令嬢の憂慮
ある日の昼時。普段なら生徒たちがお喋りに花を咲かせ、ざわめいているはずの食堂が静まり返っている。彼らはある一点を見つめていた。
「ローズマリー嬢、あなたに問う」
声が響く。発したのはこの国の第一王子だった。光り輝く金色の髪に、鮮やかな緑色の目。その王子は自分の容姿に自信を持っていて、実際彼は身目秀麗だった。
「何でしょう、殿下」
そう言いつつも、ローズマリーは全てを理解していた。王子の横に佇む、可憐な少女に目を向ける。一瞬目が合った。王子の前で見せるものとは違う眼だ。婚約者である王子は彼女に心酔している。その本質に気づくことなく。
「ここにいるラベンダー嬢に何か言うことはないか」
「ないですわね。何をおっしゃりたいのですか」
ローズマリーは知っていた。彼女、ラベンダーが王子にローズマリーから嫌がらせを受けたと吹き込んでいることを。
「私は全てをここにいるラベンダー嬢から聞いている。彼女にした数々の嫌がらせ行為、身に覚えがないとは言わせない」
「身に覚えがありませんが」
王子の目を真っ直ぐ見つめローズマリーは答えた。
その毅然とした態度に食堂内の生徒たちの大半はローズマリーの身の潔白を確信した。そもそも彼らはローズマリーがラベンダーに嫌がらせどころか接触している所を見たことがなかった。加えて女子生徒の多くは時季外れに転校してきて、婚約者のいる王子に馴れ馴れしく話しかけたラベンダーのことをよく思っていない。
「ローズマリー嬢…」
王子は怒りというよりも悲しんでいるようだった。ローズマリーの態度は彼の目には反省の色なしと映ったようだ。
「あなたは申し分のない婚約者だった。私達はうまくやれてきたと思う。だからどんな理由があったにせよあなたがこんな行動を取った事をとても残念に思う」
失望の色が浮かんだ声だった。
「ここに婚約の破棄を宣言する」
食堂内の空気が糸を張ったようにピンと張り詰める。ローズマリーはなにも言わなかった。ただ王子を見つめるだけだ。腰までの淡い茶色の髪が揺れる。
生徒たちもまた、なにも言わなかった。反論したい者は多くいたがこんな空気の中、王子に声を上げられる者などいなかったのだ。
「分かりましたわ。殿下」
ローズマリーのその顔はもう何を言っても無駄だという、諦めの表情に生徒たちの目には映った。
「行こうか」
王子はラベンダーの肩を抱き歩き出す。
「でも、殿下」
ラベンダーがローズマリーの方を振り返る。王子も足を止めた。
「ローズマリー嬢、あなたの行いが婚約破棄だけで済んでいるのはラベンダー嬢の温情であることを忘れないでくれ」
そう言い残し王子はラベンダーと共に去って行った。
あたりがひそひそと騒めき出す。
ローズマリーは痛いほどの視線を感じながら食堂を後にした。
その足でローズマリーは空き教室に向かった。がたつく扉を開け、中に入ると勢いよく扉を閉め、鍵をかける。
空き教室ではラベンダーがソファーに腰かけていた。ローズマリーに気が付くと、立ち上がり一礼する。
「さっきぶりね。ラベンダー」
「はい。ローズマリー様」
「見事な仕事っぷりだったわよ」
そう言って微笑み、ローズマリーはソファーに腰かけた。
「勿体ないお言葉です。ただ…」
ローズマリーは視線で先を促す。
「あの人は自意識過剰な所が少々鼻につきますが、悪い方ではありませんでした」
「そうね。私もそう思うわ」
「私のようなものにも分け隔てなく接してくれましたし、ローズマリー様にはきっと大層…」
「ええ、とても優しくしてくれたわ」
「見た目も身分も申し分のない方だと思うのですが」
一層笑みを深めるローズマリーにラベンダーはその先を口にしようとする。
婚約破棄をさせるように仕向けてほしいと頼まれたとき、浮かんだのは疑問だった。だけどもすぐに理解した。きっと婚約者である第一王子というのは婚約を取りやめにしたくなる程に、目に余る人なのだろうと。それなら話は分かった。王子との婚約をこちら側から破棄にすることなどできるはずもない。
婚約を解消したければ、王子側から破棄を申し込ませなければいけないのだ。
それなのに実際に会った王子は、王子という身分を差し引いても素敵な人だとラベンダーは思った。だから分からなくなった。
『どうして婚約を解消したかったのですか』ずっと胸に抱いていた疑問は結局、口にはしなかった。それは自分には関係のないことだ。
「それでローズマリー様」
「なにかしら」
「後払いの報酬の方はいつ頃、頂けるのでしょうか」
「ああ。早いほうがいいなら今日にでも渡す用意はあるわ」
「なるべく早くお願いしたいのですが」
「それなら今日、うちに来てくれる?」
「はい」
ラベンダーの顔が綻ぶ。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
ラベンダーは空き教室を後にした。
一人きりになった空き教室で、することもなくローズマリーは窓の外を眺めた。無意識にため息をつく。
ラベンダーの疑問はもっともだ。
王子はナルシストな言動が少々鼻につくが、それ以外は完璧だ。ナルシストな部分だって、彼の容姿なら仕方のないことだとも思う。むしろあの容姿で自分を卑下しているほうが鼻につくかもしれない。
「お似合い」、「絵になる二人」そんな言葉を思い出す。お似合いでは困るのだ。
白い肌、大きな紫の目。窓に映る自分の姿にうっとりと息をつく。彼女は自分の容姿に自信を持っていて、実際彼女の美貌は有名だった。
婚約者には自分の隣にいて見劣りしすぎず、なおかつ自分を引き立てる人が好ましい。
でもそんな人いるかしら、とローズマリーは深いため息をついた。