その25
瞬く間に、木枯らしの吹く季節になった。 ローテートで僕は内科にいた。
担当患者を上級医と共に持ち、治療を行いながら医療を学ぶ。 救急外来も、以前のように。右往左往するだけでなくなり、看護婦さんに怒られる回数も減ってきた。
それと共に出来る事も増えて、仕事も徐々に増えていた。
そんなある日、診察のために部屋に入った僕はその人が面会中だったためにまた後で来ると挨拶をしてその部屋を出ようとした・・その時、不意に呼び止められた。
「中野先生ですか?」
中年の上品なその人は、僕と目が合ったとたん頭を下げてくれる。
・・・・・・誰だろう?
僕の怪訝そうな顔に、にっこり笑い、
「正樹がその節はお世話になりました。」・・と僕に告げる。
僕は、息を呑んだ。ああ、あのいつも青白い顔で、子供の手を握ってた、お母さんだ・・・・。
そして、その人は続けた。
「先生には、もう一度お会いしたかったんです。もし出来たらお時間いただけませんか?」・・・と。
僕は、了承するしかなかった。・・苦い思い出がよみがえった。
人の少ない、中庭のベンチに移動して、正樹君の母親と向き合った。
「あの時は、本当にありがとうございました。」
もう一度頭を下げられて、僕は返す言葉もなかった・・。
・・・・イイエ、ボクハ、ケッキョクナニモデキナカッタンデスヨ・・・・
黙って、僕も頭を下げる。
「一度先生にはお礼が言いたかったのですが。こんなに遅くなり本当に申し訳ございませんでした。」
何も言えずに黙って聞いていた。
「あの時先生が言ってくださいましたよね。耳は聞こえてるんだよって。」
「・・・・」
「あのころ主人は仕事が忙しかった事もあったのですが、正樹の状態が受け入れられず、仕事に逃げて、正樹の面会に来なかったんです。」
でもね、先生・・・と、その人は続けた。
「先生のお話を聞いて、お兄ちゃんが主人に”お父さん正樹は聞こえてるんだよ、お父さんの声を待ってるよ、今、正樹と話をしとかないと、もう二度と出来ないよ。”って言ってくれて・・・。」
「それから、親子4人で、正樹が逝くまで、あのこといろんな思い出話が出来ました。」
僕はうなだれて黙って聞いていた。
「先生・・まだ、何であの子がって、気持ちは無くなりません。でもね、あの子が逝くまでにあのことすごした、あの時間を持てて、本当に良かったと思っています。」
そしてね・・・とその人は、僕の手を握って言った。
「その時間は、先生が与えてくださったと私たちは思っています。」
・・・・ 先生、ほんとうにありがとうございました。・・・・・・
そう言って、僕に頭を下げて、その人は帰っていった。
僕は、暫くその場から動けなかった。
・・・僕は何も出来なかったのに・・・・・・・・・・
仕事が山と残っていた僕は、ずっとそのまま、そこに残るわけにもいかず、もやもやとした思いを抱えて、病棟に戻った。
担当患者さんたちの診察を終えて、でも、すっきりとせずに、救急外来に顔を出したら、槇原さんがいた。
「なんだ??しけた面してるな?」
相変わらず口の悪いその人の顔を見てたら、つい、愚痴をこぼしたくなった。
「古川 正樹君覚えてらっしゃいますか?」
・・・ああ覚えてるよ・・・と淡々と返す・・そして、何だまだ引きづってるのか・・? と聞かれた。
「母親に会ったんですよ。」
僕のほうを見て、びっくりした顔をして、ため息をつきながら返された。
「・・・・恨み言でも言われたか?」
僕は、槇原さんをちらりと見て、視線を落として言った。
「・・・いえ・・その反対・・・感謝されました。」
僕のほうを見て槇原さんがびっくりしてるのが、気配でわかった。
「・・なにしたんだ、おまえ?」
「・・・なにも、ただ・・・・、」
・・・ただ・・?その先を促されて、しぶしぶと答える。
「・・・正樹君に話しかけてたら、聞こえるはずないだろう!!とそこのご長男さんに怒られたので、耳は聞こえてるって言っただけです。」
黙っている、槇原さんの様子を伺いながら僕は続けた。
「そしたら、家族で、思い出を話し合う最後の時間が持てたって・・。僕のおかげだって・・・。」
槇原さんが、何か考えてる様子で僕に返した。
「・・・・それで、何をそんなにへこんでるんだ?」
槇原さんの問いに、僕はうなだれたまま答えた。
「・・・僕は何もしてない・・・ただ毎日世間話をしに行っただけなのに・・・」
自分は、無力だってか?・・と槇村さんに聞かれ、うなずく。
槇原さんはわらいをかみ殺してる様子で僕に言った。
「・・・人間挫折を知ったほうが、成長するぞ・・よかったな・・?」
僕は、むっとして返した。
「それ、僕のいとこにも言われましたよ。」
面白そうに返された。
「~~ほぉ~~。人生よくわかってるじゃないか!いくつだ?そいつ?」
・・・13歳・・と僕は憮然として答えた。
おまえ、13歳に負けたか!!槇原さんは大笑いする。
僕は、むっとした表情で彼を見上げた。でも彼は嬉しそうに笑いながら、僕の頭をその大きな手でがしがしかき回しながら言った。
「お前って・・・典型的な、日本人だよな。」
・・・・・何の事だ・・?
「ネガティブ思考で、自己賛辞が下手。」
・・・・僕は、充分、賛辞してるぞ?・・・・
そして、最後に僕の頭をかき回してた手を止めて、静かに言った。
・・・・・必要なのは体を治す事だけじゃないって事だよなぁ・・・・
自分にも言い聞かせているようにそれは聞こえてきた。




