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いっすんぼうし

作者: ふ~テン

 タイトル通り、あの昔話のパロディです。

 新しい要素は何もありません。どうぞお気軽に。

 なお、結末のあまりの下らなさに周囲のものに当たり散らしても、当方は一切責任を負いかねますのでご了承のほどを。

 むか〜し昔その昔。さらに昔のそのまた昔。

 村はずれの小さな町に、おじいさんとおばあさんが住んでおった。


 その日は夜じゃった。

 秋も深まり、うっすらと寒さが目に浸みるほどじゃった。


 囲炉裏を囲んで、おじいさんとおばあさんは思い出話に花咲かじいさん。


 二人は幸せそうじゃったが、じつは幸せじゃった。ただ心残りなのは、子供がないことじゃった。

 原因はおじいさんにあったのじゃが、それはおばあさんしか知らないことじゃ。


 優しいおばあさんは、そのことでおじいさんを責めるようなことはせんかった。

 ただ一言「淋しいですねぇ」と、侘しさをかみしめながら寂しそうに言っただけじゃった。


 おばあさんの気持ちはおじいさんにもよくわかった。おじいさんも同じ気持ちだったからじゃ。

 おばあさん手作りのおはぎを食べながら、おじいさんは言った。


「若い頃はともかく、この年になるとふたりきりというのは実に物悲しいものじゃのう」

「ほんとにそうですねぇ。思い出話をするにも、秋の夜は長すぎますよ」

「さりとて他にすることもなし・・・ふっふ、若い頃とは違うからのう」

「・・・いやですよ、おじいさんたら」


 おばあさんは軽く笑ったが、自覚のないおじいさんの自爆気味の一言ですっかり滅入ってしまい、その様子を見たおじいさんも意気消沈してしまいおった。

 そのまま二人はなすすべもなく夜を過ごし、ため息をついては粉にして、それをオブラートで包んでお茶で飲み下してから眠りについたのじゃった。




「おじいさん、おじいさんたら。起きて下さいよ」


 朝じゃった。

 おじいさんは寝ぼけ眼をこすりながら言った。


「なんじゃ、おばあさん。たまの平日くらい、ゆっくり寝かせてくれんか」

「そんなことを言わずに。早起きをしたらきっといいことがありますよ。それに、今朝あたりチューリップの花が咲くんじゃなかったんですか?」

「おお、そうじゃそうじゃ、チューリップの花じゃ」


 二人は家の前の畑でチューリップを栽培しておった。

 おじいさんが研究を重ねて品種改良した、秋咲きのチューリップじゃ。


 若い時分に蘭学に触れて、ふとしたきっかけからチューリップの秋咲き種の着想を得てからのおじいさんは、移植ごてを手に全世界のチューリップ名人を訪ね歩いてその技を学んだ。


 その後ハーバードに学籍を得て、権威と呼ばれる教授の下でありとあらゆる品種改良の手法を解析して新しい理論を構築するとともに、その実践として現代生物工学の技法を駆使して、ようやくこの画期的な成果を手に入れたのじゃ。


 しかし、ここに至るまでの道のりは果てしなく、幾万粒にもおよぶ血と汗と涙、筆舌に尽くしがたい失敗と苦労の連続、そして世界を旅する中で巡り合ったおばあさんとの限りなく深い夫婦の絆がなければたどり着けない長編大河ロマンの物語があるのじゃが、それはまた別の話じゃ。


 そのチューリップが、いよいよ今朝あたり開く予定なのじゃ。

 おじいさんは軽く身支度をして外へ出た。


 そこへ、近所に住んでおる越後のちりめん問屋の隠居で光右衛門と申す者でございますると名乗る、今は亡き東●英治郎そっくりの背格好をした老人が、三匹の犬を連れて通りかかった。


「やあ、おはようございます光右衛門さん」

「いやいや、おはようございます。天下泰平で何よりですな、あ〜、え~、はて、失礼ですが、お名前は何と申しましたかな?」

「何をおっしゃいますやら光右衛門さん。わしの名は」


 そこでおじいさんはハッと気づいた。

「わしの名は、ん? 名は・・・ありゃ? な、名前は」


 そう、おじいさんにはまだ名前がついていなかったのじゃ。


 今まで名前なしでどうやって生きてきたのかはともかく、これからも名前がないままでは何かと不便であることは間違いあるまい。

 おじいさんはよい名前がないかと思案した。


「わしの名前は、熊ごろ、いかんいかん落語じゃあるまいし、どうせ名乗るならもっとこうパリッとした、う~んとえっと、そうじゃ! 八幡太郎義家、なんてのは・・・いやいやいやいや分不相応にもほどがある、ううむ困ったのう、いざとなるとなかなか思いつかないものじゃ」


 おろおろしながら名前をひねり出そうとしているおじいさんの様子を見て、光右衛門さんが声をかけた。


「もし、そこのおかた。何か悩み事でもおありかな? よかったらこの年寄りに話してみては下さらんか。場合によっては、力になってあげますぞ」

「え? あ、あなたさまは、ひょっとして」

「いえいえ、わしはただのちりめん問屋の隠居ですよ」

「はあ、では、覚悟を決めてお話しいたします。じつは・・・じつは、わしには名前がないのです」


「ほほう、それは妙じゃのう。・・・助さんはどう思いますかな?」

 光右衛門さんは左隣にいるゴールデンレトリバーに顔を向けた。

「ワフ! ワフ!」

「ふむ、なるほどの。で、格さんは?」

 今度は右隣のアフガンハウンドに尋ねた。

「バウ!」

「うむ、おそらくそうであろう。代官が鳴海屋と組んで、裏で糸を引いておるに違いはあるまい。八兵衛!」


 ちょっと離れたところにちょこんと座ってヘッヘッヘッと舌を出しているマメ柴に向かって、光右衛門さんは声をかけた。

「代官と鳴海屋の繋がりを密かに探るよう、弥七に伝えてくるのじゃ!」


 光右衛門さんが目でキッと合図をすると、八兵衛と呼ばれたマメ柴は「アン!」と一声吠えると、パタパタと向こうへ駆けていきおった。

 それを見送りながら光右衛門さんが一言、

「なりは小さいがよく走るのう。これで食い意地さえ張っていなければ・・・」


「それにしても光右衛門さん」

「なんでしょうかな?」

「会うたびに水戸黄門ごっこじゃさすがに飽きますな」

「いやいやまったく、その通りですな。カッカッカッカッ」


 この光右衛門老人、定年後に初めて行った映画村で水戸黄門の扮装をしてからすっかり気に入ってしまい、以来、通販で取り寄せた衣装を着けたその格好で朝の散歩をするようになったのじゃ。


 そんな黄門姿での何度目かの散歩のときに、よせばいいのにおじいさんが、こうそそのかしおった。


『背格好が似とるんじゃから、いっそのこと仕草や物言いまでもあの役者さんの真似してみたらどうですかの』


 それからというもの、その気になった光右衛門さんは毎朝おじいさんに向かって水戸黄門ごっこを仕掛けてくるようになったというわけじゃ。


 最初は誰の何を真似ておるのか、とんと見当もつかぬようなひどさじゃった。


 が、近頃では、ちょっと離れたところから薄目を開けて斜交いに眺めつつ、細かく両耳をふさいだり開いたりしながら台詞を聞いていると名優・東野●治郎が演じていた水戸黄門に思えないこともない、という域にまで達しておる。


 けしかけた手前もあって、初めのうちはしぶしぶながらも応対しておったおじいさんじゃったが、光右衛門さんの上達ぶりに最近では朝の楽しみとなっているようじゃ。


 いつぞやは、隣町に買い物に行っておったおじいさんと、大通りでばったり出会った光右衛門さんとがその場でいきなり水戸黄門ごっこを始めてしまいおったから、道行く人は何事かと集まり人だかりができたのじゃが、二人のなかなかの芸達者ぶりに歓声が挙がり、やんややんやの喝采を浴びるという出来事があったそうじゃ。


 その後、たまたま一部始終を見ておった町の戯作者がその様子を滑稽本として出版したのじゃが、その本が飛ぶように売れて、あれよあれよという間にテレビドラマ化され、長年にわたり人々に親しまれる人気シリーズになるという顛末は、また別の機会に譲ることとしよう。


 さて、そうこうしておるうちにチューリップの花々がほころび始めた。


「うむ、こうして眺めるとなかなかに壮観なものですなぁ」

 七色のグラデーションが広がる目の前の光景に、光右衛門さんが感嘆の声をあげた。


 いつのまにか家から出てきておじいさんに寄り添うように立っていたおばあさんも、

「お見事ですよ、おじいさん。大成功ですね」

と、これまでの出来事が脳裏をよぎったのじゃろうか、やや潤んだ目でおじいさんに微笑みかけた。

「ああ、おばあさんには苦労をかけたな。ここまでこれたのもおばあさんの助けがあってこそじゃ」


 手を取り合って互いをねぎらいあう二人に、光右衛門さんはにこにこと笑いながら言った。


「仲良きことは美しき哉、けっこう結構。それにしても、大手商社や栽培農家との契約話も順調に進んでおるようで、莫大な収入が約束されているようなものですな。まったく羨ましい限りですのう」

「いやいや、光右衛門さん、まだまだこれからですぞ。一年中チューリップが咲くように品種改良を重ねて、ゆくゆくは日本中にオランダ村を作るのがわしの夢ですのじゃ」

「日本中にオランダ村、とは、これはまた、なんともその、ゆ、愉快ですな、カッカッカッカ」


 リアクションに困った光右衛門さんが笑ってごまかすその横を、いつの間にか戻ってきたマメ柴の八兵衛が通り過ぎた。

 そして、一株のチューリップの前で立ち止まるとくんくんと匂いを嗅ぎ「アン!」と一声吠えた。

「む? 八兵衛、どうしたのじゃ?」


 八兵衛の前の蕾は他に比べて一回りほど大きく、そのぶん重いせいじゃろう、実りかけの稲穂のように斜めになって風に揺れておる。

 ゆうらゆうらと揺れるその蕾を、何を思ったのじゃろう、八兵衛が前足でちょんちょんと小突き始めおった。


「こ、これ八兵衛、何をする。よけいなことを! やめなさ、あぐっ!」

 いたずらをする八兵衛を止めようと慌てて身をかがめた光右衛門さんじゃったが、なんせご老体、ゴッキと腰を鳴らすと尻餅をついてしまいおった。


「おやまあたいへん、光右衛門さん、大丈夫ですか? 立てますか?」

「いや、わしのことより、ううっ、は、八兵衛を止めねば」

 ぎっくり腰の痛みにうめき声をあげながら光右衛門さんが言ったときには、すでにおじいさんは八兵衛を取り押さえておった。


 丹精込めたチョーリップの一大事とあっては、考えるより先に体が動いたようじゃ。

 年の割には機敏じゃったし、それに、どうやらおじいさんの腰は光右衛門さんよりは丈夫らしい。


「こら、なにをそんなに吠えとる、あっ噛むな噛んじゃいかん、おとなしくしなさい。み光右衛門さん、い、いったいどうしたんですか、八兵衛は」

「ふうむ、その様子だとどうやら腹を空かしておるようですな。あつつつ」


 光右衛門さんは痛みに顔をしかめつつ、主人の大事にもかかわらずきょとんとした顔をして元の場所に座っておる二匹の犬に声をかけた。

「これ、助さん挌さん、ぼうっとしていないで、こっちへ来てわしを助け起こしなさい」

 のそのそと近寄ってきた二匹の首を両脇で抱えるようにして、ようやく光右衛門さんは体を起こした。


「こういうときこそ真っ先に主人を助けるのがおまえさんがたの役目じゃろうに、まったく・・・で、なんでしたかの?」

「あ、あの、八兵衛が腹を、あ痛た、噛むなと言うとるじゃろ、その、あれしてるのではないかと」


 おじいさんは、なりの割には強い力でもがきながらあちこちをカミカミする八兵衛を必死に抑えながら光右衛門さんに先を促した。


「そうそう、いや、じつはですな、あたたた、いつもここへ来る前に立ち寄るお茶屋があいにくと臨時休業でしてな」

「臨時休業? 痛っ、こらまた噛んだ! で、それがどういう?」

「だから、今日はいつもの散歩途中の、おっ、またピリッときたわい、団子を食べておらんのじゃよ」

「すると、なんですか、そのせいでもう痛いってば、腹を空かした八兵衛には、その蕾が団子にでも見えていると?」

「うむ、おそらくそういうぐっうぐぐぅ、ことではないですかな。ふう。ほかに食べ物があれば治まると思うのじゃが」

「急にそんなこと言われて痛いイタイいたい八兵衛いいかげんに、おお、そうじゃ、あれじゃ」


 なにかひらめいたのじゃろう。

 グルグル唸っている八兵衛を抑えながら、さきほど光右衛門さんがひっくり返ったあたりを顎で指して、おじいさんは言った。


「おばあさん、そこのそれを、ほら、ゆうべのあれがあったじゃろう、それでそこのなにを、なんじゃその、なにして」

 慌てると具体名が出なくなるのがおじいさんの悪い癖じゃが、さすがは長年連れ添ったおばあさんじゃ、

「ああ、はいはい、わかりましたよ。すぐに用意しますね」

と、台所から小ぶりの鍋を持って来た。


 鍋の中には、昨日のおはぎを作った残りの粒あんが入っておった。

 おばあさんはその粒あんで光右衛門さんがついた尻餅をくるんで、あんころ尻餅を3つ作った。


「ほら八兵衛、おやつだよ。こっちおいで」

 おばあさんに呼ばれた八兵衛は「アン」とひと鳴きして駆け寄り、クチャクチャとあんころ尻餅を食べ始めた。


「ふう、やれやれ、一時はどうなるかと思ったが。大丈夫じゃったか、わしのチューリッややっ!」

 八兵衛に小突かれていた蕾をのぞきこんだおじいさんが、何かに驚いて大仰にのけぞった。

 そのままひっくり返りそうになりながらも踏み止まったのは、やはりおじいさんの腰が丈夫だったせいじゃろう。


「な、ななんとなんとここここれは」

「やはり、なにかあったのですかな?」

 助さん格さんの二匹に両脇を支えられながら近づいてきた光右衛門さんが尋ねた。


「そのつつぼみ、あかん、あかん、ぐっ、なかにあかあかあか」

 何を言っておるのか全く分からぬおじいさんの言葉に、光右衛門さんは怪訝な顔をしながら尋ね返した。


「あか、ですと? たしかに蕾は赤い色をしておりますが」

「いいいや、ななななかなかなかを」

「うむ? 蕾の中のことですかな? どれどれおわっ!」


 おじいさんと同じように目の前のチューリップを覗き込んだ光右衛門さんは、これまた同じように驚いてのけぞり、今度はベキバキと派手に腰を鳴らして二匹の犬もろともひっくり返った。

 そのはずみで地面にしこたま腰を打ったようで、二重のダメージに声にならないうめきをあげておる。この様子では光右衛門さんは当分動けそうもないじゃろう。


 驚くのも無理はない。なんと花の中には小さな小さな赤ん坊がおったのじゃ。

 あまりに常識から外れたその光景を目にして、驚かんほうがどうかしておるというものじゃ。


 ところが、おばあさんは驚かんかった。


「おやまあ、可愛い赤ちゃんだこと。ふふ、どうやら男の子のようですねぇ」

 花の中から、両の掌でそっと包むように赤ん坊を取り出したおばあさんは、満面の笑みを浮かべておる。

「お、おばあさん? いったいこれはどういう」

「この子はね、おじいさん、子供がいない私たちを憐れんで金毘羅さまが授けて下さった宝なんですよ」

「金毘羅さま? 宝?」


 おばあさんの話すところによると、どうやら昨夜、夢枕に金毘羅さまの使いが立ったのだそうじゃ。


 そもそも、このおばあさん、寺子屋通いの幼い頃から霊感が強く、夢の中で神さまがお告げを下さることがしばしばあったそうじゃ。

 物心がつく頃には、おばあさんが望むタイミングでさまざまな神さまやその使いが現れて下さるようになり、いっときはそれを利用してネット上の占いや予言で一世を風靡したこともあったそうじゃ。


 そのことについてはおばあさんはあまり多くを語らぬのじゃが、折りを見てインタビューを重ねて、伝説の占い師の半生記としてまとめようと思っておるから、心待ちにしてほしい。


 さて、夢見の話じゃが、金毘羅さまの使いによると、おじいさんおばあさんの日頃の行いやこれまでの世の中に対する貢献度を鑑みて、二人の最大の懸案事項である子供を授けようと金毘羅さまがお決めになった、ということらしい。


 海の神さまである金毘羅さまがなんで子宝を? と不思議に思われる向きもあろうが、なんでも今年は開山1,300周年にあたり、日頃の感謝も込めてほかの神さまとのタイアップであらゆる願いをかなえるサービス期間なのだそうじゃ。

 このサービスにより、霊験あらたかな神さまという信心を広め、より多くの寄進を集めて大々的に本殿の改築を・・・あ、いや、こんな余談を長々と語る必要もあるまい。


 要するに、なにがしかの思惑の下で神さまが二人に子供を授けた、ということじゃ。


「そうかそうか、そうじゃったのか」

 おばあさんの一言に気が抜けたのじゃろう、おじいさんはへなへなと腰を落とした。

 そんなおじいさんの隣にしゃがみこみ、両の掌をおじいさんに差し出しながら、おばあさんは言った。

「ほら、おじいさん、ごらんなさい。愛らしい顔立ちをしていますよ」

 おばあさんから赤ちゃんを受け取ったおじいさんは、掌の上の赤ん坊をためつすがめつ眺めながら言った。


「うむ、たしかに可愛い顔をしとる。それに、丸々として健康そうじゃのう。まあ、なりは小さいが、わしたちの子供なんじゃな?」

「はい。たしかに小さい赤ちゃんですけど、いっぱいご飯を食べさせればすぐに大きくなるでしょう」

「そうか、それじゃあこの子のためにもいっそう頑張って稼がないと・・・おや?」


 赤ん坊から視線を離しておばあさんに顔を向け、おじいさんは言った。

「さっきからこの子はピクリとも動かないのじゃが、大丈夫かのう?」

「動かない? ああ、そうそう、大事なことを言い忘れてました」


 あいかわらず満面の笑みをたたえながら、おばあさんは言った。

「この子はね、まだ人形のようなものなんだそうです。名前をつけてあげて初めて私たちの子供になると、金毘羅さまのお使いの方がおっしゃってました」

「おお、名付けが魂入れになるというわけじゃな」

「そういうことです。さあ、いい名前をつけてあげてくださいな」


「そうじゃのう、名前か・・・ん? ついさっきもそれで悩んだような気がするが・・・」

 いぶかしげに宙を見つめながらおじいさんは独りごちたが、気を取り直して再び掌の中の赤ん坊に視線を戻した。

「まあよい。さて、どんな名前がよいかのう。勇ましいのにしようか、それともキラキラしたのがよいじゃろうか」


 すぐそばでは、二匹の犬を抱えてひっくり返ったままの光右衛門さんが呻き声をあげておるが、ほったらかしのままじゃ。

 無理もなかろう。けっして二人が薄情なわけではない。それだけ嬉しい出来事が起こったのじゃ。


「タレントさんの名前なんかどうですか、おじいさん」

「うむ、ただ、名前負けしたらかわいそうじゃし」

「うぐぐ・・・べぇ、に・・・」

「なんとか兵衛とか太郎とか、無難かもしれんが、ちと古くさい気がするのう」

「では、異国風の名前は?」

「ねろう、ぐぬぬぬ・・・はらお・・・・がぐうっ・・・げて」

「ネロ、ファラオ、ゲーテ・・・あまり奇天烈なのものう」

「あぶ、あぶ」


「光右衛門さん、お気持ちは嬉しいのですが」

 さきほどから二人の会話に茶々を入れてくる光右衛門さんに向かって、おばあさんは言った

「子供の名前は自分たちで決めますので、お辛いのに無理はなさらず休んでいてください。後でゆっくり介抱してあげますから」

「ちが、ちが、あぐぐぐぐ、か、か」

 どうやら光右衛門さんは痛さで固まってしまったようじゃ。


 さて、名付けの続きじゃ。

「できれば、生まれがわかるような名前にできんかのう」

「といいますと?」

「つまりじゃな、チューリップの花から生まれた」

「はい」

「親指くらいの大きさで」

「はいはい」

「可愛い元気そうな男の子・・・そうじゃ!」

「決まりましたか?」


 促すように尋ねたおばあさんに向かって、おじいさんが、

「うむ、この子には、いっすんぼうしと」

名付けようとしたそのときじゃった。


 なにか褐色の物体がおじいさんの手をかすめていった。

 はっ、と気づいたおじいさんは自分の掌を見たが、赤ん坊の姿がない。


 八兵衛じゃった。


 あんころ尻餅で満たされなかった八兵衛は、虎視眈々と次の獲物を狙っておった。

 それに気づいた光右衛門さんは必死に二人に伝えようとしていたのじゃ。

 しかし、その訴えも空しく、八兵衛はまんまと獲物をかっさらっていった。


 赤ん坊に魂が入る前の出来事だったことが唯一の救いじゃろうか。

 だが、おじいさんたちにとってはそんなことは何の慰めにもならんかった。


 二噛み三噛みして獲物を飲み込んだ八兵衛は、満足そうに「アン!」と一声鳴いて、へっへっへと舌を出しながら、無邪気な顔でおじいさんたちのほうを見ておる。


 寸刻の静寂の後、おじいさんおばあさんの慟哭がチューリップ畑に長く長く響き渡った。




 その後については、あまり多くを語るまい。

 二人は立ち直るきっかけさえつかめず、老い先短い人生を、闇のように暗いまま送ったそうな。



蛇足:「いっすん、咲きは闇」という諺は、この話からきておるそうじゃ。



 くっだらねぇ! とお思いになりましたでしょうか?

 それが作者の幸せです。ぜひ、ご感想を。

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