第4話 子供達との出会い
指輪の精霊と契約も済んだことだし、紫苑は気を取り直して城下町へと向かうことにした。
今いる場所は巨大な城の四階。階段は急で一段の高さも高く、上り下りは結構面倒な造りだ。
紫苑は昨日、城へ入ってからこの部屋へ通されて思ったのだが、東側と西側では建造された年代に隔たりがあるようなのだ。
東の出入り口側は比較的新しい造りに見える。だから新設のテーマパークなのかと錯覚したのだが、移動して西側の方へ来ると古さがはっきり見て取れる。
西側はゴシック様式に似た建築で窓は小さめ、大きい石積みのレンガは少々風化が感じられる。東側は技術が進歩して様式も変化したネオゴシックという感じだ。
もともとあった西側の城館から東へ何回か増築した感じなのだろう。防衛機能を備えた城館から宮殿といった風情に変わったと見える。
紫苑達が一階へ降りて西側の出入り口まで辿り着くと、ヴァルターが扉を開けてくれた。王と謁見したホールも東側にあるので、西側の出入り口から出るのは初めてだった。
「ありがとうございます」
ヴァルターに礼を言った紫苑は外へと足を踏み出した。
東側の庭園はそれは見事なものだったが、西側は庭園というより中庭のような感じだ。植木や花壇もあるのだが、とてもシンプルだ。それでもどこかの公園のようでとても気持ちのいい空間だ。
「聖女様、城の外へ出たら、わたくし達からは決して離れないでくださいね」
「わかりました。迷子になっても困りますしね」
「それもありますが、治安の悪い場所もありますので。街には治安隊もいますが、言葉が通じないと困りますでしょ?」
「そうですね、それは気を付けないと」
海外に行けば治安の悪い場所は必ずあるものだ。土地勘が無い以上リラとヴァルターから離れる気はないが、紫苑はとにかく色々なものを何でも見てみるつもりだった。
城から城下町までは用意された馬車を利用させてもらった。昨日城まで乗って来た馬車と同じだったが、御者はヴァルターが担当した。
門を出てから丘を下る道を進み、平地になった頃には町の端に辿り着いたので、時間にして十五分程だった。紫苑は腕時計をしているので時間を見ていた。
街並みはヨーロッパの古い建物が整然と並んでいるといった感じだった。三階建ての建物がほとんどで、漆喰の壁には太い木枠で囲まれた小さめの窓が並び、家々の途中に井戸が設置されているのが目に入る。道は石畳で舗装されたところもあるが、多くは土がむき出しでアスファルトなどは見当たらない。
視界に入る人々はもれなく中世ヨーロッパのデザインを思わせる衣服を身に付けている。女性は化粧っ気が無く、男性はひげを生やしている人も多い。
腕時計やスマホやメガネなど、現代人なら当然身に付けているだろう物を持っている人はまったく見当たらない。
通りを馬車でゆっくり進みながら、紫苑は周りをくまなく観察してみた。ざっと目にしただけで数百人の人が道を行きかっていたが、紫苑の世界では見慣れた物を見つけることは出来なかった。
これが紫苑を騙すために仕組まれたセットだと考えた場合、あまりにも規模が大きすぎて現実的では無い気がする。
複雑な表情で外を凝視し続けている紫苑を、向いに座っているリラは無表情で眺めている。
街中をしばらく行くと広場に到着したので、ヴァルターはそこで馬車を止めた。御者台から降りて馬車のドアを開けるとヴァルターは手を差し出し、紫苑はその手を取って馬車から降りた。
ヴァルターは宿屋とおぼしき建物の中から人を呼び、何かを話していると硬貨を何枚か渡した。どうやら馬車を預かるよう頼んだらしい。
「聖女様、ここが街の中心地です。向こうに市場もあります。行ってみますか?」
「はい、お願いします」
ヴァルターが先導し、リラが一歩後から付いてくる形で紫苑は街中を歩いた。
聞こえて来る言葉は城の人間が話していた言葉と同じに聞こえる。英語でもフランス語でもドイツ語でもイタリア語でもロシア語でも無い、未知の響きを感じる。
紫苑はもちろん、全世界の言語を聞いたことがあるわけではないので、聞いたことのない言語だったら分かりようがないのだが、少なくともヨーロッパの言葉のようには聞こえなかった。
市場は活況だった。呼び込みの声や交渉しているらしい声、主婦らしき女性達の歓談の声などが入り混じり、とても賑やかな様子は途上国のエネルギッシュな風景と同じだ。
市場で売っているものは様々で、食料品から日用品、衣類に装飾品、何かを作るための材料、道具、中には家畜用か食用の生き物もいた。
雑多な賑わいの中で、紫苑は自分の知っている現代的な物を一生懸命探したが、市場の隅から隅まで見て回っても、何ひとつ見つけることは出来なかった。
「はあ……」
紫苑は大きく溜息を吐いた。
どうしても認めたくなかったのだが、認めなくてはいけないのかも知れない。
ここは異世界、紫苑の生まれ育った世界ではない。
「聖女様、お疲れなのではありませんか?向うに茶館がありますから、一休みしましょう」
リラが気遣ってそう言ってくれた。
素直にその誘いに従って茶館を訪れた紫苑は、貴賓席らしき二階の個室に通された。
出されたお茶と軽食を前にしても浮かない顔の紫苑だったが、窓の外を眺めながらお茶を飲んで、揺れ動く気持ちを落ち着かせようとする。
「聖女様、どうでしたか?」
ヴァルターが納得してくれましたか?と言いたげな顔で聞いてきた。
「……ヴァルターさんの言いたいことは分かります。そうですね、確かにここは、わたしの生まれ育った世界ではないのかも知れません」
「かも知れません?」
「まだ、ちょっと、諦めきれない部分があるんです。城とこの街しか見てないんですから、可能性を全部否定する気にはなれません」
「そうですか」
ヴァルターは紫苑のその気持ちを聞いても、眉ひとつ動かすことなく表情は変わらなかった。
リラもそうだが、この二人は昨日会った時からほとんど表情が動かない。まるでAI搭載のロボットを相手にしゃべっているようだ。
「ここからもっと遠くの町も見に行ってみたいのですけど」
「申し訳ありませんが、それは無理です」
「どうしてですか?」
「移動距離が長ければ危険が伴います。聖女様に万が一の事があっては国の一大事です。もしご希望でしたら、来たるべき時の儀式が終われば許可が出るかも知れません」
行動は制限されないと言ってはいたが、結局のところ儀式までは本当の意味での自由は無いのだ。しかも、終われば用済みだから好きにしても良いということなのだろうか?と、紫苑は裏の事情が透けて見えるようなヴァルターの物言いに引っかかりを感じた。
「籠の鳥というわけですか」
紫苑は静かにそう言うと、お茶と軽食が終わるまで無言で過ごした。
ヴァルターとリラはテーブル席ではなく、入り口付近の席に並んで腰を掛けていて、こちらもまた無言で紫苑のお茶が終わるのを待っていた。使用人としては一切無駄なことはせず、職務に忠実で優秀なのかも知れないが、人間的には何も面白みが無い、と紫苑は思っていた。
お茶が終わると茶館を後にした紫苑は、城へ帰るにはまだ時間があると思って、もう少し街のあちこちを見て回ることにした。
市場や中心地を離れれば人の通りはまばらだが、子供達の遊ぶ姿が見えたり、笑い声が響いていたりと、どこの通りもとても平和な雰囲気だった。
川が流れていたので、川沿いの小道を散歩するように歩いていた紫苑はひとつの建物に目が行った。
「あれは、教会か何かですか?」
紫苑が指さしたのは民家とは見た目が違う、ステンドグラスの窓のある建物だった。
「はい、シュテッツァント教会と、その後ろに併設されている孤児院ですね」
「宗教はどういった宗教ですか?」
「ダハルク神を頂点に、四十七の神を信仰するダハルク聖教です」
一神教ではないようだが、日本みたいに八百万も神様がいるわけでもないらしい。
「行ってみてもいいですか?」
「はい、構いません」
来た道を少し引き返した所にある橋を渡って、紫苑は対岸の教会を目指した。
こじんまりとした外観は古さを感じるが、厳かなたたずまいと澄んだ空気をまとった趣で、教会だけに霊的な加護を受けているような印象もある。周りもよく掃除されていて、大勢の人に大事にされているのが伺える。
「入ってもいいんでしょうか?」
「いつでも誰にでも門戸は開かれているので構いませんよ」
「それじゃ、遠慮なく」
紫苑が扉へ手を伸ばすより先に、またヴァルターが扉を開いた。護衛として先回りするのは当然なのだろうが、過保護にされているようで紫苑は少々むずがゆい。
一歩中へ入ると圧倒されるような内装が広がった。リブヴォールドが網のように張り巡らされた高い天井とステンドグラスに彩られた窓、柱すべてに神の姿を模したものなのか人の彫刻が据えられていて、窓の下の壁には繊細な模様を織り込んだ帯様の布が渡されている。
床には背もたれの無い長椅子らしきものがたくさん並べられていて、その上に座布団のようなものも並べられている。中央に通路があり、その先にあるのは祭壇だろう。祭壇の背にはクジャクが羽を広げたような形の金属の枠に、たくさんのロウソクが立てられている。今は昼間なので火はついていないが、夜には灯をともすのかも知れない。
そして中では大勢の子供達が掃除をしている最中だった。竹ぼうきのようなもので床を履いている子もいれば、雑巾で椅子や窓を拭いている子もいる。
身なりは質素で、ところどころつぎはぎだったりするが、一生懸命掃除する様子は感心せずにはいられない。
『ねー、誰か来たよ』
一人の子が何か言うと、みんな一斉に紫苑達に注目した。
年長の男の子が近寄ってくると軽く礼をして、
『すみません、司祭様は今留守にしてるんですけど、どういった御用ですか?』
ヴァルターが通訳すると紫苑は、
「あの、用というほどの事はなくて、中はどんな感じなのか見てみたかったんです。掃除の邪魔をしてごめんなさい」
紫苑は申し訳なさそうに謝った。
『大丈夫ですよ、どこかの異国の方ですよね?見学なら自由にしてください』
そう言って年長の少年は掃除へと戻っていった。
なんて礼儀正しくて親切なんだろう、と紫苑はまたもや感心し、お言葉に甘えて中を見学させてもらうことにした。
写真や映像でなら海外の教会や大聖堂を見たことがあるが、間近で同様のものを目にするのは初めての紫苑は、興味深そうに細部まで見て回っている。
好奇心の強い小さい子供が数人近付いてきて、はにかんで笑いながら紫苑の周りをうろうろするのだが、紫苑はその子供達の相手を楽しそうにしていた。
しばらくすると司祭が帰って来たのか、現れた年配の男性を見ると子供達は駆け寄って集まって行った。
『司祭様、お客様だよ』
『ああ、本当だね。留守にしていて申し訳ありません、この教会の司祭をしておりますエッシャーと申します』
『司祭様、こちらは昨日招かれた聖女様です』
ヴァルターが紫苑を司祭へ紹介した。聖女であるということは大っぴらに言っても構わないことのようだ。
『なんと、それでは召喚の儀が成功したのですね。そろそろではないかと噂には聞いておりましたが。聖女様、遠い異界より我が国の救済のためにお越しくださりありがとうございます。お目に掛かれて大変光栄でございます。こんな古い教会で良ければ自由にご見学ください』
「自由に見学して良いそうです」
「はい、ありがとうございます」
司祭が帰って来たこともあり、ありがたいことに掃除の終わった子供達が紫苑の手を引っ張って、いろいろなものを紹介してくれた。聖女というものを理解しているのかは分からないが、身分の高いお客様が来ることは滅多にないのか、みんな興味津々なのだと司祭が言っていた。
言葉が分からないのでヴァルターが通訳しようとしたが、はっきり言ってさすがにそれは邪魔だった。
でかい図体のヴァルターが小さな子供達の周りに張り付いて、子供のたわいもない言葉をいちいち通訳するなど不要だろう。
だから紫苑は首を横に振って手で制止するようにヴァルターをその場に留め、子供達と一緒にあちこち見学することにした。
無言でついて来るなと紫苑から拒否されたヴァルターは、まあ危険なことは無いだろうとその場で待つことにした。替わりにリラが少し離れたところから見守る形で紫苑の後を付いて行った。
『これはね、これはね、アニカが作ったの』
礼拝堂を出てから子供達の居住スペースへと連れてこられた紫苑は、あれやこれやと見せてくる子供達の見て見て攻撃に合っていた。
「これ、あなたが作ったの?すごい、上手ね」
子供の言っていることは単純なので、なんとなく通じている感じで、紫苑は小さく拍手をしては褒めてを繰り返している。
無邪気な子供達は相手が聖女様だと知ってか知らずか、じゃれついてまとわりつき、涎を拭いた手でも平気で紫苑のドレスを触って来る始末。その度にリラが注意をしていたが、楽しくてテンションの上がっている子供の耳には届かない。
「聖女様、ここにいてはドレスが汚れますし、そろそろお暇しませんか?」
リラが気が気ではない感じでそう言ってきたが、紫苑はドレスが汚れることなど構いもせずにそれを拒否した。
「どうして?まだ見てないところがあるもの。わたし達について来る必要はないから、リラさんは礼拝堂で待っていていいんですよ」
紫苑は笑顔でそう言うと、子供達と今度は庭へと出て行った。腕組みをしながら溜息をついたリラは、忍耐強く紫苑達の後を追って行くことにした。
紫苑は礼拝堂を出た後、子供達の居住スペースを見ながらずっと思うところがあった。
礼拝堂の歴史は古いようだが、教会だけあっておそらく信者からの寄付による保守が行われている。だから綺麗に保たれていると思われる。
しかし、孤児院となっている建物はあちこち痛んでいて補修もままならないのか、隙間風が入って来る場所さえあった。
子供達の身なりも、なんとか服を着られている程度の衣類ばかりだし、この様子では食事を満足に取れているのかも怪しいものだ。
王城も立派だし、街中も栄えているので、経済的には発展しているように思えるが、福祉までは手が回っていないのか、あるいは手を回す気がないのか。
ただ、庭は手入れが行き届いていて素晴らしかった。子供達がきちんと世話をしているのだろう。花壇には色鮮やかな花がたくさん咲いていて、小さな畑もあって野菜が育っている。
花を摘んだ子供がそれを紫苑にプレゼントしてくれた。心根の優しい子供達ばかりだ。貧しくても司祭の育て方が良いのだろう。司祭は子供達からとても慕われているように見えたし。
「ありがとう、すごくキレイね」
言葉は通じなくても紫苑は笑顔で礼を言い、子供達も嬉しそうだった。
この世界?へ連れて来られてから、紫苑はずっともやもやした気持ちが晴れなかったが、子供達の笑顔は紫苑の心にひと時の安らぎを与えてくれた。無邪気な子供の純粋さは何よりも癒しだと、紫苑は助けられた思いだった。