第二話 緊急発進
放課後の格納庫は、いつもより静かだった。
昨日の模擬戦の余韻が残っているはずなのに、誰もそれを話題にしない。
工具の音だけが、乾いて響いている。
あたいは自分の機体の横で、タイヤの空気圧を確認していた。
昨日と同じ。
変わらないはずの作業。
そのときだった。
スピーカーが、短く鳴った。
『緊急発進、繰り返す緊急発進』
一瞬、時間が止まった。
その声は模擬戦のときの軽さが、まったくなかった。
「……レイ」
イチカの声が低い。
「行くよ」
理由は聞かなかった。
聞かなくても、分かった。
⸻
プロペラを手で何回か回した後にエンジン始動する。
プロペラが自動で回り始めていつもの振動が伝わってくる。
慣れた音と慣れた感触だ。
追加の無線が入る。
『未確認機、北東空域に二。識別応答なしで速度は非常に高速』
『非常に』という言葉が引っかかった。
「高速って……どれくらい?」
ツバメが言うが司令からの返事はなかった。
ゆっくりと滑走を行う。
曲がって誘導路から滑走路へ移る。
普段はここで止まるがそんな暇はない。
無線で司令に伝える。
「こちら二番機、離陸する。」
そうしてスロットルを押し込み、戦時出力に入れて加速をする。
エンジンが悲鳴を上げながら加速をしてゆく。
機体の揺れが激しい。
操縦桿をゆっくりと引き機首を上げる。
ゆっくりと上昇してゆく。
離陸から四分後、高度四千メートルほどに到達した。
空の景色は昨日とほとんど同じだ。
雲の位置も、風の流れも変わらない。
なのに違和感がする。
さらに高度が上がっていくとキーンという甲高い音がした。
高く一直線で切れ目のない音。
プロペラの回転音じゃない。
上がっていく感じもない。
「……なに、あれ?」
ツバメの声が、掠れていた。
「速すぎる!ハナは今日いないの?」
イチカが混乱してハナを呼ぼうとする。
でも応答はない。
視界の端を、影が横切る。
「速い......!速すぎる」
比べる間もなく、置いていかれる。
次の瞬間、空気が叩かれた。
機体が、小さく跳ねる。
「っ……!」
反射的に姿勢を整える。
見えた。
翼が短い。
機首に、回っているものがない。
後ろに、一直線の排気。
——なんだあれは!?
一瞬、そう思った。
でも、既視感があった。
(橘花みたいね......)
橘花という機体なら知っている。
学園に一機だけある、唯一のジェット機体。
ハナが操縦する機体だ。
飛ぶたびに整備員が張り付き、
慎重に、慎重に扱われる。
無理をして飛んでいる感じ。
主力とは言い切れない存在。
でも——
目の前のそれは、違った。
音が安定している。
姿勢が崩れない。
速度が、落ちない。
(これ、無理をせずに飛んでるのか......?)
背中が、ひやりと冷えた。
焦り始めている中無線が入る。
『こちら五十嵐高校』
若くて、乱暴な声。
『間違えてちょっと入り込んだだけでーす』
機体が、わざと距離を詰めてくる。
衝撃。
また、空気が揺れる。
「やめろ!」
ツバメが叫ぶ。
『まだそんな機体で飛んでんのか?博物館行きだろ、それ』
五十嵐高校。
それは横暴で、力を誇示することで有名な学校だ。
ジェット機が、急上昇する。
加速が、違う。
追う、という発想が浮かばない。
あたいの機体が、
止まっているみたいに感じた。
⸻
「追わないで!」
イチカの声が、はっきりと入る。
「撃たないで!一回集合!」
正しい判断だ。
でも、胸の奥がざわついた。
性能の差。
完成度の差。
橘花は、特別な例外だと思っていた。
ジェットは、まだ主流じゃないと。
その前提が、音もなく崩れていく。
五十嵐高校の機体は、
一度だけ旋回し、こちらを見下ろすように飛んだ。
『じゃあな、若葉高校』
嘲笑う声で煽ってきた。
そうして奴らは帰っていった。
⸻
滑走路に着陸する。
格納庫に入りエンジンを停止する。
格納庫に戻っても、誰も喋らなかった。
顧問が、短く言う。
「……相手は五十嵐高校だったのか」
それだけで、十分だった。
あたいは、格納庫の奥から空を見上げる。
同じ空。
同じ高度。
でも、昨日までの続きじゃない。
(ジェット機って特別じゃなかったんだ......)
そう気づいた瞬間、
背筋が、すっと冷えた。
勝てなくてもいい。
でも、生き残れない判断だけはしない。
あたいは、昨日と同じ答えを、
もう一度、胸の奥で確かめていた。




