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妄想論

パブロフの犬

作者: とびうお君

 まず前置きに馬鹿ばっかりだなと素直に思う。ああ良くある書き方だなと自分に失望する。まず本気じゃなくレトリックでこうやって無意識に書く人が多い。挑発的で読んでもらえるからだ。後は本能的に他者への攻撃が楽しい人の不満解消にある。そして私がこれを普段書かないのは、自分が他者を馬鹿にするほど賢くないのを知ってるからだ。


 いやいや貴方は賢いですよ。嫌味な謙遜ですといわれるかもしれない。ある一面ならそれは正しい。賢さとは全般的で絶対的な知性の高さじゃないんだ。過去賢い賢くないなんて単純にやれたのは人間のやる事が少なかったから全般の知性で比較が出来たからだ。私は創作論に特化してて、かつ文芸評論などはその手の専門の評価者に較べると多分凡庸レベルだと思う。


 あまり頭を使わない物語に特化した知性に過ぎない。多くの人間は天性の違い天才を期待するが、それはどうか?と思う。才能と能力の違いになる。才能は未来への期待で、能力は今出来る力になる。私は能力が高いだけで、才能があるわけじゃない。謙遜では?違う理由を書く、私は若い頃は今私が不満を述べた馬鹿ばっかりな意見だったからだ。


 何故?がしっかりしてる。私が過去停滞していた評価と同レベルのものばかりが溢れていて、それじゃ駄目だと分かるからだ。歪みや歪さなのでは?違う。ある程度未来が見通せるからになる。私が重視する予測性に繋がってる。


 何故この前置きを長く書くかといえば、いい加減いらいらしてきたからだ。私にPTかなりくれるのに、何故その影響を受けたエッセイが皆無なのだ?って点だ。どのエッセイも一昔前の古臭い文芸評論からの頭の固い価値でしか物事が理性的に語れてない。読んで面白かったねで終ってしまうからだ。


 私が何故イキってるか?と言うとマウント取りたいわけでも、優越感に浸りたいわけでも、ストレス解消でもない。私は書き手なんてやりたくないんだ。楽して面白いものを読みたい低レベルな読者に過ぎない。そのための面白さの次元が足りて無いから底上げしようとしてるだけなんだ。私は根幹はものすごく受け身な大衆的なんだ。パンとサーカスならサーカスを見る側に回りたいが、面白い見世物が無いからそのレベルを引き上げようとしてるだけ。


 それを自分でやれば?とならない。理由は私は自分で全般的な視点で見ると賢いと思って無いからだ。特化すればどんな人間も一流に慣れる可能性を秘めてる。それだけの事に過ぎない。それが高度に分業化された社会では高い知性が良く分からない理由になる。全般的才能より専門的能力が重視される社会だと思えば良い。


 例えば量子力学で、プランクがスタートだが、量子力学の父は多分ボーアであり、コペンハーゲン学派の集団だろう。プランクの欠片も無い。きっかけは別に高いレベルの人間じゃなくて良い。だがきっかけがなければ高い知性の集団も始められないのは確かなんだ。その火種としての自信はある。私の中の評価眼が己の言ってる事の価値を見抜いてるからになる。



 ものすごく長い前置きだが、本題に入ろう。ずっと書いてるがどうも広まらないのでまとめて書く。あまり頭を使わない物語にとって、理屈で説明するリアリズムの視点からの違和感は当てにならない。リアルな視点から突っ込んで、だから私は面白くないのだとあるが、じゃお前のそのリアリズムの感覚はすべての漫画アニメの物語で理性的に一貫性があるのか検証したんだろうか?と言いたいんだ。


 まずしてない。思いつきで後付けの理由付けをしてるに過ぎないんだ。その理屈として何度も私は、パブロフの犬について書いている。本当の面白さとは肉であってベルの音じゃないとかいてるが、リアルな視点からの違和感を述べる人達に言いたいのは、それお前ベルの音だと勘違いして無いと断言できるんだろうか?と言いたいんだ。


 曖昧で、あやふやな事で否定、悪口を言う態度が真に批評や批判と言う言葉が適切なのか?


 私はこのリアリズムから来る違和感って多分正体は共感だと思う。そして共感のベースは必ずしも理性的なリアリズムではない。そこになんらかの客観的な言及が可能か?なら多分出来ない。


 じゃお前も出来てないだろう?私はだから数を見るんだ。個人を見ない。集団の数の中から共通する部分を抜き出して検証する。自分のリアルからくる違和感はあまり重視しない。


 最終的にはリアリズムに集約されるのでは?いやそれは希望的観測だ。そう思ってしまいがちなのは、過去の文芸評論からの延長が大きい。あれは頭を使って楽しむ物語なんだ。だから意識的言語と面白さが一致しやすい。漫画やアニメはそれもあるが、大半は違う。あまり意識下に上らない感覚的、感情的、本能的な刺激が重視される。


 そしてそれを言語化すると共感と言う曖昧なものでしか言えない。その共感って言葉自体をさらに客観性のある言語で説明できない。しかもだ辛うじて一番近い言語を選択したに過ぎない。適格じゃなく適切であると言うだけに過ぎない。イメージを掴んでもらいたいからだ。


 その言語を使ってどう説明するか?共感の前にはリアリズムは破壊される。そしてその共感は必ずしも客観性を帯びたリアルに沿ったものとは限らない。だから漫画アニメのリアルとの関係性はとても複雑で答えが良く分からないんだ。もっと言えば共感の根幹にリアリズム派あるのか?なら正直分からない。0じゃないが、必要以上に力説するほどか?と言うと微妙だ。


 リアルであろうとする事が当たり前の面白さである文芸評論と漫画アニメの評論が同じであるわけが無いんだ。だから馬鹿ばっかりと小馬鹿に見下してるんだ。

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