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月光症

「お父さん! いつ治るの!」

 私はキッチンに入る早々、自分にある何か分からない葛藤により、父を責めた。

「なんのこと?」

 当然の答えだ。絶対に治らない病気のだから、治すことができる選択肢に入っていないのだから。

 少し意地悪をしたかった。

「私の病気の事」

 父ははっとした顔をした。

 私が無理難題を押し付けているからだ。

 いつも言われた、できれば変わってあげたい。


十七年前

 私は夜、救急車に運ばれた。

 全身が燃えるように熱く、全身が真っ赤になっていた。

 その痛みのなか意識がまだあり、その痛みを直に感じる。

 どうせなら、気絶してくれというくらいの痛みだった。

 病院に着いてすぐ、手術をして、何とか一命を遂げることができるが私は何日も目を覚まさなかった。

 目を覚ましたのは、手術から一カ月後経ったところで、まだところどころ、体が赤く染まっていた。

 少しずつ回復していき、父に呼ばれ、先生と話すこととなり、自分が置かれている状況を知る。

 先生から、一言目に言われた。

「君は月光症という病気だ」

 月光症

 月の光を浴びることにより、全身が赤く染まり、呼吸困難、やけどのような痛みで、症状が出た時は、気絶することなく、ずっと痛み感じていないといけない病気だと言われた。

 海外では「ドビュッシー症」とも言われているらしい。

 意味が分からなかった。

 この医師は冗談を言っていて、ドッキリとでも思っていた。

 聞いたこともない病気だし、幼いこともあり、冗談だろうと。

 私は隣にいた父を見るが、父は聞いた後なのか、下を向いていた。

 世界的に症例が少なく、治療法もないため、症状が出ないように頑張る、すなわち、夜に外に出るなということ。

 何度見ても、父は下を向いていて、少しばかりか涙を見せ、小さな声で、ごめんな、ごめんな、という言葉だけが繰り返し聞こえてくる。

 幼いながら思った、父がなぜ謝るのだろうか。

 その日から、夜、外に出ることはなかった。

 月が出ていないのであれば、外に出ても症状が出ないと言われたが、あまりよくないと言われ、私は虫かごに入った蛹のようだった。

 小学生だったあの頃は、夜に外に出ないのが当たり前だったが、病気だと言われただけで、小学生特有の自由というものがなくなった。

 必然的に家の中にいることが増え、家の中のみが安心する場になっていく。

 自分の部屋には元々、窓がなかったので、そこまで苦ではなかったし、家中のカーテンは太陽光や月の光は通さないものだったので、自分の家の中では、病気によって変わるものはなかった。

 それから、家での活動が増えた。母はすでにいなかったので、父が一人、私と弟を見ていたので、早く料理を作れるようになり、父の負担を減らそうとした。

 慣れていき、洗濯物は一人でできるようになり、料理の種類は多くなっていた。

 だが、年齢が上がるごとに、この病気の不自由さが感じられる。

 放課後に友達と出かけることなんてなく、部活動も見るだけで、やることはできない。

 恋人なんてできるわけもなく、恋愛や友情とは無縁の生活だった。

 病気のことを言うことが恥ずかしく、遊びに誘われても、ごまかして断り、どんどん、誘われることがなくなり、学校での私の口数は少なくなっていた。

 そんな中、救われたのが、飛葉月影だった。

 父から紹介された時は、元気づけようと思ったのか、飛葉月影の写真集を持ってくるが、最初は拒み続けた。

 病人扱いされている気がして、何も体には異変はないし、昼ではとても元気だったから。

 でも、夜になると突然、孤独を感じて、自分は地球から嫌われているのだと感じてしまう。

 そのまま泣き、自分のベッドに潜る。

 泣き疲れて、夜中、みんなが寝静まり、お腹が空き、下に降りた。

 その時、テーブルにあった飛葉月影の月の写真集を見つける。

 題名は「月光」

 表紙は二次元のはずなのに、三次元、月の光が飛び出しているようだった。

 私が浴びても大丈夫なもの、それをこの人は私に見せてくれた。

 それから、飛葉月影を追い、自分が見ることができない月に憧れを持ち、リアルかのような月を見せてくれる。教えてくれる。

 これが、飛葉月影との出会いだった。

 だが、学校では何も変わらなかった。

 一人で授業を受け、一人でトイレに行き、一人で移動していた。

 昼食ではさくらだけが頼りだった。私を一人にしないし、どこまでも安心させてくれて、優しい子だった。

 

 だが、中学で私は一人になった。

 さくらは女子高に行って、私は近くの中学に行った。

 中学では二つの小学校が集まり、もう一つの小学校はマンモス校で、数が多く、もうグループができている場所には私の居場所はなかった。

 年齢が上がったせいか、異物だと感じられるようになり、いじめられ、放課後もいじめは続いた。

 夜になるまでに帰らなきゃと、耐え続け、彼女らが気持ちよくなって、ぎりぎりで帰る。

 だが、一年の初冬、飛葉月影の写真集を見ているときに見つかり、奪われ、破られた。

 私の一番好きな写真集。

 私は初めて抵抗し、彼女らも驚いていたが、やはり、数の利には敵わず、すぐに反抗する力はなくなっていた。

 六時のチャイムが鳴り、部活動をしていた生徒達が帰っていく。

 校内には、生徒たちがいなくなっても辞めることはなかった。

 冬なので、日が沈むのは早く、すぐに、月が顔を出す。

 私の体はどんどん赤く染まっていき、呼吸ができなくなっていく。

 彼女らは気持ち悪いと言っていたが、頭が悪いせいか、自分たちがやったことと思い、優越感に浸っていた。

 その間も、私の全身が虫に食われているようで、病気のせいか、彼女らの力なのか、私にも分からなくなっていた。

 彼女らは、その後も手を止めることもなく、私を苦しめる。

 一分したくらいだろうか、見回りをしている先生に見つかり、私以外全員逃げ、私は彼女達の力により、すでに気を失っていた。

 私はすぐに救急車に運ばれるが、気を失っなっているせいか、痛みを感じなくてもよかった。

 私はその後、すぐ転校し、女子高であるさくらと同じ中学校にした。

 少し遠くにある学校で、朝は電車で行き、帰りは父に向かいに来てもらっていた。

 中学、高校では女子高だったので、男性と出会うことはなかったが、クラスメイトの彼氏ができた、セックスをした、パパ活をしている、そんな他愛もない話には耳を傾けていることしかできなかった。

 高校でさくらが初めて彼氏ができ、紹介されたが、全く理解ができなかった。

 だから、好きになった人もおらず、恋人も作ったことがなかった。

 私には恋愛はできないとわかっていた。

 でもそれはやせ我慢だ。みんなには別に男に興味はないし、必要ないと言い切っていた。

 でも母の前ではその思いは崩していた。

 みんなみたいに恋愛をしたい。みんなが楽しそうに喋ることを実際に恋人と過ごしてみたい、そんなことで泣く私を母は、笑顔の写真がなんだか、自分の悩みをすべて肯定してくれるみたいで、気持ちが落ち着く。なんでも肯定してくれる母は自分にとって悩みを聞いてくれる都合の良い存在になっていた。


 だが、初めて、興味を惹かれる男性を見つけた。

 かっこよくもないし、おしゃれでもない、お金を持ってそうでもなく、私でもわかる女子慣れしていない様子など、マイナス様子はとても多い。

 なのに、彼に惹かれる。興味が湧く。

 太陽と言った名前、苗字はなんだろう、彼女はいるのだろうか、色々なことを聞きたい。

 でも、私も同様、男慣れしていないので、聞くことはできなかった。

 初めてだった。

 愛してしまったら、私と同様、自由を奪ってしまいそうで。

 でも、彼とはまた、会えそうな気がして、ベッドの上でもがき苦しんでいた。


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