第一話 見つかった始祖?
人生を語るには、私の生きてきた17年の月日は、短く浅い。
私は自身の可能性のなさに絶望し、半ば投げやりになっていた。まず将来について考えることを止める。
そして、ひたすら流れに身を任せるだけの時間を過ごす。友情、努力、勝利は私には関係ないと割り切り屑籠に投げ捨てる。
過去にも囚われないように細心の注意を払う。心に蓋をした結果、どんどん何も感じなくなっていく。自分がどういう人間なのか判らなくなる。
蓋をされた心の中は真っ暗で内側から腐り始めている。今にも腐臭が漂ってきそうだ。不吉な淀んだ色をしているその中を空洞と呼び、いつも空洞を覗き込んでいた。
だからそれは必然。不気味な二つの赤い双眸を見つけたときは全身に怖気が走った。
私は今日も不安を胸に抱えたまま、空洞を覗き込む。いつか這い出したそいつに私は喰われるのだろうか。その時がきたら、あの赤い双眸を持つものと正気で対峙する自信がない。
塗装されていない木造家屋や見慣れない服装の人たちばかりで、見たことはないがどことなく昔の日本のような情景が目の前に広がっている。
太陽はとても近くに感じるし、旱魃が続いたみたいに、地面のいたるところがひび割れていた。
それにしても、どうしたらいいのか。心臓が早鐘を打ち、嫌な汗が背中を伝っている。
気がついたら私は、見知らぬ場所にぽつんと立っていた。しばらく雑木林の中を彷徨い、やっとのことで前方に人々が行き交う道を発見する。
とりあえずほっとしたものの安易に近づく気にはなれない。これまでに感じたことのない雰囲気を放つ人々に気圧されてしまったのもあるし、今の自分の状況を考えると慎重になってしまう。
町には入らず手近な潅木に張りつくように、こっそりと、人々を観察する。ここからは会話までは聞こえず、言葉が通じるか不安になる。顔はアジア系のように見えるし、日本人だといいのだけど。
洋服を着ているものは居らず、携帯などの文明機器を扱ってるようには見えない。
そして私は、学校指定のセーラー服を着ているのだ。この服装で町に入ったら間違いなく面倒なことになるだろう。困り果てた。一か八か声を掛けてみようか。
困り果てていると、突然すぐ傍から音がした。
あまりに驚いた為、勢いよく仰け反って尻餅をつくという醜態を晒してしまう。かろうじて悲鳴は飲み込んだ。
慌てて立ち上がり音がした方を確認する。そこに居たのは歴史の教科書で見たことがあるような、しかし色は藍色一色の直垂に括袴といういでたちの少女だった。
しばらく、お互いに無言で見つめあう。容姿はなんというか儚げで可憐という言葉がしっくりくる。年は7歳~10歳ぐらいに見える。あまりにもジロジロと見すぎたかな。
私は慌てて声を掛ける。
「あの、ここって日本だよね?」
これでは警戒されてしまうだろうとなるべく優しく見えるように笑顔をつくる。
可憐な少女は私を見上げ、そして、ぎこちなく微笑むと透き通るような声で
「似てるけど、日本ではないわ」と首を横に振る。
少女の返答に私の頭には?がいくつか浮かんだが、うまく言葉にできず口を開いては閉じる。はたしてこの少女は……何なんだろうか。少女が窺うようにこちらを見ている。何だか視線を逸らせず、少女の藍色の瞳を見つめる。数秒経ったころ少女がぽつりと
「…依子」と言った。
「えっ…よりこ?」
「私の名前」
うん。純和風だ。やっぱり日本でしょ此処。とりあえず身近な感じがして安心。というか、この子。何だろう。保護者どこ行った。
「あぁと、初めまして、依子ちゃん。私の名前ははるかです。・・・依子ちゃんは一人かな?どうしたの?」
落ち着かなくて手をフラフラさせる。
「あなたのこと、迎えにきたの。」
依子ちゃんが私の両手をぎゅっと握った。
依子ちゃんの案内で私は隣国に向かっている。
どうやらその国の領主が迎え入れてくれるらしい。現状把握のため素直についていくことにした。
不思議なことに道中まったくといっていいほど誰も私のことを気にしていない。
いや、自意識過剰とかじゃなくセーラー服だしさ。
依子ちゃんに聞いてみる。
「結界で姿を見えないようにしている。」
な、なるほど。ここは…もしかして、異世か・・・
「え・・・どうしたの、あの人」
異様な空気を放ち、どうみても正気を失っている人が奇声をあげた。濁った藍色の瞳が此方を見ている。目が合うと口角がニヤリと上がった。ゾワリと背中を怖気が走る。
その男は雄叫びを上げる。私の周りでガラスの割れるような音がした。
人々の雰囲気が先ほどまでとは明らかに異なっていて、和やかな雰囲気が一切無くなり、妙な緊張感が辺りに張り詰めているように感じる。そして、今までが嘘のように人々の視線が私と依子ちゃんに突き刺さっている。なんとなく、結界が壊れたんだろうなと察した。
「間が悪い。何で今日に限って・・・・。離れないで。」
依子ちゃんは年齢に合わない渋い表情をしていた。
やがて、喧騒が広がる。嫌な感じだ。徐々に悪意が伝染していく。
どこから引っ張りだしてきたのか桑やら斧やらを握りしめた輩が増えてきて、やはり此方を遠巻きに見ている。
怖くてはっきりとは直視できないが、敵意を向けられている。突然の事態に体が小刻みに震えだす。
さっそくこんな恐ろしいことになるとは。心構えできてなかった。
そんな私を勇気づけるように依子ちゃんの少し冷たい手がそっと触れてきて人差し指をきゅっと握ってきた。
それだけですごく安心した。
すごいしっかりしているように思う。私基準だけど。
依子ちゃんが何か呟くと依子ちゃんの周りから濃霧が立ち込め、一気に私の周りを包み込むように広がり視界を奪う。この状況で視界を奪われることはものすごく不安だ。心細くなったが依子ちゃんが手をしっかりと握りなおしてくれた。我ながら情けない姿だと思うが、今頼れるのは依子ちゃんだけだ。依子ちゃんは先ほどから一心に何かを唱えているようだ。何だか不思議。
ヒソヒソと話す声は確信を持ったような罵声に変わり、姿の見えなくなった男の奇声がすぐ後ろから聞こえているようでゾッとした。濃霧の中方向感覚も無くし、ただ小さな手に引かれて歩く。途中からあんなに聞こえていた声が曖昧なものになり、気配があっというまに散っていく。
強い敵意を感じたのに危害を加えられることもなく辿りつけたのは、依子ちゃんのお蔭だ。隣の依子ちゃんを見ると先ほどより顔が青ざめていて、眉間に皴を寄せて少しつらそうだ。どうしよう。
「依子ちゃん、大丈夫?休めるなら少し休まない?」
こんな事しか言えない自分が情けない。
依子ちゃんの表情が少し柔らかくなる。
「平気。もう空間が繋がったから、安全。」
相変わらず濃霧は濃いが、少し正面が見えるようになり、いつのまにか川辺にいたことに気付く。やがて、小船が一隻近づいてきた。その小船には麦わら帽子を被った黒い肌の男が立っていて、声を掛けてきた。
「…まいど。会うのはこれで二度目だな。」
どうするのかと、依子ちゃんを見る。
「大丈夫。知り合い。」
理由は分からないが男は腹を抱えて笑い出す。ガタイの良い成人男性が大声で笑っている姿は異様な迫力がある。小船が揺れているが大丈夫なのだろうか。
「ひひっ。いやあ、楽しいなあ…。ふぅ。ははっ、2年分貰おうと思ったが、気分がいいから半分にまけてやる。まあ、とりあえず乗りな。」
意味深な発言だ。
依子ちゃんと一緒に小船に乗り込んだ。
小船といっても大人4人くらいは乗れる面積はあったのでそんなに窮屈には感じなかった。
男が櫂を一人でこぎ始める。ボートにも乗ったことがない私は、水面が近いので少し緊張したが、小船は滑らかに進む。少し慣れてきて水面を見つめる。先ほどの男の言葉が気になる。2年分とか、まけるとか何の話だろう。聞いてみたい。水面に赤い何かが映った。金魚??
「ん?!」思わず声をあげてしまった。男と依子ちゃんもそれに反応してこちらを窺う。
気が動転して小船から乗り出すように水面を覗いた。
「な、なっなにこれっ…」
そういって私は依子ちゃんに向かい合う。
「ね、ねぇ、私の目の色、赤く見えたんだけど。今どうなってる?」
その問いに男が櫂を漕ぎながら、面白そうに私を覗き込む。
「ほうほう、血の色だな。」
すぐに私は視線を依子ちゃんに戻し、縋るように見つめる。
通常、黒目のところが赤くなっている。身体に異変が起きるとは思ってもいなかった。
「どうしよう。なんでこんなっ・・・?」
「大丈夫。問題ない。」
間髪いれずに即答してくれたので、安心して緊張を解く。依子ちゃんが藍色の瞳でこちらをまっすぐ見つめている。
「で、でも私、前までは黒かったのに。何で突然・・・。」
依子ちゃんは一瞬迷うような素振りを見せる。やめて・・怖いから。
「始祖様に近づいていることで、同調し始めているかもしれない。」
依子ちゃんの言っていることは理解できないけど。
「い、命に別状は?」
依子ちゃんは深刻そうな顔をしながら、「ない」と一言だけ口にするとそれっきり俯いてしまった。
男は相変わらず笑みを浮かべたまま、此方を見ている。何か嫌だ。
私はもう一度水面を覗き込み、思わずホッと息を吐いた。
「依子ちゃん・・・。目の色戻ったみたい。」
今更ながら取り乱したのが恥ずかしくなる。でも良かった。
依子ちゃんは瞳を揺らしながら、「そう」と言ってまた俯いた。いろいろ聞きたいことは
あるけど、安堵の気持ちが強かった。
これから事情を知っている領主に会いに行くんだけど、詳しいことはわからない。依子ちゃんはその領主に私を迎えに行くように頼まれたらしい。だんだん不安になってきた。
「大丈夫。落ち着いて」
考え事をしていたら、私がまだ落ち込んでいると思ったらしく、少し表情を和らげた依子ちゃんが声を掛けてくれた。なんていい子だ。
「今から行くところには赤眼は、たくさん居る。」
「・・・じゃあ、そこでは珍しくないんだね。」
「嬢様方、そろそろ着くぜ。」
思ったよりも早く到着した。霧はすっかり無くなっている。
男は川辺で小船を停める。依子ちゃんが先に降りて次に私が小船から降りた。男は陽気な声で、またなと笑って手を振っている。去り際手を握られたのが気になるが、何だったのだろう。
「あの人は一緒に来ないんだね。そういえば、名前聞いてないや。」
私が何気なくつぶやくと、依子ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をする。年齢にそぐわない表情が面白くて笑いそうになるが我慢する。
「あれは、契約して代償を払う相手の前にしか姿を現さない。どういう基準で選んでいるのかも分からない。依子が5歳の時に声を掛けてきた。名前は知らない。」
な、なるほど。よくわからない。もう一度後ろを振り返るが、いつの間にか川は消えていて遠くまで畦道が続いていた。
すたすた歩く依子ちゃんに着いていく。
荘厳な館がそこにはあった。立派な門扉にあっけにとられ、気後れしていると、ものすごい重そうな音を立ててゆっくりと開いていく。
私と依子ちゃんが到着したのを知っていたのか、出迎えてくれたのは予想以上に多くの人たちだった。その人たちに共通する特徴は一目で気付いた。皆、少なくとも見える範囲に居る人は全員赤眼。そして、表情には出さないようにしたが、何より驚いたのが頭に生えている角だ。大きさや数の違いはあるが頭に等しく角が生えているのだ。これじゃあ、まるで・・・・。
「ようこそ。ここは鬼が住む国。貴方をお待ちしておりました。」
私は、やっぱり夢を見ているのだろうか。もし、そうならほんと、はやく目覚めてほしい。