不信の視線
「えっとね?この問題の本質は、駐停車禁止の区間が何メートルか……つまり、5m区間をちゃんと認識できてるかどうかの問題なんだよ」
斎藤は穏やかな声で説明を続けようとした。
しかし、香川夏美は止まらなかった。
「それだったら『駐停車禁止の距離は何メートルですか?』って問題にしたらよくないですか?」
香川の声は少し震えていた。
周りの生徒達が不安そうな目で彼女を見つめている。
斎藤は少し戸惑った表情になった。
「それは……問題を作ったのは僕じゃないからさぁ……」
確かに、子供の言うこともわかる。
だが、教習所ではこういう問題が普通にある。細かい引っ掛けで「本質」を確かめるのが目的だ。
香川はさらに声を大きくした。
「私は『交差点の手前3m以内に停車するのが禁止か?』って聞かれたから、禁止ですって答えたんですよ!そんな場所に止めたら、曲がるときの邪魔になって危ないじゃないですか!」
彼女はもう一度、机を叩いた。
斎藤は慌てて言う。
「そう、そう!香川さんの言う通りだよ。交差点付近に駐停車が禁止されている理由は、まさに巻き込み事故を防ぐためなんだ。この前の授業で習ったよね?曲がる車に巻き込まれると危ないから……」
その言葉が、逆に香川の逆鱗に触れた。
「話を逸らさないでください!それがなんで『3m以内に止めるのが禁止』って答えが✕になるんですか!?」
香川は斎藤を強く睨みつけた。
目には本気の苛立ちが浮かんでいる。
「いや、だから……この問題の本質は、駐停車禁止の正確な距離を……」
「だから、それなら距離を直接聞けばいいじゃないですか!」
香川が再び机を叩こうとしたそのとき、隣の席の白木由美がそっと彼女の腕に手を置いた。
「夏美ちゃん、落ち着こうよ……私もこの問題、おかしいと思う……夏美ちゃんは間違ってないよ……」
白木の小さな声が、教室に響いた。
香川は唇を噛み、渋々ながら椅子に腰を下ろした。
しかし、頬はまだ膨らんだままで、目は明らかに納得していない。
(た、助かった……)
斎藤は胸の内で小さく安堵の息を吐いた。
だが、次の瞬間、彼は気づいた。
教室中の生徒たちの視線が、自分に集中している。
前の方も、後ろの方も。
その瞳には、はっきりとした不信感と苛立ちが宿っていた。
誰もが口を閉ざし、ただじっと斎藤を見つめている。
空気が、重く淀んでいた。
まだ、誰も動いてはいない。
しかし、教室全体が火薬庫のように張りつめていることだけは、はっきりわかった。




