世界の終わりにて
好きです、という言葉を口にするのに恐らく三秒かからないだろう。
「内藤くんのタイプってどんな子?」
ずっと昔、皆で放課後話している時、誰かがそう訊いた。
「んー、優しい子」
漠然としてるし、ありきたりだし、全然ピンと来なかった。
ーーけど、それでも。
好きな彼のためなら優しくあろうと思えた。
高校入ってすぐ隣の席になった内藤和樹くんは飄々とした雰囲気の人で、最初はあまり口も聞かなかった。
きっかけは本当に些細な事。
「間中さん、ここの答えわかる?」
数学の授業中、彼が静かにノートに書き込んだ手紙とも言えないメッセージ。
「多分、3だと思う。自信ない」
泣いてる顔文字をつけて返した私に彼は笑った。
その問題を当てられた彼は3だと即答して先生に「うーん、惜しい」と返された。
申し訳なくなって彼に謝ると、内藤くんは「大丈夫‼︎」とノートに書き込んだ。
意外に綺麗なこぢんまりした字を書くな、と思っていたら私が当てられて、焦る私を見て笑う隣の内藤くんが少し憎たらしかった。
答えは1/2だった。全然惜しくない。
「笑うな!」と怒った顔文字で返事を書くと内藤くんはまた笑った。
こんな風にして仲良くなった私達。
気がつけばうっかり内藤くんが好きになってた私。
それから順調にお友達を続けた。
呼び名は苗字から名前になり結局「カズ」と「咲」と呼び合うまでになった。
「今日告白します」
そう意志を伝えたのは仲良しの南や紗良じゃなくて、隣の席の、カズと一番仲の良い羽鳥だった。
「ふーん」
「反応薄いな」
不満気に羽鳥を見れば、彼は本当に興味がなさそうな顔をして私を見つめた。
「まぁ頑張れば」
「うん、告白頑張る」
「……馬鹿だなぁ」
羽鳥は子供に手を焼く親みたいな顔つきで私を笑った。
カズの部活が終わるまで、後一時間もある。
冬の教室は日中暖房がついているけれど、悲しいことに放課後には暖房は消され冷気だけが教室を満たしている。
吹奏楽部のカズ。
彼の吹くサックスは特に高音が綺麗なのだと、そう私に教えてニヤリと笑ったのは目の前の羽鳥だった。
「間中さんってさぁ、和樹のこと好きだよね」
二年になって、カズと少し席がズレた。
彼とは相変わらず仲が良かったけれど、やはり少し残念だった。
そんな思いを見透かすように隣の席から私を見て羽鳥は笑った。
「うん」
あっさり認めた私に羽鳥は驚いたみたいだった。
私としては馬鹿にされたのかと思ってムキに認めた自分もあったのに、羽鳥が真剣な表情で「ごめん」と謝ったから私まで申し訳なくなった。
「俺、和樹とは同じ中学で結構仲良いよ。あいつのサックス聴いたことある?」
「恥ずかしいからってサックス吹いてくれないの」
「和樹の高音は綺麗だよ、本当に。どこまでも伸びるんだ」
誇らしげに語る彼を見て、羽鳥とカズが「結構」どころではなく仲が良いのだと悟った。
羽鳥は度々私にカズ情報を伝えた。
「二人とも何やってんの?」
「カズには内緒」
時々カズは怪しんでいたけれど、さすがにカズの事を聞いてはメモしてますなんて言えなかった。
『意外と甘党』
『音楽と本が好き』
『最近ハマってる小説は、』
こうして増えたメモ。
一つ一つがカズの欠片で、私にとっては宝物だった。
「羽鳥ー、」
「なんだよ」
「私、頑張ってくるから」
「……うん」
立ち上がった私に、羽鳥は本当に少しだけ笑った。
「いってらっしゃい」
その言葉に涙が出そうになったのをひたすら隠して頷いた。
重い足取りでゆっくりと玄関を目指した。
冷たい下駄箱に凭れると背筋がヒヤリとする。
遠くから聞き慣れた足音がやってくる。
なんの特徴もない、けれどとても大切で大好きな音だった。
それを聞くたびに前髪を直してソワソワして。
私は、確かにカズに恋をしていた。
足音がピタリと止まった。
「咲じゃん、まだ帰ってなかったんだ。部活?」
「…ううん」
部活はね、今日お休みなの。
背の高いカズを見上げた。
「ねぇ、カズ、私ーー」
好きと言うのに三秒もかからないだろう。
その三秒が、ひどく胸を抉ったとしても、言葉はしっかりと溢れていくのだ。
ズルズルと誰もいない下駄箱にしゃがみこんだ。寒い。
一年以上温めた二文字は泣きたい気持ちと一緒に唇から零れた。
羽鳥の「馬鹿だなぁ」という言葉がふっと頭に浮かんだ。
「馬鹿だなぁ、私」
口に出すとますます涙腺が緩んだ。
『可愛い彼女ができた』
カズの事を書き溜めるメモの最後の一行。
「和樹、彼女できたってよ」
羽鳥が告げた言葉。
隣の高校に通う同い年で、色白いの、『優しい』子だと。
羽鳥を残酷だとは思わなかった。
だって和樹が私に報告するのも時間の問題だったから。
和樹が私にそれを告げたのは、羽鳥が私にそう伝えた数十分後。
私は笑って、おめでとうって言えていただろうか。
「馬鹿だなぁ」
羽鳥の声が上からかけられた。
いつの間にか横に立っていた彼は私を見つめて、馬鹿だとまた言った。
「うん、知ってる」
断られると知っていた。
けどどうしても言いたかった。
想いが喉を締め付けて、息苦しくてしょうがなかった。
私は楽になりたかった。
カズがどんなに私を好きじゃなくても、好きだと告げてしまいたかった。
好きと言うのに三秒もかからなかった。
ごめんと彼が言うのに、五秒かかった。
世界は静かに終わりを告げた。