第10話
与野仲初子が手を挙げた。
あんまり男子と話しているところも見たことがないし、なんだかキツいイメージがある。
呪われた日本人形のように、ピシーっと切りそろえた髪に角ばったメガネ。
風紀委員長とか、そういう役職が似合いそうな感じだ。
女子の中で孤立しているわけではないけども、特定の女友達としか話さず、グループの輪の中にいるというのはあまり見たことがない。
どこか、男性恐怖症というか、男子に対して嫌悪感を抱いているような感じがして、逆にそれが男子からしても関わりたくない要因の一つになっている。
人呼んで『健全女性用こけし』といったところだ。
「黙って聞いていれば、こんなこと議論する余地あります?」
その根本的な問いの身も蓋もなさに、話し合いの転がり方を面白がっていたクラスメイトの多くは冷水をかけられたような顔になった。
男子生徒が面倒くさそうに舌打ちをすると、与野仲はそれをキッとにらんで続けた。
「そもそもエロじゃないですか。その辺で友達集めてやってればいいんですよ。見たくない人に見せつけるのに意味があるんですか? なんで無関係な人間が巻き込まれなければならないんですか」
なんとか話し合いをして人々の意見を軟化させようと頑張っている時に、この『そもそも』的な意見は一番厳しい。
確かに、クラスメイトの女子が裸になるなんて、『そもそも』ありえないほどおかしい話なのだ。
それをわかった上で、ひょっとしたらという奇跡にかけているというのに。
与野仲の意見は正論で、そう言われると何も言い返せない。
しかし、この時、すでに教室内には奇跡の要素が育ち始めていた。
思いもよらない意見や、知らなかったクラスメイトの側面、そして新しく生まれ、評価し直される関係、それを面白いと思い始めている人間は少なくなかった。
与野仲の意見に対して、同時に三人くらいが挙手をした。
その中でまず指名されたのは、格富田錵也だった。
男子連中からわずかに「おお」という声が漏れる。
クラスでも常に成績上位にいる、理論派のイメージのある男子生徒だ。
真ん中で分けたさらさらヘアにセルフレームのメガネ。
視力は悪くないらしく、授業によってはメガネを外していることも多い。
どうも、インテリっぽく振る舞うためのイメージ作りらしい。
普段は比較的大人しく背中を曲げて頭を隠しているくせに、テスト前になると妙に態度がでかくなる。
そういう鼻につく部分も含めて一味違うキレのある意見をいいそうなのだ。
人呼んで『カメ頭インテリ』といったところだ。
「想像してみて欲しい。愛泉手さんを抑圧してどうなるかを。確かに与野仲さんが言うとおり、馬鹿げた話ではある。しかし、ここで裸を見せられなかった愛泉手さんはどこでその心を開放するのか。グラビアアイドルを目指すくらいならまだ真っ当な道だ。だがそれも容易な道ではあるまい。風俗に行くかもしれない。もっと非合法の悪い道だって考えられる。彼女に後ろめたさの鎖をかけて、馬鹿げていると排除して、それで誰かが幸せになるのか。あなたはそれで満足なんですか、与野仲さん?」
格富田は与野仲に向かって勝利を確信したかのような笑みを浮かべる。
与野仲は目をそらすように顔を俯けた。
「我々は人間だ。友達じゃなくても、こうして話しが通じる人間同士じゃないか。人間は同種の人間を助けることでこうして繁栄してきた。もちろん嫌いなやつだっているさ。素直に幸福を認めたくない。許せないやつだっている。けど、それはみんなの意見じゃないだろ。あなたは愛泉手さんが幸せになるのが、それほど許せないのか?」
自分の言葉に酔うように格富田はまくしたてた。
与野仲は途中から頭を抱えて机に突っ伏し、もはや何も聞きたくないと耳をふさぐような状況になっていた。
格富田の言葉に対して教室内の反応としては「よく言った」というものが5%くらい。
それ以外の者は「ちょっと言い過ぎじゃないか」と、陰惨な公開処刑を目の当たりにしたような顔をしていた。
「さすがにひどくない?」
女子のリーダー格、侘濡葉がぼそっと言うと、一気に与野仲に対する同情心と、格富田に対する敵愾心が拡散した。
「ボ、ボカァ正しいと思ったから言っただけで、もともと与野仲さんが……」
格富田が顔を真赤にしてそう言いかけると周囲から悲鳴が上がった。
「キャッ!」
「鼻!」
「ぅわ~」
格富田の周囲が瞬間的にざわめく。
見ると、格富田はポタタタと結構な量の鼻血を流していた。
シャツの胸を赤く染めて、格富田が手で鼻を押さえる。
「ティシュ。ティッシュくれ」
格富田が鼻声でそう言うが、誰も反応しない。
あの演説が強烈過ぎたためだろうか、しばらくして遠くからポケットティッシュが投げられた。
ポケットティッシュは格富田の手前に落ちたが、格富田のために拾ってあげようと動き出す生徒はいなかった。
血みどろで鼻を抑えながら、ティッシュを拾う格富田の姿は、激しさ故に孤独になった独裁者のようであった。