将、姫の気持ちを知ってください。
始めて出会った日のこと、あなたは覚えているかしら?
頭の頂近くで結われたまだやわらかそうな黒髪が馬の尾のようにゆれていて、頬だってふっくらしていたわ。
でも長く切れ上がった目があなたを大人に見せていた。
あなたを初めて見たときから、私の心はあなたに囚われたのよ。
ねぇ、康秀。
私、わかっていたつもりだったの。
世の中は不安定で、どこかの領地では昨日と今日とでは城主が違って、いつ私たちの住むこの場所も、そうなるかわからないって。
でも、私はわかっていなかった。
父様や、母様や、お兄様・・・そして、あなたを失うことだってありえることを。
父様とお兄様が城に立て篭って応戦し、母様は領民を逃がすことに力を尽くされて。
私も父様達と同じ、この地の領主として果てるつもりでいたわ。
この命と引き換えに領民を助けてもらえるなら、安いものだと思ったの。
でも最後には城を出された。
父様も、お兄様も、母様も、国境を越えれば助かる、お前だけでもとおっしゃって、私を逃がそうとしたの。
せめてお前は幸せにと、許嫁であったあなたを供につけて。
でも私は嫌だと抵抗してあなたを困らせたわね。
自分だけ助かるなんて、幸せになるなんて嫌だって。
あなたは無理やり私の手を引っ張って城を出た。
泣き叫ぶ私に、父様達の気持ちがわからないのかと、見たこともないような怖い顔をして怒鳴ったわ。
助かる可能性のある娘の、妹の命を惜しまぬ親兄弟などおらぬ、愛おしい女が敵の刀の錆になるのを、指を咥えて見るような男などおらぬと。
自分の命が尽きようとも、あなただけは守ってみせると、あなたは叫んだわ。
私は溢れそうになる涙を必死でこらえて、あなたについて走った。
でも結局、私たちは敵兵に見つかってしまうの。
あなたは私に逃げるよう言い残して、自分をおとりにして敵の方に走っていってしまったわね。
あなたにその時の私の気持ちがわかる?
父様もお兄様も母様も、もう会うことはできない。
愛おしいあなたは私を置いて死に向かって走り出してしまった。
一人ぼっちで、寂しくて、恐ろしくて、哀しくて・・・
どうすることもできそうになかった。
でも、あなたが私を助けようと、守ろうとしてくれたことはわかっていたから。
我慢した涙が頬を伝うのを感じながら、私は国境にむけて走り出した。
もう足袋には血が滲んでいたし、着物は枝でぼろぼろになってしまっているし、髪だって振り乱して。
もうあと少し、というところで私は足を止めて振り返った。
山の上にあった城は、大きな炎にまかれ、耳には敵の勝鬨が聞こえた。
それを見たらもう・・・そこから動くことができなくなってしまって。
ただ呆然とその光景を眺めていたの。
それからどれくらいの時間が過ぎたのかわからなかったけど、私はあなたと別れたところまで戻ってきてしまっていた。
わかっていたの。私は国境を越えなければならないこと。
ここに戻ることは皆の思いを台無しにすることだってわかっていた。
でも気づいたら戻ってしまっていたの。
辺りには人の気配も、何もなかった。
あなたの名前を小さく呼んだわ。
康秀、って。
呼んだら涙が止まらなくなってしまって、あてもないのにあなたを探して走ったの。
あなたが向かっていった方に、ただ闇雲に。
木々が生い茂っていて走る度に私の身体には傷が増えていたけれど、そんなもの全然気にならなかった。
ただあなたに会いたかった。
姫様、って、あなたがそう呼びかけてくれるなら。
その瞳に私を写してくれたなら。
少し開けた場所で、私、あなたを見つけたの。
すぐにわかったわ、あなただって。
木に寄りかかって、手には刀を握りしめて。
もう片方の手は、私があなたの腰に結わえ付けたお守りを包み込んでいた。
身体には差し貫かれた跡があって、矢がいたるところに刺さっていた。
あなたの最後がとても苦しいものだったことは、それだけでもうわかったの。
あなたの顔を確かめるすべはもうなくて、私の好きなあなたの馬の尾のようだった髪も、大人びた目も、見ることは叶わなかった。
私は声も出さずにあなたに縋って泣いたわ。
もうこのまま私も連れて行って欲しいって、連れて行ってくれないのならどうか戻ってきてって、そんなことを言いながら。
どれほど苦しかったことでしょう。
痛かったことでしょう。
そうなることをわかって私を振り切ったあなたは、一体何を思っていたの?
死の間際にお守り袋をそっと包み込んだあなた。
最後まで私のことを考えてくれていたのであろうあなた。
それを思うと、胸が張り裂けそうだった。
夜も更けて、月も沈んで。
この世にあなたと私、二人だけになったような錯覚に陥って。
私はあなたからそっと身体を離したわ。
あなたの手から刀を外して、お守り袋も自分の胸元にしまいこんだ。
それからあなたの手をもちあげて、そこに頬を寄せた。
冷たくて、固くて、でも愛おしいあなたの手に。
埋めてあげたかったけれど、あなたを持ち上げることなんてできない非力な私は、あなたの身につけていたお守り袋と刀を持って、未練を振り切りながら国境に向けて歩きだしたの。
私は死ぬまで、いいえ、死んでもあなたと一緒にいたい。
あなたの菩提を弔って、父母と兄を弔って、この生涯を閉じる。
ねぇ康秀。
私、生まれ変わってももう二度とあなたと恋はしないわ。
だって、もしもう一度あなたと恋に落ちて、また私に危険がせまったら。
あなたはまたその身を投げ出してしまうのでしょう?
そして私はまたこんな思いをしなくてはならないのでしょう?
だからね、康秀。
次にもし巡り合えたなら、私たち、きっと何があっても離れることのない関係に。
兄妹でも、親友でもいいかもしれないわ。
そして、私たちを分かつもののない国に。
危険が迫ったなら、一緒に立ち向かいましょう。
嬉しいときは、一緒に笑いましょう。
私の愛は、あなたへの愛は、永遠です。
ジリリリリリリリリ
ガチャン
「・・・・・・・・・・・」
秋帆は目覚ましを止め、むくりと起き上がった。
鮮明すぎるほど鮮明に夢の内容を覚えていた。
ふと自分の頬が冷たい気がして触ってみると、涙が流れた跡が無数にある。
「くそ・・・なんなんだよ」
イラ立った様子で涙をぬぐい、しかし次から次へと溢れてくるそれを止められずにいた。
「おはようございます、姫様」
玄関をあけると、そこには既に秀英がいた。
いつものようににこりと微笑み、秋帆にそう声をかけてくる。
「・・・おー・・・」
秀英は眉をひそめた。
いつもならば姫様って呼ぶなと怒鳴ってくる秋帆が、何も抵抗せずに軽く応えるだけなどと。
秀英は秋帆の体調が悪いのかと、秋帆の額に手を当てた。
「熱はないようですね」
「・・・・・・」
おかしい。
いつもならば触るなと騒ぎ出しそうなものであるが。
ただぼうっとされるがままである。
「何かございましたか、姫様?」
秀英は心配になり、秋帆の顔を覗き込んだ。
「!!」
秀英は息を飲んだ。
あの小悪魔のような秋帆が。
傍若無人な秋帆が。
目を赤く腫らしている・・・!!!
「ひ、姫様。本当に何かあったのですか?何か憂えることでも?」
秀英はあたふたと秋帆にまとわりついた。
秋帆はそれにふるりと頭を振って、なんでもない、行くぞ、と小さく言って歩き出した。
秀英は慌ててそれに従う。
―――姫様、一体なにが・・・?―――
前世の記憶が、秋帆を苛んだ。
突き刺さる矢と槍が身体に焼け付くような熱さと痛みを与えてくる。
必死で刀を振るいながらも、考えるのは姫様、ただ愛おしいあなた様のことのみ。
目が霞み、口の中に血の味が広がり、もう終わりかと思った時。
腰元にゆれる守り袋が目に入る。
痛みも苦しみも、死への恐怖さえも感じない。
姫様・・・私の愛する人よ。
もう国境を越えられただろうか。
私はもう今生において姫様をお守りすることはできないが、再び来世で見えることがあったならば。
次こそ、次こそはあなた様をこの手で守り、幸せに―――
守り袋を手にすると、私は木によりかかり、そっと目を閉じた。