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第3話 精霊召喚

 カタカタと乾いた音や、パタンっと戸の開く音が交互に響き渡り、その度に部屋の中にはやわらかい光が降りそそぎ、爽やかな朝の目覚めを誘った。


 せわしなく立ち働くリラは換気と採光のために窓とカーテンをすべて開け終わると、湯あみ部屋に行って洗面の用意を始めた。こちらには簡単な焚き火台があるのだが、風呂の場合は大量の湯が必要なため一階の煮炊き場から湯を持ってくるので、焚き火台は朝ぐらいしか使わない。


 リラは焚き火台に赤くなった炭を並べると、鉄製の網をかぶせた上に水の入った鍋を置く。湯が沸けば、あとは使う時に水と混ぜながら丁度良い温度に調整する。

 清潔なガーゼタオルと香油を洗面台の横へ置き、湯の沸き加減を見ながらリラは今度はテーブルにお茶のセットを並べ始めた。朝食はもう少し後だが、貴族の間では寝ざめにお茶とナッツやドライフルーツなどの軽食を摂る習慣があるので、同じようにこちらにも用意をした。


 なかなか寝付けなかった紫苑は寝不足でぼーっとした頭のまま、リラの仕事の音で目を覚ました。

 メルヘンチックな天蓋は無いが、キングサイズの大きなベッドはマットの硬さもちょうど良く、寝心地は悪くなかった。


 むくりと起きた紫苑は、まだ半分しか開いていない目でリラの働く姿を眺める。

 リラの年は十五、六歳といったところか、高校生くらいの少女だが、テキパキとした仕草はもっと大人びて見える。小さい頃から家の手伝いなどをしていたのかも知れない。


「おはようございます、聖女様」


 起き上がった紫苑に気付いてリラが挨拶をした。相変わらず笑顔もなく淡々としている。


「おはようございます」


 紫苑も寝ぼけた口調で挨拶をすると、ベッドから出て茶器と軽食が用意してあるテーブルのソファへと移動した。


 朝晩はまだ冷える季節のようで、寝ざめに温かいお茶は有難い。

 リラが早速お茶を淹れてくれると、辺りに良い香りが漂った。昨日のお茶とはまた違う種類のようで、ジャスミンティーに似ている。


「はあ、美味しい」


 紫苑は素直な感想を言葉にした。


「聖女様、朝食はもう少し後になりますが、よろしいですか?」

「はい、そちらにお任せします」

「かしこまりました」


 本当にリラは流暢に日本語を話す。しっかりと敬語が使えるのは相当修練したに違いない。

 いや、ちょっと待って?そんなに日本語に精通しているのはいったい何故なのだろう?今更ながら、紫苑はそのことに気付いてリラの顔をまじまじと見つめた。


「……あの、何か?」


 リラは紫苑の視線に気づき、何かおかしなところがあるのかと、自分の服装を確認した。


「リラさんは、どうしてそんなに日本語がお上手なんですか?ここはわたしの世界とは違う世界なんですよね?」


 寝起きで少々目つきが悪かったかも知れないが、紫苑は引き続き遠慮なくリラを注視していた。


「わたくしの家系は、代々聖女様の国の言葉を伝承する一族なのです」

「伝承?ということは、ずいぶん前にも日本からこの世界に来た人がいるってことですか?」

「はい、聖女様の招聘はもう三百年ほど続いているそうです」

「三百年!?」


 想像外の長い歴史に紫苑は驚いた。


「聖女様には大変重要なお役目を担って頂きますので、こちらで生活する上で快適にお過ごし頂けるよう言葉を伝承し、お世話をさせて頂くことになっています」


 救国の聖女ともなると、ずいぶんと好待遇なわけだ。

 用意された広い部屋、専属の世話係に護衛、たくさんの衣装に豪華な食事、それから身分の証明という指輪も授けられた。


「それで、聖女とは具体的に何をするんですか?」


 お茶と一緒に置かれていたドライフルーツを一口つまんで、紫苑は一番肝心な事を尋ねた。


「それは、申し訳ありませんが、わたくしのような身分の低い者は具体的には存じ上げないのです」

「え?では、誰か指導してくれる方がいるということですか?」

「いえ、そうは伺っておりません。ただ、『その時』が来れば、聖女様には重要な儀式を行って頂くということなので、それまでは心穏やかに、健やかにお過ごしいただくよう、お世話するのがわたくしの役目だと命じられております」


 そこまで話すと、リラは一礼してから自分の仕事の続きに戻った。


 リラは身分が低いと言っていたので平民ということなのかも知れない。平民が聖女に関して具体的な事を知らないのなら、知っているのは貴族階級に限られるということだろうか?


 国の危機とは、国民の危機なのか?国土の危機なのか?それとも国の政の危機なのか?


 限定的な層の中で共有されている情報では、知ることは簡単ではないかも知れない。


 お茶で体が温まった紫苑は顔を洗うと、やっと頭もスッキリした。着替えをしようと衣装部屋へ行き、ズラリと並んだ普段着やドレスの中から比較的落ち着いた色合いで動きやすそうな一着を選んだ。


 服のデザインはルネサンス期のものに近い気がする。建築もゴシックというよりはネオゴシック寄りかも知れないし、この世界は元の世界で言うところの中世末期から近世初期の時代に似ているようだ。


 紫苑はさすがにトートバッグを四六時中持ち歩くわけにもいかないかと思い、リラが言っていた棚へ仕舞った。


 その後、朝食が終わってお茶を飲んでいると、ヴァルターが挨拶をしに部屋へやって来た。


「聖女様、おはようございます。体調はいかがですか?」

「おはようございます。少し寝不足ですけど、問題ありません」

「そうですか。では、わたくしは控えの間にいますので、何かあれば呼んでください」


 紫苑はこれまでが目まぐるしかったせいで、まともにヴァルターの顔を見る余裕が無かったことに気が付いた。

 年齢は二十歳そこそこと思われ、礼儀正しい好青年といった感じだ。濃い茶色の髪と同じ色の瞳、背は180センチ以上あり、護衛というだけあってがっしりとした体格をしている。


「待ってください」


 一礼をしてから退出しようとしたヴァルターを紫苑は引き止めた。


「はい、何でしょう?」

「あの、実はわたし、まだここが異世界だと認めたわけじゃないんです。それを確かめるためにも城の外へ行きたいんですが、可能ですか?」

「はい、わたくしとリラがお供をする条件で、聖女様の行動は制限されませんので」

「良かった!じゃあ、さっそく行きましょう」


 紫苑は満面の笑みでにこっと笑うと、ヴァルターとリラは少々戸惑った顔をした。


 昨日ヴァルターに言われた『聖女様、とにかく、いずれご理解頂けると思いますよ。この城、ひいてはこの国から、どこへも帰る場所など無いということが』という言葉に、紫苑はまだ納得していなかった。というか、納得したくなかった。


 毎日のように祖母を見舞う生活をしていた紫苑にとって、こんな非日常的な場所が日常になるなど、とうてい受け入れられない。自分を自分たらしめていた日々の暮らしを、簡単に諦められる人間がいるわけながい。

 

 使用人は主人より後に食事をするので、朝食がまだの二人のために紫苑は一時間後に出発することにした。

 食事の後、城の中ではメイド服のリラと警護服のヴァルターが、外出用の服に着替えるのを待ちながら紫苑は窓から外の景色を眺めていた。

 まずは城壁の外に放射状に広がっている城下町に行ってみようと思う。さすがにもうテーマパークだとは思っていないので、海外のどこかの国だという根拠となるものを見つけたいのだ。


「お待たせしました、聖女様」


 メイド服ではないものの、やはり地味な紺色の外出着のリラは、お世話用のグッズでも入っているのか藤のような植物で編まれたカゴを持っている。

 ヴァルターは警護服の上に、日本の警察官が着る防刃ベストといったところの革製のベストを着て、腰には帯剣していた。警護が必要なほど街は治安が悪いのだろうか?と紫苑は少々不安な気持ちを抱いたが、


「じゃあ、行きましょう」


 と、張り切る紫苑の顔は明るかった。


「聖女様、お待ちください」

「まだ何か?」

「昨日、陛下より賜りました指輪をおつけください」

「ああ、あの指輪?」


 身分の証明だとか言ってくれた銅の指輪のことか、と紫苑はライティングデスクの引き出しに入れたあの小箱を取り出した。


「これですか?」

「そんなところに入れてたんですか?衣裳部屋に金庫がありますから、貴重品そちらに仕舞ってください」


 リラが焦った顔をしてそう言ったが、そんなに大事な物なのか?と紫苑は指輪を見てもピンとこなかった。銅の指輪というから銅製だ。少しくすんでいるし、見事な装飾!というような造りでもない、いたってシンプルな指輪だ。


「これをつければいいんですか?これが身分の証明?」

「はい、わたくし達もつけております」


 リラとヴァルターが自分の手を出して見せてくれると、二人とも左手の中指に銅の指輪をしていた。


「同じ銅の指輪ですね。じゃあ、わたし達は同じ身分とうことですね?」

「いいえ、違います」

「え、違うんですか?」


 同じ身分なら堅苦しい話し方をしなくてもいいと思ったのに、紫苑はがっかりした。


「銅の指輪は下級貴族や平民出身者が持つものです。聖女様はそのどれにも当てはまらないのですが、身分としてはそれらと同等の立場であると示すものです」

「じゃあ、やっぱり同じなんじゃ」

「いえ、これはあくまでも、対外的に一目で平民とは身分が違うということを知らしめるためのご配慮で、実際の聖女様のお立場は特別ですから、それを表す指輪が無いので銅の指輪なのです」

「はあ……?」


 リラの説明を聞いても紫苑にはよく分からなかった。


「とにかく、身分としてはそうなのですが、指輪にはもうひとつ大事な役割があります」

「役割って?」

「精霊との契約です」

「……精霊!?」


 ファンタジーな単語が出てきて、一瞬理解が遅れた紫苑はおかしな顔をした。


「精霊って、つまりあのスピリチュアルな生き物というか、霊魂?みたいなもの?」


 紫苑は訝し気な顔で指輪をまじまじと見つめる。


「この指輪は精霊の指輪と言いまして、指輪の所有者は精霊と契約することができ、その精霊の力を利用することが出来るのです」


 その言葉に紫苑は半信半疑でリラを見た。


「聖女様、まずはお好きな方の中指に指輪をはめてください」

「あ、はい」


 疑う気持ちはあるものの、好奇心もあって紫苑は素直に左手の中指に指輪をはめてみた。


「次に精霊招歌を唱えます。この国の言葉でないといけませんので、音を真似てわたしの後に復唱してください」


 そう言うと、リラは澄んだ声で詩の朗読のように言葉を並べた。


『天には光、地には希望、水には慈しみ、森には恵み、すべての命、古よりつむがれ、よき友と歩む。引き波と寄せ波の交わる時、我に寄り添い、その力を示したまえ』


 内容は分からないが、リラがゆっくりと分かりやすく唱えてくれたので、たぶん意味は通じる程度に発音できただろうと、紫苑もリラに続いて最後まで言葉を述べた。


 すると、紫苑の指輪から不思議な光の粒が次々に吹き出し、一瞬大きく強烈な光が弾けるように散ると、その後は元の指輪と変わらない状態に戻った。


「すごい、何ですかこれは?」

「今、聖女様の精霊が降臨したのです」

「え、どこに?」


 紫苑はキョロキョロと周りを見回したが、何か生き物のようなものを目にすることは無かった。


「あ、そこです」


 リラが指さした先は、紫苑の肩だった。

 反射的に自分の肩を見た紫苑は、そこに淡い光を帯びた丸々としたハムスターのような生き物を発見した。


「ええ!?」


 ちょっと想像していたものとは違ったせいもあるが、その姿を見て紫苑はかなりビックリした。


「これ、精霊ですか?ハムスターじゃなくて?」

「はむすたー?が何かは知りませんが、それは聖女様の精霊で間違いありませんね」

 

 リラに断言され、紫苑は恐る恐るハムスターもどきを触ろうと指を伸ばした。

 触れるとぷにっとした感覚が伝わって来る。ちゃんと触れる。精霊とは実態の無いものだと思っていたのだが、触れるのは正解なのだろうか?


「あの、触れますけど、これ」

「もちろんです。触れるのは契約者だけですが」

「契約ってどんな契約ですか?」

「使役契約です。精霊が降臨すると同時に契約が締結されます。指輪の所有者は降臨した精霊の能力を使うことが出来ます」

「どんな能力ですか?」


 正直、ちょっとワクワクしてきた紫苑は目を輝かせて聞いた。


「それは精霊によって違います。指輪の所有者と波長の合う精霊が降臨するのですが、銅の指輪ですと雑役精霊しか来ません」

「雑役?」


 精霊といえば火だとか水だとか、自然のものを自在に操るイメージだったのだが、雑役とはいったい何なのか?


 紫苑は肩にとまっているハムもどきを指でちょんちょんつつくと、ハムもどきは宙に浮いて辺りを漂いはじめた。よく見ると背中に羽が生えている。ハムもどきは小さな鳥の羽のようなものをパタパタとさせて、空気にたゆたうように飛んでいるのだ。


「かわいい……」


 紫苑はキラリと目を光らせた。小動物は好きだ。かわいいものを嫌う理由は無い。紫苑はハムもどき精霊のほんわかした姿に癒しを感じた。


「じゃあ、この子はいったいどんな能力を持ってるんでしょう?」

「それは、力を使ってみせてとお願いすれば、分かると思います」

「なるほど」


 紫苑はハムもどきを両手ですくうように囲うと、


「ねえ、君の能力を見せて」


 と、お願いした。


「聖女様『あなたの能力を見せなさい』と」

「あ、そっか『あなたの、のうりょく、みせなさい』」


 リラの発音を真似して紫苑がそう言うと、ハムもどきは鼻をひくひくしながら、一度両手を上に上げる仕草をした。

 しかし、ハムもどきはそれをした後はまたぷかぷか漂いはじめただけで、何かが起きたたようには見えなかった。


「この子、何か能力発揮しました?」

「さあ、分かりませんでした」

「何もしてくれなかったのかな?」

「いえ、たぶんしたと思います。使役する時は具体的に指示しないといけないので、能力が分からない今の段階ではどこで何が起きたか分からないだけだと思います」

「ふーん」


 どんな能力か楽しみにしていただけに拍子抜けだが、紫苑はまた後のお楽しみにすることにした。


「契約の済んだ精霊を必要な時に呼び出す場合は、指輪に力を集中しながら『我の呼び出しに応じよ』と言えばいつでも現れます」

「そうなんですか?いつでも呼び出せるなんて、なんて便利」


 こっちには便利でも、呼び出される精霊にしたら使役者の気分次第で振り回される、ブラック企業の社畜みたいだけど、と紫苑は思った。


「リラさんとヴァルターさんの精霊はどこにいるんですか?姿が見えないですけど」

「普段は見えないところにいます。使役する時に光の玉のようになって現れます。精霊はハッキリと姿を見せることはあまりありません」

「そうなんですか。じゃあ、どんな能力なんですか?」

「わたくしの精霊は重い物を持てる能力です」

「重い物、を持てる?」

「はい、重い物を運んだりするのには便利ですよ。まさしく雑役です」


 重い物を持てる力とは、またずいぶんとピンポイントな能力だな、と紫苑は思った。


「じゃ、じゃあ、ヴァルターさんの精霊さんの能力は何ですか?」

「わたくしのは、暗闇でも目が見えます」

「……それだけ?」

「はい、夜戦には大活躍です」


 こちらもまた何というか、ずいぶん限定的な能力だった。


 つまり紫苑の精霊の能力もあまり期待できたものではないということだ。

 紫苑は苦笑いしながら、眠そうな顔でたゆたっているハムもどきを見て肩をすくめた。

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