第19話 聖女の教え
子供達が休憩の間わいわいと騒いでいるところへ、水車小屋からユリアンとヴァルターが帰って来た。
「ずいぶん賑やかですね」
「ちょっと早いけどおやつにしたの。城で新しいお菓子を作ってもらったのよ、二人も食べてみて」
二人のために取り分けておいたきな粉棒を勧めてから、紫苑はユリアンが手に持っているボウルを受け取ると中身を確認した。
濁りのある黄色い液体がボウルいっぱいに入っている。種の搾りかすなどの不純物が多いので、まだ何度かろ過しないといけないが、水車小屋に設置した圧搾機は十分な働きをしてくれた。
水車小屋は麦などの精白、精粉、ナッツ類などの粉砕、そして搾油と色々活用できるように造ってもらった。そのおかげで今後も何かと活用出来るだろう。所有者は教会になっているが、近隣の人々にも開放して生活に役立ててもらうように進言してある。
孤児院の商業活動は教会の地域奉仕活動の一環ということにしてあるため、孤児院だけが潤うのではなく、近隣の貧困層の支援も同時に進めることになっているからだ。
休憩が終わった後はユリアンのひとつ年下の男の子ティモンも加わって油のろ過を行った。
綿の布、目の粗い紙、目の細かい紙と三回ろ過したものを、片手に収まる程の大きさのビン数本に移してフタをした。
「これで完成よ。手の甲に塗ってみて」
紫苑に言われてユリアンとティモンは油を指に取り、手の甲に塗り広げてみた。するとすっと肌になじむように消えて、塗ったあともサラサラとしてべたつかないのには二人も驚いた。
『聖女様、油ってもっとベタベタすると思ってました』
『ボクも、それに匂いもそんなにしないです』
「全部がそうってわけじゃないんだけど、こういった種子から採れる油は浸透力と保湿効果が高いから、食用よりも美容用として重宝されるのよ」
『へ~』
男子二人は美容と聞いてもあまりピンとこないだろうが、女性が肌に気を遣うことは知っていると見えて、カミルア油の質の高さに感心していた。
「たくさんの油を製品として作るには、たくさんの種が必要になるわ。今回は試作として少量作っただけだけど、これを本格的に商品として売り出すためには、もっと効率的な体制を作らないといけないの」
『どういう風にですか?』
「孤児院の子供達だけで種を集めていても大した量は集められないでしょ?だから種の収穫時期に近隣の住人に拾って来てもらって、それを買い取るの。そうすればたくさん集められて、地域の人達の収入にもなるというわけ」
『すごい、それは良いアイディアですね、聖女様』
ユリアンが紫苑の計画に感嘆して目を大きく見開いた。
「美容に効果的だと評判になれば、少々高値でも富裕層の女性達が買ってくれるはず。もちろん、その良さを知ってもらうまでは時間が掛かると思う。まずは試供品を配って使い心地を試してもらって、口コミで良さを広げてもらうところからね。こつこつ信頼を築いていくのよ。急がば回れって言うでしょ」
『うん、うまくいくといいなあ』
ティモンはカミルア油を見ながら、そうやって収入が増えて、どんどん孤児院の暮らしが改善されていったらどんなにいいだろう、と希望に胸をふくらませた。
「だけど、いい?覚えておいて欲しいことがあるの」
『はい、なんですか?聖女様』
「あなた達は孤児で、親の庇護もなく、貧しいのが当然という立場よね」
『……はい』
「それが商売を始めて儲けが増えていって、豊かな暮らしが出来るようになったとしたら、あなた達を良く思わない人々も出て来るの」
『え……』
ユリアンとティモンは不安そうに顔を見合わせた。
「専売権を取得したのは、力のある商人に孤児院の商品を奪われないためよ。大きい資本には勝てないからね」
『どうして勝てないんですか?』
『材料を一括で大量に仕入れたり、一度にたくさんの商品を作ったり、販売も手広く出来る分、価格を安く出来るんですね?みんな安いほうを買うから、そしたら太刀打ち出来ない』
「そうよ、ユリアン。でも、専売権があるからといって孤児院が利益を独占していいわけではないの。ここを勘違いしないで」
二人はその意味が分からなかった。
『どういうことですか?』
「いい?、今まで蔑みの対象だった者が豊かな暮らしを手に入れたとしましょう。すると、妬みや嫉みの感情を持つ人間は必ず出て来るわ。つまり敵が生まれるということ」
『敵、ですか?』
ユリアンもティモンも更に不安そうな顔をした。
「そうよ、だから余分な富は持たないことを心掛けて。暮らしに必要十分なものを得たら、後は他の人へ分配するの。種を買い取ることもそうだし、水車を共有することもそう、商品を作るのに必要な材料も、なるべく貧しい人達の収入に繋がる場所から仕入れることも大事だわ。つまり専売権は、人々へ適切に富を分配するためのものなのよ」
『そういうことなんですね!』
「大きくなって孤児院を出た後は別だけど、孤児院の一員でいる限りはつつましく暮らすことが絶対よ。周辺の住人と良い関係を作りながら、そして、ここにいる間は色々な事を学ぶの。生きて行く上で必ず役に立つからね」
『はい、聖女様の言いたい事はよく分かります』
「ユリアン、ティモン、この事は他のみんなにも常に言い聞かせて、忘れないようにね」
『はい、絶対忘れません』
紫苑を見つめる二人の瞳は、固い決意を表す強い輝きを放っている。
もともとしっかりした子達だから心配は無いと思うが、紫苑は二人の手をぎゅっと握ってにっこりと笑った。
リラも通訳をしながら横からその様子を見ていて、子供達へ処世術を教える聖女の考え方に感服した。
確かに、孤児とは貧しく恵まれないものだと世間は思っているだろう。いや、そうでなくてはならないとさえ思っている、というのが正しいかも知れない。
この孤児院の周辺地域は王都の中でも貧困層が多い。同じ階層に属しているはずの孤児院が上の階層へ浮上したら、どんな悪い反応が起こるか、聖女は先を見越して知恵を授けているのだ。
貧困層だけではない、今まで善意で協力していた富裕層も面白く思わない可能性がある。子供達が健やかに成長するためには敵を作らない事も大事な要素と言えるだろう。
「聖女様、お話はその辺にして、そろそろお帰りになっては」
子供達と長々話をしていた紫苑の顔色は悪く、呼吸も苦しそうなのを見てリラは帰城を促した。
リラは聖女に無理をさせない責任がある。それが本来のリラの使命でもある。
「そうですね、また明日も来れるように無理はやめましょう」
紫苑はそう言って、子供達に作業を再開するよう言ってから帰り支度を始めた。
『せいじょさま、あしたも来る?』
「ええ、明日も来るわ。明日はまた新しいお菓子を試作しましょ」
笑顔の紫苑を見て、子供達は嬉しそうに見送りをした。聖女様がまた毎日来てくれて、これまでと同じ日常に戻るのだと安心したのだ。
***
城の自室に戻ってから、紫苑はすぐにベッドに横になって眠りについた。まだ昼過ぎで外は明るいのだが、疲れが出たのか、ソファーに座っているのも辛そうな状態だったためだ。
どれだけ時間が経ったのか、ふと目が覚めた紫苑はベッドの横に人の気配を感じた。リラだと思って顔を向けると、視界に入ったのはベルナールだった。
「殿下」
紫苑は驚いて起き上がろうとしたが、
『よい、無理をするな、寝ていろ。ずっと具合が悪いと聞いていたが、本当に顔色が悪いな』
「申し訳ありません、過労だと思うのですが、なかなか良くならなくて」
ベルナールは紫苑の手を握り、自分の口元へ持って行くと軽くキスをした。
『いつも活動的なそなたが寝ている姿を見るのは新鮮だ』
「お恥ずかしい限りです」
輝きに陰りがある紫苑の瞳を見て、ベルナールは心配そうな顔をした。
『侍医の見立ては過労なのか?他に病気があるのではないのか?』
ベルナールはリラにそう問いただした。
『先日の診察ではそうおっしゃっておられました。栄養のあるものを食べてよく休むようにと』
『それで良くなっていないのだから、もう一度侍医に診させよう』
『そうして頂けると助かります』
紫苑の手を握ったまま、ベルナールはしばらくベッドの横に居続けた。特に何か話すでもなく、目を閉じた紫苑の顔を愛しそうに見つめるベルナールは、王太子という身分以前に一人の男として誠実であるとリラの目に映った。
王子様の愛で病気も退散しないかとリラは願うのだが、そう甘くはないのが現実だ。
翌日、再び侍医が紫苑を診察に来たところ、過労という診断を破棄し、肺の病ではないかと言い出した。
『肺の病ですか?』
『呼吸が苦しそうで、唇の色が青ざめているところから見て、肺がうまく機能していないようだ』
『それでは、どうしたらいいのですか?お薬で治るのですか?』
険しい表情のリラに向かって、侍医は残酷な言葉を発した。
『肺の病とひと言で言っても様々なものがあるのだが、聖女様の場合原因が分からない。咳はそれほど出ていないし、発熱が無かったところを見ると結核や肺炎ではなさそうだが』
『じゃあ何なんですか?』
『とにかく、経過を観察しながら肺の機能が回復することを祈るしかない。体を温めて、薬湯をいろいろ試してみよう』
『そんな、それじゃ治療とは言えないじゃないですか』
『ええ、でも今はそれしか出来ない。他の医療師と症状の相談をしてみるから、君はお世話をして、様子が悪くなったらすぐに知らせて』
侍医はそう言い残すと部屋を出ていった。
病名がはっきり分からないだなんて、残されたリラは不安でいっぱいだったが、とにかく聖女の体に障らないよう静かにお世話をすることにした。
季節的にはだいぶ暖かくなったが、天気の悪い日が多く朝晩はまだ冷える。暖炉の火加減に気を付けて、体に良いとされるハーブを使ってお茶を淹れよう、とリラなりに出来ることをした。
「リラさん」
聖女が目覚めたらしく、名前を呼ばれてリラはすぐにベッドへと駆け寄った。
「聖女様、お加減はいかがですか?」
「大丈夫ですよ、寝ていると呼吸も楽です」
「そのようですね、わたしが何でもしますから、聖女様はずっと寝ててくださいね」
「ありがとうございます。それじゃ、ちょっと喉が渇いたのでお茶を淹れてくれますか?」
「はい、ちょうどハーブをブレンドしていたところです。すぐ持ってまいりますね」
リラは固い表情だったが、その声音には優しさがこもっていた。
リラは聖女の侍女を任命される時に言い渡されていたことがある。決してお側を離れず献身的にお世話をすること、しかし、情を抱いてはならないと。あくまでも無心に仕えることが使命であり、それ以外の感情は必要ないと言われたのだ。
だからリラはいつも表情をひとつに保って、余計な言動や行動を慎み、聖女とは一定の距離を置いて接するよう心掛けてきた。
しかし、これまでの聖女を見てきて、情の沸かない人間などいるだろうか?と、リラはどこか憤りにも似た感情を抱いていた。
いつも子供達と一緒に明るく笑っていて、常に誰かの為になることをしていて、身分に関係なく平等に接し、優しく誠実で、まさに聖女と呼ぶに相応しい人柄。そんな人物に対して何の情も感じない人間などいるわけがない。
何故、情を抱くななどという理不尽な事を下命されたのか、リラには理解できなかった。互いに情愛があれば、なおのこと良好な関係も築けるというものではないのか?
ひとつ考えられるとすれば、おそらくリラの身分が低いので、唯一無二の存在である救国の聖女と親しくなることを禁じたのかも知れない。
身分差とは人と人とを隔てる、埋めることの出来ない深く大きな谷であり、橋を架けることは不可能な現実だと言う事はリラもよく分かっていた。
リラはそんなことを考えると、頭が重く溜息が出るのだった。
「聖女様、今日のお茶は我が家特製の体の温まるブレンドですよ。わたしが小さい頃から風邪を引いた時などに母が淹れてくれたんです。甘味とコクがあって美味しいですよ」
お茶の注がれたカップから良い香りが辺りに広がり、聖女もスーッと鼻から息を吸い込むと、表情がやわらぐのが見えた。
リラは聖女の上半身を支えて起きるのを手伝い、慎重にカップを渡すと、聖女がひと口飲むのを見守った。
「本当だ、ハチミツのほのかな甘みとショウガの辛みと、他のハーブも良い調和が取れていて美味しいですね」
「体を温めることが大事だとお医者様がおっしゃってましたので。でも、ショウガが苦手でしたらもう少し減らしますが」
「いいえ、ちょうどいいと思います。ありがとう、リラさん」
ニコリと笑う聖女の顔に、リラはホッとした表情を浮かべた。
「お医者様は何の病気だと言っていましたか?」
聖女の質問にリラは緊張した。
「あの、原因は良く分からないそうです。でも体を温めて安静にしていれば良くなるだろうって」
「そう、良かった。早く元気になって、もっと試作品を作らないとね」
安心したような聖女の顔を見るのが、リラは心苦しかった。
「聖女様、そんな事気になさらないで、今は体を回復させることに集中してください」
「ふふ、すみません、つい子供達の事ばかり考えてしまうんです」
「まったく!大丈夫ですよ、あの子達はしっかりしてますし、今ある商品だけでもそれなりの収入になると思いますし」
「そうなんですけど、孤児院にも入れない浮浪児だってたくさんいますからね。その子達を救済するためにも必要な事なんです」
「仕事を与えるため、ですよね」
「そうです。自分で稼いで食べていけるようになるには必要な事です」
「呆れてしまいます、どこまでもそればっかりですね」
「ふふ、何せわたしは聖女様ですからね」
笑顔にも力強さが無いのに、そんな事ばかり考えている聖女にリラの心は締め付けらた。
「きっとお医者様が治療法を見つけてくれますから、今は眠ってください」
「はいはい……ああ、そうだ、わたしの生まれた国には湯治というものがあって、温泉につかって病気を治す習慣があるんですよ。この国には温泉は無いのかしら?」
「温泉って、地面から湧き出るお湯ですよね?それならありますよ。病気が治るんですか?」
その情報にリラは気持ちが昂るのを感じた。
「温泉には体に良い成分がたくさん含まれているんです。医者いらず、なんて言われるくらいですよ」
「医者いらず?凄い!じゃあ聖女様も温泉で療養すれば治るのですか?」
「そうかも知れませんね。もともとわたしの国の人は温泉が大好きなんです。わたしもですよ。温泉、いいなあ、懐かしい。体もすごく温まるし、心も体も癒されて良い事だらけですしね」
あまり長く話をさせてはいけないと、そこで切り上げたリラは聖女を寝かせ、自分は部屋を出るとある場所へ向かうことにした。自然と足早になり、リラは息を切らせながら急ぐのだった。




