18時のシンデレラ
ただいまー」
僕は今日何も考えずに帰宅した。
青信号がとても短く、赤信号が長い横断歩道でも走る事はなかった。
今日の夕飯はなんだろう、次の休みの日はいつだっけ、僕は正真正銘何も考えずに帰宅をする。行く道も考えずにこれまでの経験と足を向く方を頼りに帰宅した。
玄関を開けての理想は奥さんが出迎えてご飯にする、お風呂にする、それとも、わ、た、し、と言ったドラマの再放送でありそうなものを期待するが、現実的ではなく、そんなことを言ってくれるユーモラス溢れる女性と結婚したい。
そして彼女のことを思い出す。
もうすでに、あまり考えたくない議題で野党がいつまでもネチネチ痛いところを突いてくる。
彼女との最後の会話は残念ながら、思えてなく「記憶にございません!」と言いたいところだが、現実を見ないといけなく映画みたいに勉強して、もう一度うまくいくってことはあまりない。
でも、記憶を持っていないのならうまくいった可能性を持っているのでは、ごくごく少数の意見があるが、携帯電話を見る限りその可能性はなくなってしまう。
電話番号を新しく登録している気配もなく、メールアドレスを交換しているわけでもなく、メモに記録していたら嬉しいなと思ったが
案の定、何も書かれていなかった。
だが、現実に戻されるのはとても早い。
姉さんがドアを開けて晩御飯の知らせにやってくる。
そもそも、アラサーの人間が実家に入り浸るというのはどうであろうか。
そして、一人のれっきとした大人の男性の部屋をノックもせずに開けるなんて、もしものことを考えたことないのか。
次のことがあったら一つ文句を言ってやろう。
すると、それはすぐにやってきた。
姉さんがまたもノックをせずに部屋のドアを開けてきた。
僕が開けてきたと同時に、腹から音の振動が喉に届きそうになり止まった。
姉さんの一言で世界が止まった。
「今日さ、太陽さんいませんか、って女の子来たよ」
「え?」
「彼女? それにしてもアナログだね。最近は電話だったり、チャットだったりで、いくらでも連絡できるのに、夏休みの子供が友達家のピンポンを押していたことを思い出したよ」
僕は姉さんの声に耳を傾けていたのか、分からないほど、自分の頭が台風によってみまかわれていた。
だが落ち着けよ、飛葉太陽まだその子がりえさんと決まったわけじゃない。
ていうか、僕はりえさんって言っていたのか、浅井さん? りえちゃん、記憶が無いせいか、呼び名も忘れてしまう。もしかしたら、呼んでもいないかもしれない。
「その子の名前は?」
「浅井りえちゃんって言ってたよ」
ペカった!
「確かね、前に展示会に来てくれた子も同じ子だった気がする」
「で、何って言ってた?」
「いや、いませんかって言われたから、居ませんよって答えただけだよ」
「何してんだよー。すぐ電話して、呼べばいいでしょ」
「何? 電話番号もらってんだけど、あげないよ」
「え? それを早く言ってくださいよ。姉上―」
僕は電話番号をもらえるなら何でもする。靴の裏を舐めたって、馬乗りされても何でもやる覚悟ができていた。
「それじゃ、じゃんけんに勝ったらいいよ」
僕はじゃんけんに負けてしまった。
男だからグーを出してしまって、見事にパーで返された。
女の方が偉く思えて、男のずるさが見えてくる。
「嘘嘘、電話番号もらってないよ」
「は!?」
次は足の裏から声を出した。そのせいか足の裏がくすぐったい。
「だって、あんた持ってるんでしょ。電話番号。彼女もそれに気づいてなかったけど、だから、お前の電話番号を上げたってわけ。ついでに、家族チャットに入れてあげよっか、て言ったんだけど遠慮されたんだよね」
「もう出てって、邪魔だから」
「はいはい」
そういえば、持っていた。りえさんの電話番号。記憶が無くなったせいでそのことさえも忘れてしまっていた。
僕はすぐ携帯電話を取り出し、履歴が残っている、まだ登録がされていない数字だけどのりえさんに電話をかける。
16時半。
僕がわがままを言って、一番早く会える時にした。時間なんて関係ない。ただ会いたい、そんな感情だけが先行していた。それに、僕たちは大人だ。その先を考えてしまうのは当たり前だ。
だから念のため毛を剃り、ちゃんとした下着にした。
だが、そんなことを考えるのは気持ち悪いという感情とそれを考えることが気持ち悪いと思ってしまうせいで、日本は少子高齢化になるんだと、すでに賢者モードに入っている。
すると、カランカランと音と動きがスローモーションになっていた。
彼女が二人用のテーブルに座る僕の目の前に座る。約束したのだから当たり前なのかもしれないが、入って迷わずにこの席に座ったことがとても嬉しかった。
「こぉんににちぢわわ」
「ここんんににちちわわ」
「やぁっっとぉ会えぇまぁししたぁねぇ」
「そうですね」
ぎこちない挨拶ともに、スローモーションは終わり沈黙を拒むようにする。
「そういえば、アルバムを持ってきたんです。りえさんに見て貰おうと思って」
「あ、はい。嬉しいです。持ってきてくれて。本当に」
僕はりえさんにアルバムを渡した。彼女は一つ礼を言い、メニュー表を二人で見るような形でアルバムを二人きりで見る。
「こういうのってどうやって撮ってるんです?」
「まあ、僕も修行中の身ですけど、僕は撮りたい場所とかを調べたり、それこそ写真集を見たりして撮りますね」
「日本全国?」
「そうですね、結構周ったりしますね。それでドライブが趣味になっちゃいました」
「気持ちよさそうですね。自然豊かな場所で窓を開けて良い風を浴びるんですよね」
「そうなんです。だから、サングラス着けて、かっこつけたりしちゃいます」
「私も同じことをすると思います。かっこいいBGMをかけたりして」
「そうなんですよ」
「海外とかでは撮られないんです?」
「海外には行ったことないんで、行ってみたいんです」
「どういった場所に行ってみたいです?」
「オーストリアとかスイスとか自然にあふれる場所に行ってみたいです」
「太陽さんは、自然が好きなんですね」
「あ、はい。山を登る事とか好きなんです。母の影響で。だから今登山ガイドの仕事を」
「そうなんですね。好きなことを仕事にするって素晴らしいことです」
「りえさんのお仕事は?」
「デザイナ―です。家でずっと一人でカタカタと。だから運動不足で」
「それじゃ、一緒に山に登りましょ」
「いいですね。この写真のとこなんて、どうです?」
「ここってどこの写真なんです?」
「ここは香川です。近いですし、好きな県なんです」
「行ったことないです。香川」
「本当ですか? いい場所ですよ。僕、うどん食べに香川に行っているようなもんですが」
「うどん好きなんで、行ってみたいです」
「それではいつか行きましょ。いつでもいいので」
「はい!」
一緒に過ごす時間はとても楽しかったが、あっという間だった。一つのチャイムが僕たちを邪魔する。
六時のチャイムが鳴る。
彼女はか細く短い声を出す。すると僕が気づかぬうちに片づけを終え、帰ろうとする。
「どうしたんです?」
「ごめんなさい。急に用事が出来て」
見るからに焦っている様子だった。僕はこの発言は嘘だと気づいた。僕はそんなに馬鹿じゃない。
「何か、悪い事しましたか」
「いえ、全くです。とても楽しかったです。ですけど、今日はすいません。お金はここに置いときますね。全部出すので」
彼女は一万円札をテーブルに置いて逃げる様に外に出た。
僕も当然、彼女を追いかける。
ドラマのように支払いをせずに行けるわけもなく、彼女の一万円を使わずに財布から出したお金で支払う。
僕が出ると、彼女はタクシーに乗り僕から避けるように逃げていく。
彼女の顔はどうなってるのだろうか、まったく表情が見えない。
僕は声を大にして言う。
「また、会ってくれますか?」
届くか、届かないか、微妙な距離で彼女は顔だけをこちらに見せ、マイクの音量を上げて
「はい!」
彼女はシンデレラだった。
夜の18時のチャイムで帰る、、、