トリップ
寝つきが悪い時はどうしたものか。
一般的には羊を数えるか。
なんで羊なのかは知らないが。
俺の場合寝つきが悪い時には決まって、寝返りを打つ癖がある。
理由は特にない。
ただ普段からの癖である。
そして今宵の夜も寝付けずに、決まって寝返りを打った。
「いだ!?」
ゴン、という鈍い音が響き渡った。
同時に口から悲鳴が飛び出した。
「ぐおおおおう!」
遅れて痛みが頭を襲ってきた。
俺は頭を抱えてゴロゴロと地面を転がり回った。
「何……だ?」
涙がにじみながらに感じることができたのは床の硬さだった。
しばらくして悶絶してジンジンとした痛みが和らいきたので、ようやく涙溢れる目を開けて見えたものは一面に広がる暗闇だった。
「ここは……どこだ?」
続く言葉は私は誰だ。
別に記憶喪失というわけではない。
ただの現状確認だ。
どうやら意識はあるらしく暗闇の中で見えないが、自分の手足の感覚はある。
顔にも体にも触れられる。
「いや、ほんとにどこだよ……。夢か?」
俺は確かさっきまで読んでいた小説全5巻を読破し、就寝したところだったはずだ。
寝ていたはずのベッドはどこへ行ったのか。
傍らでいつも健気に俺を起こしてくれる時計も、ドアに張ってある青い出会いをうたっているアーティストのポスターも、何も見えない。
そもそも部屋という概念すら見当たらない。
周りは見渡す限りの暗闇で自分の姿すら認識不可能。
立っているだけでバランスを崩してしまう。
おかげで今はあぐらをかいて地面に座っているのだ。
人間のバランス感覚は、意外に目に頼っているのかとひそかに感心してしまった。
しかし、当の地面も頭を打っていたいぐらいには固く、座り心地は最悪だ。
「何でできたんだよ……」
触ってみた感じ、かなりの硬さである。
「鉄じゃないし…大理石とかか?」
少なくとも木やコンクリート、リノリウムなどの感触ではない。
少しずつ目が慣れているとは言えども、どのみちこの暗さでは何も分からない。
「……夢ということにしておこう」
とりあえず最終手段。
起きたらなんとかなっているんじゃないのという手法。
手段もへったくれもない手ではある。
というか、それ以外何もできることはなかった。
と、いうことで寝転がって目を閉じ、寝ることに集中する。
何でできているかわからないものの、幸いにして地面は冷たくはなかった。
「ここは本の中の世界だ」
突然、どこからともなく声が聞こえた。
なるほど、分からん。
本の中ってどういう設定だよ。
俺は声を無視して眠ろうと念じ続けた。
早くこの意味の分からない世界からおさらばしたいのだ。
「……ねぇ、聞こえている?」
「……」
うるせえ、集中できねえだろ。
「……ねえ、すまないが起きてくれないだろうか」
「……脳内の声ってなんでこんなに響くんだろう」
病気で高熱が出た時とかってやたらと頭の中で音が反響するよな。
というか集中するほど眠気が遠ざかる気がする。
全然眠れねえ。
「いや、だからリアルにだって」
「うっせえよ!」
つい眠れないことにイライラして、ツッコミを入れてしまった。
だが、そのイライラは一瞬にして驚きに変わった。
横になったままに目を開けてみると、そこには一人の男が立っていたのだ。
なぜだか、男の周りだけがぼんやりと明るくなっていたのである。
歳は三十代前半ぐらいだろうか。
顔には無駄に自己主張の強いヒゲを生やしている。
低い背丈の男で、紫色のスーツに緑のネクタイというファッションで、お約束のシルクハットにモノクル眼鏡という紳士風のファッションである。
そして手にはなぜだか大きな羽ペンを持っていた。
俺はしばらく予想外の出来事に漫然と見上げていた。
だからとりあえず目を閉じた。
やはり夢に間違いないのだろう。
でなければこんな変な輩に絡まれる理由などない。
目が覚めて美少女が起こしに来たならともかく、珍妙で小太りなおっさんが立ってたらそれはもはや罰ゲームだ。
そもそも、異世界転生ものでは美少女が案内に出てくるのがデフォだろう。
どんな嫌がらせだ。
「いや、今起きたよな!?君いい!」
なにか変な音が聞こえるが、知ったことではない。
お母さんから知らない人には絶対に関わってはいけないと教え込まれたからな。
「……」
「……」
「…………」
「………………グス」
しばらく目をつむっていたら泣き声が聞こえてきた。
どうやら泣き出したらしい。
メンタル弱ええな。
というか全然眠くならねえ、どうゆうことだってばよ!?
「しょうがねえな。一応話相手程度にはなってやろう。ありがたく思えや」
一向に眠さが出てこないことにあきらめを感じた俺は、しょうがないとばかりに体を起こし珍妙なおっさんの会話に答えることにした。
「なぜ君は上から目線なのだ!?」
「いや、だってなあ、夢の中で何が悲しくておっさんと対話しなきゃならないんだよ。美少女ならともかく」
美少女、それは至高の存在だ。
そこにいるだけでフローラルな香りとそして光り輝き、その美しさで空気を浄化しているといってもいい。一家に一台は必須。
うん。
どっかで売ってないものか。
……売ってても困るけど。
「とにかくだ、ここは本の中なんだ」
紳士は最初に言ったことを繰り返す。
「で?何にもないってどういうことだよ。本の中の世界観とか登場人物とかどこにいるんだよ」
正直な話、本の中の世界と言われてもいまいちピンとこない。
そもそも、本の世界っていうものはこんな殺風景な場所なのだろうか。
「まあ、聞いてくれたまえ。本の中でもここはまだ余白の世界だ」
「余白?めくって最初の何もないページのことか?」
「そうだ。だからここには何もないだけだ」
余白ねえ……。
「余白を入れるってことはページコントロールができない証拠だろ?」
「失礼だな君!」
ついポロっと言葉が出てしまったが気にしない。
さらに言うと後書きもつまらないのだ、そういう本は。
「いいか、余白はな、前置きの儀式なんだ!」
キテレツなおっさんはいいか、と前置きして熱く語りだした。
「余白があるからこそ本の中身が輝くのだ!」
知らねえよ。
むしろ無能さをさらけ出しているだけだろう?
「余白は例えると、映画館の初めのCMなんだ!あれがないと、映画が始まるというワクワク感がないだろう!?」
いや、あの時間いらねえだろ。
あの時間は、映画に遅刻した人を救済するためのものだ。
だから上映時間ギリギリで出発しても余裕が持てるのだ。
「というかおっさん誰なんだ?」
いい加減に潮時だろうと俺は話を戻すことにした。
正直、チビデブに熱いが加わるともう耐えられない。
環境汚染ってレベルだ。
くさい。
「おっさん!?」
ところがどうやらこの言葉も気に食わなかったらしい。
「私がおっさんだと!?」
「違うのか?」
「おっさんとは定年間際で疲れ果て、行けもしない旅行の計画を立て、侮蔑の目を向けられるような人種のことであって、私は違う!まだおっさんではない!」
無茶を言う。
どこをどう見てもおっさんではないか。
というかどんだけネガティブなイメージ持ってんだよ。
「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」
「紫やす……ゲームマスターと呼ぶがよい!」
「……紫さんよ」
本名出てしまっているんだが。
「ハッハッハ、私はゲームマスターだ」
超うぜえ。
しらを切ってまで否定したいことかよ。
紫?
……紫やす、ねえ。
どっか見た名前だが。
「ああ、なんコメ(なんで僕のラブコメがこんな終わり方になるのだろうか)の作者、紫康か!」
そうだった。
さきほどまで読んでいたはずの小説の作者だ。
こんな奇妙なラノベを書くのはどんなヤツだと、作者コメント欄に目を通していたときにあった名前だ。
後書きも期待を裏切らずつまんなかった。
自身の趣味の昆虫採集について、熱くコツと解説を書いていた内容だった。
蛾の雌雄の区別なんて誰も知りたく無かろうに……。
「違う!私はゲームマスターだ!」
ところが紫康はかたくなにそのことを肯定しまいとしていた。
何が彼をそこまで追い詰めたのか…。
「……もういいや。ゲームマスター、本の中っていうのは」
「ハイ! みんなのゲームマスターだよ!」
急にスイッチが入ったかのようにテンションが変化し、しゃべりだした。
かなりウザい。
ダンシングフラワーってこんなんじゃなかったか?
電池入れるまであんなに萎れているのに…。
「うむ、ここがどこだかと心配なのだな。大丈夫、順を追って私が説明しよう!」
俺はお前の脳内が心配だ、大丈夫じゃねえだろ。
「実は私は小説家であってね、『なんで僕のラブコメがこんな終わり方になるのだろうか?』という小説の作者なのだ」
知っているよ、さっき言っただろ!
甲高い声とうざいテンションで喋る紳士相手に、俺は大声で叫びだしたい衝動を抑えるのに必死だった。
「当然な君は私の小説の内容はほとんど分かっているよな?」
「ええ、まあ大体は……」
「では聞くが私の小説はどうだった?」
「ええと……そうですね……」
正直あんまりおもしろくなかった。
言えねえよ、そんな期待大なまなざしで見られたら!
「素直に言ってくれたまえ」
素直に言っていいらしい。
「じゃあ、遠慮なく。何がしたいのか理解できませんでした。だいたいライトノベル書く以上、通常の純文学よりも文章力も物語の哲学性も重厚なストーリーも求められていませんよね。なのに、それでも文章構成がまったくなってないのに驚きが隠せませんでした。
伏線を入れる癖に回収できていないし、キャラクターにちらっと語らせて、それで終わりというのは単純すぎませんかね。というかキャラクターがテンプレな時点で、ある程度予想できる流れがあります。そこをセンスでカバーしようとしているのに、できていないっというのはさすがにどうかなとおもいました。ギャグもまったく面白くなく、盛り上がりもありませんでした。それで……」
ふと自称ゲームマスターの姿が見えないことに気付いたので、周りを見渡すと体育座りでメソメソと泣いていた。
手にした大きな羽ペンで地面(?)をぐるぐるとなぞっている。
「……うまくまとめて書けていました」
とりあえずフォローを入れてみた。
いや、よくあんなむちゃくちゃなストーリーをなんとかまとめきったものだ。
「そうでしょう! いやぁ、良く分かっているね、少年」
涙一変。キラキラした笑顔で話しかけてきた。
殴ってやろうかコイツ…。
ふと、そんな感情が心を横切る。
しかしそんな俺を気にも留めずゲームマスターと名乗る男はしゃべり続けた。