相愛製理論
真っ赤な左手と責めるような黒目。
滑り落ちる透明の液体。
茶色のボール。
俺はひたすら君が好きだった。
だから、俺は君にーー
彼女の左手を見るたびに後悔する。
あの時、あんな事をしなければ、こんなに空虚な生活はしなかったのに、と。
でも同時に、あんな事があったからこそこんな幸福があるのだという後ろ暗い喜びも湧いてくる。
想いばかりに雁字搦めに縛られて、もう引き返せない。
俺は入学以来ずっと彼女が好きだった。
部活で見た、あの楽しそうな笑顔が頭にこびりついて離れなかった。
どうしようもなく惹かれて、距離は縮まっていくのがとても嬉しかった。
それは幸せな時間だった、のにーー
『真琴…っ‼︎』
震える唇の隙間から溢れ出た声は錆びた公園によく響いた。
あの日、彼女の左腕から流れた血はその鮮やかさを徐々に黒く濁して行った。
その様子さながら自分たちの行く末のようだった。
もとの色は単純な、美しい赤色だったのに。
忘れられない、真琴の俺を見る目が。
動かない左手から視線を反らして俺を見た時の、目。
真っ黒な瞳の奥に宿っていたのは確かな憎悪だった。
それは複雑な、形容しがたい闇の色。
責めるように冷たくて、受け止めたようにぬるい温度で俺を見ていた。
『ごめん』
謝るしかできない俺から真琴は視線を再び反らして
『……好きだよ、那緒のこと』
そう微笑んだ。
どうすればよかったのだろうか。
ずっと好きだった人が自分のことを好きだと言ってくれる奇跡。
でもそれは、綺麗な感情だけで作られたものではない。
憎しみが籠められたその言葉。
それをわかっていても、拒絶なんかできやしなかった。
罪悪感と正義感に義務感、解放感や逃避感。
そして、恋情。
白黒様々な感情が混ざり合っていく。
混ざり合う度その色は複雑化していき、元の色はもう思い出すことが出来ないほど黒く、深く変わっていく。
『―…付き合おう』
混ざった感情に導かれるまま、彼女の言葉に答えた。
彼女の望むまま呟いた。
なのに、どうして真琴は泣きそうなんだろう。
まるで拒んで欲しかったと言うように瞳を揺らがせて、ぐしゃりと不器用に作られる笑顔。
そもそも、笑顔なのだろうか。
それすら曖昧な事がひどく悲しかった。
何が正解だとか間違いだとかそんなものわからない。
あの時彼女の真意を見抜くべきだったのか、否か。
それもわからないままだ。
でも何度あの時に戻っても俺の答えは変わらないだろう。
だって、どうしようもなく好きなのだから。
それだけは絶対な事実なのだから。
「好きだ」
寒空の中、見えなくなる彼女の後ろ姿に囁く。
きっと真琴は振り返らないだろう。
彼女が、背中を見送る俺に気付く可能性は限りなくゼロに近い。
でもいつか振り返って、情けない顔をして彼女を見つめる俺を見て、笑って欲しい。
それだけが願いであり、たった一つの希望。
息を一つ吐いて帰路を辿る。
背を向けた俺の背中を、彼女が振り返っているなんて、まだ知らない冬。
相愛製理論:end
すれ違う、冬の話。