第三話 器と血壊者
「阿修羅、はるか様のご様子はどうであった?」
「混乱しているようでしたが、今は香が効いたようで眠っておられます。」
「ふむ。・・・ようやく出会えた尸童様だ。この機会を失えば我らに未来はない。」
「玄海様。」
「ふん。そんな顔をするでない。して、依子はどうしている?」
「姉と共に儀式の準備を行っております。」
「ほう。滞りなく行っているとは。ごほごほっ。・・・子供ゆえの甘さが出るのではないかと懸念しておったが問題ないようだな。」
「子供の姿をしてますが、《血壊者》です。情を掛ける必要はありません。・・・玄海様、薬の服用を忘れずに。」
「分かっている。皮肉なことだが人間の血はなんとも便利な道具を生み出してくれたものだ。ところではるか様はいつ尸童として完全な器になるのだ?」
「おそらくまだ先でしょう。しかし、一週間後には尸童として最低限の儀式を行える状態にはなるはずです。」
「そうか。・・・長かった。とても長かった。これで、忌々しい人間共を駆逐することができる。・・・これからだぞ。阿修羅」
「・・・はい」
「ふふっ。我がもっとも信頼しているのはお前だ。愛しておるぞ。阿修羅。」
雀の鳴く声で目が覚めた。陽の光が室内に細く入り込んでいた。
起き上がり、窓を開ける。深く呼吸をする。黒い鉄格子が嵌っているのが気になった。
何も分からないのでぼおっと庭を眺めていると、外から話し声が聞こえてくる。
「ねえ。にーちゃ、お腹すいたよお。」
「さっき、食べただろ。」
「ちょっとしか食べてないもん。お腹すいたよお。」
「・・・昼まで我慢しなさい。」
「やだやだやだー。うわああああん。」
「こ、こら。そんな大声を出したらお屋敷の方に叱られてしまうだろ。」
「うっぅ。お腹すいたよぅ。」
「・・・・・・・。」
兄妹だろうか。背の高い藍色の髪の青年と同じく藍色の髪を持つ小さな女の子が手を繋いで歩いていた。
しばらく見ていたが、こちらに気付いた様子もなく、そのままどこかに行ってしまった。
なんとなく、この部屋から出たくなったので扉を開けて外に出ようと試みるが、どうやら施錠されているらしく出ることはできなかった。記憶を探ってみるが、何も思い出せない。自分が何者かすら覚えていない。ただ、時間だけが過ぎていく。
どれだけの時が過ぎたのだろうか。数日は経っただろうか。いつも気を失うようにして眠り、目が覚めると食事が用意されていた。簡易トイレも部屋の中に設置されていた。考えるのが億劫だ。その日もぼおっとしていたら珍しくいつもと違うことがおきた。
「尸童様。本日から尸童様のお世話をさせていただきます。」
しばらくして、部屋に入ってきた少女は、綺麗な藍色の瞳をしていた。
返事がないことを気にしていないようで、粛々と私の身を清めてくれる。
「・・・自分の記憶がないみたい。私は何者なのだろうか?」
私が言葉を発するとは思わなかったのか、信じられないものを見るよう目で見てきた。
「・・・尸童様。」
「あなたは何か知っているか?」
少女は大きな瞳を揺らし、一瞬何かの感情をその瞳に映したが、それはすぐに消えた。
「・・・尸童様は名をはるか様とおっしゃいます。こことは異なる世界から召還されたのです。」
「はるか。それが私の名前。・・・異なる世界とは?」
私は、自分のことなのにまるで実感がわかない。
「はい。はるか様は鬼の始祖の魂を現世に繋ぎとめるための尸童として、こちらの世界に召還されました。記憶がないのは、召喚された人間が異世界で過ごすうちに、元々居た世界のことや自分自身のことを忘れてしまうからです。それでも、最低限生きるうえで必要な知識は残されているはずです。」
おそらく、私にとってそれはとても残酷な事実だ。だが、どうも記憶がないせいで実感が湧かない。
「この国は、異能をもった人間が治めています。名称は鬼です。能力を持たない人間も居りますが、基本的には、奴隷か外交の為に生かされている捕虜だけです。」
「尸童様は数日前に鬼に会っておられますが、覚えておられませんか?」
「覚えていない。聞きたいことがある。」
「はい。」
「この、部屋から出られないのは何故?」
何故か目の前の女の子は苦しそうな表情をしている。
「できるだけ、まっさらな状態で尸童として、始祖様の魂を受け入れてもらうため、外部との接触を控えていただくためです。」
「始祖様って?」
「始まりの鬼と呼ばれている方で、はるか昔にただの人間に異能を与えて鬼にした方だと言われています。」
「あなたは鬼なの?」
「いいえ。私は鬼と人間の間に生まれた血壊者と呼ばれるものです。私のような存在はどちら側からも忌み子として疎まれています。しかし、珍しい能力はあるので鬼にも人間にも利用されているのです。人間にいたっては移植などで人為的に血壊者を作っては使い捨てているのが現状です。人為的に作られた血壊者は狂いやすく短命、隷属さえしてしまえば道具も同然なのでしょう。」
「・・・・・・。」
「こんな話をしてしまい、申し訳ございません。・・・・・・私たち血壊者の大人のほとんどは、はるか様の召喚の供物になりました。鬼たちに隷属して、子供を人質にされてしまえば、拒否することはできなかったのです。こちらの世界の勝手な都合で召喚したというのに、私は愚かにもはるか様に不当な恨みを抱いてさえいました。本当に恥ずべきことです。」
「・・・・・・。」
「・・・私には9歳の妹がいるんです。同じ母から生まれたのですが、妹は元の世界の記憶の残っていたはるか様と少しだけ会っているのですが、覚えておられますか?」
「覚えていない。」
「申し訳ございません。・・・妹は口下手で普段から言葉が少ない子なのですが、はるか様のことを心配していました。そして、口には出しませんでしたが、とても後悔しているようでした。」
「・・・・・・。」
「・・・もし、はるか様が望むのであれば、」
トントンとノックをする音がした。
少女の肩がビクッと跳ね上がった。
中に入ってきたのは、背が高く鋭い赤眼をした、頭に角の生えた男だった。
男は無言で近づくと、少女の目の前に立ち、その白い頬を張り飛ばした。
「何をしている?お前に話をしろとは命じていないはずだ。はやく儀式の準備に取り掛かれ。」
「・・・かしこまりました。」
理不尽に対する怒りも悲しみも私の中には何もない。からっぽで、ただの器だ。ようやく、自分が何者なのか理解できた。




