 私は、信用されていない…?

 それでも、ビアンカのもとへ出仕する直前の、父やバーリ公爵に託された言葉を思い出し、アデルはビアンカの光沢を纏った真珠の装飾に目をやり、思わず両手を握り締めた。


 彼女の支えになって欲しい、と。


 短い言葉ながら、父たちの二十年分の凝縮された心情をおもんばかり、アデルは一瞬卑屈になってしまった自分を叱責し、今一度きりりと表情を引き締めた。

 「改めて私はここに、今日の晴れの日を迎えての祝いの言葉を、バーリ公爵様や父の代理として、申し上げたいと思います。そして、巫女さまと聡明な若き獅子王のお力によって、プレイサ・レンギアの民に一層の幸があるように、と」


 ありがとう、とエドアルドは微笑み、ひざまずくアデルの耳元でそっと、「今日まであなたも、ご苦労だった。北へ南へと、その華奢な体でプレイシア中を駆け回り、尽くしてくれて、感謝の言葉はとても一言では、言い尽くせない」とねぎらう。

 アデルははにかんだように、わずかに口元を緩ませた。

「それが、自分に与えられた天命というもの。自分はこれからも、ご用命とあらば何処へでも参ります。巫女さまの、この国の御為に」とだけ言った。 


 ヴィンチェンツォやエドアルドもアデルの言葉につられるように、力強い光を放つ瞳を煌かせてうなずいていた。

 これで終わりじゃない。

 むしろ、始まりなのだ。

 平和から騒乱への引きがねとなる、誰よりも愛おしい女性の姿を、ヴィンチェンツォは無意識に下唇をかみ締めて見つめ続ける。


 誰も、何も発する気配はなかった。

 ヴィンチェンツォは一人、瞑想を続けるビアンカにそっと近づき、「用意はいいか」と低い声で尋ねた。

「はい、仰せのままに」

 ヴェールの下から漏れ聞こえる声は、いつも以上に低く、それは冥界の女王を思わせた。

 昨日までの危うい儚げな様子は消え去り、目の前にいる女性は、神々しい聖人の代理人でしかなかった。


 本当にこのまま、天に消えてしまうかもしれない。

 翼を持つ聖人、オルドゥのように。

 彼女は今、誰と何を対話しているのだろう。

 下位に属する自分など、まるで目にも入らぬような様子で、オルドの巫女はゆっくりと立ち上がった。


 どうか、行かないでくれ。


 あるはずのない背中の翼を、弱い冬の日差しの中で何度も見つけては、ヴィンチェンツォはそのたびに心の中で呟く。


 大聖堂のバルコニーに足を踏み入れ、その下に集う民衆をゆっくりと見回しながら、エドアルドが凛とした声を、乾いた冬の空気を塗り替えるかのように響き渡らせる。 


「今ここに、オルドの巫女であるビアンカ・フロースをあなた方にあらためて紹介しよう。そして余は宣言する。聖オルドゥの名の下に、余も、オルドの巫女も、永遠の和平を約束すると。全ては一つになる。かつての争いの火種は、彼女の下に、ここで収束される」


       

「なんだかね、しっくりこない言い方だよね」

 遠眼鏡で大聖堂のエドアルド達を観察しつつ、ロメオが皮肉混じりの声をもらす。

「何がですか」

 隣のエミーリオが遠眼鏡を借り、遥か遠くの国王の姿を観察しつつ、いつものように不思議そうな顔をした。

「ビアンカ次第、みたいな言い方だよ。もともとエディは、そのつもりなんだろうけど。いざとなったら、巫女に責任を負わせて、事態を収束することも可能なわけだよ。誰が正義になるにせよ」


「まさか恐れ多くも、陛下がそのようなお考えだとはとても」

「だよね。いいや、聞かなかったことにして」

 ロメオは再び手元に戻った遠眼鏡で遠方を観察しながら、「始まったよ。もうちょっと、前に行こうか」と少年に声をかける。


 聖人詩篇の始まり。

 大半の王都の人々に、馴染みのない言葉で紡ぎ出される異国の言葉である。

 けれど人々は、それをものともせず、わかるはずのない言葉に、一心に耳を傾けている。

 澄み切った凍える空気が、決して大きくのない巫女の歌声を、出来る限り遠くへ届けようとしている気がした。



***



 王都は、聖オルドゥの聖誕祭で年に一度の賑わいを見せていた。  

 本来、三百余話からなる聖人詩篇の、ほんの一部ではあったが、数十年ぶりに人々にその存在を改めて示した日でもあった。 

 

 ウルバーノ・マレットは外套のフードを目深に被りなおし、凛とした従姉妹の姿を恍惚と眺めていた。

「巫女としての素質か…やはり血は争そえぬようだ」


「あんたも、あれが本物だと思うのか」

 隣の老人に突然声をかけられ、ウルバーノはその端正な横顔を隠すように、なにげなく襟元に手をやる。

 ウルバーノは答えず、バルコニーのビアンカを眺め続けた。


「懐かしい歌を、たくさん聞かせてもらった。だから、あれは巫女だと思うことにする」

 老人は目を細め、ビアンカをやさしい顔で見つめている。

「詩篇をご存知で」

 ウルバーノは思わず、低い声で尋ねた。

「遠い昔、王宮勤めだったのでな。あなた方お若い衆はあまり馴染みがないだろうが、あの頃はオルド教徒もたくさん、王都に出入りしていた」

 隣の老人を、興味深そうに見つめ、ウルバーノは不思議な笑みをもらした。


 おじいちゃん、と声をかける孫娘らしき少女が、無言でウルバーノに頭を下げた。

「寒いから、そろそろ帰りましょう」

 老人は孫娘にうながされ、大勢の人々の群れをかきわけるように、そっと離れていった。



***



「瑠璃様も、もう限界ですよね、私も無理です。じわじわと、来ております。ですがその前に、せめて市井の人々の善意を受け止めるのも、今日最後の仕事」

 オルドの巫女へ届けられた、数々の贈り物で礼拝堂は埋まりつつあった。

 アデルと瑠璃は、慎重に巫女への贈り物を開封しながら、その夜は更けていった。 


 王都の有力な貴族達はもちろんのこと、一般市民からも届けられた数々の品をひとつひとつ確かめては、アデルは素早く目録のようなものに記入していった。

 夕刻、礼拝堂へ戻ったビアンカは、聖誕祭用の料理にも目をくれずに寝台へと倒れ込んだ。

 薬のおかげで、立ち歩くことは可能になったものの、熱は下がらず、気力だけで一日動いていたようなものだった。


 時折、遠く離れた王宮の広間から、賑やかな声がもれ聞こえてくる。

「アデル様も、出席されればよかったのに。祝いの宴に、花を添えたでしょうに」 

 と、瑠璃が残念そうに言った。


「私、今まで王宮の宴など、一切縁が無い生活でございましたので」

 意外ですね、と瑠璃が呟き、アデルは自嘲的な笑みを見せた。

「父は幼い頃から私に、『影となれ』と説いておりましたから」


 アデルを自分の跡継ぎにすべく、傭兵隊長の父は、決して人に努力を見せるな、いつも控えめに目立たぬように生きていけと、小さな少女に説いていた。

 それは、時には重過ぎる枷となり、彼女を縛り続けたが、彼女自身が控えめな性格だったこともあり、それが自分の生き方、と納得していた。

 いや、納得せざるを得なかったのかもしれない。

 

 父親の思惑とは別に、アデルは孤独だった。

 寂しいと思う時もたくさんあった。

 せめて、自分が綺麗な子だったら、陰気な性格でなかったら、と劣等感を抱えていた。

「結局、私自身の問題です。いくらでもやり様があったのに…不器用なんですね」

 アデルは独り言のように呟き、小さな包みを開いて、思わず手を止めた。


「不器用なのは誰しも同じです。器用な人間ほど、むしろ少ないのではありませんか」

 瑠璃はわずかに微笑み、その美しい白磁のような顔が薄暗い明かりを受けて、ふんわりと輝いたように見えた。


「お聞きしてもよろしいですか。瑠璃様は何故、異国からいらっしゃったのです。私の出身地も遠い西方の島でございますが、瑠璃様のお生まれになった所は、東の大国より更に遠い所にあるとか」

「長い話ですよ。私ももう、随分昔のことのようで、忘れてしまいましたが、故郷で戦乱があったのです。巻き込まれぬようにと海に逃がされたのですが、巡りめぐって、この地に落ち着きました。その前は夫の国で、数年暮らしましたけれど」

「帰りたいとは、お思いにならないのですか」

 さあ、と瑠璃は言い、手元の箱をいくつか積み上げた。


「どうして自分がこんな目に、と幾度も思うことはありましたが、今の生活はその頃に比べて、まるで夢のようです。むしろ、生きていることが奇跡のようで。今あるものを大事に、助けてくださった方々に報いるのが私の務めだと思っております」

「それは、クライシュ様?」

 瑠璃は黙ってうなずき、「少し休憩しましょう」と言った。



***



 私にはもう限界だ。

 ステラはぐったりとした体を引きずりながら、賑やかな広間から逃れるように、庭に出る出口へと向かう。

 時折、長すぎるスカートの裾につまづきながら、よろよろと壁づたいに歩く。

 おめでとうございます、と人々に声をかけられ、引きつった顔で曖昧にうなずく。

 ステラの滅多にお目にかかることの出来ないドレス姿に、祖父のマウロ・クロトーネは喜びの涙を流し、何度もありがとうとバスカーレの手を握っていた。 


「今日だけでよい。頼むから制服ではなく、女性としての正装をしてくれ。今日だけでよいのだ。きちんと、陛下にも報告せねばならぬのだし」

 バスカーレにやんわりと諭され、渋々ドレスを着たステラであった。

 婚約者に恥をかかせてはならぬ、とステラは今までに味わったことのない緊張感で、ろくに食事が喉を通らず、人々との会話もいつになくぎくしゃくしたものになってしまった。


 同伴とは面倒なものだ、と何故か後ろ向きになってしまうステラであったが、これしきのことで結婚しないなどと言ってしまっては、自分は誰とも、一生結婚できない。

 優しいバスカーレだからこそ、今でも自由にさせてもらっているのだから、と何度もため息をつく。


「ご苦労だった。帰りは、詰所で着替えてゆくといい。…大丈夫か、顔色が悪いような」

 ステラの青白い顔に気を揉み、バスカーレがややあって後ろからついて来ていた。

「胃の辺りを締め付けているので、苦しくて仕方がないのです。なにゆえ女性は、腰を細く見せるような格好をしなければならないのか、理解しかねます」

 そうか、とバスカーレはすまなそうな顔をして、たわしのような顎に手を当てた。

 そして思い出したように懐に手をやり、何かを取り出した。


「出かける前に、渡そうと思っていたのだが、慌しくて忘れてしまった。すまない、今からでもよいだろうか」

 差し出された首飾りは、数え切れないほどの天の星々を連ねているかのようだった。

 これは、と尋ねるステラに、後ろを向くようにとバスカーレは言った。

「アンジェラが選んでくれた。俺には正直、よくわからなかったのでな。ステラにはこれがよく似合うだろうと。こちらを向いて。…よく似合っている」


 白葡萄酒で染め上げたような淡い色のドレスは、自分にはあまり似合っていないような気がしていたが、褒められて悪い気はしない。

「ありがとうございます。…私から、団長に、何を送ればよいのか見当がつきませんでした。なので、私でよいでしょうか」

 バスカーレは目の前の乙女からもれ出た言葉に、一瞬目を丸くして、何度か頭をがりがりとかいた。


 まるで意味のない、威厳を示すような声でバスカーレは言う。

「お前は核心的なことを、何のためらいもなく言ってのけるな。前もそうだったが」

「いけませんか」

 いや、その方が俺も気が楽だ、とバスカーレはぼそぼそと呟き、ステラの細い腰を抱き寄せた。

 ステラは、自分の滑らかな頬に寄せられたバスカーレの顔に手をやり、思わず事務的な口調になる。

「団長、ひげが痛いんですが」

 


***



 ビアンカは、暖炉の柔らかい光を放つ火を見つめながら、ゆっくりと身を起こした。

 ビアンカのそばで丸くなって眠っていた猫がぴくりと動き、主人の顔を見上げている。

 アデル達が運んできた山のような贈り物が、部屋の片隅を占領していた。

 それとは別に、テーブルの上に一つだけ、小さな包みが置かれている。

 ビアンカはゆっくりとテーブルに近づき、その包みを手に取った。

 紐を解き中を開けると、白い貝造りの、七色に光る花かんざしがあった。


『あなたに、全ての人々と共に、祝福を。同じものが見つからなくて申し訳ない』


 添えられた小さなカードには、短い言葉が、美しい文字で書かれていた。

「ヴィンチェンツォ様」

 ビアンカは徐々に涙で霞んでゆく視界の中の、まばゆい光を放つ白い花を、いつまでも見つめ続けていた。





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