魔法省(S.E.D.A)ーー公式の闇組織
現代日本には、少なからず魔法を使用できる者がいる。
だが、一般人はそれを知らない。
完膚なきまでに報道規制をされているからだ。
そう、この物語の主人公、堂 董平も、今はまだその事実を知らない「一般人」のひとりだった。
*放課後・新宿区*
董平はスマートフォンの画面をスクロールしていた。
SNSのトレンドには、つい数分前まで「新宿でビル爆発?」というワードが並んでいたはずだった。
しかし、リロードした瞬間にそれは消え、代わりに「新宿駅付近でガス漏れ。通行人に怪我人なし」という味気ないニュースがトップに躍り出る。
「……消えるの早すぎだろ。てか、ちかくね?」
董平は微かな違和感を覚えるが、深くは考えない。それがこの国の「日常」だからだ。
だけど、この目で見てみたい。彼にとって、これはまたとないチャンスだった。
◇◇魔法省・外局「特異事象対策室(S.E.D.A.)」◇◇
≦新宿S区、地下30メートル地点。指定一級犯罪魔導士、捕捉。殺傷術式の展開を確認。災害レベル:『赫』≫
現場を指揮する皇 凱将大佐は、黒いタクティカルグローブを軋ませ、歪みきった空間の奥を睨みつけた。
そこには、現代物理学を嘲笑うように不規則な幾何学模様を描き、魔法を悪用して周囲を破壊し続けるテロリストがいる模様。
「神代、一般人の避難状況は」
皇の低く重厚な声に、情報制圧官の神代 玲一尉が、青白く光る網膜投影ディスプレイを操作しながら淡々と応じる。
「周辺半径500メートルの民間人パージ完了。名目は『広域ガス漏れ疑いによる緊急点検』。
誘導員に扮した隠蔽工作員が全員を安全圏へ追い出しました。
ネット上の動画・画像もすべて検閲済み。
今ここでどれだけ派手に撃ち合おうと……公式には『何も起きていない』ことになります」
「結構。――お前ら、全力で叩き潰せ」
背後に並ぶ黒衣の執行官たちは、一糸乱れぬ動作でそれぞれのデバイスを起動させた。
≦『認識障壁』全周展開。現実濃度を固定。これより武力制圧を開始します≧
神代の宣告と共に、空間が重低音を鳴らして震える。
「大佐ァ、レベル『赫』なんて聞いてませんよ。残業代で高級車が買えちまうな。……さて、害獣駆除と行きますか」
不敵な笑みを浮かべるのは、特等執行官の我妻 煉。
5人しかいない魔法省の戦力となる1人だ。
「よし、行くぞ!」
「イエス、マスター!」
彼の咆哮が、防壁内の閉鎖空間を震わせる。
一般人が「ガス漏れ」のニュースに安堵し、避難誘導に従って立ち去っているその真下で、彼らは世界の敵を屠るべく、人知れず牙を剥いた。
だが、その「完璧な隔離」の内側に、一人の少年が紛れ込んでいることに、最新鋭の魔導索敵網は最後まで反応しなかった。
◇◇堂 董平◇◇
「……おいおい、爆発したところに来てみたけど、誰もいないじゃんかよ」
SNSにはこの地下鉄の構内って書いてあったんだけどな。
野次馬の一人くらいいると思ったのに、不気味なほど静まり返っている。
来た道を戻ろうとしたその時、背後の闇から声が掛かった。
「……君。S.E.D.A.(セダ)か?」
振り返ると、そこにはボロボロのコートを着た男が立っていた。
男の周囲の空気は、陽炎のようにゆらゆらと歪んでいる。
「おじさん、セダってなに? てか、おじさんもあの爆発を見に来たの?」
「…………」
男は呆然としたように董平を見つめ、やがて自嘲気味に口角を上げた。
「いや、違うよ。……知らないなら、いいや」
男が指先をこちらに向けた瞬間、董平の視界が急速にブラックアウトした。
◇◇S.E.D.A.◇◇
「おい、貴様! その少年から離れろ、人質を解放しろ!」
皇大佐の怒号が地下通路に響き渡る。
突入した執行官たちが目にしたのは、無防備に転がる少年の首筋に、漆黒の術式を突きつける犯罪魔導士の姿だった。
「神代! どうなっている! 市民は全員パージしたはずだろうが!」
「……っ、分かりません! 生体反応、魔力波形、共にロスト! 私のデバイスには、今もそこには『犯人一人しかいない』と表示されています!」
神代の指先が、狂ったようにホログラムを叩く。
最新鋭のセンサーが、目の前に実在する少年を「虚無」だと判定し続けているのだ。
「チッ、機械の故障かよ!」
我妻 煉は苛立ちとともに吐き捨てた。
彼は魔法省が抱えるわずか5人の主戦力の一人だが、その表情には隠しきれない疲労が滲んでいる。
「認識障壁」の内側に一般人が紛れ込むなど、S.E.D.A.設立以来の異常事態である。
「くく……こいつはいい。この『透明なガキ』が何者かは知らんが……お前らも、一般人を巻き込む『正義』は持ち合わせていないだろう?」
犯人の男は、董平の首筋に術式を突き立てたまま、不敵な笑みを浮かべてじりじりと後退する。
「貴様……!」
皇大佐の額に青筋が浮かぶ。一歩間違えれば、魔法の余波がこの「無力な少年」を塵に変えてしまう。
膠着状態が続く中、犯人は追い詰められた獣のように、次々と破壊的な広域術式を撒き散らし始めた。
「死ね! どいつもこいつもまとめて消えちまえ!」
幾何学的な紋章から放たれる漆黒の雷光が、地下通路の壁を削り、空間を震わせる。S.E.D.A.の面々は防御陣を即座に展開し、防戦一方に追い込まれた。
「……クソが。盾を維持するだけで精一杯だ。人質がいなけりゃ、直接叩き込んでやるんだがな!」
我妻が歯噛みする。本来なら広域殲滅魔法で一気にケリをつけたいところだが、この至近距離では少年の命を保証できない。
皇大佐はあえて、魔法を使わぬ物理的な突入を命じる。
「――いまだ。確保!」
皇の鋭い号令が響く。闇に紛れ、足音を消して肉薄していた非魔導の特殊部隊が、魔導士の死角から一斉に飛びかかった。
「なっ、なんだ!? ぐわあぁぁっ!」
男の手首がひねり上げられ、術式が霧散する。
誰もが制圧完了を確信した、その時だった。
「……く、ははっ! 素人に触れられるとは……屈辱だが、これならどうだ!」
犯人の男が、折られた指を無理やり動かし、自身の胸元に刻まれた「緊急脱出用」の術式を強引に起動させた。
「大佐、テレポートの予兆! 阻止が間に合いません!」
「チッ……!」
神代の悲鳴に近い報告。
直後、地下通路に凄まじい発光と耳を突き破るような破砕音が響き渡る。
光が収まったとき、そこには数人の隊員がひっくり返っているだけで、犯人の姿は影も形もなかった。
「……また逃げられたか」
皇大佐が忌々しげに吐き捨て、タクティカルグローブを脱ぎ捨てた。壁を殴りつける我妻が、苛立ちを隠さずに叫ぶ。
「おいおい、冗談じゃねえぞ! これで今月三回目だぞ!? 同じ手食らってんじゃねえよ! 術式の追跡は!?」
「無理です。……座標をランダムに設定されています。検閲を辿るだけで朝になりますね」
神代が、疲労の色が濃い顔で網膜投影をオフにした。彼女の目の下には、隠しきれないクマがある。
「やってられねえな……。残業代で高級車どころか、このままだと過労死で高級な棺桶を買う羽目になるぜ」
我妻が肩を回しながら、意識を失ったまま転がっている董平を見下ろした。
「で、大佐。こいつはどうすんだ? 犯人はトンズラ、残ったのは魔法を全く感知しねえ不気味なガキ一人だ」
皇大佐は、意識のない董平を冷徹な目で見つめ、短く指示を出した。
「……とりあえず、この少年は保護する。神代、こいつの『記憶消去』を。終わったら適当な路地裏へ放り出しておけ。我々には一人に構っている暇はない」
「了解……。――えっ?」
神代が董平の額に手をかざし、術式を展開した直後、彼女の顔が驚愕に染まった。
「……大佐。魔法が、効きません……
おそらく潜在魔力量が違います」
現場に嫌な緊張が走る。
ただでさえ人手不足で隠蔽工作が追いついていない中、この「魔法が効かない少年」を野に放てば、魔法省の存在そのものが露見しかねない。
「……予定変更だ」
皇大佐は、意識を失ったままの董平の顔をじっと見つめ、決断を下した。
「この少年を野に放つリスクは無視できん。だが、我々のリソースも限界だ。ならば――こいつを、6人目のスペアとして確保する。本部の特別収容室へ運べ。目覚めた瞬間から、こいつを魔法省の隊員として叩き直す」
「えっ、大佐!? そんな、素性の知れない一般人を……」
「一般人ではない。神代、お前も見たはずだ。我々の『嘘』が効かない人間が、この世には存在する。
それを外に置いておくほど、我々は寛容ではないし……何より、喉から手が出るほど『戦力』が欲しいのも事実だろう?」
撤収作業が迅速に始まる。
意識を失ったままの董平は、救急車ではなく、窓のない黒塗りの装甲輸送車へと積み込まれた。
「……悪いな、坊主。運がなかったと思って諦めな。ま、高級車が買えるくらいの給料は、命と引き換えに保証してやるよ」
我妻の皮肉めいた独り言と共に、車両の重厚なドアが閉まる。
新宿の地下通路には、不自然なほど静かな夜が戻ってきた。明日になれば、ここはただの「ガス漏れ事故のあった場所」として処理される。
ただ一人、日常から永遠に消去された少年の存在を除いて。
◇◇魔法省・特別収容室◇◇
「おはよう、僕!」
真っ白な天井。消毒液の匂い。そして、鼓膜を震わせる明るすぎる声。
重い瞼を押し上げると、そこは見慣れない部屋だった。
そして何より、視界の特等席には一人の女性がいた。
昨夜、ホログラムを叩いていた情報制圧官――神代玲だ。
「……こんにちは、おねぇさん」
董平は寝ぼけ眼で、真っ先に彼女の端正な顔立ちに目を奪われた。
「ひとつ、教えて欲しいんだけど。君、何であのときあそこにいたの?」
神代の瞳は笑っていない。
その圧に押され、董平の脳細胞が急速に昨夜の光景を繋ぎ合わせる。
「あのとき……そういえば、地下鉄に行って……」
やばい。不法侵入だ。
ニュースで見た「ガス漏れ」の現場に勝手に入り込んだ。これ、前科がつくレベルじゃないのか。
「ああ、申し訳ありません! 何でもします! 靴を舐めろって言われたら舐めます! だからどうか、あのこと(不法侵入)だけは勘弁してください!」
必死にベッドの上で土下座する董平。
その姿に、神代は一瞬呆気に取られたように目を丸くし、それから口角を妖しく上げた。
「えっ、……なんでも?」
「は、はい。何でもです……!」
この時、董平が「何でも」という言葉にほんの少しだけエロい想像を混ぜていたのは、若さゆえの事故というべきだろう。
しかし、神代の返答は彼の斜め上を突っ走った。
「そう。じゃあ、君にはここで働いてもらうよ!」
「えっ、働く? 僕が?」
「うん、君が」
話の展開が早すぎて、董平の理解が追いつかない。
「は、はぁ……ちなみに、ここ何のお店はなんですか? ……風俗? 僕、カウンターとかの接客やる感じですか?」
「……は?」
神代の顔が引き攣る。
「君、死にかけた自覚ある? ちなみに……ここをどこだと思ってるの?」
「えっ、あ、すいません。……何のお店なんでしょう?」
神代はふぅ、と溜息をつき、髪をかき上げた。
「ここはね、魔法省。君が昨日見たものは、全部本物よ」
「えっ? 魔法省?」
ちょっと待て、魔法? なになに、このお姉さんふざけてるのか?
いや、もしかして、これって巷で流行りの異世界転移ってやつか!?
「やっほい! 魔法が使えるんですか!?」
ボン!
「ほら、爆発音が聞こえるでしょ」
神代が指先を鳴らすと、小さな火の粉が空間に舞い、鮮やかな炎の輪を描いた。
「おお! すごい。本物だ……。僕も、僕もそれ使いたいっす!」
董平の目が輝く。恐怖よりも好奇心が、そして「自分も特別な存在になれる」という期待が勝った瞬間だった。
それを見逃さず、神代は獲物を追い詰める猟師のような笑みを浮かべる。
「やる気だね。……じゃあ、そのために、ここで働いてくれる?」
「はい! もちろんっす!」
こうして、日本の最高機密機関「魔法省」に、史上最も軽いノリの新人が誕生した。
だけど、このときはまだ知らなかった。
どれだけ過酷で、どれだけ残酷かを。
それが、この国にとっての救いになるのか、それとも最大のバグになるのかはーーまだ、誰にも分からない。
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