出張交通法授業
ーー2028年4月1日。
門倉小学校の正門前に、一人の男が青いスーツ姿で佇んでいた。
斎藤慎二、38歳。自動車教習所のベテラン教官だ。
風がまだ少し冷たい春の日だった。校門をくぐる子供達の声が、遠くから賑やかに聞こえてくる。その小さな背中が、次々と校舎へ吸い込まれていく。斎藤は軽くため息を吐き、腕時計を確認した。
あの道路交通法の大きな変更から、ちょうど二年が経っていた。
2026年4月1日。自転車が本格的に「車両」扱いされるようになり、16歳以上には青切符ーー交通反則通告制度が適用された。信号無視も、ながらスマホも、傘差し運転も、並走も。すべてが現実の反則金に変わった。あの頃、ニュースは連日「自転車規制強化」と大騒ぎしていた。
そして今、国はさらに一歩を踏み出した。
「16歳未満でも自転車に乗る以上、将来的に車両扱いになるので、予備教育を義務化する」
との法案が通ったのだ。
その結果、小学校の時間割から「道徳」の授業が姿を消した。
代わりに新設されたのが「道路交通法」の授業。週に一度、45分。特別の教科であったはずの道徳の枠を、まるごと食い尽くす形で。
文部科学省と警察庁の連携事業だと聞いた。
「新しい世代が、新しいルールに適応するための教育」ーー表向きはそんな美名だった。
斎藤は教習所の同僚たちと共に、この「出張授業」の担当者に選ばれた。
毎週火曜日の五時間目。門倉小学校の6年2組の教室で、道路交通法を教えることになった。他の教習所教官たちも、それぞれ近隣の小学校に散らばっている。まるで自動車教習所の支部を全国の小学校に作ったかのようだった。
斎藤は鞄の肩紐をかけ直し、校門をくぐった。
青いスーツの袖を軽く払いながら、彼は小さく呟いた。
「……まあ、今日もやるべきことを、やるだけか」
校舎のチャイムが、ちょうどそのタイミングで鳴り響いた。
昼休み終わりの合図だ。
子供たちの無邪気な笑い声が、まだ廊下の向こうから聞こえてくる。
斎藤は背筋を伸ばし、6年2組の教室へと足を進めた。




