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第二十六話《宿縁封絶 平安の影にて》

 あれは何年前のことだったか。

 もはや記憶の帳も色を失い、数など数える気も起きぬほど、遥か昔の話じゃ。

 人がまだ、空を神と信じ、星に名をつけて怯えていた時代。

 この世に生きる者が、未だ己の輪郭すら知らず、夢と呪いと死を同じ言葉で語っていた、そんな時代のこと。


 音すら凍てつく京の都の片隅にて、妾は一人の人間と剣を交えた。

 白き直衣に烏帽子を戴いた男。眉目秀麗、目はすべてを見透かす鏡のように澄み、背に浮かぶは十二の式神の影。

 名を安倍晴明。


「……来たか、神楽。今日こそ決着をつけねばなるまい」


「よいぞ晴明、妾も少々、鬱憤が溜まっておったところじゃ。今宵の酒の肴にしてくれよう」


 嗤いとともに扇を翻す。

 風がうねり、空が裂ける。京の上空に、血のような月が浮かび上がる。

 その光を受けて、晴明の術式が即座に展開される。


「──陣列、五行結界・陽陰大輪・起動」


 瞬間、足元に五芒星の結界が展開される。

 晴明の背後に現れたのは、霊獣・白澤、玄武、応龍。文字通り、天と地を統べる力の化身。


 だが妾も黙ってはおらぬ。


「出でよ……妾が愛し子たちよ」


 神楽の指が鳴った瞬間、四方より現れたるは東雷門黒夜、西清翠薫昼、おれんじ、べるべるんこ。

 肉体を持たぬ影の眷属たちが、呪術と妖力をまとい、空間を蝕むように滲み出る。


 戦場が跳ねた。


 晴明が式符を空へ舞わせると、千枚の護符が炎を纏い流星群のように降り注いだ。

 それに対して神楽は影を操り、防壁の代わりに眷属の身体を盾に変える。

 空が焼け、風が鳴る。黒と白、陰と陽、神と妖が刃と術をぶつけ合うたびに、地面がめくれ、家屋が粉砕され、山が消し飛ぶ。


「我が式神 

 風斬鬼よ、神楽の心臓を断て!」


 晴明の掛け声に従い、四方から巨大な式神たちが躍りかかる。

 神楽はそれを扇一つで払い、霧を纏った殺気の波で吹き飛ばす。

 べるべるんこが一体の式神を組み伏せ、自らの身体ごと焼き尽くす。

 おれんじが首を跳ねられ、鮮やかな赤が夜空に散る。


「……なんと美しき死の舞ぞ……!」


 神楽は戦いの最中すら笑みを絶やさず、右手に魔扇、左手に螺旋の呪珠を持ち、

 その足元から黒い蓮華が咲き誇る。


 晴明は息を乱さず、両腕を広げ、最大式・万象陣法を発動する。


「天地開闢、八百万の声よ。妾に力を貸せ。星を繋ぎ、時を縫え封神・終律!」


 それは空を丸ごと織り上げるような術だった。天蓋そのものが術式となり、神楽の全身を封じる鎖となって降り注ぐ。

 空が叫び、大地が泣いた。


 神楽は咆哮する。

「舐めるなよ、晴明……妾は神性そのものぞ!」


 扇を振るうとともに、空間がひしゃげる。

 晴明の術が喰い破られ、空中に浮かぶ五芒星の一角が砕ける。

 だが、それでも彼は崩れぬ。


「一角が崩れたとて……残りの四を補えばよい。妾はそういうふうに、千年生きてきた」


 術の再構築、術符の再刻印、血による代償。晴明は指先を切り裂き、自らの霊力と命を式符に捧げる。

 その姿を見たとき、神楽の目がふと細められた。


「ほう……その手段は、命を捨てる気か……?」


「いいや。捨てはせぬ。託すのだ」


 瞬間、術式は完成する。

 十二重の封印輪が彼女の足元から展開し、全身を包み込む光となって絡みつく。

 神楽の身体が引き寄せられ、空中に固定される。

 骨が軋み、血が逆流する。封印の刻印が肉に喰い込む。


「……妾を封ずるか。……面白き結末よ」


 晴明は、己の式筆をゆっくりと地に置き、神楽の前に立つ。

 すでに光の檻に囚われた彼女を前に、語りかけるように、低く呟いた。


「神楽よ。人は過ちを犯す。妾とて、神ではない。永遠もない。だがな……」


「人がもし、道を誤ったときは……その時は、そなたが導いてやってくれ。たとえそれが、暴力によるものでも、構わぬ」


 神楽は目を細める。


「導け、とな……妾が、愚かな人間をか?」


「うむ。そなたも間違うかもしれぬが……それでよい。それこそが人というものだ。間違いながらも、なお成長する……それが、生きるということだ」


「……ぬふふ……ほう……面白きかな」


 静かに、神楽の表情が緩んだ。

 彼女が初めて浮かべたのは、殺気も妖気もない、どこか懐かしさを含んだ微笑だった。


「……妾を導く者が現れるならば、それもまた……見物じゃの。ならば……封印、受けてやろうぞ」


 彼女の足元に描かれた最後の印が、音もなく閉じる。

 眩い光と共に、琴吹神楽の姿はその場から消失した。


 ただ静かに、風が吹いた。


 晴明は一人、塵のように崩れていった扇の破片を拾い上げ、夜空を見上げて呟いた。


「またいつか、そなたに問うことができる日が来るのなら……そのときは、人も、そなたも、変わっておろうな」


 月はなおも、真上に紅く、禍々しく輝いていた。

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