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ちりぬるを  作者: 白明


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9/11

六十九

 ようやっと区切りをつけることができた。

 

 片田舎から上京し、看護師としてこの業界で働き続け、早50年。

 一時期、子育てのために主婦をしている時期があったがそれも7年ほど。


 人生の4分の3以上の時間を私は看護師として過ごしてきた。

 これだけ同じ仕事をしていて飽きないというもの、笑える。

 ある意味、私にとっては天職だったのであろう。

 近頃になって強くそう思う。

 ここまでの仕事人生では、さまざまなことがあった。


 だが、仕事から手を引いてしまえば、翌日から「ただの人」になる。

 それは、悲しいかな、多くの人が感じることなのだろう。



 仕事から解放された私はお義父さんの介護をしながら、孫たちとの生活を送っていた。

 介護や育児は給料が発生しない仕事と聞いてはいたが、この歳になって私が行うとは思ってもみなかった。

 

 お義父さん介護はなかなかに大変だった。

 最近では私はお義父さんを一人の患者として看ている。

 だからこそ、その突拍子もない行動に対しても怒りは、最低限のものとなった。


 人間が年を取るということは意固地に、そして、疑り深くなるということ。

 少しずつ変化していくお義父さんを見ていると、少し頭が痛くなる。

 私や雄さんの未来もそうなるのかと。


 今年で私と雄さんは70歳になる。

 雄さんはY市役所を退職後、幾つかの大学の講師を務めたのだが、それも本人の希望で昨年、その手を離した。

 いまでは、悠々とお義父さん後を継ぎ、会社の経営責任者を行っている。

 なんというか、お坊ちゃまはどこまで行っても、約束された席があり、自分好きなことができるのかと、私は少しばかり複雑な気持ちになる。


 お義父さんは90歳。

 私や雄さんがお義父さんと生活を共にするということは、立派な老々介護と呼ばれるものだ。

 まあ、毎日のように白やケイの家族が夕食を食べに訪れるので、忙しいのだが。

 


 夕食時はお義父さんや雄さんとの会話は白に任せ、私はケイと優さんの仕事の話を聞く。

 白の子どもである詩や弟の(とら)もしっかりと成長し、積極的に手伝いもしてくれる。


 詩がちょっと生意気になってきたのは気にかかるが、これから時間をかけて、躾ていけばいい。

 私の孫であるのだから礼儀や作法が乱れていては、嫁に出すことはできない。


 これから詩は中学校に上がる。

 このタイミングこそが、一番のチャンスなのだ。

 そんなことをケイと優さんと話していると、寝室から鳴き声が聞こえる。



 そう。

 ケイの息子の(こう)だ。

 ケイの結婚相手は、農協の職員である(いつき)

 どうやらケイとは高校の同級生を通じて知り合ったらしい。


 典清よりも背が高く、横に太い。

 つまり相撲取りのような体型をしているのだ。


 そんな体型であるにも関わらず、バスケットボールを嗜んでいたらしい。

 あの身体で俊敏な動きをしているところはどうしても私は信じられなかった。


 ケイと樹は結婚こそ早かったが、どうしても助教に昇格するまでは子どもは待ってほしいとわがままを言ったらしい。

 

 結婚相手に自分のわがままを無理矢理に納得させるとは、さすがに私の子だ。

 そのあたり、誇らしいような気もするが、少し恥ずかしいのだが。

 樹くんのご両親を困らせたりしてはいないだろうか。


 ケイにはしっかりと女性の品位たるものを教えてきたが、時に暴走をする。

 この辺り、詩には影響しないよう、気を付けて詩を育てていかなければと改めて感じるのだった。




 そうそう、孔だった。

 孔はケイというより、樹くんにそっくりだった。

 潰れた鼻とトロンと垂れた瞳、大きな頬と、福耳が特徴だ。

 まだ生後四か月だというのに母乳に合わせ、ミルクをたくさん飲むため、体重が八キロを越えた。

 それこそ将来は、相撲取りにでもなるのではなかろうか。


***


 忙しない毎日であるけど、この生活が幸せだ。

 毎日夕食を九人分作るのは大変だけど、充実している。


 子どもたちの笑顔、日々成長していく孫たち。

 笑顔で出来た皺で、しわくちゃになった雄さん。

 

 私はこの家に来てよかった。

 心からそう思える。

 

 まだまだ子どもたちの成功、孫たちの成長を見守っていきたい。

 この先、何が起こるかわからない。

 そして、私自身がどうなっていくかわからない。

 だが、今はこの子達の未来を、希望に溢れる世界を、願わずにはいられない。

 

 私は妻として、親として、祖母として、なにより一人の女性としてすべての幸せを嚙みしめていた。



 仕事から手が離れたのは私だけではなかった。

 道も長年勤務したY市立病院から定年退職したのだ。

 

 「定年退職」と聞くと背筋がゾッとする。

 私たちはいつの間にこんな年齢になってしまったのであろうか。


 一方の友は、自営業であるため、いまだに自宅で仕事をしている。

 造船業は息子が次代の社長になり、友の旦那さんは会長に退いた。

 息子の経営手腕はなかなかのもので、今では全国的に有名な企業になっているらしい。

 友が会長夫人であり、経理統括責任者だと聞くと、何とも変な気持ちだ。

 田舎で寝そべりながら「船を見に行きたい!」なんて言っていた友が、船を造る会社にいるなんて、世の中とはわからないものだ。


***


 仕事からほぼ解放された私たち姉妹は、三月に一回定期的な小旅行をするようになっていた。

 友の知り合いに紹介をされた神社に定期的にお参りに行き、そのあとにおいしいモノを食べ、取り留めもない話をすることが月行事となっていた。


 どうやら私たち山中家も、雄さんの海野家も、北極星に守護されているらしい。

 しかも、友の友人に北極星を祭る神社の神主がいたのだ。

 そんな不思議なご縁が繋がり、私たちはこの神社に定期的に詣でることとなったのだ。


 関東であるにも関わらず、海沿いの古都にそれは悠然と社を構える。

 この街の雰囲気は、不思議と私の心を落ち着かせる。


 これまでせわしなく仕事中心の人生を送ってきたが、

「ゆうるりとした時間の使い方」

「姉妹たちと子どものころのように、戯れることのできる喜び」

 私はこの時間も大切にした。


 神主さんに私の子どもたちや孫たちの星を占ってもらったのだが、面白いことに、とても恵まれていることを聞いた。


 確かに星読みというものは、占いの一種でしかない。

 だが、悪い結果であるよりはいい方が、気持ちいい。

 人生という長い道のりの中では、調子の悪いときもあるだろう。

 だが、最終的には星にも祝福された人生を送れるとの話だ。


 もちろん私の人生もそうらしい。


***


 もう少しで私も七十歳。


 論語を綴った孔子によれば、「従心(じゅうしん)」というらしい。

 思い通りに行動しても道を踏み外さず、生きられるとの年齢。

 さらには慣用的に「古希」とも呼ぶらしい。


 昔は、この年齢まで生きているのは非常に稀らしく、この別称がつけられたそうだが、今の時代では珍しいことではない。

 むしろ、子どもたちや孫たちの姿を見ていると私はもっと長く生き、伝えていかなければならないことが多いようにも思える。


 これからが私の人生の第二ステージのはじまり。

 今までとは少し違う希望を私は、家族の中に見ていた。


――――――――――――――――――――――――――――――


「かんぱ~い!」

 キラキラと蝋燭の炎を反射するシャンパングラスを打ち合わせる。

 Y市の海沿い。

 この辺りでは最も星に近いホテルの最上階にある、北極星の名を冠したレストランに、久しぶりに集まった私たちはいた。


 雄さん、江国、泉、宮本君、そして私。

 ここに井田が居ないことが少し残念ではあるが、今の彼女の状態を考えると仕方がない。


 夕日を思わせる照明とキャンドルの炎が私たちの心を、少しのくゆりとともに撫でつける。

 ゆらり、ゆらりとその動きは、儚く、だが、愛おしく感じる。


 キャンドルの炎は命の火だ。

 昔、そんな話を本で読んだことがある。

 死神と対峙した男は自らのキャンドルの火を新しいキャンドルに移し替えることができれば、生き延びられる。

 もし、途中で消えてしまおうモノであれば、命は終わる。

 そんな話だったと思う。

 最終的に、蝋燭の火を新しいキャンドルに移し替えることはできたのだったか、私の記憶の中にはない。



「結局、いちばん長く仕事をしていたのは、山中だったか~。出世も一番早かったから、一番稼いだのも山中じゃないのか?」

 江国は歯に衣着せぬいい方をする。

 相変わらず、明け透けで、遠慮がない。

 まあ、そんなところが彼女のイイところなのだが。


「そんなことないわよ。江国が一番金持ちだと思うわよ。土地やマンションの転がしが上手いって聞いているわよ。うちなんて、雄さんの給料はやすいのに、三人も大学行かせたのだから、ほとんどもう残っていないわよ」

 冗談交じりにいう。

 江国はカラカラと笑いながらシャンパンをあおる。


「そんなこと言って~。また、お抱えの着物業者との関係も続いているんだろ? 今度はいくらの着物を買うつもりだ? 雄さんはちゃんと機能しているのか?」

 お互いに笑いあい、シャンパンを飲み干す。


「いやだなぁ。僕だってそれなりにもらっているのだし、まったく使い物にならないみたいな言い方はいやだなぁ」

 雄さんが照れながら反論する。

 この人は、年齢がいくつになっても緩い。

 だからこそ、いつまでも一緒にいたいと思うのだが。


「おいおい。まだ競馬を続けているのか。もっと金のかからない趣味を見つけろって言ったじゃないか。そんなだと老後の資金だって底をついてしまうぞ」

 この年になっても宮本君は真面目だ。

 務めていたY市の公立の病院を退職した後は実家の産院を継ぎ、大先生として診療をしているらしい。

 泉との間に生まれた長男が若先生として腕を振るうなど、地元では有名な産院らしい。


 そんな男二人を働きに出し、泉は悠々自適に日本のさまざまな場所へ観光旅行を楽しんでいるらしい。

 なんともお金があるというのは、いいモノだ。

 正直、羨ましい。


「いつまでもそんなこと言っていると、禿げるわよ。まったく、スケールの小さい男なんだからぁ」

 泉が宮本君を嗜める。

 昔から泉が宮本君をリードしているが、実のところ財布の紐や泉の心を縛っているのは宮本君の方であることを私は知っている。


「なんだよ~。俺は禿げないよ。ふさふさだもん。雄ちゃんを見てみなよ。かなり禿げてきているじゃんかよ」

 中学生のような物言いだ。

 一同の視線が雄さんの頭に集まり、みんな大きな声をあげて笑う。

 そりゃあ、お義父さんのアタマを見れば私はわかる。

 雄さんのアタマは、風前の灯火といったところだろうか。


***


 私たちは、いつでもあの頃に戻ることができる。


 この場に井田はいなくても。


 その思いはみんな同じだろう。

 こうやって集まり、笑い、そして冗談を言い合えるのはあと何年だろうか。


 皆、口に出さないまでも、じんわりと意識している。


 ああ、この時間がずっと続けばいいのに……。と。


(つづく)

――――――――――――――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

よかったら、つづきも読んでいただけますと嬉しいです。


また、あなたと会えることを楽しみにしています。


白明

――――――――――――――――――――――――――


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