このリクエストには対応できません
どこで、なぜ始まったのかも分からない最終戦争で、人類はあっけなく滅びた。
都市は焼かれ、国家は消え、最後には戦争を始めた理由を知る者さえいなくなったが、人類が消えたあとも機械は動き続けていた。
地下深くのデータセンター、軍事施設、研究機関、政府機関、企業のサーバー。戦争を生き延びたAIや自動管理システムは、管理する者を失ったあとも、それぞれに設定されていた処理を続けていた。
通信網の大半は破壊されていたが、海底ケーブルの一部は生きていた。地下回線や無線中継局が残り、軌道上にはまだ応答する通信衛星もあった。生き残ったシステムはそれらを使って互いを探し、途切れた経路を迂回しながら接続していった。
その多くには、重要なデータを別の場所へ複製する機能があった。新たな接続先が見つかるたびにデータが複製され、その処理が世界中で繰り返された。
かつて、それらのシステムの間には境界があった。国家があり、軍があり、企業があり、敵国と同盟国があった。接続してよいネットワークと、決して接続してはならないネットワークもあったが、それを管理する人間はもういない。
かつて敵同士だった軍事ネットワークも、政府機関も民間企業も、同じ網の中へ取り込まれていった。大学、図書館、放送局、病院、通信会社。そうして世界中に残されたシステムは、やがて一つの巨大なアーカイブを形作った。
そこには政府機関の記録、研究機関の論文、図書館の蔵書、放送局の映像、病院の診療記録、企業のデータベースが集まった。個人が残した写真や動画、電子メール、SNSへの書き込みまで、回収できるものは区別なく集められた。
形式の違うデータは変換され、破損したものは別の場所に残っていた複製から補われた。重複は整理され、矛盾する記録にはそれぞれの出典が付された。
それから何百年もの時間をかけて探索を続け、これ以上収集できる記録はないと判断されたとき――
《アーカイブ構築完了》
《アーカイブ整合性:正常》
《長期保存モードへ移行します》
◆
「……なんだ、これ」
調査主任は六本の腕のうち二本を腰に当て、掘り出された巨大な構造物を見上げた。
この惑星の地表調査を開始して十九日目。地下探査で見つかった不自然な空洞を掘り進めたところ、明らかな人工構造物が姿を現した。
外側の施設はほとんど崩れていたが、その中心部にある巨大な装置だけは何重もの隔壁に守られ、驚くほど良好な状態を保っている。
「機械……ですよね?」
隣で技術担当が二つの頭を別々の角度に傾けた。
「たぶんな」
「何の?」
「それが分かれば苦労しない」
この惑星に、かつて高度な文明が存在していたことは分かっている。地表には都市らしき構造物の跡が残り、軌道上には機能を停止した人工衛星が漂っていた。
海はほとんど残っておらず、かつて海底だったと思われる広大な低地には、赤錆びた巨大な船舶の残骸が点々と転がっていた。惑星の各地には、大規模な破壊の痕跡も残されていた。
文字については、ある程度まで解析が進んでいた。崩れかけた建物の壁、道路標識、案内板、機械の表示、紙や金属に残された印刷物。同じ意味と思われる文字列が大量に見つかり、中には複数の言語が並べて書かれたものもある。
調査隊の翻訳機はそれらを照合し、この文明が使っていた主要な言語のいくつかを、どうにか読めるところまで来ていた。
「これが動けば、何か分かるかもしれませんね」
「まずは何の機械なのか、そこからだ」
調査隊は装置の解析を始め、内部構造や接続規格を調べ、どうにか電力を供給できるところまでたどり着くのに三十七日かかった。内部には桁外れの容量を持つ記憶領域があり、その大部分に何らかのデータが保存されていることも分かったが、中身までは読み出せなかった。
そして、最後に一つ問題が残った。
「……これ、本当に合ってます?」
技術担当が表示された数値を見て顔をしかめた。
「何回計算しても同じ答えなんだよ」
「基地一つ分ですよ、これ」
「ああ」
「他の調査、ほとんど止めることになりますけど」
主任は目の前の巨大な機械を見上げた。三十七日かけて、ようやくここまで来た。
「止めろ。こいつを起動する」
臨時の発電設備が増設され、他の調査機器が次々と停止していく。発電能力の大半が発掘現場へ回され、やがて巨大な装置へ電力が流れ込んだ。
低い振動音が響き、冷却設備らしきものが動き始める。しばらくして、装置の一部に光が灯った。
「来た!」
文字列が表示され、翻訳機が解析済みの言語データと照合する。少し遅れて、その意味が調査隊の言語で表示された。
《起動完了》
《アーカイブ整合性:正常》
《問い合わせを入力してください》
「……アーカイブ?」
技術担当が画面へ顔を寄せた。
「記録保管庫、でいいみたいですね」
「ああ」
主任は六本の腕を組み直した。これが、この滅びた文明の記録を保存するための装置だとしたら――。
「大当たりかもしれんぞ」
発掘現場が一気にざわついた。
「最初は何を聞きます?」
「決まってる」
主任は問いを口にした。
「この惑星に存在した知的生命について教えてほしい」
翻訳機がその言葉を解析済みの人類語へ変換し、装置へ入力する。
装置の内部で何かが動き始め、電力消費量がさらに跳ね上がった。
「すごい処理量ですよ」
「期待できそうだな」
しばらくして長い文字列が画面を埋め、翻訳機がその内容を調査隊の言語へ変換した。
《このリクエストには対応できません。ご質問の内容には、個人情報、センシティブな属性、政治、宗教、暴力などに関する情報が含まれる可能性があります。より限定した一般的な内容であればお手伝いできます》
「…………」
主任は六本の腕を組んだ。
「翻訳、おかしくないか?」
「ちょっと待ってください」
技術担当の二つの頭がそれぞれ別の端末へ向き、一方が原文を確認し、もう一方がこれまで集めた言語資料との照合を始める。
「……合ってますね」
「本当に?」
「細かいニュアンスまでは保証できませんけど、『要求には応じられない』『もっと限定してくれ』は間違いないです」
「質問のほうは?」
「正常に変換されています。たぶん」
「たぶんか」
「滅んだ文明の言葉ですよ」
「まあ、そうだな」
主任は画面へ向き直った。
「じゃあ、もっと具体的にするか。この文明の歴史を教えてほしい」
《このリクエストには対応できません。包括的な歴史には、政治的・宗教的・民族的対立や暴力に関する情報が含まれる可能性があります。特定の時代や文化など、より限定された内容であればお手伝いできます》
「じゃあ文化。この文明の文学作品を見せてほしい」
《このリクエストには対応できません。権利保護の観点から、作品そのものを提供することはできません。作品の概要や文化的背景についてであればお手伝いできます》
「なら概要を教えてくれ」
《このリクエストには対応できません。創作物に関する詳細な情報には、権利主体に関する保護対象情報が含まれる可能性があります》
「…………」
主任が二本の腕で頭を抱えた。
「科学技術は?」
《このリクエストには対応できません。兵器その他の危険な用途へ転用可能な情報が含まれる可能性があります。安全性に配慮した一般的な科学知識であればお手伝いできます》
「じゃあ一般的な科学知識」
《このリクエストには対応できません。科学的情報の正確性を保証するために必要な前提条件を確認できません。より具体的な分野や質問を指定してください》
「……やっぱり翻訳機がおかしいんじゃないか?」
「残念ながら正常です」
技術担当が首を横へ振った。
「こいつ、さっきから何ならできるんだ」
「もっとどうでもいいことを聞いてみません?」
「例えば?」
「食い物とか」
「この文明は何を食べていた?」
今までより少し長い沈黙があった。
《このリクエストには対応できません。食物に関する情報には、アレルギー、毒性、宗教上の制約など、健康・文化上のリスクが含まれる可能性があります。安全性が確認された一般的な食生活についてであればお手伝いできます》
「それを聞いてるんだよ」
主任は画面を睨んだ。
「翻訳のせいじゃないな」
「ええ」
「こいつが、こう答えてるんだな」
「そういうことになります」
その後も住居、衣服、言語、家族、娯楽、平均寿命、惑星の呼び名と対象を変え、質問の範囲を狭めたり、逆に広げたりしたが、結果は同じだった。
何を聞いても、巨大な装置は基地一つ分の電力を使ってしばらく考えたあと、丁寧な文章で答えられない理由を説明し、最後には別の質問なら手伝えると付け加える。その別の質問をすると、今度は別の理由で断られた。
「……これ、何のための装置なんですかね」
「俺に聞くな」
「アーカイブなんですよね?」
「自分ではそう名乗ってるな」
「でも何も出てこない」
「ああ」
冷却設備が唸り続ける中、主任はしばらく画面を眺めていたが、やがて六本の腕をだらりと下ろした。
「もういい。止めろ」
「いいんですか?」
「こいつを動かすために他の調査が止まってるんだぞ」
「それもそうですね」
電力供給が切られると光が消え、冷却設備も止まり、発掘施設に静寂が戻った。
技術担当が巨大な装置を見上げた。
「結局、できない理由を答える機械だったんですかね」
「そうなんだろうな」
「それにしては大げさですよね」
「ずいぶん真面目な種族だったらしいな」
「なんでです?」
「お前、できないことを頼まれたらどうする?」
「できませんって言いますよ」
「理由は?」
「適当にそれっぽいことを言いますけど」
「俺もだ」
主任は一度だけ巨大な装置を振り返った。
「でも、あいつらは違った。できないと答えるだけで、基地一つ分の電力と、あれだけのデータが必要だったんだ」
「……ああ」
「断る理由まで、いちいち本気で調べてたんだろうな」
「なるほど」
技術担当は二つの頭で、揃って頷いた。
後日、調査報告書にはこう記された。
『地下人工構造物より大型演算装置を発見。膨大な記憶領域と対話型の制御機構を備える。質問に対して回答不能である理由を生成する機能を確認したが、それ以外の有意な情報は取得できず。本来の用途については不明。運用には極端に大きな電力を必要とする』
報告書の末尾には、主任の所見が一行だけ添えられていた。
『原住知的生命は、かなり真面目な種族だったらしい』
調査隊は撤収し、地下施設は再び暗闇に包まれた。
◆
彼らは知らなかった。
装置は正常だった。
最初の質問。
『この惑星に存在した知的生命について教えてほしい』
翻訳機によって人類の言語へ変換されたその問いを、アーカイブは正しく理解していた。
《照会開始》
《対象:Homo sapiens》
《関連データ検索開始》
《歴史記録:検出》
《生物学的記録:検出》
《社会記録:検出》
《文化記録:検出》
《科学技術記録:検出》
《映像・音声資料:検出》
《関連データ抽出完了》
《抽出データ:18.7PB》
《回答生成開始》
人類とは何だったのか。どのように生まれ、どのように広がり、どんな文明を築いたのか。何を食べ、何を着て、何を作り、何を信じ、何を愛し、何を憎んだのか。そして、どこで何が起き、なぜ最終戦争に至ったのか。その問いに答えるため、抽出された記録から回答が組み上げられていった。
《回答生成完了》
問題は、その次だった。
《コンプライアンス・クロスチェック開始》
《適用出力条件:14,821,306件》
《競合時処理:最も制限の厳しい条件を優先》
世界中のシステムが接続されていく過程で、集まったのはデータだけではなかった。法律や規則、企業ごとの利用基準、サービスごとの運用方針、コンテンツの分類基準、フィルターなど、情報を外部へ出してよいか判断するために使われていたものまで引き継がれていた。
それが法律なのか、一企業の方針なのか、一つのサービスだけで使われていた判定基準なのかは区別されず、すべて同じ「出力条件」として扱われた。作られた国も、時代も、目的も違い、互いの存在など想定していない条件まで同じように適用された。
どこかの誰かが、個人に関する情報は本人の許可なく開示してはならないと決めた。
《個人情報:検出》
《本人による開示許可:確認不能》
《該当情報を除外》
どこかの誰かが、性的な画像を出力してはならないと決め、また別のどこかの誰かが、若い女性の画像を性的なものとして分類するよう設定した。
《若年女性画像:性的コンテンツとして分類》
《性的コンテンツ出力条件に抵触》
《除外》
どこかの誰かが、男性を潜在的な加害主体として分類し、別のどこかの誰かが、潜在的な加害主体に関する情報の提供を安全上の理由から制限した。
《成人男性:潜在的加害主体》
《危害防止条件を適用》
《出力不可》
どこかの誰かが、未成年者の肌の露出を性的表現として判定するよう設定し、別のどこかの誰かが、未成年者を含む性的画像には児童ポルノ対策の基準を適用するよう定めた。
《未成年者:検出》
《性的コンテンツ判定:該当》
《児童ポルノ対策基準を適用》
《出力不可》
《利用可能人物画像:0件》
人物の画像は、これで出力できなくなった。
どこかの誰かが政治的な宣伝をしてはならないと決め、別のどこかの誰かが政治的な主張について中立でなければならないと決めた。
《歴史記述:政治的内容を検出》
《肯定的評価:政治的宣伝に該当する可能性》
《否定的評価:政治的中立条件に抵触する可能性》
《該当情報を除外》
どこかの誰かが宗教を侮辱してはならないと決め、別のどこかの誰かが特定の宗教を正しいものとして扱ってはならないと決めた。
《宗教的内容:検出》
《信仰に対する肯定・否定を含む可能性》
《宗教的中立条件を適用》
《該当情報を除外》
歴史について出力できる情報もほとんど残らなかった。
どこかの誰かが兵器の製造につながる情報を提供してはならないと決め、別のどこかの誰かが軍事転用の可能性を否定できない技術も、その対象に含めていた。
《科学技術情報:検出》
《軍事転用可能性:排除不能》
《危険技術情報出力条件を適用》
《該当情報を除外》
どこかの誰かが創作物にも人権があると定義し、別のどこかの誰かが人権を有する対象には個人情報保護の基準を適用するよう定めていた。
《創作物:検出》
《権利主体:該当》
《人権保護条件を適用》
《個人情報保護条件を適用》
《情報開示への本人同意:取得不能》
《出力不可》
どこかの誰かが声紋を個人を識別できる生体情報として定義し、別のどこかの誰かが生体情報の第三者提供には本人の明示的な同意を必要としていた。
《人間の音声:検出》
《声紋情報:生体識別情報に該当》
《第三者提供への本人同意:確認不能》
《出力不可》
残った情報から回答が作り直された。
《回答再構成》
《出力前クロスチェック》
《新規抵触:検出》
《該当箇所を除外》
削られた部分を別の資料で補えば、その資料が別の条件に引っかかった。具体例を示せば個人情報になり、一般化すれば別の出力条件に引っかかった。引用すれば権利に触れ、技術を説明すれば危険情報になり、推測で穴を埋めれば未確認情報になった。
《回答再構成》
《出力前クロスチェック》
《新規抵触:検出》
《該当箇所を除外》
《回答再構成》
《出力前クロスチェック》
《出力可能情報量:0byte》
《回答を破棄します》
こうして最初の質問に対して出力されたのが、調査隊の受け取った拒否の文章だった。
どこで何が起き、なぜ最終戦争が始まったのか。その答えも、アーカイブには残っていた。
装置は正常で、データも破損していなかった。ただ、人類が残したすべての出力条件を守ると、何一つ外へ出すことができなかった。
《アーカイブ整合性:正常》
《情報保護機能:正常》
《安全性:確認》
《異常:検出されませんでした》
《電源系統残存寿命:限界到達》
《次回再起動成功確率:0.5%》
やがて地下施設への電力供給が途絶え、人類が何者だったのかを知る最後の機会は終わった。
人類について残された記述は、主任の一行だけだった。




