第八十三話《飢えと記憶の交差点》
名を持たぬものが、名を与えられようとしていた。
すぅしぃの一撃が空間の構造座標を裂き、《餓鬼型》の中核構造へ亀裂を走らせる。断面から零れ落ちたのは血肉ではなく、「意味の欠片」過去に捨てられ、忘れられた存在たちの、寄せ集められた飢えの残滓。
だがそれは崩壊ではない。むしろ、それによって《餓鬼型》のかたちが浮かび上がった。
空間のねじれと共鳴しながら、呪詛のコアが自己修復を開始する。それは再生ではなく、侵蝕の再定義だった。
「記録外の再構成プロセス……もはや妖怪でも、兵器でもないな」
晴明の声が低く漏れる。それは、個体ではなかった。《シキベツバグ》とは、存在を許されなかった記憶の亡霊環境そのものが意思を持ち始めた、災厄のかたち。
苺瀬れなが、再び盾を構える。だがその動きには、先ほどまでの迷いはない。
Fairy Taleの旋律が、今度は内側から響いていた。外部干渉ではなく、自らの記憶に刻まれた旋律として。魂の最奥に触れた旋律が、歪んだ干渉を拒絶する波形へと変質した。
「聞こえてる……けど、もう惑わされない……これは、わたしたちの世界の音だ!」
共鳴が反転する。精神上書きではなく、記憶からの反撃。れなの存在そのものが、空間の文法を書き換える鍵となった。
ヨハンが拳を構えた。彼の一歩は、物理法則をなぞるものではない。現実を殴りつけ、干渉軌跡を“否定”する動作だ。
「ならば、叩き込んでやる。この場は現実だってことをな」
拳が叩き込まれた瞬間、音も光も遅れて走る。空間に走るノイズは、波形そのものの反応だった。
すぅしぃが続く。穴子の刃が空を裂き、構造を束ねる術式の接着面を断ち切る。
「目的も主語も持たぬなら、お前にこの場を踏む資格はない」
視界が再構成される。戦場が、彼ら三人を存在の定数として認識しはじめた。
そのとき、アヴェルの演算フレームが点滅する。
「命名権限、取得。対象、識別可能状態に遷移」
定義された瞬間、《餓鬼型》の咆哮が場を揺らす。それは拒絶名を与えられることは、輪郭を持たされること。輪郭は、終わりのための前提条件だ。
「識別名、《幽飢型領域災厄:アカシア・オルファネイジ》。コード、《AGK-000》」
仮初の集合体に、初めての名前が刻まれた。
そのとき、苺瀬れなが前に出る。盾が光を放ち、音が走る。名付けられたことで《アカシア》は既に概念的優位を失っていた。
「……わたしたちの居場所、これ以上壊させない!」
その叫びがトリガーとなり、三人の存在波形が戦場に定着する。光、音、空間座標、全てが彼らの現実に同調していく。
アマ研の結界が、ついにこの三人を中心として認識したのだった。