98の話~騎士、三人~
「先に槍を落とすか、降参した者が負けだ。一本勝負だ。よいな」
エドアルドの横で、にこりともせずにバスカーレが言った。
「そんなに固くならずとも、どうだ、祭りだ。一杯くらい」
どこから持ち込んだのか、エドアルドの前には簡易的な祝宴の用意が施されていた。
無言で首を振るバスカーレからヴィンチェンツォに視線を移し、エドアルドは「いるか」と尋ねるが宰相閣下は「勤務中です」とそっけなく言うのであった。
「言っとくけど、僕は手加減しないよ。だいたい、そんな格好で僕に勝てると思ってるの」
ロメオはあくびをしながら、修道服姿のステラを呆れたように見やった。
「ご指摘ありがたいが、この服も戦闘向けに改良済みだ。お前こそ、病み上がりで本調子ではないだろう。そうであっても、私も手加減はせぬ」
「ただの風邪だよ。なんてことない」
言い終えたロメオは思わず咳き込み、気まずそうな顔をした。
「ビアンカも大げさなんだよ。おかげで僕は不名誉な噂にさらされて」
ロメオが恨みがましい目つきになり、ぶつぶつと呟いている。
「お前の日頃の行いのせいだ。ビアンカ様が誤診してしまうのも無理はない」
ステラは無言で槍を振りかぶるように構え、その瞳は獣に狙いを定めた猛禽のようであった。
「それ、何。剣ならともかく、その構えじゃ隙だらけだよ。瑠璃ちゃんの仕込みか。のん気に草木と戯れてたわけでもなさそうだけど、なんか、曲芸じみてるんだよなあ」
それまでクライシュと共に、二人を見守っていた瑠璃の端正な顔がぴくりと動き、突如凜とした声を張り上げる。
「ロメオ・ミネルヴィーノ、あなたの騎士らしからぬ数々の不道徳な振る舞いは、私も聞き及んでおります。己の価値観のみで物事を推し量るあなたのような人を、東方では井の中の蛙と言うのです。ステラ様、遠慮はいりません。存分にやっておしまいなさい」
「了解した、師匠」
ステラは真面目な顔つきでこくりとうなずいた。
あれは何ですか、と不思議そうに問うエミーリオの背後には、いつの間にかロッカが空気のように佇んでいる。
「東方の槍術だ。自分も少々瑠璃殿から学んだが、覚えておいて損はないと思う」
「私も、槍ではルゥにかなわないのです」
クライシュが嬉しそうに言い、隣の妻の肩を抱き寄せた。
「東方の巫女様はおっかないよねえ。ビアンカみたく、おとなしくお花摘んで遊んでれば可愛げもあるっていうのに」
「さんざんビアンカ様の世話になっておいて、その言い草はなんだ。お前のへらず口も聞き飽きたわ」
ステラの語尾に重なるように、鈍い風音がロメオを襲った。
しなやかな手首の動きで幾度も槍を繰り出すステラに、エドアルドも感心したように見入っている。
「速いな。槍とは思えぬ見事なさばき方だ。ロメオは受け止めるだけで精一杯のようだが、案外早く終わりそうだ。一本勝負では少々物足りない気もするな」
残念そうなエドアルドをちらりと眺めると、ヴィンチェンツォは無言のまま、激しくぶつかり合う二人を観察している。
「さすがはステラ様ですわ。女装でも何も問題ないようですし。あまりにつまずいてばかりなので、丈を少々短くされたのも役に立ったようですね。私も少し短くしてみようかしら」
メイフェアも、軽やかに身をひるがえすステラを眺め、満足げにうなずいている。
ロメオの伸びかけた緩やかな金髪が乱れ、その間から蒼玉を思わせる瞳をのぞかせると、にやりと笑みをもらす。
「何を笑っている。そんな余裕があるのか」
「別に。君の癖がだいたいわかったからね。それに、わかってないのは、君の方みたいだよ」
腹立たしげにステラが力任せに押し返し、ロメオはするりとそれを受け流した。
ステラよりも一瞬早く、ロメオの槍先がステラを捕らえた。
正確には、ステラの足元で揺れるスカートの裾であった。
ぐいと力強く裾を引かれ、思わずステラは足で踏みとどまるが「破けちゃう!」と叫ぶメイフェアの声にはっとする。
「これで思いっきり僕が引っ張ったら、君はすっ転んで、それで終わりだね。どうする?破けるの覚悟で、抵抗してもいいんだよ」
裾を絡め取られ、ステラはいまいましげに舌打ちした。
「僕、釣り得意だし。裾の長さが丁度いい感じ。裏目に出たね」
かまわずふところ目掛けて強烈な突きを放つが、ロメオにあっさりとかわされ、ステラはたまらず荒ぶる叫び声をとどろかせた。
「最低だ。女の子相手に、子どもの喧嘩かよ」
ランベルトが呆れたようにため息をつくが、ヴィンチェンツォは面白そうに二人を眺めている。
「勝てばいいんだ。残念ながら、ロメオの実戦経験の多さは、ステラとは比較にならない。公私共に、数え切れないほどの修羅場をくぐってきているからな。時にはほぼ全裸で逃走ということもあったとかなかったとか」
「勝手に話を作るな!」
「そのわりには、随分と稚拙な手を打ってきたようだが…」
エドアルドは残念そうに言い、手にした麦酒をぐいと飲む。
「あいつに多くを望んではいけませんよ」
横から差し出されたヴィンチェンツォの手をまじまじと眺め、「お前いらないって言ったじゃないか」「いいからください」と押し問答している。
ロメオの槍先が裾と共にますます高く跳ね上がり、観衆はああっとどよめき声を上げる。
見えてしまう…と青ざめるバスカーレは、思わず頭を抱えた。
ぎりぎりと歯を軋ませ、ステラは鬼神と呼ぶに相応しい形相で叫んだ。
「お前、後で覚えていろ。…羞恥心など、とうの昔に捨て去ったわ!」
息を飲む観衆の前で、スカートが切り裂かれる音がしたかと思うと、ロメオの槍から逃れたステラが、「邪魔だ」と呟くと残りの裾の部分を力任せに引き裂いて投げ捨てた。
居並ぶ女性達から悲鳴らしき声があがり、ロッカは無言でエミーリオの視界をふさいだ。
バスカーレは完全に言葉を失い、今度は真っ赤になる顔から吹き出る汗を何度も拭った。
「これで身軽になった。お前の卑怯な手は、使えなくなったな」
「それも計算のうち、だったら。みんなも喜んでるみたいだし。余興も必要だよね」
けたけたと笑い声を上げるロメオを睨み付け、ステラは殺す、と一言呟くと再び上段に構えなおし、雄たけびと共に轟音をたて、槍を振り下ろした。
上等の絹の服になんてことを、と呟くメイフェアは、隣の夫が間抜けな顔をさらしてステラから目が離せなくなっていることに気付く。
「どこ見てんのよ!いやらしい!」
「そんなこと言ったって、ステラが勝手に」
ランベルトは膝上まであらわになったステラの足を凝視しつつ、拳を振り上げるメイフェアに、思わず防御体制をとる。
「寒そう、かわいそうだね。綺麗な足が傷だらけになっちゃうよ」
「お前のせいだろう!その無駄に整った顔から潰してやろうか」
「かまわず急所を狙いなさい!そのような卑怯者に情けは無用です」
瑠璃の鋭い声が飛び、ロメオは思わず肩をすくめた。
「間違いなく、ここにいる女の子達全員を敵に回したみたいだ」
ランベルトは「卑怯ものー」と野次を飛ばすカタリナ達を眺め、勝っても負けても、今後ロメオの評価は地に落ちるだろう、とぼんやり思った。
先程より、自分の動きが鈍くなったのは気のせいか、とステラは焦りつつも、眼光の鋭さは失われていなかった。
修行不足に尽きる、と己を叱責し、限界なまでの速さで槍を突き、払いを繰り返すが、完全にロメオに見切られている、と悔しげな表情を隠せずにいた。
すねに打撃を受け、ステラは顔をしかめつつ、すぐさま間合いを取り直す。
「最初から全力じゃ体が持たないよ。そんな派手な動きじゃ、いつもの剣より体力使うだろう」
とはいえ、ロメオ自身もそろそろ疲れた、と浅い呼吸を繰り返した。
冷えた風が吹き込み、思わず目を細めたロメオの視界に、突如槍先が飛び込んできた。
間一髪でよけたつもりが、肩に激痛が走り、ロメオはあやうく槍を取り落としそうになる。
からからと音を立てて自分の足元に槍が転がり、僕の槍は、と瞬間的に混乱するロメオの目の前には、間合いを取っていたはずのステラがいつの間にか、殺意を体中からみなぎらせて立っていた。
「なんで投げるんだよ!しかも顔めがけて!反則だろう!本物だったら刺さってるし!」
うるさい、と言い捨てると、ステラはロメオの槍を強引に捕らえ、腹部めがけて力いっぱいロメオを突き返した。
倒れこんだロメオの手から槍が落ち、ステラを素早くそれを拾い上げると、冷え切った瞳でロメオを見下ろした。
「ちょっと、今ので、折れたかもしれな…」
「黙れ、死んで聖オルドゥに詫びろ」
狙いを定め、低い声で呟くステラからは、手加減の文字は完全に消去されている。
ロメオは突き下ろされた槍を、痛みにぶるぶる震えながら、かろうじて両手で受け止めるが、「もう無理」と言い残すとそのままがくりと崩れ落ちた。
「そこまで」
バスカーレは立ち上がり、ゆっくりと二人に歩み寄った。
判定は、と無言で見守る観衆の多数の視線が、バスカーレに注がれる。
「最初から俺はわかっていたが、改めて結論を言おう。二人とも、不合格だ」
痛い、とうめきながら身を起こし、ロメオが「なんで」と息も絶え絶えに言う。
「ステラの方から、武器を放棄したんだよ」
「俺は言ったはずだ。まずロメオ、和を乱すようでは話にならぬ。皆の信頼を得てこその副団長だ。それ以上は言わずともわかるな」
何か言い返そうと口を開くが、痛みに耐えかね、ロメオは無念さを滲ませて黙り込む。
「それからステラ。天晴れな戦いぶりであったが、先に落とした方が負けというのもわかりきっていたこと。残念ながら、それは覆せない」
はい、とステラは小さな声を絞り出し、うつむいていた。
わかっていた。今日の自分はあまりにも、我を失い過ぎていた。ロメオのくだらない挑発に乗ってしまう未熟さを痛感し、やはり自分は、感情的になり過ぎるきらいがある。
「以上だ。お互いに学ぶべきところを見つけ、高め合えるように今後とも精進せよ」
「それって」
ロメオは座り込んだまま、バスカーレを見上げた。
「二人足して割っても、まだまだ足りぬ。それからランベルト」
賭けはどうなるんだろう、と頭を悩ませていたランベルトは、突然名前を呼ばれ、へっ、と間抜けた声を出した。
「お前もだ。三人足して割っても、それでも足りぬが、仕方がない。三人で協力し合って、副団長代理を務めよ。いつまでも下っ端気分でいられては、困る」
「戻っても、よろしいのですか」
ステラはバスカーレを見上げ、弱々しく呟いた。
「これは副団長決定戦だろう」
バスカーレは言い終えると、自分が着ていた外套を脱ぎ、「いいから隠しなさい」と目を合わせずステラに押し付けた。
「そういうところも、自覚が足りぬ。お前は女なんだから。そう言われると腹も立つだろうが」
「これくらい、どうということはありません」
「お前がよくても周りがよくないのだ。真夏にはだけた格好で仮眠したり…。お前、少しは気を使え」
今年はあまりにも暑かったので、と言い返すステラを制して、バスカーレは苛立ったように大声になる。
「とにかく、むやみに無防備な姿をさらしては駄目だと言っている。思春期の奴等が大勢いるのだ、気が散る」
団長が一番気が散っているのではないだろうか、とランベルトは同情した目で二人を眺めていた。
「残念だったな、儲け話がお流れになってしまったようで。全員に返金だ。いいな」
そんな、と呆然とするランベルトの肩をぽんぽんと叩くヴィンチェンツォであった。
ぞろぞろと人々の群れが動き出し、ランベルトに「よろしく」と声をかけて立ち去ってゆく。
「ステラ、強かったね、かっこよかった」
久しぶりに見るアンジェラの笑顔も、いつもより眩しかった。
「まだまだです、師匠にもご協力いただいたのに、結果を出せずに申し訳ない」
瑠璃は無言で首を振り、かすかに笑みをもらした。
「ご苦労様でした。結果はともあれ、気が晴れたのではありませんか。ロメオも、あなたの腕には正直驚いていると思いますよ」
息吸うと胸が痛いんだけど、とロメオがうめきながら、ランベルトに肩を支えられて、ずるずると引きずられるように立ち去って行く。
エドアルドに一礼し、歩き出すヴィンチェンツォの視界には、大きな木の陰に隠れるようにひっそりと佇む、ビアンカとアデルの姿が映っていた。
「すみません、どうしても気になってしまって。…ステラ様は」
「仲直りしたようだ、としか言えない」
そうですか、と微笑むビアンカを、アデルが優しい顔で見つめている。
「あなたにもご心配をおかけしたようだ。俺としては、話がまとまらないようであれば、いっそのことロッカと交換でもよかったのだが」
それは残念でしたわね、とアデルが言い、ヴィンチェンツォもにやりと笑った。
王宮まで送ろう、とヴィンチェンツォが二人に言い、再び歩き出す。
険しい顔で詰所の入り口を見つめているアデルに気付き、ヴィンチェンツォはつられるようにその方向を見た。
「また来たの、あの女。ようやく落ち着いたっていうのに」
アデルは挨拶もせずにマグダを睨んでいた。