第五十一話 《繭より出でよ、釣られアラクネ女王》
べるスパイダーべるんこの動きは異様だった。
まるで意識と肉体の境界を越えているかのように、連撃が滑らかに敵を穿ち続ける。
足先が糸を操り、腕が裂き、口元が淡く呟いたと思えば、その言葉が呪となり、吊られ女王に絡みつく。
「見えるだもし、本体の芯……そこに在るだもし」
アマ研は後方で動きを止めない。
アマ研本体は演算処理と視認範囲のスキャンを行い、愛琉-meru-は応援バフを味方に拡散、すぅしぃは斬撃に備えつつ索敵の補助へと回る。
「このタイプ、核の位置が移動してやがる。中心軸がブレてる……擬態か?」
寿香久夜は静かに呟くように言う。
「違います。あれは本体ではない……核はリンクにあると考えるのが妥当です」
投稿者・しまった秀平。
今はステージ横に設置された防護結界の中で、状況をただ呆然と見つめていた。
だが彼の配信ウィンドウには、明確にタグが表示されている。
【スキル:怪談朗読】
【発動状況:アクティブ】
【共鳴率:76% → 82%(上昇中)】
この男が語る物語は怪異を現界させる。
しかも、スキルの発動中に視聴数や共鳴率が一定以上を超えると、それは一時的な召喚ではなく固定存在として残るのだ。
今回の仕様変更……すなわち、投稿者=召喚媒体。
彼こそが怪異の根源だった。
アマ研はそれを即座に理解し、打ち合わせを開始する。
アマ研が言う。
「今後、イベントが連続して発生すれば、デイリーワンキルが制限される。楽と言えば楽だが、リソースの計画は狂う」
「その上、こういう語り部型が出回ると面倒だよね♡」
愛琉-meru-は通信ウィンドウ越しに軽く笑って言った。
「だってさー、共鳴率バク上がりしてるってことは、見てるリスナーが信じてるってコトじゃん?」
そこに、場の空気が急変した。
べるスパイダーべるんこが吊られ女王に腕を突き立て、そのまま魔核を抜き取った。
「終わりだもし。語られた幻想、喰わせてもらうだもし」
ぐしゃり、という生々しい音が空間を裂く。
魔核はそのまま一気に咀嚼され、黒き気配が辺りに充満する。
続いてべるんこが広げた魔法陣に、吊られ女王の肉体が引きずり込まれた。
繭のような光がぼんやりと浮かび、その中心から一つの新たな存在が生まれる。
それは「カレピッピ・吊られ女王」。
意思の抜けた人形のように、しかし異様な存在感を持って糸に吊るされながら現れた。
「お前はまだ役立てるだもし。新しい使い方を試すだもし」
そう言うと、べるんこはカレピッピ吊られ女王を再び糸で包み、繭状に整形する。
その繭に、さらにアラクネのスキル構造を上書きした。
「釣られアラクネ女王、起動だもし」
地面に着地する瞬間、繭が割れる。
中から現れたのは、吊られ女王とアラクネの混成体。
腕が六本、背中には黒糸が漂い、顔は白くのっぺりとしながらも、確実に何かが宿っていた。
アマ研が冷や汗を垂らしながら呟く。
「これは……いや、これだけじゃない。本体じゃない。何かが引かれてくる」
香久夜も声を重ねる。
「そうですわ。カレピッピはただの模造品。ですが、この釣られ構造はリンク先の本体を強引に引き込む回路です」
釣られアラクネ女王は、どこか遠くにいる“本物”の吊られ女王と繋がっていた。
そしてその座標は、確実に現地の演算座標へと同期し始めている。
「まさか、本体ごと……引きずり出そうというのですか?」
べるスパイダーべるんこは笑う。
その笑みには性別も区別もなく、ただひたすらに“怪異”としての本質が滲んでいた。
「そうだもし。見たいんだもし、物語の終わりじゃなく……続きを、だもし」
視界の端に、赤いひずみが再び発生する。
空が破れ、空間が軋み、さらなる災厄が、地の底からその姿を現そうとしていた。
この日は、誰にとっても忘れがたい夜となる。
リスナーは興奮し、視聴者は増え、語りは続いていく。
そして、怪異はまた一つ、現実に近づいていくのだった。