写真家飛葉月影
昨日の記憶は全くなかった。
りえさんと出会って、写真を見せたところから記憶は途絶えている。
彼女が白いワンピースを着て、やって来て、僕が全く話しかけることができず、沈黙が続き、彼女が父の事に質問してきた。
その時、僕は自分の父が飛葉月影という事を言えなかった。
それから、自分が写真家を目指していること、父の背中を追って、月を撮っていることを話した。
嬉しいことに彼女が僕の写真を興味を持って、見せてほしいと頼んできてくれ、僕が写真を見せたところまで覚えている。
でも、そこからは記憶は無く、自分はまたやってしまったのか、自暴自棄になっている。
彼女の電話番号は持っているのだから、電話しようかと悩んだが、あれは固定電話だったことを思いだす。
それじゃ、僕はまだりえさんの電話番号を持っておらず、もしかしたら、りえさんも僕の電話番号を持っていないのだろうか、本当に昨日の僕は何をやっているのだ。
記憶がなくなったという事は、なにかひどいことが、脳が記憶を消去したいほど、自分はやらかしていたのか。
次のデートを取り次げただろうか、彼女に嫌われただろうか、そういった悪いことを何度も考えてしまう。
すると、頭から衝撃が走る。
また、僕の頭は記憶を消そうとしているのだろうか。
「おい、何やってるんだ」
どこからか、男の声が聞こえ、僕は正気を取り戻した。
「すいません、考え事していて」
「休憩は終わっているんだから、お前が今みたいにぼーっとしていると何人もの人が事故になる可能性だってあるんだぞ」
「すいません」
僕は今、写真家で食っていけないので、登山ガイドの仕事をしていた。
元々、山を登るのは好きだった。
母の影響も強く、初めて山を登った時は、父と朝早く起きて山を登り、頂上でみた月はこれまでみた月の中で一番綺麗な月だった。
僕はその月をもう一度見たい、そのために登山バイトして、その月の山を探していた。
彼は先輩の公家李人、名前の通り、実家が裕福らしい。
公家先輩は見た目が怖く、見た目通りの性格だ。
だが、ヤンキーは案外優しいというが、それは僕も同意する。
「で、何あった? 女絡みか?」
見透かされている。僕の顔に彼女の名前が書かれているのか。
「そうです。多分、失敗しちゃってて」
「またある。ほら、失敗は成功の源って言うだろ」
「成功のもとです」
「そうな、細かいことは気にせず、飲もう。俺が奢ってやるから」
「ありがとうございます」
飲みの誘いは嬉しいが、先輩は飲むと、毎回、朝までコースだ。それに僕は酒が弱く、毎回記憶がなくなり、それを面白がって先輩は誘ってくる。
「これが終わってすぐだぞ。いい店見つけたんだ」
今は十時で、終わるのが十五時、そんな早くから飲み屋が開いているわけがない」
「午後は、寄るところがあるんです。二十時からとかどうです」
「わかった。でも、遅刻するなよ。俺は遅刻が一番大嫌いだ」
「分かってます」
今日は編集社に行かないとならない。父の事ではなくて、僕の事で。
バイトが終わってすぐに編集社に向かった。
やはり、何度見ても大きくて、これでも東京の本社よりは小さいらしい。
この編集社には漫画やグラビアファッション雑誌、様々なジャンルの物が売られており、この中でも群と人気だったのが、父だったらしい。
でも、なぜ父の写真が人気なのか分からなかった。
なぜ、こんなにも人気で、大衆にもウケ、どこに惹きつけられるのか。
僕が父の写真が好きなのは、父だからだ。撮っているのが父じゃなかったら、見ないだろうし、興味も持たなかったと思う。
入ると、狩野さんが立っている。
多分、僕が飛葉月影の息子じゃなかったら、会ってもくれないだろう。
こういう場はでは父というネームバリューがあるとありがたい。
狩野さんは父がこの写真家人生が始まってからの担当で僕とも赤ん坊から見ていて、何度会っても、抱っこしたことがあるんだぞっと言ってくるが、とてもいい人だ。
父の担当以外にも、大ヒット漫画の担当もやっていて、売れっ子編集者だ。
「どうしたん? 太陽君」
「僕の写真についてなんですけど」
「写真家志望なんだって? お父さんと同じで」
「そうなんです。それで、狩野さんの意見も聞きたいなって。お忙しいと思うんですが」
「大丈夫。赤ちゃんからの仲なんだから。ほら、太陽君が赤ちゃんの時は抱っこもしたことあるんだから」
ほら、言った。
「ありがとうございます」
「なら、少し話せるところ行こっか」
奥の方に行くと、会議室みたいな場所に入っていく。
「じゃ、見せてよ」
僕は鞄から、これまで撮ってきた写真のアルバムを五冊出し、テーブルに広げる。
「少し見てみるね」
狩野さんは僕のアルバムを見て、細かく、一枚一枚見てくれている。
僕は狩野さんが見てくれている姿を横から見ていた。
狩野さんが見終えるのは、さほど時間は必要ではなかった。
「太陽君、お父さんの写真好き?」
「はい、とても」
「なら、お父さんがこれほどに人気になった理由はわかる?」
分からなかった。なぜ、父が売れるのか分からない。
「分かりません」
「僕もね、最初は分からなかった。でもね、人気になっていくごとに、この人、飛葉月影しか撮れない写真家だからだと思ったんだ。その魅力を言い表せれないけれど、でもその魅力を見てくれる人は、本能でこの写真は素晴らしいとなっているんだよ。それが、写真家飛葉月影の写真だと思うんだ」
「はい。なんとなく、分かる気がします」
「でもね、ひどいことを言うかもしれないけれど、太陽君からはそれが感じないの。飛葉月影を真似しようと思ってるんじゃないかな」
「確かに、父を追おう、追おうと思ってしまって、似ていたのかもしれません」
「うん。でもね、君はまだ若い。だから、もっと自分というものを研究して、自分ならではの写真を追求していくべきだと思うよ。自分の個性を持って」
「ありがとうございます」
やはりこの人はすごかった。
的確にアドバイスをくれて、悪いことを言わない。だから、売れる作品を作れるのだろう。
僕が念願の写真家になったら、この人を担当にしてほしいと思った。
「これくらいかな。僕から言えるのは」
「ありがとうございました」
「うん、それじゃ」
「あと、すいません」
「なに?」
「僕一度、父と山を登ったことがありまして、その時見た月がとても忘れれなくて、これまで見た月の中で一番綺麗だったんです。どこの月か分かりませんか?」
「山の時か、日本だよね」
「はい、日本です」
「それじゃ、分かんないかも。月影ちゃん、日本での写真あまり撮らないし、山だと僕はグリーンランドのオーロラと月のツーショットがお気に入りだね」
「そうですか。何か思い出したら、教えてください」
「うん、わかった。でも、もしかしたら、そこでは写真を撮っていないかもね」
「確かに、ありますね」
「うん、それじゃ、僕は行くね」
「ありがとうございました」
午後六時半を回っている。
公家先輩との約束を忘れてしまって、すぐに向かったが、七時になっても先輩はおらず、数十分遅れで、先輩はやってきた。
「遅いですよ。遅刻は嫌いって言ってたのに」
「すまん、すまん。子供たちがとても可愛くて」
「それを言われたら、何も言えないです」
先輩とのお酒は案外にも良く進んだ。
りえさんの件と言い、自分の個性と言い、問題が山積みだったが、今日のお酒はうまかった。
先輩に相談でもしようかと思ったけれども、
自分より酔った人間を見ると、正気に戻っていた。