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ちりぬるを  作者: 白明


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10/11

七十五

「ちょっと~! また意地悪して、いい加減にしないとおこるわよ!」

 今日もケイの怒声がリビングに響く。


 その声に構わず孔は(あお)のおもちゃを取り上げ走り回る。

 青はケイの二人目の子だ。

 私の腕の中には、生後間もない(れい)が寝息を立てている。

 ケイの三人目の子どもだ。


 最近、さすがに幼い三人の子どもの面倒を一人で見るのはむずかしいらしく、ケイは二日に一回は実家に帰ってきて、私に子供たちの面倒を一緒に見てもらおうとする。

 

 白とその子どもたちもそうだったが、実家をセカンドハウスのように毎日、又は隔日で来ては、食事までして帰るとはちゃかりしている。

 こんなところは雄さんに似たのだなぁなんて思うと、頬が緩む。

 私は腕の中に麗ちゃんがいることに、安心と喜びは加速する。


 青はなんと白、そして、白の息子の虎の幼い頃にそっくりだった。

 

 それを見ていると三度目の子育てをしているようでなんとも言えない気持ちになる。

 さらにこの麗ちゃんだ。

 麗ちゃんはもちろんケイに似ているのだが、それよりも私に似ているのだ。


 孫たちが増え、面倒を見るのは大変だけれども、幸せが広がっていくように感じる。

 いま、私は人生の中でもっとも心が安らぎで満ち、豊かであるように感じる。



 これまではずっと、何かに追われるように生きてきた。

 一つの問題が解消すると、次の問題が噴出する。

 家庭でも、仕事でも同じだった。


 ただただ、それらに対処し続け、気づけば、今。

 いつの間にか、私はこんなにも年を重ねていた。


 それが本音だ。

 なんだかここまであっという間だったと感じるのだが、まだひとつ大きな心配がある。

 末っ子の典清のことだ。

 典清は思った以上にのんびりとものを考える性格がよくも悪くも影響し、三十五歳を過ぎたというのに未婚なのだ。

 早いところ婚活をしろと言っているのだが、気のない返事をし、部屋にこもってしまう。


 ここまで甘やかしすぎてしまったからなのだろうか?

 これがいま私の一番の悩みだ。


***


 夜風が夏から秋のにおいに変ったころ、私は急な腹痛に夢を遮られた。

 トイレに入るものの、排便などによる痛みではないらしく、ずっと痛みが収まらない。


 脂汗が額に浮き、ポタリと膝に落ちる。

 熱いのか、寒いのかわからない。

 すでに便器の上に10分は座っているであろうか?


 眩暈もしてきたような気がする。

 アタマが痛い、寒い、熱い……。

 体が自分のものではないように感じる。

 どうしてしまったのだ。

 私の身体は……。


 やっとの思いで便器から立ち上がり、寝室に戻る。

 震える体を左手で抱きながら、隣のベッドで寝る雄さんを揺り起こす。


「雄さん……、ごめん……。なんか体が、変なの……。熱いし、寒い……」

 雄さんは飛び起きると、私の額にその額を合わせる。


「久……、すごい熱じゃないか! 急いで病院に行こう!」

 雄さんは私を引きずるようにして寝室を出ると、急いで車を走らせ病院へと向かった。


***


「どうもこうも、なんでこの状況になるまで放っていたのですか!?」

 病室に怒声が飛ぶ。

 白と同じ年齢くらいだろうか? 

 白衣に身を包む、華奢で神経質そうな若い医者は私の検査結果を見ていった。


「こんな状況なのですから、近日のうちに入院してもらいます。次回はご主人だけでなくお子さんたちも同席してもらいたい」

 もうすこし言い方があるだろう。

 状況は私だってわかっている。

 こう見えて一応、プロなのだから。

 いや元プロだったの方が正しいのだが。

 まったく最近の若い医者には、もう少し言い方や作法というものを教え込まなければいけないのだと心に思う。


 あの日、救急で病院に入った私は季節性の流行病による高熱だと診断された。

 当日は解熱剤と抗生物質を渡され、帰路に就いた。

 しかし、服薬し、三日たっても熱が下がることはなかった。


 一向に体調が戻らないことに疑問に思った私は、最寄りの総合病院に雄さんと一緒に再受診した。

 熱のせいであたまがボウっとしていたため、採血からレントゲン、問診など一通りの検査を行うのはかなりしんどかった。


 その日は同じく解熱剤と抗生物質が渡され、家に帰らされた。

 三日後、熱はある程度収まったのだが、どうにも身体の節々が痛む。

 特に脇の下、鼠径部周辺がなにかをぶら下げているような違和感があるのだ。


 そのまた数日後、検査の結果を雄さんと一緒に聞きに行く。

 不調は和らいだものの、身体のあちこちに違和感がまだ残っている。

 なんとなく、イヤな予感はしていた。

 こんなにも長い間、不調が続いたことは今までなかったからだ。



 そして、冒頭の診察室での若い医者に暴言に戻る。

 彼から渡された血液検査の結果を見て、私は愕然とした。


 血小板量、赤血球量が異常に少ない。

 この量は正常ではありえない。

 検査ミスではないだろうか。

 そんな考えがあたまをよぎる。

 いや。

 ここまでの大病院であれば、理化学や外注検査先もしっかりしているだろう。


 これはもしかして……。

 アタマの中に黒い靄がかかる。

 絶対に認めたくない……。

 仕事からようやく解放され、幸せな毎日を送っているというのに……。

 こんなことは、絶対に認められない……。

 混乱しながら思考する私を、若い医師の強い言葉が現実に引き戻す。


「いいですか! 次回はお子さんたちも一緒にいらしてください! 入院の用意も忘れないでください!」

 捲し立てるように話す彼に少しのいらだちを覚えるも、今はそれ以上に考えなければならない。


 あたまの中は混乱しているにも関わらず、どこか一歩引いた冷静な私が居る。

 職業柄というべきか、達観しているというべきか……。

 この後のすべきことをあたまの中でリストアップしはじめる自分に、私はほんのちょっとの嫌気を覚えていた。


――――――――――――――――――――――――――――――


「なんだよ! それってどういうことなんだよ! じゃあ、家のことやケイちゃんたちのことだってどうなるんだよ!」

 まったく。

 そういったところが幼いのよ。

 いちいち怒りながらいうことじゃない。

 私は心の中で目の前で狼狽している典清を見てそう呟いた。


「ちょっとだまれ、典清。母さん、ということは来週から入院して、治療をはじめていくっていうことでいいんだね」

 こういうところが白のすごいところだ。

 どんなに大変な状況でも冷静に現状を把握し、対応を練る。

 さすがは私の息子だ。

 昔は少しのことで大騒ぎをしていたのに、いつの間にこんなに頼りがいがある男になったのだろう。


「そう。

 多分、お兄ちゃんはわかっていると思うけど、血液を作る細胞を移植することになると思う。それだって、うまくいくかどうかなんてわからないの。そして、私の命がどうなるかも。ちょっとは覚悟した方がいいかもしれないわ」

 まるで他人事のように言う。

 こんなときまでも看護師である自分が恨めしい。


「状況はわかったけど、『はい。そうですか』って、聞けるものじゃないでしょ!? 治ることだってあるんでしょ!?」

 いつもは冷静なケイが、麗ちゃんを抱きかかえたまま前のめりで問うてくる。

 そりゃあ、母親の一大事だ。

 普通であったら、白のように冷静ではいられないだろう。


「かなり……、難しいかもしれない……。だけどゼロではないわ。何もしなければ、余命は半年だそうよ」

 その言葉にみんなの顔が白くなっていくのがわかる。

 私は愛する子どもたちに、なんてことを言っているのだろうか?

 こんなにもひどい母親は、いないのではないかとすら思う。


「わかった。最善の手を尽くすようにお願いしよう。家のことはケイと俺がするから。母さんはゆっくり治療に専念することが重要だよ。それと、最近の病院はネットが使えるはずだから、典清はモバイルを用意してテレビ会議アプリを入れておいてくれ。俺たち平日は仕事だから、父さんは母さんの着替えの交換や母さんがほしいものを病院に届けてくれるかな?」

 白がキビキビと各々に指示を出していく。

 家のことはとりあえず、白に任せておけば大丈夫だろう。


「そういうことだから、ごめん。みんなにも迷惑をかけるけど、少し協力してね」

 私はめいいっぱいの元気を振り絞り、そんな言葉をなげる。

 と、同時にケイが麗ちゃんを抱いたまま私の胸に飛び込んでくる。

 私はケイを麗ちゃんごと強く抱きしめる。


「うまくいかないなんて、そんなのダメなんだからね! 麗だって生まれたばかりだし、子どもたちの成人したお祝いをしてくれるって言ってたじゃない! 絶対に治して早く帰ってきてよ!」

 ケイは泣きながら、すがるように声を張っていた。

 この子が人前で泣くことなんて35年ぶり以上ではないだろうか。


 私の伝えたことは、家族にツラい思いをさせることなのだと改めて認識する。

 典清は俯き、じっと涙をこらえている。

 末っ子のあなたを私は一番気にしているのよ。

 もう少し、しっかりとしなさい。

 そう言いかけて、気持ちをグッと飲み込む。


「まあ、なんだ……、母さんのことよろしくな……」

 もう、雄さんはすでに自分がなにを言っているかわからないようだ。

 病院を出るときからずっと雄さんは呆けていた。

 車の運転中も危うく事故を起こしそうになるなど、心ここにあらずといった状態だった。

 私は雄さんのそんな姿を見るのはいやだ。

 私のせいで雄さんを傷つけてしまうことが嫌で、嫌で仕方がなかった。


―――――――――――――――――――――


 みんなが帰り、寝室で横になるが眠ることはできなかった。

 何度寝返りを打っても、羊の数を数えようとしても、今日の検査の結果が思い起こされる。

 隣のベッドの雄さんはこちらに背中を向けて寝ている。

「クック……」と、ときどき身体が揺れているところを見ると、どうやら声を殺して泣いているらしい。

 そんな雄さんに手を伸ばそうとするも、途中で止める。

 今日では、今では、ない。

 私は雄さんに背を向けると再度、眠ろうと瞼を閉じ、深呼吸をした。


―――――――――――――――――――――


 どうやら少しは眠れたらしい。

 だがまだ辺りは暗い。

 スマホの時計に目をやると、午前三時。

 雄さんが起きるのはあと数時間後。

 暗い中、私は瞼を閉じ、一度手放してしまった眠気を再度手繰り寄せる。

 

 眠気は一向に戻ってこず、胸のあたりの塊のようなものが喉元をせりあがってくる感覚がある。


 吐きそう?

 違う。

 そんなものではない。

 その黒い塊が喉に届くと私は嗚咽を漏らしていた。


 急激に感情があふれ出してくる。

 止められない。

 いやだ。

 私だけど、私ではないものがあたまを、こころを締め上げ、叫び出さないではいられない。


 なんで私なの?

 なんでこうなってしまったの?

 私が何か悪いことをしたの?

 まったく納得ができない。

 私は多くの人の命に触れ、救い、尽くしてきた。

 そんな私が何故、こんな仕打ちを受けなければならないの?

 こんなにも人に、命に、医療に、人生を捧げてきたのに!

 私の人生は一体、なんだったの!?

 

 もう……。

 どうすればいいのよ……?

 これからうちの家はどうなってしまうの……?

 あの人とは……、もう、雄さんと一緒にいれないということなの!?




 考えても無駄だということはわかっている。

 だけれど、留めない思考が次々と沸いては消えていく。

 そして大きくなるばかりの不安。

 私は、家族は、いったいどうなってしまうのだろう……?



――――――――――――――――――――――――


 身体が、瞼が鉛のように重く、あたまもどんよりとしているにも関わらず体の芯や聴覚が覚醒しているという、ちぐはぐな状態が気に入らない。

 これが一日続くのだ。

 酷いときには三日もこの状態が続く。

 移植後のこの状態には、どうしたって慣れることはできない。


 私は入院し、治療のために最先端の治療を受けることとなった。

 胎盤由来造血幹細胞の移植と成長ホルモン、血小板の注入を行った日はこの状態になる。

 うまいこと造血幹細胞自体が私の身体に定着してくれれば、病状が一気に回復していく。

 さらに定着した造血幹細胞が血小板を以前のように合成しはじめると一気に寛解に向かう。と、いうのが理論である。

 だが、その可能性は、それなりに低い。

 つまり、この奇跡的な二つの条件を満たした場合、私の身体は回復に向かうということだ。


 それこそ、神のみぞ知る確率に私は挑戦している。

 最後の最後まで、挑戦をしつづけなければならないとは、なんとも酷な人生だろうと笑えてくる。


***


 ここでの治療は、この移植による数日のツラさと食事を除けば気楽なものだ。

 フロア内を散歩してもいいし、テレビを見たり、PCを使ったりしてもいい。

 完全無菌のこのフロアから出なければ、基本は何をしていてもいいのだ。


 だが、食事がびっくりするくらいにまずい。

 こんなにも味のない食事が存在するのかと思うほどに、味がない。

 味噌汁も大豆の味をほんのり感じるほどの味付け。

 煮魚もどうすればこうなるのだと思うほどの薄味に私は困惑した。


 看護部長だったころは病院食の味見も仕事のうちであったが、ここまでまずいものではなかったように思う。

 食事は人間にとっての幸せの一つである。

 自らの歯で咀嚼し、味わい、嚥下する。

 それが胃に入り、緩やかに体温が上がるのは生きることの喜びでもある。

 生きることは、食事をすることだともいえる。

 だから、入院する患者さんはこんな食事をしなければと思うと、本当に不憫に感じる。


 っていうか、過去に病院食の味の判断をし、いま直面しているのは、私か。

 なんとも因果なものだと自嘲する。 


 そんなまずい夕食を終えるとPCのテレビ会議用ソフトを起動する。

 一日の中でこれが一番の楽しみだ。



ピピピピ……。


 接続ができたようだ。

 モバイルPCの画面には家のダイニングが映し出されている。

 どうやら今日は、白の家族も全員来ているようだ。


 いい時代になったものだとつくづく感じる。

 距離がこんなにも離れていても、感染を防ぐために隔離されていようとも、こうやってPC越しに元気な家族の顔をみることができる。

 孔と青が画面いっぱいに映し出される。


「ほら! 孔! 青! 画面から少し離れなさい!」

 ケイの声が後ろから聞こえる。

 白のところの詩と虎が、孔と青を画面から引きはがしていく。

 ああ。

 雄さんの元気そうだけど、少し寂しそうな顔がよく見える。

 あ、またお酒飲みすぎているんじゃない?

 缶酎ハイが何本並んでいるのよ?


 もう。

 私がいないと、調子に乗るんだから。


 典清が言葉を継ぐ。

「今日の調子はどうかな? フラフラするとかはないかな?」

 少し寂しそうな典清がめいっぱいの明るい声をかけてくれる。

 顔が若干ひきつっているのが、寂しさと痛々しさを強調する。


「えぇ。今日は少し元気よ。みんなも元気そうね。安心したわ。じゃあ、麗ちゃんの顔を見せてくれるかしら」

 私は麗ちゃんの顔を見ることが、今一番の楽しみだ。

 麗ちゃんを抱いたケイが画面に大きく映し出される。

 相変わらずほっぺのふくらみが愛らしい。


「麗ちゃ~ん。今日も可愛いね~。バアバだよ~!」

 私は甘え声を投げかける。

 麗ちゃんは私のことがわかるようで、画面に向かい手を伸ばすしぐさをする。


 ああ、可愛い。


 私はこの家族のために一生懸命、この病と闘っていく。

 どんなに長い戦いになったとしても、絶対に家に帰り、一緒に夕食を囲むのだ。


(つづく)

――――――――――――――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

よかったら、つづきも読んでいただけますと嬉しいです。


また、あなたと会えることを楽しみにしています。


白明

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