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漂う白花  作者: 渡部ひのり
第四部
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101の話~前夜~

 困ったことになった、とアデルは一人炊事場で腕組みをしたまま、ぱちぱちとはぜるかまどの火を、寝不足の頭でぼうっとしながら眺めていた。

 ビアンカが突然の高熱で寝込んでしまい、三日ほど経とうとしていた。

 そしてとうとう明日は、城下の大聖堂でのお披露目を控えている。


「知恵熱ってやつかしらね…」

「ああ見えて、滅多に風邪一つひかない丈夫な体なのに、どうしてこんな時に限って…」

 見舞いの品を持参したメイフェアが、背後から悩める修道女に声をかけた。


「熱は下がりまして?」

 メイフェアの問いかけに、アデルは無言で首を振った。

「歌うどころか、立つこともままならないというのに。代役がいればいいのだけど、あんな綺麗な声、その場しのぎでも、私達には出せないわ」


「ルゥ様は」

「数日前から『閃いた』とおっしゃったきり、個室に篭ったままよ。あの方もどこか思考がずれていらっしゃるみたいで、この由々しき事態にはまるで関心が無いようだわ」

 アデルの珍しく落ち着きのない姿を不審に思い、瑠璃は巧みに誘導尋問しながら、事の顛末を聞き出した。

 その途端何かが降りてきたのか、新たな創作意欲にかられたらしく、部屋から一向に出てくる気配がない。


「もう、明日なのよ!どうしろっていうの!死体みたいなビアンカ引きずっていって、一体何ができるっていうのよ!」

 落ち着いてください、と半狂乱になるアデルをなだめ、メイフェアはとにもかくにも、アデルをテーブルにつかせた。


「こちらはフィオナ様からの差し入れなんですよ。アデル様に、と」

 葡萄酒の瓶を差し出され、アデルは肩を落としつつも、早速蓋を開けて匂いを嗅いでみる。

「飲んじゃおうかしら」

「飲んじゃいます?まだ明るいですけど。もしかしたら、明日のお披露目は延期になる可能性もおおありですし」

 早速二人は、とくとくと心地よい音をたてて酒を器に注ぎ、味見をはじめた。


「美味しいわね。さすが、お妃様のご愛飲のお品だけあって」

 ここ数日の心労に、フィオナの心遣いが身に染みるアデルである。

「宰相様のお父上がお造りになっているそうですよ。隠居生活の半分は、酒造りのためだとかお聞きしました」

 マフェイ・バーリ公爵の洗練された立ち振る舞いを思い浮かべ、メイフェアはうっとりとしながら、抜かりなく自分も混ざり、杯の中の美酒を味わっていた。

 二人の言葉は次から次へととめどなく溢れ、外が暗闇に覆われつつあるのも気に留めず、延々と女同士の会話は続くのであった。

  

 真っ暗な礼拝堂を手探りでたどりつつ、明かりの見える方向へとむかうロメオは、薄暗い炊事場で、酔った顔を突き合わせている若い女性二人の姿を見つけた。

「随分早い酒盛りだね。禁欲って何、って聞きたくなるなあ、修道女様」

「あんた、何を勝手に奥まで入り込んでるのよ!」

「だって、入り口で声かけても誰もいないし。それにだいぶ前から、ヴィンスから中の間取りの確認しろって言われてるんだよ。ところで、ビアンカの具合はどう?話できそう?」

 アデルはこの世の終わりのような悲壮感を漂わせ、「明日は無理って、陛下に伝えて」と言い、再び杯に口をつけた。


「それは大問題だな。エディが慌てて駆けつけてくるんじゃないの。明日のお披露目がお流れになったら、彼の面目が丸つぶれだからね」

「結局、そうよね。ビアンカなんて陛下にとっては、所詮撒き餌みたいなものだもの。だいたい、どいつもこいつも、やり方が汚いのよ!陛下もウルバーノ様も、同じ穴のむじなよ!虫も殺さないような綺麗な顔して、平気で人を踏み台にするのよ!」

 いったいどれだけ飲んだの、とロメオは、完全に目が座りきったアデルを、力の無い瞳で見つめていた。

 

「そういえば、最近のヴィンス様のご様子は、どうなの」

 目の前の男が、宰相閣下の同居人であることを思い出し、アデルはしゃっくりをしながら乱暴な口調で話しかけた。

「どうって、別に。相変わらず陰険そうな顔してるけど」

 使えないわね、もっと周囲に神経張り巡らせないと、とアデルは鷹揚に言い捨て、またもやしゃっくりをした。


「では、ロッカ様はどうしていらっしゃいます」

「僕が知るかよ。あいつ、そんなに喋らないし。…そういえば忙しいのか、少しげっそりしてたような気もする。よく覚えてないけど」

 そうですか、とメイフェアは暗い表情のまま、葡萄酒の瓶を手繰り寄せて呟いた。


「何か面白い話でもあるの」

「面白くなんかないわよ!最悪よ!ビアンカが倒れたのだって、もとはと言えば、あの子のせいで」

 それは面白そうだな、とわめき散らすアデルを眺め、ロメオはにんまりと笑った。



***



「それって、遅れてきた反抗期と発情期が一度に来ちゃったようなもの?」

 笑い転げるロメオを睨みつけながら、思わず手元の酒瓶を握り締めるアデルだったが、まだ中身が残っていたと気付き、全部あけてからこいつに叩きつけよう、と酔った頭で考えた。


「それで、弟の突然の変貌に、お兄ちゃんが困ってしまっている、と。そういえばヴィンスもちょっと元気なかったかも」

「今更何をわかったようなこと言ってるのよ。自分から気付けないようでは、まだまだよ」

 はいはい、とアデルの言葉を受け流しながら、ロメオは深い海を思わせる瞳で、テーブルに突っ伏してぶつぶつとぼやくアデルを優しい眼差しで見つめていた。


「さっさと陛下のところに行きなさいよ。明日は無理です、って。それでも強引に決行するようなら、あたしが許さないわ。だいたい、自分の力で国一つ治められないような王なんて失格よって、言っておいて。…なんならあたしが、直接言いに言ってもいいんだけど。そうする?」


「それも面白いね。…でも、明日の準備で、みんな大忙しなんだよ。忙しくないのは、意外とここだけかも」

 言葉の勇ましさとは反比例するかのように、徐々に反応が鈍くなるアデルであった。

 声にならない何かを呟き、アデルはその後、身じろぎひとつしなかった。 



「それって今、思春期真っ盛りということなんだろうか」

 メイフェアを探しに来たランベルトが、言葉は違えど、ロメオと似たような感想をもらした。

 既にアデルは軽い寝息を立て、起きる気配は全くない。


「まあ、仕方ないかな…あいつ、免疫ないし。そもそも、女の人は苦手なんだよ。ビアンカみたいなおとなしい子だから、っていうのもあるかも。むしろ喜ぶべきなんだろうけど、相手がなあ…」

 暗い表情になるランベルトに、メイフェアも黙り込む。

「ああいう奴は思い詰めたら怖いよね。恋敵を後ろからばっさり、なんてやりかねないよね」

 場違いな笑い声をあげるロメオを、メイフェアとランベルトは冷たい眼差しで見つめていた。


「とにかく、ビアンカの様子を見てくるよ」

 何気ないふりをして部屋を出て行こうとするロメオの襟首を、いつの間に起きたのか、アデルは素早く掴み、「男子禁制!」と大声をあげる。


「皆さん、お集まりのようですけど、何事です」

 瑠璃が音も立てずに炊事場の入り口に立ち、招かれざる客人たちに挨拶をした。

「ビアンカの様子をうかがいに来たんだよ。瑠璃ちゃんこそ、今まで何やってたの」

 ロメオがアデルの腕を払いのけ、「酔うとほんとに加減を知らないよね」と不満げに言う。

「新作に取り掛かっていました。気が付けば薪がすっかり消えてしまって、取りに来たのですが…まさか、まだお熱が引いていらっしゃらないのですか」

 不安そうに顔を曇らせている瑠璃を、無言で眺める人々であった。


 私が見てまいります、と瑠璃は言い、またもや風のようにふわりと姿を消す。

 自分の知らぬ間に事態は悪化していたようだ、と若干の責任を感じつつ、瑠璃は二階へあがる階段へ向かった。

 螺旋階段の途中に、人影が見える。

「ビアンカ様?」

 瑠璃は明かりを掲げ、奥の人物を照らした。


 一瞬、眩しげに顔をしかめたビアンカが、こちらを熱っぽい瞳で見つめていた。

「申し訳ありません。御用ならうかがいますから、お部屋にお戻りになっては」

「いえ、自分で直接…」

 壁に手をかけたとたん、ビアンカがするりと足を滑らせて落下するのを、瑠璃は呆然と見ていた。

 時が少しずつ進むかのような感覚にとらわれ、一秒がこんなにも長く感じるのは何故、と瑠璃は疲れた頭の片隅で、ぼんやりと思った。

 危ない、と誰かの声がする。


 恐怖で硬直したまま瑠璃は、その場に立ち尽くしていた。

 やがて落下したビアンカの下敷きになっている宰相閣下の姿を見つけた。

「熱いな」と言うと、ヴィンチェンツォは驚いているビアンカを助けおこしながら、ゆっくりと立ち上がる。

「すみません、お怪我は」

「問題ない。頭も打たずにすんだ。あなたも、無事でよかった」 


「すぐに部屋に戻られよ。そのような状態では、明日は立っているのがやっとではないのか」

 自分を支える腕に、いっそう力が込められたような気がする。

 ビアンカは無言で頭を振り、その両腕から、そっと離れた。

「特効薬があります。それを使えば、明日は乗り切れると思いますから」

 まさかあれを、と真顔になる瑠璃に向かってビアンカはうなずき、「手伝ってください」と言うと、ふらつきながらも炊事場へと向かう。


 さほど酔いのまわっていないメイフェアが、いち早くビアンカの姿に気付き、慌てて椅子に座らせた。

 棚の奥から一冊の本を取り出し、瑠璃がしかめ面をしてその処方を確認する。

 やがて、おもむろに瓶に詰められた赤い小さな実や木の葉を取り出し、全てを鍋に放り込んだ。

 それを火にかけるようにとメイフェアに指示し、瑠璃は更なる材料を求め、棚の奥を調べている。


「瑠璃ちゃん…それ、何?足がついてるみたいだけど…まさか」

「とかげの一種です。乾燥していますから、大丈夫です」

 瑠璃が手のひらの上のとかげを差し出し、ロメオとランベルトは大声をあげて、いっせいに壁の隅まで引き下がった。


「このままかじってもよいのですが、他の物と混ぜれば、相乗効果が期待できます」

「なんでそんなものまで」

「この辺りによくいるのです、寒くなる前に大量に捕獲しました」

 瑠璃はその乾ききったとかげを、両手でぽきりと折ると鉢に入れ、更に細かく砕き始めた。

 いやああ、とロメオは悲鳴をあげ、涙目で首を振る。


「母の作る特効薬には、かかせないものです。幼い頃から、捕まえるのが得意でした」

 浅い息を何度も吐き、ビアンカがぐったりしながらも説明する。

「巫女じゃないよね、ほんとは魔女なんでしょ、オルドの巫女って。そう思えば、いろいろ納得がいく」

 ロメオは信じられないといった顔で、魔女の作業風景を遠巻きに眺めていた。

「まさかとは思うが、俺が昔飲まされた薬にも、そのとかげは入っていたのだろうか」

 もちろん、とうなずくビアンカを、ヴィンチェンツォは何度もまばたきしながら見つめていた。


 それから、と本を見ながら、瑠璃はまたもや乾いた木の根のようなものを取り出した。

「しっぽです。何のしっぽかと聞かれたらお教えしますが、お聞きになりたくない方々もいらっしゃるようなので」

「いい、いい!聞きたくない!根っこでいいよ!根っこなんでしょ!」

 胃を押さえ、ランベルトがロメオの肩に寄りかかる。


 もう耐えられそうにない、とロメオとランベルトは呟き、逃げるように出口へと向かう。

 弱虫、と罵声を浴びせるアデルの声を背中に受け、男達は耳を塞いで走り去った。

「で、何の尾なんだ。一応聞いておこうか」

「冗談です、本当に根っこですよ。入れるのはしっぽでなく、足の方ですから」

 黒い塊を取り出し「お知りになりたい?」と尋ねる瑠璃に、ヴィンチェンツォは無言で首を振った。


「出来上がったものを、数時間おきに服用します。今からなら、間に合うはずです」

 ぐつぐつと煮える鍋を見つめ、ビアンカが誰にともなく言った。

「試しにお飲みになります?閣下もお疲れでしょうから」

 鍋の中身をかき回しながら、メイフェアが後ろの宰相閣下を振り返った。

 ヴィンチェンツォは是非、と裏表のない顔で自分を見つめるビアンカに苦笑いをもらす。

「いや、結構。匂いだけで充分刺激的だ。明日まで寝ないで過ごせそうな気がする」


 

 


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