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漆黒の呪縛 一 蔑みと嫉妬

 最終的に期末試験の結果が発表された――――上位には美奈乃の友人の遠藤由美や川本敏子などがいた。美奈乃も張り出される順位だった。どこの学校でもあることであるが、由美達は成績の及ばない者たちから羨望の眼差しで眺められていた。羨望はきっかけさえ正確に与えれば嫉妬に変わる。きっかけは澱んだ呪縛だった。その小さな澱みはいつの間にかに生徒達の魂を捕えつつを餌 、澱みを深くして行った。呪縛が思いの外深くむしあ溜まりきり、構内に吹いていた尊敬と喜びの風を止めていた。


 順位の低い生徒達のうちの村松慶太と川崎光一も含めた多くの生徒達は、上位成績者を嫉妬し、他方彼女二人をはじめとした成績上位者たちは、彼らを見下すようになっていた。いわば、感化されやすい高校生たちは、ふと吹き込まれた呪縛によって良心に包まれた魂が消されてしまい、互いに疎んじあうようになっていた。


「なんでそんな言い方されなくちゃいけないの?」

「あんたの態度こそ、傲慢よね」

「そう、だからどうしたの」

「あの女、あれでかっこいいと思っているみたい」

「男って、風采が不細工だから、何を着てもおしゃれには遠いわよね」

「ほほぅ、そんなこと言っていていいのかよ」


 生徒たちのとげとげした言い合いは、ちょうどこのころから激化していたーーー彼等の言い争いはI.Qの高いだけに意地悪く無慈悲である。その光景が満ちている校舎の奥深いところでは、それを喜ぶ漆黒者がいた。それでも教師達は不毛な美奈乃たちの学年を、彼等が心を込めた補習のメニューによって懸命に教え、指導していた。

 こうした殺伐とした空気の中でも、孝夫は平然とした顔で荷物自転車をこいで登校してきた。しかし教師たちは孝夫にはあきれ、心にも留めていなかった。

「おはよさんだべ」

「お前はあんまりキリキリしていねえな」

「何かあったんべか?、せんせ」

「お前らの学年は、あの期末試験の後なぜか殺伐としているよな。成績なんて努力すれば上がるのに、今そんなにいがみ合う必要もないんだよ。かえって協力した方が前進するのに」

「そうだべ。争ったっていいことねえし」

「言葉遣いがのんきなのは、お前だけだな」

 孝夫は、あてがわれた最低点クラスの補修を終えて、文芸部の部室へと向かった。その部室の前で、孝夫は美奈乃たちを見つけていた。美奈乃を見つけただけで孝夫の補習の疲れは飛んでいた。ただ、二人だけの部室でとは違い、遠藤由美や川本敏子たちが一緒にいるところでは――――ー美奈乃へすぐに声をかけることは憚られた――――美奈乃の方から声をかけてきた。

「孝夫くん、お疲れさま」

「へえ、これが美奈乃の彼氏?」

「違うって。同じ文芸部なのよ」

「確か、あまり頭がよくなかったわよね。こんな人と会話するの?」

「でも、彼、文芸は得意なのよ」

 美奈乃はそう言いつつも、友人たちのこの言葉に自分の置かれた立場を考えてしまった。

「…由美たちはこんなことを今まで言ったことはないのに。でもこのままでは仲間外れになる・・・・。確かに、孝夫くんは頭がよくないし、常識ならあまり付き合いたくない男子かなあ・・・」

 孝夫は美奈乃の表情の微妙な変化に気づいた。というより、聖霊によりロゴスが心に深く刻みこまれていたから気づいたのだろう――――孝夫は美奈乃を注意深く見ていた。由美が、小声で孝夫に聞こえないように言葉を続けていた。

「彼って、先生たちにもどうしようもないって思われているのよ。あなたも先生たちから警告されるかもよ」

 美奈乃は由美の言う教師からの注意が何を意味するのか分からなかったが、それでもその言葉は心の中に恐怖を吹き込んでいた。恐怖は聖霊を消す・・・・・。それは孝夫にもわかった。孝夫は逃げるように部室に入ろうとした。しかし、美奈乃は孝夫を止めた。

「今日は部室に入らないで、もう私勉強を始めているんだから。あなたと二人で部室にいるなんて、汚らわしいわ」

 美奈乃はそう言って、思わず孝夫を突き飛ばしていた。孝夫はしたたかに額を打っていた。それでも孝夫は無言のまま立ち上がり、美奈乃を見ていた。美奈乃はさらに恐怖を感じたのか、立ち上がったばかりの孝夫を学生カバンで押しのけていた。孝夫は壁に押されるまま無抵抗だった。

 敏子が美奈乃に声をかけていた。

「そんな汚らわしい男に触らない方がいいわよ」

 由美は散乱した孝夫の荷物を廊下の向こう側に蹴飛ばしていた。孝夫はそれでも声さえ出さずに忍耐していた。

「変な人ね。美奈乃、さあ帰りましょう」

「そうしましょう。私部室から荷物を取って校門で合流するわ」


 残された孝夫はおずおずと蹴散らかされた自分の荷物を集め、もと来た道を下駄箱口へと帰っていった。その下駄箱では、孝夫の靴が見当たらなかった――――彼は無言のまま探し彷徨った――――階段下のごみ箱に泥まみれの孝夫の靴を発見するのに、十数分かかったであろうか。気を取り直してその靴を履いて自転車置き場へと向かっていった。すでにほとんどの生徒たちが帰った後らしく、残されていたのは孝夫の荷物用自転車だった。タイヤにはくぎが刺され、ライトはは粉々に破壊され、サドルは焼却場に投げ捨てられていた。ゴムの塊のタイヤはぱんくし、転がすことはできなかった。しかし、パンクさえ直せば・・…この時ほどこの自転車の頑丈さに感謝したことはなかった。

「俺もこの自転車もぼっこれねえべ」

 そうはいっても、美奈乃の仕打ちだけは孝夫を打ちのめしていた。ふと、後ろに御使いが立っていた。

「お前は彼女に仕える聖隷の身だ。悪口を言われようが、捨てられようが、打ちのめされようが、それはお前にとって黙って受け入れるべきことだ。わかっているな」

「おらの気持ちはどうしたらいいべ。もう心がへし折られて動く気もしねえべ」

「お前に足りないのは、祈りだ。お前の心の中に、御心のままにこの身に成りますようにと祈っているか。お前が昔、クヴィルに負けた時もそうだった。祈りを忘れ、ロゴスを見失っている。祈れ。絶えず祈り、このことも感謝しろ」

「え? 何を祈るんだべ? 何を感謝するんだべ?」

「御心のままをなされるように祈り、この仕打ちを受けたことに感謝するのだ」

「どうして?」

「この機会は聖隷を誓ったお前にとって良いことだ」

「・・・」

 孝夫は思わず反発して食って掛かろうとしたが、御使いはもういなかった。孝夫はそのまま自転車を抱えながら向島まで帰ることにした。しかし、間の悪いことに、彼が京葉道路を東へよろよろと歩いているところを、美奈乃たちが追い抜いて行った。孝夫はちらりと美奈乃をみて急いで顏をふせたーーーしかし、由美や美奈乃たちは孝夫に気づいていた。

 由美は、明らかに意識的に孝夫にぶつかって自転車を抱えた孝夫を転倒させていた。それなのに、由美は孝夫をなじっていた。

「なんで私にぶつかるのよ」

 敏子も転がっている孝夫を責めた。そして、彼女らは自転車ごと倒れた痛みで唸る孝夫を、冷たく一瞥して通り過ぎた。美奈乃はその痛々しい姿を見て立ち尽くしていた。しかし、孝夫は痛みに耐えてうなり続けたが、無言のまま立ち上がった。孝夫の姿を凝視し続けていた美奈乃は、その孝夫の姿を見てはっとした。

「孝夫くん・・・・」

 孝夫はその呼びかけに気づいているのかいないのか、無言のまま重い自転車を背中に抱えて歩いてそこを去っていった。


 その夜、孝夫は苦しみながら寝返りを繰り返していた。美奈乃によって受けた額の傷はまだうずいていた。しかも、美奈乃の言葉は彼を打ちのめしていた。

「もうたくさんだべ。聖隷はもうやめるべ。もうおしまいだべよ。こんな出来の悪いおらに何ができるっていうんだべか」

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