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愛憎の濃紺


自分よりも随分暗い、握りしめた濃紺の髪は黒とも違うその独特さを暗闇に放って。

僕はそれが欲しくてたまらない。




***





成夜(せいや)さんはお母様そっくりね」

それはまるで呪いのように言われ続けた言葉。

母親の、人よりも随分明るい髪の色と母親そっくりの少し猫目な、女顔と。

「そうでしょう?成夜は本当に私そっくりなの」

誰かがそう自分と母を見比べる度、柔らかく母が微笑んだのはもう随分と昔のことで。

目の前にいるのに母に目さえ合わされない自分を、二つ下の妹は哀れむように見ていた。



パシン、と乾いた音が暗闇のなかにひっそり沈んでいった。

叩いた右手は徐々に熱を持って、目の前の妹を自分が確かに叩いたのだと実感する。

「兄様……」

悲しむでもない、痛がるわけでもない無機質な声に、意識して母親の笑みを真似て口角を少し上げた。

「雪野、」

目の前の真っ白な着物に手を滑らしていく。

障子を経て鈍く室内を照らす月光は、雪野の姿をぼんやりと浮かび上がらせた。

底冷えするような不思議な深い色の髪が白い布団に川を作る。

首筋を這うとくすぐったそうに少し体が震えて、妹の女としての声がわずかに漏れた。

息の弾む雪野の髪を少し握りとって

雪野を見下ろす。

なんで、なんで、なんで、なんで。

その三文字が頭をぐるりと一周した。

ーー何故なんだろうか。

憎らしくて、否、事実とても憎くて。

それなのにどうしても愛おしい。

矛盾するそれをもて余し、その濃紺を握りつぶして僕は妹に口付けをした。

「兄様……」

雪野が切なげな声を出して、歪に顔を歪めながら(笑っているのか?)僕の髪に手を伸ばす。

前髪を避けて、僕の瞳を覗き込む時、無意識なのだろうが、ひどく悲しそうな愛しげな、そんな表情をする。

「なんで……なんでお前が…っ」

その瞬間、僕はいつも思うんだ。



雪野を叩くようになったのは父が死んで、母がおかしくなってからだった。

四年前、高一だった僕はある日突然

母親がいなくなった。

『あらこんにちは。新しいお弟子さん?』

学校から帰宅後、他人を相手にするように、にこやかに声をかけられた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。

その時はまだ着物をしっかりと着ていた母。

暖かな緑色の着物と母の華やかな髪の色がとても美しかったのがひどくはっきりと記憶に焼き付いた。

その日からの記憶に必ず存在するのは母の不気味な美しさと、同時に執着とも言える程に妹を溺愛し始めた母の狂気。

いや、それは溺愛とも違うなにかだったけれども。

ーーそれでも、僕は妹を憎くんだ。

認識されないなら嘘でも愛されたほうがよっぽどましだ。

だって僕は嘘でも愛されない。

当たりどころのないこの虚しさは暴力の刃に変化してその鋭い矛先を妹に向けた。

大人しく、まるで哀れむようにただ黙って殴られていた妹との関係が変わったのはそれから三年後だった。

三年間ただ黙って殴られていた妹と、それと同じだけひたすら手のひらを妹の頬に当てていた僕と。

どちらが異常だったのか。


『大丈夫、私たち、顔だけはお互い二人にそっくりでしょう?』

その夜。十四の頃からただ黙って殴られていた人形のような少女は、十七の女として僕に手を伸ばした。

きっともう手遅れな程お互いに壊れていたのだ。

乱暴に押し倒すと、雪野の小さな手は僕の髪に触れた。

『……兄様…』

十七の女の声が淡々と満月の夜に響いた。

兄様、と呼ばれてなおこの関係がおかしいと、やめるべきだと言い出せなかったのはーー



「なんで……っ」

腕に力を込めて僕を抱き締めた雪野を見て思う。

なんで…なんでお前が妹なんだ、と。

その情けない言葉は雪野には聞かせたくなくて、いつもそれに喘ぎ声を被せた。

動かす指先は妙な高揚感と共に切なさを生んだ。


恐らく、この関係は雪野にとって母親への当て付けだったんだろう。

そして僕はただ誰かに愛されたかった。

嘘でもいいから、愛されたかった。

愛されてるフリでもよかった。

疑似体験。まさにそれだ。

組み敷いた雪野を見下ろして、そのまったく似てない顔立ちを見て、欲しくてたまらない、母に愛される濃紺の髪に触れて。

その度僕は繰り返し思う。

いっそ僕等が他人ならよかったのに。

ーー誰でもいいから愛してほしかった。

誰かに、誰だっていいから。

その愛が全くの嘘でもいいから。

「雪野……なぁ、雪野」

「…っ、ぁ、兄様…」

でも、なんでその相手がお前なんだ。

僕が求めた嘘をついてくれる唯一の存在が、どうして妹のお前なんだ。

否、どうしてお前が妹なんだ。


この複雑な感情が愛なのか、憎しみなのかそれは未だに自分でもわからない。

この行為に愛があるのかもわからない。

閉ざされた檻のようなこの家の片隅に消えていく二人分の吐息はとても頼りなくて、今にも死んでしまいそうだ。

妹を抱きながらふと考える時がある。

彼女が死ぬ時僕も死ぬかもしれないと。

この思いが愛なのかわからない。

愛を忘れてしまった僕にはその判断のしようがないのだ。

それでも、胸に巣食うこの痛みは、高揚は、切なさはーー




ねぇ、もしもだけど、雪野。

愛してると言ったら

お前は泣くだろうか。それとも、その虚しさを嘲るだろうか?






愛憎の濃紺:了





これが愛かなんて知りたくもない

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