夢咲くころに、会いましょう
いつか、夢の先で会いましょうーーー
あの日、空へと舞った言葉を思い出す。
カメラのシャッターがパチリ。小気味よい音が世界を震わせる。ファインダー越しの景色はいつも、世界の「綺麗」だけを濾したような美しさが、宝石箱の中のようにキラキラと輝いていた。
昔から写真が好きだった。手のひらに収まるくらいの小さな黒の筐体は、好きな色、好きな空間だけを切り取って、目の前の一瞬に存在した美しさを閉じ込めてしまえた。まさに私にとっての宝石箱だった。
そっと瞳をファインダーから外す。開けた視界には群青の空と灰色の駅のホーム、そして薄桃色の花びら。
陽気な陽射しを浴びながら、瞳を閉じ、両手を広げ、大きく空気を吸い込む。
桜の匂いがする。
肺を満たす、暖かく上品な甘い香りを身体中を転がすように巡らせ、全身で味わい尽くした後、静かに息を吐きだす。
小さな贅沢を噛みしめながら、再び瞼を開く。駅のホームにもかかわらず、辺りには人の気配がしない。こんな素晴らしい空間を独り占めしていることに、どこか申し訳なさを感じる。
腕時計を確認する。まだ電車が来るまで少し時間がある。
カメラを胸元に抱え、足元に広がる薄桃色のカーペットを駆ける。匂いを辿って。
一本の木の根元へと着くと、カメラを掲げ、空を仰ぐ。ファインダーの中には天色の空を背景に、陽の光を受け、もはや白に近い半透明の花びらがあった。
ピントを合わせ、レンズの絞りを回す。露出計を確認し、弓を引き絞り、放つようにゆっくりと素早く、けれど確実にシャッターを切る。
また一つ、二つと宝石が溜まっていく。
涼しい風が頬を撫でる。枝の先から、踊るように花びらが舞う。
すぐに確かめることはできないけれど、きっと素敵な宝石が撮れているはずだ。
確かな手応えと共にカメラを下ろす。ファインダー越しだけでなく、自分の眼でも花びらを愛でる。桜はやはり何時撮っても変わらず綺麗だ。
一瞬強まった風にあおられ、胸の上でペンダントが弾む。飛んでいかないようにと左手で捕まえたそれを、そっと開く。中には小さく切り取られた、一枚の写真。
先ほど撮ったものと同じ色彩、同じ構図で撮られた写真。でも、そのピントは花びらではなく手前に映る人影に合わされていた。
写真の中のその微笑みに、返すように微笑んだ私は、きゅっとペンダントを手のひらで包んだ。
―――今日、私は夢へと発ちます。
☆☆☆
私がカメラを手にしたきっかけは亡くなった祖父の残したフィルムカメラだった。
中学3年生の時に心臓の病気で逝ってしまった祖父の持ち物であったそれは、最期まで大切にされていたのだろう。少し古い型であったが手入れが行き届いていた。祖母や父が扱いに困り、処分する算段でいたところを私が引き留めたことで、現在に至っても私の所有物となっている。
初めは祖父が亡くなった寂しさを紛らわせたかっただけだった。私にとってそのカメラは、文字通り祖父の分身であった。それを抱えて近くの公園や川辺を歩く瞬間は、憩いの時間であり、心が弾む時間であった。
持ち始めた頃は、それを胸に抱えているだけで満足だったが、次第にカメラそのものにも興味が湧き始めた私は、近所の写真専門店へと足を運んだ。今まで写真はスマートフォンでしか撮ったことがなかった私にとって、デジタルカメラならまだしも、フィルムカメラの使い方なんて知っているわけがなかった。
財布を左手に、カメラを右手に握りしめ自動ドアをくぐった私は、その中で亡くなった祖父と同じくらいの年齢の、白髪に眼鏡をかけた店主にカメラの使い方を教わった。
その日から私は、写真の世界へと溺れていった。ただ祖父を失った心の穴を埋めるためだけの手段ではなく、写真を撮ることそのものに悦びを感じるようになっていった。
手当たり次第に日常の風景をファインダーの中に閉じ込めては、小遣いを握りしめ写真屋へと足を運び、現像してもらうことを繰り返した。
しかし、ずれていたピントが合い始め、角度や構図の工夫が表れ始めた頃に、私は、私が写真を好きでいる理由が歪んできていることに気が付き始めた。
素敵な空間を、素敵な一瞬を切り取って保存しておける。初めはこれに尽きた。写真を撮ることはあくまで「美を保存する」という目的のための行為であり、決して手段ではなかった。
けれど、それはいつしか反転していった。
世界は常に棘だらけだった。憎悪に嫉妬。憤怒、落胆。足元には真っ黒な波が押し寄せ、気づけばそのまま足を掬われ、飲み込まれてしまいそうだった。
怖かった。そんな世界と向き合うことが。
不安だった。そんな世界で生きていくことが。
でも、ファインダーの中の世界はその限りではなかった。
レンズを通してみる世界は、いつ何時でも、純粋な光で満ち溢れていた。世界はこんなにも鮮やかな色で出来ているということを私に思い出させてくれた。
だから私はシャッターを切った。ファインダーを通して視ることのできる美しい世界だけを切り取り、自分を取り巻く灰色の世界から目を背けるために。
それに、過去を見つめるのは得意だった。不確定な「明日」を考えると、不安でいっぱいになる。でも、「昨日」は変えられない。後悔することはあっても、不安になることはない。
「明日」なんて考えたくない。
いつしか、手元の黒い筐体は、綺麗を閉じ込める宝石箱ではなく、私を世界から隔離するためのシェルターとなっていたことに、私は薄々感づいていた。
☆☆☆
学校が苦手だった。
自分とは顔も、身体も、性格も、何もかも違う人間が、同じ服を、同じ靴下を、同じ靴を履いて何百人と歩いている。
あちらでは歓声が、あちらでは怒声が、あちらでは嘆声が混沌と鳴り響いている。
「ーーーだよね~、あんたもそう思うでしょ?」
はっと顔を上げる。上げた先には一人の女子。血色の良い桃色の頬を綻ばせながら、こちらの様子を伺っているようだった。
「あ、うん…。そう、だね」
「え~?でもこっちのほうが良くない?」
今度はその隣の髪を後ろで一つに纏め上げた女子が、雑誌を片手にまたしても私に意見を求めてくる。
「え、うん。そう思う、かも」
「いや、どっち?」「なにそれ?」
左右から眉を顰め、詰め寄られた私は、ぎこちなく笑い返すことしか出来なかった。
やっぱり、学校は苦手だ。
家が苦手だった。
毎日決まった時間。父が仕事から帰ってくる時間である七時半に、父と母と私の三人で夕食を囲む。
「来年は大学受験ね。そろそろ進学したい学校は決まった?」
「ママ、そんなに急かしてはいけないよ。この子だって色々考えているんだから」
「お隣の息子さんは、この時期にはもう志望校を決めて勉強を始めていたって言ってたのよ。早く決めないと周りに置いて行かれちゃうんじゃないの?」
私は、目の前に器に注がれたシチューをスプーンで掬い、口に運ぶ。
「私と同じ職場の人の娘さんなんて、去年3校も有名私立に合格したらしいわよ?」
「まあ、そんなに慌てなくても、そのうちやる気も出てくるさ」
「ダメよ。良い大学に行けば就職しやすいし、良い就職先に就ければ良い旦那さんだって見つかるのよ?」
兄妹がいない、一人っ子の私は、親の愛情を一身に受けて育った。幸せ者だ。
平皿に置かれたパンを1つ、千切って口へと放り込む。
「旦那さんはともかく、確かにそれはそうかもしれないな。無名な学校出身よりも有名な学校出身の方が、企業で採用されやすいとはよく聞くしな」
私は幸せ者だ。
「あぁ、早く孫の顔が見てみたいわ。結婚するなら早めにね?」
そう言って母は私にウィンクする。私は幸せ者だ。スプーンを置き、笑顔で返す。
「うん、そうだね」
やっぱり家は苦手だ。
学校も家も苦手だった。人付き合いも、規則を守るのも、社会も、苦手だった。
でも、自分が一番苦手だった。
抜きんでた特技も、優れた才能も、周囲を魅了する美貌も何一つとして持ち合わせていなかった。
自分は誰にも敵わない。そう気づいた日から自分を表現することがなくなった。他人が怖いと思うようになった。周囲への怯えから始まった愛想笑いも、いつしかそれ自体が心地よくなり、今ではもう心から笑うことが出来なくなってしまった。
誰しもが理由を持って生まれてくる、なんて人は言う。
けれど、求めても、求めても、生まれた理由は見つからない。理由が見つからない私が生きていられる隙間は、この世界に存在するのだろうか。
何かから逃げるように布団を頭まで被る。布団の中の暗闇は、自分の体温以外が存在せず心地よかった。
明日のことなんて、どうでもいい。本当に。
やっぱり私は、自分が苦手だ。
☆☆☆
学年が変わり、制服につける校章の線が2本から3本へと変わってから3日目、私は学校を抜けだした。正しくは、仮病を使って早退した。普段なら、こんな見つかったら怒られるような危険を冒すことはしないはずなのに。
抜け出した理由は2時間目の学級活動。そこで3分間の自己紹介を課された。
なんてことはなかったはずだった。去年も一昨年も、適当な嘘を並べ、愛想笑いで間を埋めることで通り抜けてきたし、今年もその予定だった。
けれど、私の中の何かがそれを拒絶した。何かが「もう限界だ」と悲鳴を上げ、私の身体を突き動かした。
心と身体が一致しない。私はどうかしてしまったのだろうか。
鉛のような身体を引きずり自宅へと向かった私は、何を思ったか、鞄を投げ捨てカメラを片手に家を飛び出した。行き先は決めていなかった。けれども、どこか遠くへ。誰にも会わないくらい遠くへ行ってしまいたかった。
町の中心部から遠ざかるように。走る。走る。走る。
息が切れる。喉の奥から血の味がこみ上げる。頬に髪が張り付いた。
それでも一心に。遠くへ。
丘の頂上へと続く坂道を上り終えたあたりで、ふっと足に力が入らなくなった。そこでようやく足を止め、前屈みになり肺に酸素を送り込む。
心臓の鼓動が煩い。鼻の奥が冷たく痛む。でも不思議と苦しさは感じなかった。
ゆっくりと呼吸を整え、足の震えを止める。心臓の鼓動が静かになっていくのを感じながら、ようやく上半身を起こす。
車道の脇、ガードレールの向こうには、赤、白、緑、その他多くの色をした屋根が所狭しと敷き詰められていた。この色の数だけ、この町には人がいると思うと軽く眩暈がした。
今、これ以上気が滅入ることは考えたくない。そう思った私はため息を漏らしながら、もう少しだけ遠くを目指そうと、ゆっくりと後ろを振り返った。
そして、私は大きく、鋭く息を吸い込んだ。
吸い込んだが、その空気が大きく吐かれることはなかった。
深呼吸をしたわけではなかった。顔を上げ、広がった視界の先に映った景色に思わず息が止まってしまっただけだった。先ほど整えたばかりの呼吸が乱れる。
まるで一枚の絵画のよう。目の前に広がるのは、色彩も、光も、構図も、一分の隙も感じない調和のとれた世界だった。
息が出来なかった。息をしたらこの美しさが消えてしまうような気がしたから。
雲一つない、絵の具で塗りつぶしたような一面水色の空を背景に、頭上に散りばめられた桃色の花弁。枝の先に行くほどに光を浴び、根本の花弁は鮮やかに、先端は透明な微かなグラデーション。見つめるほどに吸い込まれてしまいそうだった。その見えない力に引っ張られるように、私は思わず右手を枝へと伸ばそうとした。
伸ばしかけたその瞬間、ふと、自分の右手に握られているものが何だったのかを思い出した。そうだ、この美しさを逃す手はない。
走っていた途中でねじれていたストラップを肩から外し、ファインダーを覗き込む。
もっと綺麗に。もっと鮮やかに。
距離と露出を試行錯誤している途中で、何かが、視界の端に何かが映り込んでいることに気が付いた。枝の陰だろうか。そっとカメラを下ろし、広がった視界の右端を探索する。
自分の右前方、十歩程度の距離。そこには、一人。誰かが、私と同じように空を見上げていた。
目の前の綺麗に夢中で気づかなかった。こんなにも近い距離に人がいたのに。
誰かが近くにいる、という事実に身体が強張る。そして同時に、数分前の自分の行動が滑稽に映っていなかっただろうかという恥ずかしさが背中を這った。油断していた。ここまで来ても人と出会うとは思っていなかった。
どうすればいいのかわからず、カメラを首元に掲げた姿勢のまま硬直していると、その人は視線は空に向けたまま、唇がゆっくりと開いた。
「綺麗、ですよね」
たったそれだけの言葉に喉の奥が詰まった。なんて言葉を返すべきかと思考を巡らせているうちに、再び声が流れてきた。
「桜、お好きなんですか」
その「好き」という響きに胸が締め付けられるような感覚がした。嬉しさとも辛さとも違う、何か形容しがたい、自分の今まで感じたことのない新しい気分だった。
そしてそれは、自分が普段から隠していた表現の仕方だった。
「好き」か「嫌い」かをはっきりと言葉にすることを意識的にか、無意識にか避けようとした私は、何時ものように愛想笑いを、その人の横顔に向けて浮かべた。
ずっと上を見上げていたその人は、私の笑顔を見て少し戸惑ったような様子を見せたが、すぐに何事もなかったかのように、柔和な微笑みを返した。
「私は、好きですよ」
そう私に告げると、再び空を仰ぎ始めた。
不思議な時間だった。
それ以降、お互いに声をかけることなく、無心で桜を、空を、その空間そのものを楽しんでいた。
まるで、お互いがそこに存在していないかのような気分だった。私があちらに干渉しようとしないのはもちろん、あちらも私に干渉してこようとはしなかった。他人がそこにいるのに、何も気にならない、気にしない。という感覚は初めてだったが、とても心地の良いものだった。
フィルムがなくなるまでシャッターを切った後は、今朝の苦しみなんてどこかに飛んで行ってしまっていた。穏やかな空気で肺が満たされていた。
替えのフィルムを持ってこなかったため、24回シャッターを切ったところでカメラを下ろす。
撮っている途中で気づいたが、枝の所々にまだ咲いていない蕾がいくつも見える。つまり、この桜の木々はまだ満開ではない。
ここにある蕾がすべて咲いたら、どんなに綺麗な景色になるのだろう。
そう思うだけで、全身に鳥肌がたった。桜が咲いてから散るまでの期間は短い。出来ることなら毎日来たいくらいだ。心が躍る。
夢見心地で、揺れる花びらを眺めていると、近くに留まった鴉が、永遠と思われた静寂を破った。その声で現実に引き戻された私は、左腕を確認する。ここに来てからもう2時間が経とうとしている。
今日、私は早退してきたことを思い出す。早めに帰らなくては。
ストラップを首にかけ、後ろを振り返る。そこには未だ変わらず、桜を愛で続けているその人がいた。
邪魔をしないように帰ろう。そう思った私は無言で、帰路へとその足を向けた。
ーーーはずだった。
「……また、明日。ここに来て、も、いいですか」
その人は、驚いたようにこちらを振り返った。
と同時に、私も驚きのあまり、頭が真っ白になった。
私は無言で立ち去ろうとした。けれど、今響いた声は間違いなく私自身の声だった。自分の中の矛盾に訳が分からなくなる。やっぱり、今日の私はどこかおかしいのかもしれない。
ショート寸前で立ち尽くす私に、それまで僅かな笑みしか浮かべなかったその人は、今度ははっきりとわかる笑顔で応えた。
「もちろん」
こちらに向けて振られた手にどうすればいいかわからなくなった私は、慌てて頭を下げ、今度こそ坂を下り始めた。
☆☆☆
それからというもの、私は仮病による早退と欠席を交互に行い、3日間に渡って、あの場所へと足を運んだ。毎日同じ時間、同じ荷物で。
仮病という嘘をついていることに対する抵抗感はあったが、ようやく見つけたやすらぎを求めずにはいられなかった。
その人は毎日変わらず、そこにいた。
そして私たちは、変わらず、会話を交わすことなく、美しさの虜になっていた。交わされるのは行きと帰りの最低限の会釈だけ。お互いに名前も年齢も知らない、聞こうともしない、不思議な関係。
声を介さずとも、同じ景色を共有していることで、その人は私の中でどこか心の通った友人のような存在になっていた。
それだけを繰り返して3日目。いつも通りフィルム一本分撮り終わり、帰り道に向かおうとした私に、その人は珍しく声をかけてきた。
「写真、お好きなんですか」
突然の声に、私は微かに怯えたが、その人はいつものように優しさに溢れた微笑みを浮かべていた。
「ええと、あの、その……」
咄嗟に言葉に詰まった私は、また愛想笑い。慣れたものだ。
「すみません。いつも楽しそうに撮っているのを見ていたので、つい」
表情はそのまま、その人は軽く頭をこちらに向けて下げると、視線を枝の先へと戻す。
緊張をほぐすように、その場にしゃがみ込んだ私は無意識に筐体の輪郭を、人差し指でなぞる。
「その、好き、というか、なんというか…。たまたま持っていただけ、というか」
「では、趣味ではないのですか」
その人は、こちらとの距離を詰めることも離れることもなく、3メートル程度の距離を保ちながら、淡々と質問を重ねた。
「いや、趣味じゃないわけではないんですけど…。その、なんて言ったらいいんでしょうね」
あはは、と困った風な笑顔を貼り付けて、その人の方を見上げた。
しかし、もうその人は笑っていなかった。無表情というよりは、どこか寂しそうにも見える表情を浮かべて、空を仰いでいた。
何か不愉快になるようなことを口にしてしまったのだろうか、と身体に緊張が走る。人の顔が曇る瞬間はいつだって怖い。
数秒の沈黙。その人の顔色は変わらない。私はやはり何か余計なことを。
しかし、私が謝罪を述べようとする直前で、その人の唇が開かれた。
「よかったら、撮った写真、見せていただけないでしょうか」
「……え?」
あまりにも唐突な申し出だった。驚きのあまり、思わず間の抜けた声が出てしまった。一連の会話を他愛のない世間話だと思っていたため、この展開は予想していなかった。
私の少し戸惑った様子をみて、その人は申し訳なさそうに口を開いた。
「そうですよね。急に見せてと言われても難しいですよね。いきなりすみまー―ー」
「いい、ですよ。別に」
私の、言葉を遮る勢いで発せられた承諾に、今度はあちらが目を丸くしていた。
見せること自体は別に問題はなかった。
フィルムには鮮度のようなものがあり、撮ってから月日が経つにつれ劣化していってしまうという話を聞いてから、フィルムの現像自体は撮った日に行っていたし、今日も帰りにいつもの写真屋さんにフィルムを預けに行く予定だった。
それに、少しだけ嬉しかった。私の「好き」を共有してくれる人がいたことが。
驚いていた様子のその人も、しばらくしていつもの微笑みを浮かべると、「ありがとうございます」と一礼をして、また正面の桜へと向き直った。
私も、正面を向き、時計を確認する。いつもよりも長くいてしまった。両親が帰ってくる前に戻らなくては。
立ち上がり、お別れの会釈を済ますと、坂道に足をかける。
その私の背後で、ほとんど独り言のような声が聞こえた。
「明日は、満開、ですね」
その言葉に、私も特段足を止めたり、振り返ったりすることなく、ゆっくりと坂道を下り始めた。
☆☆☆
予定通り、帰りに写真屋さんに寄って、今日の分のフィルムの現像と、先日現像を頼んだものの受け取りを行った。
何枚かは光が強すぎたり、ピントのずれているものがあったが、大体は綺麗なまま閉じ込めておくことが出来た。
出来上がった写真を一枚一枚、丁寧に確認しているうちに、奥から店主が戻ってくる。
私に初めてカメラを教えてくれた人と同じ、白髪に眼鏡をかけた、亡くなった祖父に歳の近い店主。
恐らく、私が預けたフィルムを保管室に持って行ってくれていたのだろう。少し汚れた、年季の入った前掛けを揺らしながらこちらに向かってくる。
「出来栄えはどうだい」
「まあまあ、ですかね。綺麗なものも撮れたけど、まだ『今までで一番』っていうものはないですね」
「そうかい」
カウンターに置かれた眼鏡をつまみ、つるを耳にかけると、私が並べた写真を一つずつ眺めていく。
この時間に店にいる客は私だけ。気兼ねなく鑑賞会を開くことが出来る。
私が一通り目を通し終え、2週目へと入りかけたところで、店主は溜息と共に一言呟いた。
「上手く、なったね」
まるで孫の成長を喜ぶかのような、心から噛みしめているような響きだった。
突然の賛辞に、本日二回目の間の抜けた声が漏れる。
「え?ちょっとなんですか、急に。やめてくださいよ」
「君にカメラを教えた日から、ずっと写真を見てるからね。わかるよ。特にここ最近、とても綺麗に撮れるようになった」
手放しに近い誉め言葉に、嬉しさと同じくらい恥ずかしさがこみ上げてくる。顔が熱い。思い返せば、高校生になってから、こうして人に褒められることなんてなかった気がする。
赤くなっているであろう顔を見られまいと、無言で俯く。褒められるってこんなに心がざわつくものだったっけ。
私の様子など気に留める様子もなく、店主は写真を目でなぞっていく。
「こんなに上手に撮れるなら、写真家とか、うちみたいにカメラを扱うような仕事に就いたらどうなんだい」
その言葉に、身体が震えた。喉から急激に水分がなくなる。耳鳴りがする。
そう、私だって。
太ももの上で、ぎゅっと拳を握った。
「まさか、そんな立派なものになれるわけないじゃないですか」
上げた顔には、いつもの表情。愛想笑い。
「だって写真家の人たちって、もっと凄いじゃないですか。画角だったり、距離だったりで色んなレンズ使い分けるし、光の加減の計算だって。私なんて、レンズこれだけしか持ってないし、光の加減なんてテキトーだし、今回もたまたま上手く撮れちゃっただけで」
店主に割り込まれないよう、必死に言い訳をまくしたてる。
だって私が一番わかってる。私は何も出来ないってことを。
今までも夢や目標はたくさんあった。けれど、何一つ成し遂げられなかった。それはきっと、これからも同じ。
分不相応な夢を見て、周りに落胆されたくない。親に迷惑をかけたくない。誰かの足を引っ張りたくない。
だから私は、必死にできない理由を積み上げる。一つ一つ丁寧に可能性をつぶすように。
「現像も自分じゃ出来ないですし。いつもほんとにありがとうございます」
カウンターの上に並べた写真を、慌てて全部かき集める。
店主は何か言いたげな表情をしていた。けれど、これ以上気を遣わせるのも申し訳ない。早く帰ろう。代金ももう支払ってあるし。
「それじゃあ、また」
そう言って店を飛び出る。胸いっぱいに写真を抱えながら。
***
家に帰ると、すでに母の姿がそこにはあった。
「ちょっと、どこ行ってたの?具合悪いんじゃなかったの?」
言葉の端から、今日の母の機嫌はかなり悪いことを察した。
「ごめんなさい、ちょっと外の空気が吸いたくて」
「外の空気を吸いに行くのにカメラが必要なのね」
「これは、その……」
後ろめたさから思わず右手を背後へと回す。ピリピリしているときの母は、普段なら気付かないようなことまで鋭く指摘してくる。
「どうせ、またカメラで遊んでいたんでしょう。いつまでも子どもの気分でいるのはやめなさい」
「……はい」
「あなた、もう受験生なのよ。こんな新学期早々に何日も休んで。周りの子はこの間にも勉強しているのよ。置いていかれたらどうするの?」
「……ごめんなさい」
「謝ればいいと思って。お母さんはあなたのために言ってるのよ?あなたのやりたいことはなに?良い大学に行きたいんじゃないの?」
言葉が出てこなかった。激しい剣幕で詰め寄られたことへの怯えと、一切反論することが出来ずにいた自分自身への情けなさが入り混じり、音が喉を通らなかった。
ああ、やっぱり、私は何一つ上手くこなすことが出来ないんだ。
悲嘆はやがて痛みを伴って、心に深く痕を残した。
ひとしきり私を叱り終えた母は、上に行って寝ていなさい、とだけ言い捨てて、キッチンへと踵を返していった。
項垂れることしか出来なかった私は、母の言いつけ通りに自室へと戻り、閉じこもるように布団の中へと身体を滑り込ませた。
暗闇の中、膝を抱えて丸まった私は、改めて自分の愚かしさを知った。
僅かでも、たった一瞬でも、「私にも何かが出来る」なんて勘違いをした自分の愚かしさを。
ふくらはぎに爪を立てる。痛みがどこか心地よかった。
自分が思っているよりも疲れていたのだろうか。少し横になっただけで、瞼が重くなり、意識に靄がかかり始めた。
意識が途切れる寸前。私は思わず願ってしまった。
明日、雨が降ってしまえばいいのに。
☆☆☆
願いも虚しく、翌日の天気は雲一つない快晴。春らしい、穏やかで暖かく、それでいて凛々しい風の吹く、澄み渡った天気だった。
行くつもりはなかった。昨晩、あれだけ母に叱られたし、自分自身でも反省していた。
昨日の母の言葉はほとんど反論する余地のない正論だった。母自身の経験からくる、厳しくも正しい助言であった。実際、私がファインダーを覗いている間も、授業は進む。休めば休んだ分だけ周囲に置いて行かれる。受験生にとって、これは大きなロスとなる。
全てわかっていた。頭では理解しているつもりだった。
それでも、あの丘へと向かう足は止められなかった。好奇心を抑えきれなかった。
地面を見つめながら、頂上へと一心に足を動かす。
前は見ない。もし遠目にそれが見えてしまったらもったいない気がしたから。
灰色一色だったアスファルトの上に、少しずつ薄桃色の落とし物が点々と見えた。
もう、近い。
地面が並行になる。斜面が終わった。到着だ。
高鳴る心臓が抑えきれない。私の鼻が、目が、脳が、早く見せろ、と騒ぐのを止めない。
俯いたまま深く深呼吸をすると、私は、張り詰めた弓が、そのしなりを開け放つように、勢いよく顔を上げた。
「わあ………」
出たのは、溜息にも感嘆の声にも取れる微かな呼気だった。
目の前すべてが桃色で埋め尽くされていた。緑の芝が生えた地面も、あれだけ蒼かった空も。
桜の匂いがした。普段、桜の花びらを手にしても、香りを感じたことがなかったから、桜に香りがあるとは思っていなかった。甘酸っぱさの中にどこか上品さを感じる、控えめな香り。
そして、その香りの中心に、その人はいた。
あちらも、私の存在に気付いたようだった。けれども、ゆっくりとこちらに視線を向け、桜色に染まった頬を僅かに緩ませただけで、そのまま奥へ。桜並木の少し向こうへと歩いて行ってしまった。
言葉はなかった。でも、「おいで」と言われているような気がした。
首から吊るしたカメラを、今一度強く握る。桜の絨毯の上を、その背中を追って、一歩、二歩。
向かった先には木でできた、所々がひび割れたベンチが一つ。桜の従者をかしずかせ、まるで玉座のように、それはそこにあった。
その人は、玉座の左手に小さく腰掛け、私を手招くように、自身の隣に空いた座面を柔らかく二度叩いて見せた。
促されるまま、隣に。背もたれが少し軋みながら、優しく私を受け止めた。
「今日は、来てくれてありがとう」
「い、いや、そんな、こちらこそ」
改めて伝えられた感謝に、少しドキッとする。つい今朝までここに来るつもりがなかったことを見透かされているような気がした。
「やっぱり今日が満開だった。見に来ることが出来て本当に良かった」
「そう、ですね。とても、その、”良い”……と思います」
探り探り、言葉を紡ぐ。なんだか、オウム返しのようになってしまった。
「あっ、そうだ」
ふと、昨日の約束を思い出す。左肩から斜めにかけたポーチの中から、半透明なL判写真袋を取り出し、隣へと手渡す。
中身の見当がついていたのだろう。その人は表情を崩すことなく、私の手から静かにそれを受け取った。
昨日、写真屋さんのカウンターの上で厳選した12枚。それがあの袋の中に入っている。今日ここに来る前に、自室にカメラを取りに戻った際に、机の上から急いで袋に詰めてきたものだった。
あの店主以外に見せる機会も、見せるつもりもなかった。親にも、同級生にも。ひた隠しにしてきた私の宝石たち。それを見られるのは、なんだか自分の裸を見られているような気分だった。心の内側まで覗かれる、そんな気分。
でもそれは、写真そのものを見られることが恥ずかしかったわけじゃない。
私の「好き」を、誰かに見られることに怯えていたのだ。
「似合わない」とか、「下手くそ」とか、「身の丈に合ってない」なんて思われることが怖かった。それで、自分の「好き」がねじ曲がったり、壊れたりするのが嫌だった。
だから、壁を作った。隣の人に、周囲の人に、全ての人に、好かれも嫌われもしない自分を。
否定も肯定もしない。貶すことも褒めることもしない。ただ笑顔で、ただ息をしていられれば、それでよかった。
私は、小さく後悔した。今日この時、私の守り通してきた「好き」が壊れてしまうかもしれない。怖い。
そんな私をよそに、横から一枚、また一枚と紙の擦れる音がする。
早く終われ。そう願うほどに、この時間は永く、とても永く感じた。
音が途切れる。眼前まで掲げられていた写真を手にする両手が、ゆっくりと膝元まで高度を下ろした。講評の時間だ。嘲笑が来ても、賛辞が来ても、私にとっては変わらない。
でも、その人の口から漏れ出た言葉は、そのどちらでもなかった。
「―――写真家を、目指されないのですか」
「―――――なんで」
なんで、同じことを言うのだろう。昨日の店主の言葉がフラッシュバックする。
待ち構えていたものとは全く違った返答に、心が酷く動揺する。
そして、店主の言葉と同時に、強く脳裏に焼き付いた、昨日の母の言葉が、顔が、私の頭を支配する。
「なれるわけ、ないですよ。私が」
「どうしてわかるのですか」
「わかり、ますよ。自分のことですもん。カメラのことなんて何も知らないですし」
「やってみなければ、わからないことだってあるのではないでしょうか」
その言葉は、語気は、変わらず柔らかなままだった。私は固く拳を握る。
「わかるんですよ、もう。小さい頃から何も出来ないんですよ、私は。才能もない。技術も知識もない。努力したって無駄なんです。何一つ上手くいかないんです。だったら、最初から全部―――」
そこで、言葉が途切れた。言い切ろうとした直前で、私の握りしめた右拳の上に、柔らかく、ほんのりとした熱が重なった。
「なれますよ、きっと」
驚き、目を見開く。自身の体温と混ざる、もう一つの熱源へと目を向ける。
そこにあったのは、白く、細く、しなやかでいて、それでいてどこか力強くも感じる、一つの手だった。
弾かれるように顔を上げる。そして、私の視線は、もう一つの視線とぶつかった。
美しく濡れた、翠色の双眸。頭上から降り注ぐ木漏れ日の光に照らされ、明るく透明感を持ったその二つの宝石は、真っすぐと私を見つめていた。
瞳を離せなかった。それらはとてつもない引力を生じて、私の視線を釘付けにした。中央から放射線状に伸びたその緑の花びらは、今まで私の集めてきた宝石の中で、最も美しいものに見えた。
そして、私は、その美しさの中に一つ醜いものが入り込んでいることに気が付いた。
それは、私自身。硝子玉のような瞳に反射した、何かに怯えたような、情けない私の愛想な笑顔がそこにはあった。
それから逃げるように目を逸らす。いつの間にか忘れていた呼吸を取り戻す。
その人は何も言わなかった。ただ、しっかりと私の右手を包んでいた。
手から、腕へと、腕から胸へと。ゆっくりと伝わる、自分以外のその体温に、濁流のように言葉が溢れてきた。
もう、限界だった。吐き出さないと、どうにかなってしまいそうだった。
「私だって、私だって、なれるならなってみたい…!」
一度溢れて流れた言葉は、もう止めることが出来なかった。
「やりたいことを、胸を張ってやれるようになりたい!楽しいことを、楽しいって表現したい!」
両目からボロボロと涙が零れて落ちる。視界が揺らいで何も見えない。鼻も詰まって、声が震える。きっと顔はぐちゃぐちゃだ。
でも、もう嫌だった。怯えて毎日を過ごすことも。できない理由ばかり求めて生きることも。
息を吸って大きく叫ぶ。喉がはち切れるほどに。
「私は、好きなことを、好きっていいたい!!」
辺りの一面に私の声がこだまする。自分自身の声に鼓膜が激しく震える。
その時だった。
下から巻き上げるような突風が私たちを襲った。桜の木々が騒がしく鳴る。地面いっぱいに敷き詰められた桜の花びらが砂塵と共に巻き上げられる。
私は思わず目を瞑る。そして咄嗟に左手で、右手に重ねられた柔らかなもう一つの手のひらをぎゅっと掴んだ。そうしなければ、この優しい温もりが、どこか遠くに消えていってしまいそうだったから。
俯くこと数秒、吹き荒れた暴風は、ほんの少し鳴りを潜めた。
恐る恐る目を開く。まだ両手が温かい。よかった、まだ、そこにいた。安堵の溜息をそっと零す。
「見て」
頭上から降る、その言葉に引っ張られるように、私は、その人の視線の先を追う。
「………わあっ」
そこにあったのは、風に巻き上げられ、宙へと舞った花びらたちの宴。
ゆらりゆらり、右へ左へとターンをしながら落ちていく様子は、まさに桜の舞踏会だった。
ごくり、と息を飲み込んだ時には、すでに私たちの足は前へと進んでいた。
「行こう!」「いこう!」
お互いに手を握ったまま、会場の中心へと駆け出した。
桜の匂いで包まれる中、手を取り合い、廻る。廻る。舞わる。
花びらと共に踊りながら、再び、その人の瞳を覗く。
そこには、もう、怯えた私はいなかった。
☆☆☆
次の日、私はまた、いつもと同じ道、同じ坂を上っていた。右手にはカメラを、左手には一枚の写真を握りしめて。
今日は土曜。後ろめたさは微塵もない。昨日から、私の心は空と同じ青。
丘を登りきると、何時ものように、桜の花びらが私を出迎える。少し散ってしまったが、未だ美しくそれはそこに咲き誇っていた。
普段ならそこで10分は虜になっているところだが、今日、ここに来た目的は別にあった。
ああ、挨拶をしなければ。いつもの場所へと視線を向ける。
でも、そこには誰もいなかった。
いつも、そこでにこやかに桜を愛でていたその人の姿は、どこにも見当たらなかった。
ベンチに座っているのだろうか。広場の奥へと足を運ぶ。
しかし、いるのは私、独りだけ。
休日の日はいないのだろうか。それとも――ー。
そこまで考えたところで、ベンチの上に白い何かが置かれているのが目に留まった。近寄ると、そこには、桜を模ったシールで封をされた、一つの手紙があった。
風に飛ばされないように重りとして使われていた小石を外し、手紙を手に取る。封筒には宛先も何も書かれていなかった。
誰が書いたのかも、誰に宛てて書かれたものなのかもわからなかったから、少し、開けるのに躊躇した。でも、心のどこかに、あの人が私に書いたものであるような確信めいた何かがあった。
間違いだったら、すぐに元に戻そう。私は静かにシールをめくり、手紙を覗き込んだ。
―――拝啓、親愛なる写真家様へ
素敵な夢を、ありがとう。
生きて会いましょう。またいつか、きっといつか、夢の先で。
大きな余白を残し、それだけ。たった三行の別れの言葉。
でも、それで充分だった。
名前も、年齢も、住むところも、何もかも知らない私たちにとって、それ以上は必要なかった。
ゆっくりと手紙を折り畳み、再び封筒の中へと大切に仕舞う。そして、その手紙の上に一枚の写真を重ねた。それは、昨日、帰り際に撮った写真。私の宝石箱の中でも、一際輝く宝物。現像する前から気付いていた。この一枚が、私の『今までで一番』だということに。
花びら舞う風の中、あの優しく、繊細な微笑みが、こちらに向いて咲いていた。
そっと写真を抱きしめる。触れている指が、胸が温かくなる。あの人の温もりが、まだそこにあるかのように。
「私も、あなたに出会えてよかった」
零した言葉は、風と共に空へと舞う。
ここに来て、何かが劇的に変わったわけではなかった。
夢は夢のままだし、私を取り巻く環境も、人間関係も変わらない。明日のことだって、何一つわからないままだ。
それでも、ほんの少しの勇気をもらえた。私は、私が生きてゆく理由を見つけた。
この世界のどこかに、本当の私を、私が好きな私を知っていてくれる人がいる。それだけで、どんな今日も、前へと歩いて行ける気がした。
寂しさはある。でも、私の瞳に、涙はなかった。
***
遠くから、カタン、コトンと、硬く重みを感じさせる音が、こちらに向かって近づいてくる。ホームに列車の到着を約束する、軽快な音楽がこだまする。
思い出の彼方から引き戻された私は、左手に握っていたペンダントを、白のニットの首元へと仕舞い、置いてきた荷物の下へと引き返す。背後で揺れる桜の枝が、どこか名残惜しそうにざわめいていた。
もう一度、ホームを見渡す。けれども、列車がやってくる時間になっても、あるのは私の影、一つ。この景色を独り占めに出来た私は幸せ者だ。
地面を鳴らしながら、景色の向こう側からやってきた四両編成の小さな箱舟は、次第に速度を緩め、私の前で静かに止まる。
開く扉の音に、微かに胸が高鳴った。不思議と不安は一切ない。
今日、私は、夢の先へと旅発つ。ファインダーの向こう側を追って。
明日のこととかはわからないし、どうでもいい。
だって私は知っている。
現在、この時を思えば、いつかの現在も歩んでゆけることを。
初投稿です。
拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
2週間前、桜並木の下を歩いていた時に、ふと心に湧き出てきたイメージをそのまま言葉に起こしたものなので、語彙や表現力が足りず、ひどく短い物語となってしまいました。
次回は少し長めの、また別の世界を舞台にして書いてみたいと考えています。
夢の向こうで会いましょう。