追走
「え? ホテルに脅迫状が届いて山口さんが事情を聞いてる?」
「あぁ、本当はあんまり言うのはよくないが……鳩山姉には言っておかないと、弟と服部の世話役が大変だと思ってな……」
てっきりお説教かと思っていたが、聞かされたのはまさかの話だった。イケメンが山口警部補に声をかけてきたのは、これが理由だったのだろう。しかし、そうなると疑問も浮かぶ。
「先生たちが拾って来た置物と脅迫状に何か関連が?」
「詳しい話は聞いていない。先生にはわからん」
ただな、と片桐先生は眉間にしわを寄せつつ続ける。
「山口が言うには、地面師紛いの方法で周辺の土地を買ったらしい。ただの牧歌的なスキー場を温泉リゾートに仕立てたのは、彼女たちの手腕って話だ」
「なるほど」
それなら恨みの一つや二つ、買っていても不思議ではない。先ほど、二が言っていた「特定の誰かを狙った犯行ではないが利害関係者」とも符合する。
「それで、ここからが本題になるんだが、関連があったとした場合、『鳩山 二』を止めなきゃいけない」
「あー、そういうことですかー」
先生の懸念は、鳩山弟が脅迫状のことを知り、首を突っ込むことだった。先ほど、山口警部補へ吹っ掛けた理論も然り、目ざとい彼が詳しい話を耳にしてしまったらどうなることか。
「要するに、弟が危ないことをしないようにしてくれと」
「話しが早くて助かるな」
市白は目を細めてしばし考える。危なっかしい未来の名探偵を押さえておく、これは正しい判断だろう。しかし、先生は一つだけ見落としている。
「私が勝手に探索したり……の方は心配しないのですか?」
「鳩山姉が? ははっ、先生は信じてるよ。市白さんは常識的だって」
さっきの龍屋オーナーへのダイブはちょっと面食らったけどな、と片桐先生。
(私が死んだら、片桐先生は監督不行き届きになるだろうなあ)
辿ってきた未来のシナリオを思って、市白は遠い目をしそうになった。片桐先生は教師をクビになっていたのかもしれない。気の引ける話だが、とりあえず置いておく。
「そう言われると答えにくいですが……何にしても善処します」
「頼んだぞ」
市白は頷いておくが、片桐先生の期待には沿えないだろう。『被害者兼探偵』この役割をもらっている以上、事件に首を突っ込まないわけにもいかない。
「ちなみに、脅迫の内容は?」
「聞いてない。賀央さんの話だと、ホテル従業員も一部しか聞かされてないみたいだからな」
「賀央さん?」
知らない名前に、市白は首を傾げる。
「あぁ、山口に声をかけて来た人だよ。スキーウェア着てた」
「なるほど」
あのイケメンか。最初に出迎えてくれたときは着物姿、そして先ほどはスキーウェア。脅迫の内容を知っているスタッフということを踏まえれば、外に出ないと確認できない何かがあるのかもしれない。
「あの人、男前だよなあ。忙しそうだったが」
「限られたスタッフの中で、動ける人が少ないんでしょうねえ」
かもなあ、じゃあ、頼んだぞ、と片桐先生は売店へ歩いていった。その後ろ姿を見送りながら、市白は考えを整理する。
(『龍屋 葵』が訪れたのは、脅迫への対処と考えるのが自然)
ホテルに戻った時『オーナーの視察』と言って多くの従業員が片づけをさせられていたのも、実際には何か意図があってのことだろう。
(脅迫者によって、ホテル内に何かが隠されたことが示唆された?)
さらに、事情を知るイケメンこと賀央がスキーウェアを着ていたことを考えると、ホテルの外にも行かなければならない事情があったとも推測できる。
(んー、脅迫の中身を知りたいな)
市白は窓際に立って外を見つめる。
外の白銀だった世界はもう漆黒に飲まれている。光っているのは、ナイター向けのライトくらいだ。小雪が風に舞い、強張った空気を余計に凍えさせて見える。客足も少なく、誰一人降りてこない斜面を眺めていると、吸い込まれそうだった。
(それに、雀部か……)
今夜は忙しそうだなあ、と市白はため息を吐いた。
◇◆◇
時計の針は既に頂上を回り、冬山では空気が澄んで星空がよく見える。ただ、身を切る寒さと待ち受ける障害の予感が気分を和ませてはくれなかった。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
間欠泉から温泉を汲み上げるための施設。スキーコースから外れたところにあるものの、意外なほどホテルからの道のりは容易かった。定期的にメンテナンスが必要なのもあろう。ホテルの裏手から森へ続く道があり、ぼんやりとした灯りと雪が除けられた階段を進むと簡単に着いた。
(むしろ、ひとみんが寝ないのが辛かった)
服部はガールズトークに花を咲かせたかったのか、どんとペットボトルの茶を置いて正座してきた。彼女が口にしたのは、どれだけ私を慕っているかと、それなのに、最近は二も気になってどうしたらいいのか、という年相応の話題。
(今日じゃなかったらもう少し付き合ってあげたんだけどね)
服部にはすまないが、タイミングが悪い。冬休み、親元からも離れてホテルに二人で泊まるとなれば、中学生にとっては絶好のタイミングだったろう。彼女にとって誠にお気の毒だったのは、謎にまつわる事情もさることながら、私が未だに仮の役割ということだ。
少しずつ取り戻される『鳩山市白』の記憶は、コーヒーに注がれたミルクのように混ざり合って、もう分けることなどできはしないだろう。それでも、忘れてはいけない。
(私はあくまでも、『配役』が『鳩山市白』なだけ)
静かに機械の駆動音が響く建物に身を寄せる。何が起こるかわからないので、注意しながら周囲を探る。備え付けられた蛍光灯がちかちかと点滅する音がした。
(誰もいない? いや……)
近くの木陰に身をひそめる。背の高い男と若い女が、施設の扉付近で何やら話し込んでいた。先ほど、龍屋に触れたことで得られた予見と似た光景だ。
「雀部さん、悪いね。わざわざ手伝ってもらっちゃって」
「いやいやいや、大丈夫ですから。むしろ、ありがたいかぎりで……」
「そうなの? 雀部さんって、変わってるね。でも、そういうとこ悪くないなあ」
「そそそそ、そんな。賀央さんに褒められるなんて私……」
わかりやすいくらいでれでれし始めた雀部。木陰から雀部へ向ける、市白の視線が冷めていく。
(……警戒して損した)
目の前にいるのは着物の『雀部 由恵』。それから、スキーウェアの美男子、賀央だ。
「それで鍵の件だけど……」
「あっ、はい。ここに」
雀部は南京錠で施錠された柵を開く。続けて、重そうな施設の扉に鍵を差した。
「でも、オーナーも急ですねえ。賀央さんスキー場担当で、鍵借りれないのに」
「現場来ないから誰が担当かわからないんでしょ。ありがと。鍵は俺が返しておくから、雀部さんはもういいよ」
「え……手伝いますよ!」
「ありがとう。でも、頂上の方もあるからね。冷えちゃうよ」
食い下がる雀部に賀央はゆっくり近づいて後頭部へ手を回す。そのまま雀部の耳元へ唇を寄せて、そっと呟いた。整って流麗に細められた目元は白磁のように美しい。
「このまま過ごしたいけど、まだ仕事だから。こんなこと言ったの、内緒だよ?」
(っかー、ちゃらいちゃらい)
雀部は固まって口をぱくぱくしているだけだ。金魚だってもう少し動くだろう。ぎこちなく変な声で返事をして、雀部はロボットの様に賀央から離れていく。
(このイケメン、思ってたより性悪なんだな)
けっこう地味な雀部だ。夜、男と二人っきりであんな精神攻撃をされたら、正気を保っているだけ上出来だろう。賀央の方は明らかに狙ってやっている。
(温泉施設の鍵を手に入れるために、だとして)
何のために? それから、もう一つ疑問があった。ホテルに訪れ、最初に賀央を見かけた時、彼は着物姿だった。雀部は『スキー場担当』と言っていたが、衣装で担当を分けているとしたら、『温泉リゾート担当』も兼ねているはずだ。
ひとまずこの疑問は置いておく。まずは、雀部と接触しないといけない。
(どこで声をかけよっかな)
市白は腕組み考える。散歩をしていて道に迷った体で汲み上げ施設に来れば雀部と遭遇できると思っていたが、深夜のロマンスもとい茶番を目撃してしまってどうも気分を削がれてしまった。朝は弟の二に邪魔され、今度はこの有様。雀部とはどうも噛み合わない運命にあるらしい。
そんな雀部は幸せそうな笑顔で頬を緩ませ、ふらふらとホテルへ進んでいく。
(もう、どうにでもなれ!)
市白はそろりそろりと階段を下る。前をとぼとぼと歩いていく雀部へ向かって、雪に足をとられた素振りでもたれ掛かった。
「うっへあっひゃああ! お、お化け?」
雀部の素っ頓狂な叫びが耳に刺さる。どうやら、何か勘違いをしているらしい。
「大丈夫ですか? 相手をちゃんとよく見てください。ただ、滑っただけ……」
そんなに驚かしたかな、と気まずいのを誤魔化しながら雀部に声をかける。しかし、そんな余裕も長くは続かなかった。
(なにこれ)
白虎、玄武、青龍と続いて、最後の記憶を呼び戻す『朱雀』こと雀部。彼女との接触で思い出したのは、トラウマと呼ぶにはあまりにも軽く、永遠と呼ぶにも等しいほどの量の悲劇だった。
思わず雀部から離れて咳き込んだ。胃液が噴水になりそうなのを何とか抑える。
「あ、え? お、お客様? お客様? 大丈夫ですか?」
心配そうな雀部の顔がすぐ横にある。呻くのを返事にしてなんとか態勢を立て直す。従業員の務めを果たそうと声をかけてくる雀部へ大丈夫、とだけ返事をして、よろよろとホテルへ向かう。
記憶を整理する時間が欲しい。それに、一人になりたかった。
「ありえない……。ありえるはず、ないだろ……」
雀部に触れることで取り戻した記憶。それは、『繰り返された被害者としての行く末』何度も何度も、殺され、疑われ、犯人を知る者と看破された、傷だらけの記憶。それから、衝撃的な事実。
(これは……ゲームじゃ、ない)
取り戻したのは、そんな真実の欠片だった。
だいたい書き終わったので終章の半分くらいまでまとめて……。




