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第1話:日課

学校の屋上に向かった。

放課後から随分と時間が経っているので、生徒どころか教員ともすれ違うことがなかった。部活動をしている生徒も既に帰り支度を始めているのか、もしくは帰ったのか、先程まで賑やかだったグラウンドも今は人影が無い。

夜の七時も回れば当然である。しかも今は十一月だ。日が沈む時間が早くなり、さらには寒くなり始めた季節に、いったいどこの誰が好き好んで、学校に長く居座ろうと思うのだろうか。早く帰って自分の時間を楽しみたいものである。

まあ、そういう俺はこれが自分の時間であるわけだから、十分に時間を有意義に過ごしているのだ。いわゆる趣味である。

既に教員が、校舎全体の戸締りを終えているので、別段急ぐ必要は無いが、これといって遅く行く理由も無い。すこしだけ歩くスピードを速めた。

階段を二段飛ばしで一気に駆け上がり、屋上の扉の前まで辿り着く。

目の前の扉には『立ち入り禁止』と貼り紙がされている。去年から貼り付けてある紙を一瞥して、それを無視。踊り場にある窓ガラスの鍵に手をかける。当然閉まっているので、鍵を開けて窓を全開にしてから鞄とコートを外に放り出し、続いて足を窓枠に掛けて、そのままいっきに屋上に飛び出す。

はあ、と息を吐くと、目の前の空気を白く染めた。外は暗くなり、空は夜を強調するべく、闇色に染まっていた。その空の中で唯一、白い月が闇夜を照らすかのように出ていた。

制服だけでは流石に肌寒いので、コートを着込んだ。コートを着る際に、右腕のリストバンドが引っ掛かったので、そそくさと直す。

立ち上がって深呼吸をした。夜の冷たい空気が、肺の中に入り込むのがよく分かった。それだけで頭の中がフレッシュになった気がした。

辺りを見回すと、給水タンクと、その傍らに小さな倉庫が見える。校舎の二棟あるうちの北側の一棟の上を、ほぼ丸々使用しているものだから、相当な広さがある屋上では、テニスくらいならできるだろう、と思わせるくらいに広い。ただ、毎日のようにきている為か、最近ではあまり広いとは感じなくなってきた気がする。

屋上の出入り口が東に位置していて、給水タンクと倉庫が西側にあるのが、ここの大雑把な配置だ。

とりあえず、ぼお、としているのもなんなので、西側の倉庫とフェンスの少しした隙間のあたりまで移動することにした。その場所が、街の景色が一番いい所なのである。

ポケットに手を突っ込んだ。最近はよく冷えている。明日は少し早めに屋上によって、帰るようにしようかと思った。

歩いて十数歩、考え事をすると下を向くという悪癖から脱した俺は、そこで始めて気が付いた。

ちょうど自分が向かう場所に、人影が見られる。

教員だろうか、それとも生徒だろうか。どちらにしても、こちらには気が付いていない様子である。フェンス越しに街並みを見ていた。

風で影の髪が流れた。それが月夜に照らされて、白い糸のように空にふわり、と浮いた。

髪が長かったから、女だというのが分かった。

それから数秒、月明かりの助けがあって、この学校の制服を着ていることが分かって、生徒だということが分かった。

こちらから声を掛けるのも躊躇われたので、何も言わずにその場で立ち止まり、ただ、その光景を眺めていた。

たまに吹く小さな風で、女生徒の髪が靡くが、それだけで、フェンス越しに街並みを見ているだけだった。表情は分からなかった。

先客がいるのでは仕方がない。今日のところは諦めて、明日にでも出直そうと思い、俺は振り返った。そのまま歩き出す。荷物が置いてある場所まで辿り着いて、鞄を手にする。

そして最後に、もう一度だけ女生徒の方に視線を向けた。

瞬間、頭の中がカラになった。視線の先には女生徒が居る。唯一違う事といえば、こちらを見ていることだろうか。目が合った。しかし、お互い視線を外す事はなかった。

こちらとしては、見られていることに驚いて視線を外すことも忘れていただけなのだが。

女生徒が俯いた。すると、足元に置いてあったらしい鞄を手に取り、こちらに向かって来た。

彼女が帰宅するのだろう、と頭の中で理解したが、俺の視線はずっと彼女に向けられたままだった。

みるみるうちに女生徒と俺の距離が縮まっていき、とうとうは俺の目の前まで来ていた。

そして、開口一発。

「…今、何時だか分かります?」

などと聞いてきたのだ。

完全な不意打ち。何も意識していなかった俺は、最初に何を言われたか分からなかった。数秒の思考時間を要して、やっと言われたことが分かり、デジタルの腕時計に目をやり、バックライトを点灯させた。数字を読み取り、女生徒に教えた。

「…七時四十二分」

そう答えると女生徒は、どうも、などと言ってニコリと笑った。そして、俺が始めに屋上に入ってきたように、その女生徒も先に鞄を窓から中に入れると、窓枠に足を掛けて、よいしょ、という掛け声と共に校内に侵入していった。

というか男の目の前で、更にはスカート姿で、その侵入の仕方はどうかと思った。しかし、それを自分から言うのもどうかと思うので、あえて口にしなかった。

これから此処で時間を費やすのも寒いだけなので、とりあえず、一階の生徒用玄関にある下駄箱に向う事にした。例によって鞄を校内に放り投げて、窓から侵入した。最後に鍵を掛けてから、階段を下り始めた。


玄関に到着。

二年用の下駄箱から自分の靴を取り出し、代わりに上履きを入れた。後は一階の家庭科室に行って、鍵が壊れている窓から出て行けば、教師に見つからず出て行けるのである。

さて、と靴を右手で持ちながら家庭科室に向った。否、向おうとするはずであった。

ガタガタッ。

玄関から何やら音が聞こえたのである。正直、素通りしようと思ったが、音の原因がだいたい察しが付くので、見に行くことにした。

案の定というか、原因がほぼ確定している状態で、見た光景はあまりにも悲惨だった。先程の女生徒が、一生懸命になって玄関の扉を、開けようとしていたのである。

うぅ〜、などと唸っては力一杯に扉と格闘している。そもそも鍵を掛けてしまっているので、開かないのは至極当然の事である。

どんどんと大きくなっていく扉の音は、きっと、女生徒の必死さからきているのだろうと、一人で納得してみたりする。

そろそろ音がうるさくなってきたので、教員に見つからないためにも声を掛ける事にした。

「…おい、そこのあんた」

言ってから自分でも、もう少しまともな呼び方はできないのかと、自己嫌悪に陥りそうになった。この場合、どう呼べばいいのか分からないのだが、そもそも人と話すのはあまり得意な方ではないのが、今では恨めしい。

しかし、その声が聞こえたのか、女生徒は扉から手を離して振り返った。

「…あ、さっきの」

さっきの、とは言い様だが、お互い名前も知らないので、この際不問としよう。若干、お互い様のような気がした。

「出るなら家庭科室から出られるから、ついて来な」

そう言って、俺は歩き出した。後ろを振り返らなくても、女生徒が小走りについて来ているのが、足音で分かった。

玄関から30秒ほどして、家庭科室に到着した。

北棟の一階の一番西側。学校の裏門に一番近い家庭科室。その扉を静かに開けた。後ろから入ってきた女生徒が扉をきちんと閉めた。

鍵が壊れているのは、北側の窓の奥から3枚目。その窓ガラスの前に立って、窓を開けた。そして、そこから靴を履いて窓から外に出た。

ほら、と言って、女生徒に出てくるのを促す。

すると屋上の時のように、よいしょ、と言って出てきた。スカート姿で、降りる際に下着が見えそうになるところまで一緒である。まったく、勘弁してほしいものである。

窓を閉めて、裏門から出て一件落着。無事に学校から出られた。

一仕事したような脱力感の為か、深く呼吸をした時に。

くしゅん。

奇怪な音だと思ったが、傍らで女生徒がくしゃみをしていた。というか、この時期のこの時間に、制服の上に何も着ていないのはどうかと思う。

あたかも、仕方ないといった感じで女生徒に向き直る。

ほれ、と言って着ていたコートを目の前まで突き出した。

俺は学生服。向かいに居る女生徒も制服だが、スカート姿だ。この状況を見たら、コートを渡してやるのが、自然の摂理ではないだろうか。

女生徒の方は、最初のうちは迷っていたが、おずおずと手をだしてコートを受け取ってくれた。受け取ってから数秒して、俯き加減にどうも、と言った。

さてそろそろ帰るかな、なんて考えて、裏門から2本のびている道を見た。

「俺、家こっちだから」

と言いながら、右手側の道に歩き出す。寒いこともあって、若干いつもより速く歩いた。早く家に帰ろうと思ったので、振り返りはしなかった。


家に帰ってから気が付いたが、コートを返してもらう時間とか、場所を聞いておくのを忘れていたので、そのことを少し後悔した。ついでに名前も聞き忘れていたのが、心残りといえば心残りだろう。

今更後悔しても仕方がないので、その日は自分の間抜け加減に自己嫌悪しながら、とりあえず寝ることにした。


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