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ちりぬるを  作者: 白明


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ちりぬるを

 移植のための入院も、3度目になった。


 体重はすでに30キロ落ち、体が軽くなっていた。


 2度目の移植入院の時点で、私が元看護師だということが病棟中にいつの間に広がっており、若い看護師たちが空いた時間で質問や相談にくるようになった。


 仕事の話をするのも、久しぶりだ。

 看護師としての矜持や精神論、部下への接し方などを話すと、私が患者であることを忘れて、皆が質問や相談を止めどなく浴びせられる。

 そんな状況に、私は顔を綻ばせずにはいられない。

 皆、学び、成長したいのだ。

 そして、私は人を教育・指導することが好きなのだ。



 移植と投薬の影響は当初よりもツラくなることが多くなった。

 酷いときには、五日間ずっと寝ていないと、アタマが痛く、吐き気がし、寝ていないと、どうしようもない状態であることもあった。


 それに加え、落ち込まされる時間がある。

 定期の血液検査の結果が告げられるときだ。

 最近の検査結果は芳しくなく、移植した細胞が定着していないことが毎回告げられた。

 

 その度に私は絶望し、次の移植入院を続けなければならないという現実が重くのしかかったのだ。



 3度目の幹細胞移植もあと数日に迫っていたのだが、前回の移植で身体は100キロの鉄球のように重く、意識も朦朧としていた。

 さすがにウォーキングや身体を起こして、テレビやインターネットを楽しむ気にはなれず、横になっていることが多かった。

 そして、なによりもPCの会議用アプリで雄さんや家族、麗ちゃんの顔を見れないことが私にとって最もツラかった。



 ある日、なぜか皆が病室に来てくれた。

 雄さんはもちろん、子どもたち、道と友、江国に、泉までもが病室に来てくれたのだ。

 私は先日から続く、血小板移植の影響であたまが朦朧としていた。


 でも、一人ひとりの顔が、はっきりとわかる。

 いつもであればモニター越しであったのに、なぜか今日は病室の中にみんながいる。

 

 そして、みんなが笑っている。


 笑いながら私の手を握り「大丈夫。大丈夫だよ。早くよくなって、一緒にご飯を食べよう」と声をかけてくる。

 知らずのうちに涙が流れる。


 目の端に雄さんの姿が映る。

 もうちょっと、近くに来てちょうだい。

 そんなところにいないで、その顔をよく見せて。

 その手のぬくもりを感じさせて。

 私は小さな声で言う。



 ケイに促され、雄さんは、私の手を柔らかく握る。

 雄さんの目は俯き、その手にちからが無い。


 なんで、あなたはそんな顔をしているの?

 久しぶりに顔を見せてくれたんだから、みんなと同じく笑顔を見せてよ。

 私は雄さんの天真爛漫な笑顔が何よりも好きなのよ?

 雄さんはそれでも、ちから無く、私の手を柔らかく握っていた。



 少し、眠くなってきた。

 私は雄さんの節張っているけど、暖かい手を握りながら、まどろんだ。


―――――――――――――――――――――――――――


 母さんの夢をみた。

 

 九州のド田舎にあった実家の居間。

 10畳の畳の上に少し大きめ卓袱台に向かい、母さんは針仕事をしている。

 いつも仕事に出ているので、私たちの洋服などの継ぎ接ぎや雑巾縫いなどを母さんは、夜中にやっていた。

 そんな母さんの姿を私は、隣の寝間から見つめている。


「あら、久ちゃん。どないしよっと。そんなとこにば、立ちなさって。ねむれんか? ばってん、こっちさ来て、母さんの太腿で横んなりなしゃい」

 私は母さんに吸い寄せられるように近づき、その太腿にあたまを乗せる。

 ああ。母さんの、いや、昔からずっとそこにあった実家の匂いだ。

 

 畳のにおい、仏壇からの線香のにおい、台所のお米が炊けたにおい、兄さんと父さんの本の匂い。

 すべてが懐かしくて温かい。

 そして、安心する。


 痩せているため、少し筋張った母さんの太腿は、あたまを置く位置によっては少し痛いけど、私を安心させくれる。

 母さんの手が、私の髪を撫でる。

 安心と、柔らかな温かみが私を包みこむ。


「久ちゃんもよく頑張ったねぇ。このまま少しお眠りよ。明日の朝ごはんの卵焼き、久ちゃんは二つにしてあげようかねぇ」

 母さんはそういうと、また優しく私の髪を撫でる。


「気持ちよかぁ。母さん、気持ちよかぁ」

 私はそういうと、自然に涙が溢れてくるのだった。

 

***


 遠くに声が聞こえる。

 母さんのものとは違う、優しく頼りになる声。

 

 ああ。

 雄さんの声だ。

 白の声も聞こえる。

 ケイ、ケイも、そこにいるのね。

 まったく、典清はなんで涙声なのよ。

 もう少し、しっかりとしなさい。



 ああ、とても心地いい。

 まるで真綿で満たされた、揺りかごの中にいるよう。


 甘い香りがする。

 ああ、これは赤ちゃんのニオイだ。

 これまで、私はたくさんの赤ちゃんを抱きあげてきた。

 あの子たちはみんな大きく育っていっただろうか。



――――――――――――――――――――――――


 薄く目を開けると、光が溢れていた。

 私は鮮明になってきた心で、何となく感じる。


 ああ。

 私の人生は終わってしまったのかと。



 こんなにも、さまざまなことがあった人生なのに、結局、私に残ったものは愛だけなのだ。

 そして、その愛すら私の意識がなくなってしまったら、失われてしまう。


 悩み、苦しみ、涙し、喜び、笑い、怒り、様々な感情を持っていたような気はするが、最後に残ったのは生きてきたことへの愛と感謝。

 そして、無。



 私という人間はただ生き、そして死んで、無になってゆく。

 私の意志や希望とは関係なく、ただ、無になるのだ。


 私という人間ができたことといえば、愛する人と同じ時間を過ごし、ほんの少し、その心に残ることだけ。


 ただ、私は生きただけだ。


 ふと、幼いころ学んだコトバが浮かんでくる。




 色は匂へど 散りぬるを

 (花は咲き誇っても 散ってしまうのに)


 我が世誰ぞ 常ならむ

 (誰が永遠に この世で生きられようか)


 有為の奥山 今日越えて

 (苦悩や悲しみなど色々とある現世の深い山を 越えていく)


 浅き夢見し 酔ひもせず

 (儚い夢を見たり 酔いに耽ることもしない)




 嗚呼、人生とは。

 儚く、切ない。



(了)

――――――――――――――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

よかったら、つづきも読んでいただけますと嬉しいです。


また、あなたと会えることを楽しみにしています。


白明

――――――――――――――――――――――――――


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