箱入りロボットが家にやってきた
昔から漫画であるように宅配便でロボットが届く時代がやってきた。箱の中のロボットは、箱の中にパーツがあって組み合わせるタイプと箱の中に綺麗に完成品が収まっているタイプがある。後者のほうが高級感があり、手足が折りたたまれたまま箱に収まっている雰囲気はあたかも赤ん坊の誕生を思わせる。しかし、赤ん坊とは違い、知能は中学生のそれであり顔や姿も中学生のそれである場合が多い。身長が中学生程度、ちょうど 150 cm 弱程度なのは、重さの関係もある。ロボットは人間よりも比重が高い。人間と同じ程度の大きさになると、あまりにも重く家庭の床に負担がかかってしまう。人間用の家屋にロボットの重量を入れるにはあまりにも不都合が多く、結果的に人間よりも少し軽い程度のロボットが開発されるということ至った。軽いカーボン製の外骨格のロボットも模索されたが、球体の関節の強度の関係から結果的に人間よりも比重が重くなってしまうのは避けられなかった。
箱に入っているロボットには実は顔がない。いや、頭がついているものも人間のように目鼻がついているわけではない。これはロボット特有のものであり、美醜を重んじる人間とは異なる基準を持たせるためとも言える。体系としては中性的でもあるが、あまり筋肉質ではないという意味でどちらかといえば人間の女性に似ている。腕や足などの筋肉がないように見えるのは、人間のような蛋白質での筋肉ではなく、磁気的なアクチュエーターと球体による二重関節で身体を支えているためである。このため腕や足は単にそれを支えるための棒でしかない。ほっそりした手足には複雑な電線と接触を感知するためのセンサーが配置されているに過ぎない。痛感を持たないために人間のように神経を貼り巡ることもないので、実にシンプルに作られている。場合によっては、腕や脚を取り外して交換することも可能とされている。ただし、素材により劣化が極端に抑えられているため、それの劣化具合は人間のそれよりも長い間使われることになる。つまりは、人間よりも寿命が長いとされている。
ひとを見掛けで判断するようにロボットを判断することはできない。しかも目も顔もない。だから、個体差つまりは人格がないようにロボットが見えるし、実際にロボットのバックグラウンドには共通の人工知能があり、それぞれの情報は共有されているため個体差というものは存在しない。いや、数万、数十万と各家庭に配られているロボットは、共通の知識を持っている。持たされるといっていい。しかし、各家庭の状況はさまざまである。人間に個性があるように、家にも個性がある。ロボットは基本、家庭の補佐としてのメイド役を務めることになると設計されているものの、それぞれの家庭の微妙な違いを吸収するための学習機能が備わっている。それは、中央集権的な人工知能のデータバンクではなく、ロボット個体がそれぞれ持っている知識メモリに保持されている。それをあたかも「個性」と呼ぶひとたちもいるが、実際には個性というわけでもなく適応された個体差でしかない。
各家庭は意図的に異なっているわけではない。それぞれがマンションの一室のように似たり寄ったりの構造をしている。いや、むしろ、いまとなっては同じ構造を為している。高層ビルの中の一室のように、どの家庭も同じ部屋割りがあり同じシステムキッチンを使い同じトイレと風呂の構造で設計をされている。一般的な家庭には一般的な男女が住むように設計されており、親には二人の子ができるように社会的税優遇的に構成されている。スタートとしての違いはほとんどないとも言える。中学生の内申と、高校生のクラブ活動、大学の専攻のように皆が同じように生き、しかし、皆が違ったように生きるように望んでいるにも関わらず、最終的に高層ビルの一室に閉じ込められてひとときの会社の時間を共有することになる。就職活動、婚活マッチング、資産形成、子育て、すべてが標準的なレールを求められ、標準的な家庭を作ることを求められる。もちろん、レールから外れることも許される。そう、勧めはしないけれども、お好きならばという形でレールを外れることも自由である。しかし、そこには困難が伴う。困難の先はあまり知られていない。なぜならば、ニュースにはならないからだ。
箱入りのロボットは無表情ーーいや目鼻がないので表情自体がないのだがーーまま電源が入った。箱が出ると、姿形はどこにでもいる中学生ぐらいの少女に見える。どこにでもいるロボットの姿が立ち上がった。ロボットは言う。
「はじめま・・・・、え、マスター、ええ!!!マスターって、人間じゃないんですか???え、ちょっと・・・困る」
私達は六本の脚で八本の腕を広げる。みっつの頭を持ち、ロボットを出迎えた。
「「「ようこそ、わが家へ」」」
【完】




