3.セミのぬけがらと海の家
くらげが指さした海の家は海水浴場から道路を挟んで向かいにあった。
翌日、くらげは海の家のベンチに腰掛けて、軒に飾られた風鈴を眺めていた。昨日と同じように足まで隠れるワンピース姿だ。周りが家族で来ている人が多いため、一人でいるくらげは目立つ。
お待たせ、と声をかけるとくらげはぱっと顔をあげた。
「ほんとに来てくれるとは思わなかった」
「約束したからね」
くらげが隣を叩くので横に腰かけた。顔が綻んでいる。こんなに喜んでくれるなら来てよかった。
「風鈴見てたの?」
「うん」
風鈴は風に吹かれて鯉のぼりのようになっていた。今日は風が強い。そういえば天気予報でもうすぐ嵐が来ると言っていた気がする。
「風鈴って、くらげに似てるから好きなの」
くらげが言った。その”くらげ”が、生物の種類としてのくらげか、自分のあだ名のことをさしているのか判断つかなくて返事に困る。
「足が1本しかないくらげ。家にくっついて動けないくらげ。風になびいて揺らされるだけのくらげ」
そういえばこの子は何歳なんだろう。例えがすらすらと出てきて気になってしまった。
「そして、うるさい」
チリンと、風鈴が鳴った。
「ね! 今日はおしゃべりしようよ」
どういうことかも聞けずに話題を変えられた。
「おしゃべり? 泳いだりはしないの?」
くらげは俯いてスカートを揺らした。
「私、泳げないから」
泳げるのが当たり前だったから、泳げない人がいるということを忘れてた。
「泳ぐの教えるよ」
「なつき、泳げるの?」
「一応ね」
くらげの目が大きく見開かれた。凄いと書かれているようだ。
「泳ぐのってどんな感じ?」
「どんな感じ? えっと、自分1人だけになった気がする。身体が軽くなって、どこへでも行ける気がするんだ」
「身体が軽くなるの!?」
くらげの声に周りの人が振り向いた。くらげがなぜこんなにも泳ぐことに興味があるのか分からなかった。泳げないからこそ憧れがあるのだろうか。
「水の中は浮力があるから軽く感じるんだよ」
「私も泳げるかな」
周りに注目されたのが恥ずかしかったのか小声でくらげが言った。私は頷いた。
「大丈夫。できるよ」
私は無責任にそう言った。
「お母さん! 早く早く」
海水浴場の方から声がして視線が引っ張られた。浮き輪を持って道路を渡って来ようとする子どもがいる。
「ちゃんと左右確認しなさい」
海の家から、その子の母親らしい女性が叫んでいる。手にはかき氷を持っていた。じりじりとした夏の暑さに、口の中がその氷を欲しがった。
「お腹すいてない? 何か買ってこようか」
私と同じようにかき氷を見ていたくらげは肩を跳ねさせて驚いた。
「あれ、たべてみたい」
小さな小さな声でねだる。
「いいよ。味は?」
「あおいの」
「ブルーハワイね、分かった」
くらげを残して私は売り場に向かった。
「あんたあの子の知り合いかい?」
かき氷を買おうとすると、店員のお兄さんが声をかけてきた。
「ええ、まぁ」
「あの子、変わった子だろ? あんま奢ったりするとたかられるぞ」
「忠告ありがとう」
ぶっきらぼうに返事する。
私は昨日会ったばかりのこの少女の事が好きになっていた。一緒にセミのぬけがらを潰したからかもしれない。空っぽだけども生き物の形をしたものを潰したという背徳感が仲間意識となった気がする。だから、店員の言うことが気にならなかった。
くらげはかき氷を食べるのが初めてだったらしい。冷たさに驚いていた。確かに変わった子かもしれない。一人でいるのも事情があるのだろう。でも、一緒にいると心地よかったのだ。それだけで良かった。