第二話 尸童
美しい花壇に咲き誇る高そうな花、庭にはいくつか築山があり、噴水があり白砂が撒かれていた。ずらりと並ぶ鬼達は壮観だった。
「この国の領主、玄海と申します。さあさあ、お疲れでしょう!よくぞおいでくださいました。どうぞこちらへ、はるか様!」
腰まである緋色の髪をたなびかせた目の前の美しい女性は、ニコニコと笑顔を絶やさない。おそらく20代後半。背が高く、胸もでかい。赤眼で頭の上に2本角が生えている。
その女性の脇に控えている護衛らしき男は感情の読めない赤眼で此方を見ている。この人も鬼で白髪に2本角が生えている。
「しばらくこちらでお寛ぎください。腹も空いているのでは?すぐに夕餉を用意させますゆえ。」
館の中に通され、玄海さんに着いていき廊下をしばらく歩いたところで、部屋に入る。
お腹も空いているし、お言葉に甘えることにする。なぜか、今の現状に対しての警戒心が薄れているような気がする。食事なんてしてていいのだろうかと頭の片隅で多少疑問には思う。
「ありがとうございます。あの、依子ちゃんは?」
「おや、はるか様は依子を気に入られましたか。では食事の席に呼ぶことにしましょう。」
「いや、あの…迷惑でなければで」
「迷惑など思うはずもございません。」
「はあ、どうも。」
何か大げさだな。此方が恐縮するほどの歓待ぶりだ。そして、なぜか敬われている気がする。これは早々に事情を聞いて現状把握したいところだ。そういえば、依子ちゃんは赤眼じゃないし角が生えていなかったな。瞳と髪は藍色だったけど。
しばらくして、食事が運ばれてきた。依子ちゃんも現われた。まだ顔色が悪い。心のなかで謝る。
漆塗りされているような黒いテーブルにどんどん湯気をたてた料理が置かれていく。今座っている椅子も高級そうで、金で竜の模様が彫られていて座るのに一瞬躊躇した。
玄海さんが上座を勧めてくれたが、やんわりと断り依子ちゃんと並んで座る。玄海さんの護衛らしき人は席をはずすことなく、傍に控えている。相変わらず視線を感じるが何を考えているかは分からない。玄海さんに紹介されて一言名乗ってからは、まったく声を発さない。なるべく視線を向けないようにする。広い室内で玄海さんの愉快そうな声が異様に響いていた。
食事を運んでくる女官らしき鬼たちの視線が突き刺さり、嫌な汗が背中を伝う。
依子ちゃんに視線をやると、一瞬こちらを見たがすぐに視線ははずれた。着ている服装が若干変わったので帰ってすぐ着替えたのだろう。やはりすべて藍色で統一されていた。
「依子ちゃん。ごめんね、付き合わせちゃって。此処に来てすぐに居なくなったから気になってたの。」
「……そう。」
「あ、それと、いろいろとありがとう。心強かった。」
「……気にしないで。」
食事の合間、玄海さんがこの国について簡単に教えてくれた。
この世界は大きく分けて5つの大陸がある。ここはその中で一番大きな大陸で七日大陸と呼ばれているそうだ。七日大陸は小国など幾つかあるが、大国だけで考えると三国が支配している。そして、その大国の一つが一般的に鬼と呼ばれる人たちで形成されている鬼染国で今私が居る国だ。この大陸は驚くことに一つの言語で統一されている。日本語ではないが何故か私は普通に聞けるし、話せる。ちなみに鬼染国は四名の鬼人の領主によって統治されていてそれぞれが、独立した統治権を持つそうだ。そして、この第一領地は鬼人にとって特別な土地みたいで能力の高い鬼はこぞって仕官を希望するそうだ。
「我々は遥か昔始祖さまによって、選ばれた尊い鬼の末裔。人間にはない異能を生まれながらにして宿して生まれてくるのです。」
玄海さんの言葉に、反応に困り苦笑で返す。
「その力に驕ることなく、力ない人間と共存して暮らしてきましたが、最近はどうもきな臭く、隣国八百万の人間などは取り繕うこともなく鬼に奪われた人間の領土を取り返せとのたまう始末。……召喚の際に座標がずれてしまい、はるか様が隣国に現われると知ったときは肝が冷えました。人間どもの野蛮な様をご覧になられたと聞きました。こちらの不手際で不快な思いをさせてしまい忸怩たる思いでございます。近頃は同盟を結んでいた小国さえ、鬼を差別の対象にするようになりました。このままでは、いかに優れた異能を持つ我々鬼でも、数の差で人間共によって致命的な痛手を負いかねません。……はるか様。あなたは我々に唯一残された希望なのです。まだ、これからのことははっきりと明言できませんが、どうかお力をお貸し願えませんでしょうか?」
私には、そんな事情を聞かされても、何もできるとは思えなかった。
「すみません。……まだ混乱していて少し考えさせてください。」
そろそろ陽が完全に沈む。食事も終わり、もっと具体的な、自分の処遇について話してもらおうとそれとなく、玄海さんに促したのだが、お疲れでしょうとのらりくらりと話をかわされ結局私は重要なことは何も聞くことができなかった。
「依子、はるか様をお部屋に案内して差し上げなさい。それでは、はるか様、本日はごゆるりとお寛ぎくださいませ。誠に申し訳ございませんが私は執務に戻らせて頂きましょう。当然、私の側近を護衛として扉の外に立たせておきますゆえ、何かございましたら、何なりと御申し付けてくださいませ。」
玄海さんの姿が見えなくなると、依子ちゃんが小さく息を吐く。
「案内する。付いて来て。」
部屋は広く内装は暖色で統一されており、置いてある家具一式が一目で値がはるだろうことが窺えた。部屋の中に入ってしばし圧倒されたが、依子ちゃんの声で我にかえる。
「……一人でも平気?」
見ると、心配そうな顔の依子ちゃん。
「あっ、大丈夫。広い部屋だから驚いちゃった。」
「……おそらく、すぐに護衛が部屋の外に立つ。」
なぜ、自分に護衛なんてものが付くのか不思議だ。
「うん。ありがとう。依子ちゃんは自分の部屋に戻るの?」
「……この館に依子の部屋はない。」
私は不思議に思い首を傾げる。
「近くに住んでるから、そこに帰る。」
あ~そうなんだと納得した私は、依子ちゃんの両手をそっと握る。一瞬依子ちゃんがビクッと身体を震わせた。
「また、会えるよね?」
なんだか、このまま離れたら依子ちゃんに会えなくなってしまうような不安に襲われ、ついそんなことを聞いてしまった。
依子ちゃんは藍色の目を瞠ると、ぎこちない笑みを浮かべた。
「・・・会える。」
その言葉を聞いてやっと依子ちゃんの手を離す。
「…またね、依子ちゃん。」
「おやすみ。・・・はるか。」
その日、初めて名前を呼ばれたということに気付いたのは依子ちゃんが部屋を退出した後だった。
部屋に一人残された私は、大きな寝台に若干気分が浮上し、布団の上に飛び込む。思った以上に気を張っていたのかもしれない。ずっと混乱しっぱなしで、今の状況を冷静に考える余裕がなかったことを思い出す。頭の中を整理しようと思考に耽る。
…名字が思い出せない。鬼ってなんだ。突然知らない場所に居たのはなぜ?もと居た国。あっ、日本だ。忘れそうになってた。あぶな。私は日本に住んでいたんだっけ。おかしいな。思い出せない。あ、そうだ、制服。この館に着いてすぐに、なぜか着替えさせられたんだった。私は学校に通っていた。鞄のなかを見ればきっと携帯も入っているだろし、財布も入っている。それに手紙も。手紙?……そういえば、鞄も制服も見当たらないな。いつからだっけ。明日探そう。明日になったら、もっと自分のこと分からなくなりそう。
「・・・・・・。」
飛び起きる。愕然とし、悲鳴を上げそうになる口を両手で押さえる。確かに在ったはずの私の記憶が、少しずつ曖昧なものになっている。何より私はこの異常な状況を受け入れ始めていた。眦に涙が滲み、呼吸が苦しくなる。目の前がチカチカし始め、気を失いそうだ。ここで気を失ったら、何もかも忘れてしまう気がする。怖いっ怖いっ怖いっ!!
先ほどの依子ちゃんの言葉を思い出す。
―――――おそらく、すぐに護衛が部屋の外に立つ。――――
一瞬の逡巡の後、駆け出す。扉を開けて廊下を見ても女官も護衛らしき鬼の気配もない。不気味なほど静寂に包まれている。
それが、急に怖くなり、恐る恐る歩く。とりあえず、平常心で、自分の置かれている現状を少しでも把握しなくてはいけない。そう考えるものの動悸は激しくなる一方だ。何かに急き立てられるように、ひたすら月が照らす道を進む。
もしかしたら、私の味方は誰もいないのかもしれない。
そんな考えが頭を過り、指先が氷のように冷たくなっていく。廊下の突き当たりを曲がりそのまま歩く。
しばらくすると、それまでに続いた他の部屋とは装飾の違う扉があり、その前で立ち止まる。中からはまったく音がしないが、何故かその部屋が無性に気になってしまう。
開かない扉にじれて必死で取っ手を動かす。何かひび割れれるような音がしたが、やっと扉が開いた。
中に入ると後ろ手に扉を閉め、鬼が居ないか中を見渡す。
その部屋は一切家具が置いておらず、部屋の中央には大きな美しい装飾の鏡が埋め込まれた円柱があり、それ以外は何もない。明らかに異質で静謐な部屋だと思った。床のタイルも青い石で一面湖を連想させる作りだ。
部屋の壁も天井も青いせいで鏡面も青い。私は、そっと鏡の中を覗きこむ。一瞬、鏡面が水面のように歪んだように見え、息を呑む。
じっと、鏡を見つめると何か映った。少しずつ人の顔らしきものが浮かんできた。はっきりと造作は分からないが、嗤っている口元がやけに癇に障る。
「あなた、誰?」
「ひひっ。さっき会っただろ?」
「その声。小船の男。」
「ご名答。さあ、嬢ちゃんにチャンスをあげよう。」
「・・・チャンス?」
「嬢ちゃんが救われるためのチャンスだ。」
引き込まれるように指先で鏡に触れる。
「このままだと、嬢ちゃん利用されて悲惨な末路を辿るぜ?」
「……何か知っているの?」
「ひひっ。知ってるとも。俺の知らないことなど、まあほとんどないさ。もちろん丁寧に教えてやるつもりなんてないがな。嬢ちゃんが真実をすべて知ってしまったらつまらないだろう?俺が。でっ?どうする?」
「…代償は?あるんでしょ?」
「ひひっ、依子に何か聞いたか?あいつは、なかなか面白い取引相手だな。見てて愉快だから俺は好きだ。でだ、代償はうーん、嬢ちゃんの場合寿命をもらうだけじゃ、つまらんか?いや、これから面白いものを見れるんだしいいのか?よし!寿命七年分で一度だけ運命に抗える瞬間を作ってやろう。気が向いたらアフターケアもばっちりだぜ。もしかしたら、日本に帰れるかもしれないぞ?交渉とかはめんどいから、今この契約を呑めないのならこの話はなしだ。」
正直、信用できる人間ではない。そもそも人間でもなさそうだし。何を信じればいいのか、分からない。だけど、目の前の悪魔のような存在が別次元の何かだということは分かる。そして、きっと人間の足掻く様を面白がる、嫌なやつなのだろう。
「……代償を払う。力を貸してくれるって解釈でいいんでしょ?」
「……ずいぶん、すんなり言うな~。」
男はにやにや笑いを止め、観察するように見てくるが、すぐに肩をすくめて
元の表情に戻る。
「ひひっ。じゃあ、七年分、嬢ちゃんの寿命、いただきます。」
「…何をなされているのですか。はるか様。」
どうやら、この部屋の中で倒れていたらしい。声を掛けてきた鬼の男を見て
押しつぶされるような悲鳴が出た。
一気に体中の皮膚がざわりとする。私は、ゆっくりと立ち上がる。そこには玄海さんに影のように付き添っていた男が、表情の読めない顔で立っていた。それが、不気味で仕方ない。
「すみません。あの、こちらに来たときに預けた鞄や服が見当たらなかったので、聞こうと思って、人を探していたんですけど、迷ってしまって。すみません。あっ、そっそれで、すべって」
咄嗟の言い訳が口からすらすらと出て、どうにかこの場を切り抜けられないかと内心焦る。
そんな私を、無表情のまま見ていた男はゆっくりと近づいてきた。
「…っ。あ、あのっ」
男は私の前で立ち止まると、腕を伸ばし、一瞬迷うような素振りを見せたがそっと私の手を掴むと、扉に向かい歩き始めた。
私はというと、何が起こったのか理解するのに遅れたがすぐに立ち止まる。
「あ、あのどこに行くんですか?」
私は恐怖を感じ、恐る恐る男を窺い見る。
「・・・・・・部屋に戻りましょう。鞄や服は明日部屋にお持ちしますので。」
拒否したら、私はどうなるんだろう。そして、きっと明日になっても、私の鞄や服は返ってこない。そう確信する。




