一。
まだお日様がお顔をお出しではない頃、雑に投げ入れられた手紙を読んで私はあっけらかんとしていました。
バカバカしく、まるでませた学生の将来ふと、そのことを思い出しますと恥で恥で、心臓をギュギュと自分で押したくなる、そんなアホらしい手紙です。
非常に汚く、小さい暗号のような字でこうありました。
八千様へ
お手紙書こうか、どうしようか、ずいぶん迷っていましたけれども、どうももう耐えることのできなくて差し上げることにしました。覚えていますでしょうか、あの男のことを。とっても憎らしくって、いやあで、すんんでのところでお手を出してしまいそうになっては、いつわらぬ気がわたしの不安となっておそいかかってくるのです。わたしは、いまのままでは、とても生きて行けそうもありませんの。たまらないのです。このままではわたしたちは生きていけないのです。昨日も、くるしくて、からだも熱っぽく、息ぐるしくて自分をもてあましていましたら、雪の中、お姉さまがお手にくるんだふろしきをもってわたしのところへ来てくださいました。お姉さまはお肩の雪をおはらいになりながら
「ひどい顔。」
と言ってちいさなミミズクのように首をかたむけながら、うふふとお笑いました。わたしはそれがうれしくって、急に楽しくなってふふんと笑いました。こんなにもお優しいお姉さまを持っている自分の幸福をつくづく感謝しました。お姉さまはふろしきの中からおなべの道具をお出しになって
「今度だけよ」
とお玉で中をかきまぜていられました。
私はお鍋から音がなくなるまでずっとお姉さまの横をしずかにひっついてはなれませんでした。
ですけどやっぱりお姉さまは私の心配をするよりも、もっと大事なことがおありのようで、やはり、あの男のことを口走るのです。私が、「最近どう?」なんてききましたら、「二人仲良くしてるわ。店番も慣れてきたのよ。」なんて。わたしがおたずねになったのはお姉さまのことで、あの男のことなんて聞いてもいないのに口から、気が付いたら男が話の中心になるほどお姉さまは雄弁に語るのです。ほんとにうれしそうに。私など眼中に入っていないのですわ。たかが数年の男なのです。それなのにどうして男のおはなしをされるのでしょうか。どうして私の前でそのようなことをしゃべられるのでしょうか。この私が生まれてからの二十年あまり、お姉さまの横は私でありましたのに。私でありましたのよ。生まれてからずっと。
ですけど、もうぜつぼうしたのです。どれだけお姉さまの横にいましたって、今からずっと、何十年も横にいましても、一番はあの男なのです。どうがんばっても、最ゆうせんはあいつなのです。私はお姉さまを理解できません。いいえ、できているのです。できています。だからこそ、ぜつぼうしたのです。お姉さまの一番はあの男。私がまけてあげているあの男。ですけどあの男は全てを私からとりあげていくのです。半分どころではありません。ちょっとずつ、ちょっとずつ、すいこんでいくのです。ですけど、私はお姉さまをすいこんではいなかったのですよ。横におりましたのです。それなのに、あの男は、横ではなくてすいこんでいくのです。あなた、私のいいたいことがおわかりですか。私よりきょうあくで、ひどくてはっきりいって、クズなのです。人とは思えないでしょう。
このごろ私はどんどんやせていきます。あいつはぶくぶくふとっていきます。八千さま、どうか、ことの終わりをお呼びになってください。私は、このままでは、やせて、もとにもどることはありません。
どうかご返事を祈っています。
読者諸君。自分の家のポストを開けてごらんなさい。このような手紙は入っておりませんか。でしたらあなたは少しだけしあわせ者のようです。
それはさておき、どうしましょうか。だいたい、この手紙はどなたが書いたのか。というところですね。
受けとり人の私の名である【八千】は書いてありますのに、差し出し人の名は書いておりません。全て【私】で完結しておられる。まず、ここからおかしいのです。普通、お友達にお手紙を手渡すときでさえお名前は書きますでしょう。配達屋を通すならなおさらです。それに、住所も記してあるべきなのです。しかし、これには封筒含めても私のものしかないのです。名前であり、住所であり、私のものしかありません。この手紙は内容以前におかしいものばかりです。
もし、この私が忘れているだけでこの差し出し人の方と付き合いがあり、昔、少しでもおはなしになっていましたとすれば、彼女のことを忘れている私は、それはもう大変失礼なことをやらかしていることになります。そして私の記憶力をひどく疑わなければなりません。そのとき、もしもですが名前も住所お書きにならなくていいなんて口走っていたならですが、どうやっても思い出せないのです。きっとおはなしを交わしていたなら、姉への愛をひどく真剣に、少なくとも男のこと侮辱して語られたお方でしょう。そんな興味の惹かれる話を私が忘れるわけありません。
これがもし、アホな人の非常な厄介ごとに巻き込まれているのとすれば、大変迷惑です。
しかし、この手紙の意図はだいたいわかってきました。妹の、姉をとられていく悲しみとあの男への大きな憎しみ。それらをふまえても、男から姉をとりもどしたいという傲慢で依存している自分自身のことに気がついていない妹。
身内にいたら口を開けるたびになぐりたくなるような女だ。
それにしても、さあどうしたものでしょうか。ただのいたずらと思えばよいのでしょうか。それとも本当に私が忘れているのでしょうか。
いえ、第一の話にはなりまずが、これ、私に関係あるのでしょうか。もちろん、先ほど言ったように受取人である私の名前は「八千」と書いてあります。しかし、もしかしたら住居を間違えたのかもしれません。このあたり、私の家含め、大きな住宅地が広がっていますから、ほとんど同じような景色で、同じような住所なので届けミスをしたのではないでしょうか。そうだとしましたら大変です。私が開けて読んではならないものです。
このあたりの住居のことですが、「八千」という姓の住居は小さなボロ屋敷一つしかありません。私を入れて一つです。家を間違えた可能性が低くなりましたね。
では、字を読み間違えたのでは無いでしょうか。私はてっきりこの字が漢字で「八千」と書き、『やち』と読むものだと当たり前に思っていましたが、もしやこれはカタカナで「ハチ」と書き、『はち』と読むのではないでしょうか。
ありうることです。ですって、この手紙の文字は非常に読みにくいですから、「はち」さまに手紙をよこしたのではありませんかね。
可能性としては低くないでしょう。本名ではなく偽名という場合もありますし、間柄の名前なんてこともあります。
ふむ。ですが、だからと言って根本的に解決はしてません。ほとんどわからずじまいです。困ったものです。
まあ、このような場合、一人で悩んでも仕方ありませんから、私は友人に相談しにいくとしましょう。
その友人とは、小説家の松本です。昔からの中で、彼は探偵小説議論をよく私に雄弁に早口に言っていました。ほとんど右から左で聞いていませんでしたが。
彼なら、きっと大喜びでこの不可解な手紙に食いついてくれるでしょう。
私は早速コートを寝室へ取りに行きました。




