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前篇

≪前編≫


 彼の二股が発覚したのは夏休みに入ってからのことだった。彼は同じ大学で同じ学部の同期生。一浪しているので歳は私よりも一つ上なのだけれど。

私は福井で生まれ、両親が離婚したときに母親に引き取られて京都に移り住んだ。私が中学を卒業した時だった。3年間京都で暮らしたけれど、私には馴染めなかった。大学はどこでもよかったのだけれど、思い切って東京の大学へ行くことにした。上原(うえはら)(まこと)とはその大学で知り合った。彼も福井の出身だと言うことで気が合った。それ以来3年半、なんとなく付き合ってきた。一応、恋人同士と言える付き合いにまで発展していると私は思っていた。


 4年生の夏休みに入ってすぐの頃だった。

「マコトってさあ、浮気してるんじゃないの?」

 そう耳打ちしてくれたのは親友の真美子だった。

「まさか!マコに限って、そんなの有り得ないよ。だって、昨夜も…」

「昨夜も?」

「いや、なんでもない」

 そう、真は昨夜も私の部屋に泊まった。バイトがあるからと、ついさっき別れたばかりだった。

 それからしばらくして、偶然見かけた。真が同じ大学の1年下の女の子と一緒に居るところを。渋谷の道玄坂で。その後二人がどういう行動をとるのかは明らかだった。

 翌日、私は真を問い詰めた。真は別人だとしらばっくれた。埒が明かないので女を探し出して確かめた。女はすでに半年以上もそういう関係を続けていると白状した。腹が立つと言うより、悲しかった。しばらく東京を離れよう。私はそう思った。去年の夏、アルバイトで世話になった穂高のわさび農場に連絡を入れた。

「今年もお手伝いさせてもらっていいですか?」

「里美ちゃんなら大歓迎だよ」


 私はその日のうちに、電車に飛び乗った。新宿発の電車は既にほとんどの席が埋まっていた。立川から乗車した私は切符に表示された座席の番号を確認しながら、自分の席を探した。あった。隣には若い男性が座っていた。彼は信州のガイドブックを広げていた。

「すいません、そこいいですか?」

 私に気付くと彼は腰を引いて私を窓側の籍に通してくれた。同じくらいの歳の人かな。そう思ったけれど、彼はガイドブックを広げたまま、いつの間にか眠っていた。窓の外が明るくなったころ、電車は穂高に着いた。隣の彼はまだ寝ている。私は彼を起こさないように、気を付けて席を立とうとしたのだけれど、彼が目を覚ましてしまった。

「すいません。起こしちゃいましたね」

 私は彼に謝ってパイプ棚から荷物を下ろした。そして、一応、社交辞令でこう言った。

「お先に失礼します。またどこかでお会いできたらいいですね」

 彼はびっくりした顔をして、こう返してくれた。

「あ、あー、そうですね。い、行ってらっしゃい」

 行ってらっしゃい?って…。思わず吹き出しそうになるのを私は必死でこらえた。変な人。そんなことを思いながら、私は電車を降りた。電車が動き出した時、私は窓越しに彼が見えたので軽く手を振った。すると彼が私の方を見たようにも思えた。

 改札を出ると、農場の社長が迎えに来てくれていた。

「お久しぶりです」

「里美ちゃん、またキレイになったね」

「そんなことは無いですよ。社長さんも相変わらずお若いですね」

 それから、社長は私を農場の寮まで送ってくれた。去年も泊めて貰った木造2階建ての寮だ。今年は誰も泊まっていないと言う。

「寂しいかもしれんが、のんびりやってくれ。取り敢えず、疲れただろう。一眠りしてからお昼ごろ出ておいで」

 そう言って社長は部屋のカギと車のキーを渡してくれた。部屋に荷物を置くと、私は厨房を覗いてみた。冷蔵庫には当面の食材がたっぷり入っていた。それから、部屋に戻ってベッドに寝転がると、すぐに眠りに落ちてしまった。


 目が覚めて時計を見たら10時45分だった。お昼には少し早いが、農場へ行ってみることにした。管理事務所に顔を出すと社長の奥さんが社長は水車小屋に居ると言った。私は水車小屋のある運河の方へ足を運んだ。水車小屋は農場の観光スポットとして観光客が、必ず見に来る場所だ。社長は水車のメンテナンスをしながら周囲の清掃をしているところだった。

「おはようございます」

 私が声を掛けると、社長は肩を交互に叩きながら、私の方に近づいて来た。

「もういいのか?もう少しゆっくりしていればよかったのに」

「遊びに来たわけではありませんから。今年はどこのお手伝いをすればいいですか?」

「それじゃあ、今年もレストランでお願いするかなあ」

「はい!わかりました」

 この農場はわさびの栽培だけでなく、テーマパークのようにいろんな施設がある。その中のレストランで私は去年の夏もホールのスタッフとして働いていた。

 そろそろ昼時でレストランも込み合ってくるころだ。早速、レストランの通用口から事務所に顔を出した。

「里美ちゃん、久しぶり。話は聞いてるよ。今からでも大丈夫なの?」

「ええ、そのために来たんですもの」

 私はレストランの制服に着替えると、そのままホールに出た。

 ランチタイムが一段落すると、レストラン店長の今井さんがやって来て、今日は初日だから、もう上がっていいと言ってくれた。

「今日は木崎湖で花火大会があるから見物にでも行ってくれば?」

 花火大会のことは知っている。去年は仕事が忙しくて行けなかったのを思い出した。

「本当ですか?じゃあ、ちょっと行ってみようかな」

 私は一度、寮に戻ると、シャワーを浴びて出かける仕度をした。そして、寮を出ると、社長が貸してくれた白い乗用車に乗り込み、エンジンをかけた。


 私は信濃木崎駅近くの駐車場に車を停めると、木崎湖まで歩いた。会場には露店が何件か出ていた。夕食を取らずに出かけてきた私は露店から漂ってくる食べ物の臭いで胃袋が刺激された。最初に目についた、たこ焼きを1パック買った。辺りはまだ明るかったけれど、既にかなりの人たちが集まって来ていた。歩きながらたこ焼きを一つずつ口に運ぶ。花火はどの辺りで見るのがいいのだろうかなどと考えながら。

 一人でうろうろしていると、地元の人だと思しき男の人に声を掛けられた。

「一人?観光?案内してあげようか?」

 いかにもナンパ目的だということが見え見えの軽い口調だった。

「ごめんなさい。彼と待ち合わせなの。ほら、あそこ」

 私はそう答えて、適当な方向を指差した。うまい具合に、そこには体格のいい、強面の男が居た。ちらっとこちらの方に目を向けると私の方に向かって歩いてきた。軽薄なナンパ男は一目散に私から離れて行った。強面の男は私の横を通り過ぎ、別の女性に声を掛け談笑していた。

「強面さん、ごめんなさい。でもありがとう。助かったわ」

 私は心の中でそう呟いた。


 辺りが薄暗くなる頃には湖畔に居る人たちは湖に押し込まれてしまうのではないかというほどの人の波が出来た。そろそろ花火が上がる時間だ。私の隣に居たカップルがスマートフォンの画面を見ながらカウントダウンしている。

「…3・2・1・0」

 その瞬間、ひゅるるるーという音をたてながら上がって行った火の玉が、上空でパーンとはじけて大輪の花を咲かせた。

「わ-。きれい」

 私は思わず声を漏らしてしまった。それを合図にいよいよ花火大会が始まった。会場に来ている人の群れからは歓声が絶え間なく続いた。

 隅田川の花火や、大学のキャンパスがある立川の昭和記念公園の花火に比べると、質素な感じではあったけれど、今まで見たどの花火よりも感慨深く感じられた。それは、心に痛手を負って逃げる様にここへやって来たことも関係しているのかもしれないけれど。

 花火はあっという間に終わってしまった。そう感じたのは、現実から逃げてきた私がもっと、この幻想的な時間の中に留まっていたいと願っていたからなのかもしれない。

 花火が終わると、人々は次第に移動を始めた。けれど、その余韻に浸りながら上空を見上げたり、手を繋いで寄り添っているカップルなども少なくはなかった。私も、その余韻に浸りながら、湖畔を眺めていた。そうしていたところに誰かがぶつかって来た。

「ごめんなさい。大丈夫ですか?」

 ぶつかって来た人はすぐに謝ってくれた。暗くて顔は良く見えなかったのだけれど、若い男の人のようだった。そして、その人の声はどこかで聞いたことがあるような。そんなことを思いながら、私も彼に応えた。

「大丈夫ですよ。そちらの方こそ大丈夫ですか?」

 そう言って改めて彼の顔を覗く様に見てみた。

「あっ!」

 二人同時に声を上げた。

「また会えましたね」

 そう言って私は彼の前に右手を差し出した。

「本当にまた会えましたね」

 彼はそう言って、遠慮気味に私の手に自分の手を添えた。それから、彼は偶然の再会に少し話をしないかと私を誘った。もちろん、私はOKと答えたのだけれど、私はなぜかまたこの人とは会えるような気がしていた。電車の中で声を掛けた時には本当に社交辞令のつもりではあったのだけれど。


 私が軽く自己紹介をすると、彼も応じてくれた。彼の名前は原圭(はらけい)(すけ)というのだと。高校を卒業して建設会社に勤めて3年目だという事だった。と言う事は私より一つ年下なんだなあ…。瞬間、そう思った。けれど、彼は社会に出て働いているだけあって、どこかたくましい大人の男という感じがする人だった。真とは全然違う…。

 私は穂高のわさび農場で1週間ほどアルバイトをするのだと話をすると、彼は現場の夏季休暇で信州旅行に来ているのだと答えてくれた。今朝、私が電車を降りた後は信濃大町まで行って、それから黒部ダムまで行って戻って来たらしい。思いつきで飛び出してきて、ここへ来たのも花火大会のポスターを見て急きょ駅の観光案内所で民宿を探してもらったと話してくれた。それなら、もしかして今後の予定などは決まっていないのかもしれない。そう思った私は彼をアルバイト先の農場に誘ってみることにした。けれど、それは口実で、本当は彼の連絡先を聞いておきたかったから。彼は躊躇することもなく、携帯電話の番号とメールアドレスを教えてくれた。私も彼に番号とアドレスを教えた。

「じゃあ、明日。穂高の駅まで迎えに行くから、着いたら電話してね」

「了解です」

 そこで私たちは別れた。


 寮に戻ると、レストランの今井店長から電話が入った。明日は朝から仕込みを手伝って欲しいとのことだった。

 翌日、寮で簡単な朝食をとると、その足で農場に向かった。団体の客が入っているというので厨房で食材の下拵えを手伝った。去年、賄の料理を何度か作らせてもらったのだけれど、それがことのほか評判だったので、それ以来何度か厨房を手伝ったこともあったからだ。

 大学に入ってから、飲食店で働きながら、調理師の免許を取得していたのでそれも役に立った。

 下拵えが終わると、その日は夕方、社長と一緒にわさび田の見回りをすることになっていたので、それまでは休んでいいということになった。彼と会う約束をしていたのでそれはとてもうれしかった。それなら、彼に穂高の町を案内してあげようか。そう考えていたところに彼から電話が入った。里美はすぐに行くといい、車に向かった。


 私が駅に着くと、彼が駅舎から出てくるところだった。私は彼の前に車を付けた。

「お待たせ」

 そう言って助手席のドアを開けた。彼は

車に乗り込むなり、運転を代ろうかと申し出てくれたけれど、この辺りは私の庭みたいなものだから、私が運転すると言った。それに、私の方が一つ年上だし。

 そう、ここにはもう、何度も来ている。たいていは真と喧嘩した時なのだけど。

 真以外の男の人と二人だけで車に乗るのは初めてだった。彼とは会って間もないのだけれど、なぜかドキドキする。それをごまかそうと、私は運転しながら穂高の町のことを話し続けた。







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