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幸せ

東京都渋谷区恵比寿


この阿呆らしく高額な土地の、そこそこ広い家賃8万円のアパートに住み始めて早1年


休日の始まりは、おおよそ12時

そこからベッドの中で存分に惰眠を貪って、Facebookで適当に社交し、いい加減空腹を感じたら起きる。

這い出すようにして、ベッドの重力に逆らえるようになるのが大体14時過ぎ。


もはや朝日とは言えない、眩しすぎる日の光を下着姿のままぼーっと眺める。

まだ眠気を振り切れずにいる脳みそを無理矢理叩き起こすことはしない。

今日だけは絶対にしない。


とりあえずテーブルの上の煙草に火を点けて、ゆっ。。。くり、深く吸い込んで、吐き出す。

寝起き、しかも歯を磨く前、更に酒焼けでヒリつく喉と、ベタベタした口中に広がる苦み走った味が心地いいと感じる。

人間、普段禁止されている行為を満喫する瞬間というのは少し感覚が変わるようだ。

こんなだらしのない時間を、たまらなく幸せに思う。


その辺に散らかっている服を適当に着て、顏も洗わず、化粧もせずに、財布と携帯、煙草を持って玄関を出る。

ここが天下の恵比寿だろうと、知ったことではない。




自宅から徒歩1分の中華屋に、ランチラストオーダーギリギリで入店する。




「いらっしゃいませー」


古いながらも、オシャレで清潔感のある落ち着いた店内。

そしてラストオーダー間際で他の客がほとんどいないこの時間帯が大好きだ。


「どーも」


ご主人に笑顔で軽く会釈して一番端の席に着く。


「ビールでいいですか??」


ランチタイム中、本当は置いてない灰皿と、出していない冷たいおしぼりをを持ってきてくれる。


「はい、あと担々麺とチャーハンセット、両方大盛りで。」


「はいよ。」


最初の頃こそ、平日の真昼間にやる気のない顔して入ってくる私は相当に目立った。

まして大瓶でビールを頼んで2種類の炭水化物を平然と平らげる女性客なのだから当然だ。


〚大丈夫?本当に食べれる?〛


この質問は2回同じ注文をした辺りでなくなった。

注文自体によほどのインパクトがあったのだろうか、なるほど確かに他の客の注文の仕方は米か麺、どちらか一方を大盛りにするのが定番らしい。

しかし残念ながら私の空腹はそれでは満たされないのだから仕方がない。



「先にビール置いときますね」



冷えたグラスにビールを注ぐ瞬間の高揚感はたまらない。

しかも世の中の大半の人が、あくせく働いている時間帯に飲むビールは、まるで自分だけに許された特権のような気がしてわくわくする。


銘柄はエビス

最高ののど越しとでも言うのだろうか。

とにかくこの日、この時間のビールは最高に美味いのだ。


「はい、おまちどうさま」


食事は安定のスピード供給、大抵1杯目のビールを飲み終わるかどうかのところで魅惑の炭水化物たちはやってくる。


「いただきます」


誰が聞いているわけでもないが、小声で言う。

自分で言うのもなんだが、育ちの良さを垣間見る瞬間だ。


担々麺のスープはアッサリ系、挽肉は多めだが、胡麻の風味は弱め。


チャーハンは調理済みのものを炊飯ジャーで保温している。

香ばしいネギの香りが好きだが、食感には期待しない。


要はそれぞれが、別段私の好みという訳でもない。

ただ、麺を食べ終わってからが醍醐味なのだ。


蓮華でチャーハンを適度にすくって、担々麺のスープにゆっくり浸す。

そして味の染みたチャーハンを吸い込むように頬張る。


これが好きだ。



この瞬間の私の幸せ指数も、相当高いに違いない。

最後の一滴まで存分に堪能する。


ビールを飲み干して、食後の一服を楽しむ。

これが同時に昼食の終わりと考えると悲しい。

また来週まで、自由な昼食にはありつけない。


「ごちそうさまでした」


今度はご主人にはっきり聞こえるように伝える。


「はい、ありがとうございます」


もう金額のやり取りはない。きっかり1580円を渡して店を出る。


「いつもありがとうございます」


初老のご主人の、この人懐っこい笑顔が好きだ。

また会いたい、と思わせてくれる。


しかしそもそも、ラストオーダーギリギリにやってきて、アルコールオーダーと、規格外の大盛り注文をする客なんて、最悪な印象でしかない。

ひねくれた性格の私なら、絶対にそう思う。


ああ、でも、このご主人は違うのか。

そんな気持ちにもさせられる、魅力的な笑顔。


「また来ます、ごちそうさまです」


幸せな30分だった。

週1回の自由な昼食、ささやかな贅沢、時刻は15時




帰宅してすぐさま洗濯機に1週間分の衣類を放り込む。

適当に洗剤と柔軟剤を回しかけ、ピピッと押すだけで脱水までこなしてくれるのだから、洗濯機様様だ。

オンボロで、いかに音が五月蠅かろうが、そんなことは何の問題にもならない。


早速昼寝に取り掛かる。

食っちゃ寝の典型。

我ながら最悪の習慣だと重々自負しているが、昼間の飲酒からこの流れは、止められない。

夜の予定から逆算して2時間タイマーをセットする。

通常の人の昼寝というものが、一体何時間なのかは知らないが、私の場合30分やそこらで起きたためしがない。

特にここ1年はそうだ。

体が何よりも睡眠を欲している。

暇さえあれば、寝ていたい。


泥のように…いや、もはや泥だ。





定刻通りにアラーム音で昼寝から目覚めた時は、当然もう夕方。


休日が着実に終わりに近づいていると感じるこの瞬間の物寂しさには、いつまでたっても慣れない。

VIPな小学生達の帰宅の声を聞くのは正直いつも辛い。


「はあ。。。」


憂鬱な気持ちの半面、脳みそはようやく十分な睡眠を手に入れたらしい。

ここ数日の中で最もスッキリしている。


手っ取り早く1週間分の洗濯物を干しにかかる。

1週間分の洗濯と言っても、中身は下着と靴下、同じ型のYシャツが6枚と2本のジーンズそれだけだ。

下着が干されていなければ、男性のそれと見分けがつかないだろう。

洗濯物に色気なんぞ感じなくてもいいが、そんなものはここには皆無だ。




シャワーを浴びて、身支度を整える。


化粧は本当はしたくない。

コンタクトレンズも休みの時くらい着けないでいたいが、そうもいかない。

安いプラスチック製の眼鏡は、エレガント路線のワンピースには似合わない。


渋々コンタクトを着け、ファンデーションを塗りたくり、クラッチバッグに現金3万円を入れて夜の恵比寿の町に繰り出す。


10センチはあるヒールで恵比寿界隈の坂道を散歩するのももう慣れた。

駅前にたむろする外国人グループの意味不明なナンパを無視して上司の冴木さんと合流する。


「お疲れ様です」


別に仕事ではないが、これ以外の挨拶が思いつかない。

冴木さんも同じように返してくれる。


彼のスーツは仕事で着用しているものよりも少し明るめだろうか。

印象がいつもとは違う。

すこしセクシーだ。


「行こうか」


仕事以外、別段共通の話題もない私達は足早に目的地に向かう。





恵比寿の老舗フレンチ

冴木さんの元職場。



恵比寿の市街地の喧噪を抜けて、10分ほど歩いた所にひっそりと佇んでいる。

柔らかい黄色い光で照らされたエントランスへ続く石畳をゆっくりと進む。

重厚感のある扉は、私たちが手をかける前に開かれた。



「いらっしゃいませお待ちしておりました。ご予約の冴木様でいらっしゃいますね」


扉を開けてくれたのは30代前半のやせ形の男性。

冴木さんよりも少し年上だろうか。


「よそよそしい出迎えはいいですよ」


冴木は少し照れくさそうに笑って、でも嬉しそうに言葉を交わしていた。

不意に冴木さんの手が私の背中に伸びる。


「紹介しますね、僕の後輩の早川です。今日はワインの勉強に連れてきました」


冴木さんに促されるように続けて挨拶する。


「早川 律と申します。今日はよろしくお願いします」


「始めまして早川さん、支配人の元場 慎一と申します。今日はゆっくり楽しんでいってください」


元場さんの物腰は柔らかく、柔和な笑顔が中華屋のご主人と少し似ていた。


「どうぞ、お席にご案内します」


元場さんのエスコートで私たちは窓際の一番端の席に案内される。

肘掛け付きの、ゆったりとした黒い椅子に少し深めに腰掛け、改めて店内を見渡す。

総席数は40席くらいだろうか。店内は広くないが、テーブルに気を使った配地がなされていることが分かる。

平日の店内は、満席とまではいかないものの、この価格帯のレストランとしてはかなり埋まっている方だろう。



食事を楽しむ人達の表情は、とても幸せそうだ。



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