第18話 紫苑の体調
今まで自分はけっこう忙しかったんだな、とはじめて気が付いたヴァルターは、聖女の部屋の扉が見える廊下と階段との間で待機しながらここ数ヶ月の日常を思い返していた。
異界から召喚された聖女は美しく、品があって教養に富み、華奢な見た目に反して行動的で、そして慈しみに溢れた、とにかく素晴らしい人物だ。
その聖女を護衛するという光栄な任務を与えられたヴァルターは、今となってはそれを堅苦しい責務と思わずすっかり楽しんでいた。
毎日孤児院へ通う聖女の護衛をし、時には聖女や子供達の作業を手伝ったり、力仕事を買って出たり、次第に本来の仕事とは違うことでも快く引き受けるようになった。
今では孤児院の子供達ともすっかり仲良くなり、孤児院が経済的に自立することだって本心から応援している。
それがこの五日間、聖女は体調が芳しくなくて外出を控えていたため、ヴァルターの仕事は有って無いような状態となってしまった。毎日、ただ聖女の部屋へ続く廊下で起立警備しているだけの退屈な時間を過ごしていると、物足りなくて仕方がなかった。
ヴァルターは聖女付きになる前はチェフ家の敷地の警備を担当していたが、日がな一日立っているだけの毎日を過ごしていたのは今と同じだ。警備していても特に何かが起きるわけでもなく、常に時間が早く過ぎるのを願うばかりの退屈でやり甲斐の無い仕事だと思っていた。
もちろん剣術や体術の鍛錬の時間もあったので体を動かすことは日常的だったが、それらは兵士同士が交代でこなす決められたルーティンであって忙しいわけではなかった。忙しいと思わない最大の理由は、とにかく時間が過ぎるのが遅いと感じることに尽きるだろう。
それに比べて聖女を護衛しながら孤児院や出掛けた先や市場などで過ごす毎日は、とにかく時間が過ぎるのが早いと感じていた。ルーティンのように変わりばえの無い事を繰り返すのではなく、聖女の突飛な行動を追い掛け、次から次へと経験したことの無い事をさせられては、没頭しているうちにあっという間に夕方になる、そんな日が多かった。
だから「忙しい」と感じていたのだ。
ヴァルターは要領のいい子供だったので、ぱっと見、一生懸命やっているように見える行動を取り、手を抜けるところはバレないように手を抜いてきた。
生まれた家柄によって既に生きる道は作られてしまっていたわけだし、決まった道を特に疑問も持たずに歩いて来たヴァルターは「忙しい」とは無縁だったのかも知れない。
その「忙しい」は時間的や精神的に余裕が無いという部分はあるものの、きっと充実していたのだと思う。だからたった五日間暇だっただけで、忙しさを懐かしんでしまうのだ。
護衛としては失格と言える、たるんだ顔で立っていたヴァルターは、聖女の部屋の扉が開いた音に反応した。
『ヴァルター、馬車を用意して』
リラが開いた扉から顔を覗かせてそう言うと、ヴァルターはぱっと表情を輝かせた。
『聖女様はお出掛けになるのか?』
『そうよ、今日は孤児院へ行くって聞かないの』
『聞かないって、まだ具合悪いのか?』
『ええ、歩くのも辛そうなのに、これ以上寝ているだけは嫌なんですって』
『いいのか?出掛けて』
『良くないわよ、でも、聖女様は一度言い出したら止められないでしょ』
『確かに』
諦め顔のリラの心中がよく分かるヴァルターは、とにかく馬車を用意するため階段を駆け下りた。
しばらくして、西棟の出入り口の前で馬車と共に待っていたヴァルターのところへ、リラともう一人小間使いに支えられながら姿を見せた紫苑は、まるで青磁のような青白い顔で、乱れた息遣いからも体調の悪さが一目で分かる有様だった。
「聖女様、本当に出掛けるのですか?そんな様子では却って子供達を心配させるだけですよ」
いつもお小言のような事を言うのはリラの担当なのだが、さすがのヴァルターも口を挟まずにはいられなかった。
「大丈夫です。むしろ顔を見せないと子供達が不安になるでしょう。ほら、見た目ほど体調は悪くないんですよ!」
そう言って紫苑は拳をぎゅっと握った両腕を肩まで上げて、元気そうなポーズを取った。しかし、それは誰が見ても無理やりな空元気にしか映らない。
口をきゅっと結んで渋い顔をしているリラをお供に馬車へ乗り込んだ紫苑は、ヴァルターに出発するよう指示した。
ヴァルターは御者台に乗ったもののかなり躊躇していたが、紫苑が子供達の笑顔を見れば元気が出ると言った言葉に、確かにそうかも知れないと思って馬に手綱を打った。
なるべく馬車が大きく揺れないようヴァルターはゆっくり馬を歩かせ、いつもより時間を掛けて街まで行くと、広場と市場が見えて来たところで更に馬の歩みを遅くした。
リバルシー大会やお菓子の販売に協力してくれた市場の老舗店舗の商人が、日常的な商品販売も助けてくれることになり、一緒の区画に出店させてもらっているので通りからその様子が見えるかも知れないと思ったヴァルターの配慮だった。
「聖女様、あそこで孤児院の子供達が売り子をしてるのが見えますよ」
ヴァルターが指さした先に、人混みの隙間にわずかだが孤児院の屋台の様子が見えた。今日の売り子はレナーテと男の子が二人らしい。笑顔で呼び込みをしている様子が窺える。
「がんばってるようですね」
「はい、売り子もすっかり板についてきましたよ」
教会には元から荷馬車があるので、朝夕は司祭が荷馬車で子供達を市場まで送り迎えしている。孤児院に残っている子供達は日課の作業を行い、ローテーションで売り子をしている。
仕入れや売り上げの会計などは司祭とユリアンが担当し、商品作りの采配は主にレナーテが担っており、家内制手工業として体制が整っていた。
「こないだの大会で出た収益でちょっとした打ち上げパーティーをしたんですよ。滅多に食べられないお肉を食べて、子供達はすごく喜んでました」
「ええ、リラから聞きました。自分達で稼いだお金で買ったお肉ですからね、美味しさも格別だったでしょう」
紫苑は嬉しそうな笑顔で屋台の様子を見守っていた。
しばらくその場に留まった後、ヴァルターは再び馬車を出発させ孤児院へ向かった。市場が見えなくなると、紫苑は馬車の壁にもたれかかり、目をつむって静かに過ごした。すでに疲れが出たのかと、リラは心配になって、冷えないようにと紫苑のひざ掛けを広げて体にも掛けた。
ゆっくりとした馬の歩みでようやく孤児院へ到着すると、久しぶりに聞く馬車の音に子供達は一斉に外へ走り出て来た。
『せいじょさまだ!せいじょさま、元気になった?』
子供達なりに心配しているのだろう、嬉しそうな顔をしながらも、馬車から降りて来た紫苑にいつものように勢いよく飛びつくことはせず、紫苑を取り囲むだけに留めて気遣いを見せていた。
「みんな、会えなくて寂しかったわ。お仕事がんばってる?」
『がんばってるー』
『毎日いっぱいつくってるよ!』
『せいじょさま、またいっしょにできる?』
「聖女様、中へ入りましょう」『さあ、みんな聖女様はお体がまだ良くないの、座っていただかないと』
『はーい』
リラに支えられて歩く紫苑の周りを子供達も一緒にゆっくりと歩き、作業場と化した孤児院のダイニングへと入って行った。
中は雑然としていて、塗料の匂いと甘い香りが漂っている。テーブルの上に作業途中のリバルシーの駒や盤用の麻布、そして出来上がったキャラメルナッツも置かれている。子供達は毎日一生懸命作業をしているようだ。
紫苑がイスに腰を下ろすと、子供達は紫苑の周りに集まってこの五日間にあった事を次から次へと話しだし、聞き取るのも難しいほどの騒がしさだ。
それをユリアンがたしなめると、子供達は不満そうな顔をしながらもそれぞれの自分の持ち場へ戻ると作業を再開した。
「ユリアン、商品の売れ行きはどう?」
『はい、大会が良い宣伝になったようで、わざわざ孤児院まで買いに来てくれる人もいます。市場で売っている分は毎日完売しているので、かなり順調と言えます』
「そう、それは良かった。この調子で続けていきましょう。次の大会は売れ行きを見てから開催日を決めるとして、今日は新しい商品の試作をするわ」
『新しい商品ですか?』
「この前、みんなで種を拾いに行ったでしょ」
『ああ、あれですか』
「乾燥させておいたものを圧搾して油を搾るの」
『油が採れるんですか?あれから』
「ええ、実は前に子供達が遊んでいた種を少しもらって自分で搾ってみたの。そうしたらサラサラとした肌馴染みの良い油だったのよ。それで商品として売り出せないかと思ってね」
『食用ですか?』
「いいえ、美容用よ」
人差し指を立てて自慢げに言う紫苑に、ユリアンは不思議な顔をした。
『びよう、って何ですか?』
「美容っていうのはね、女の人が美しさを保つためにするお手入れのことなの」
『油をその美容に使うんですか?』
「肌や髪に使うと保湿されてツヤが出るの。肌や髪から水分が減るとシワになったり痛んだりするから、それを油の成分が防ぐのよ」
『なるほど、女性はそういうことを気にするから、お手入れするための油にお金を使うということですね』
「その通り。上質な油は効果が高いから、きっと良い商品が出来ると思うの」
ユリアンは紫苑の教えは逐一書き留めている。新しい知識にも貪欲で、ひとつの事柄に対しても補完するためにすぐ調べたり人から話を聞いたりするので、紫苑からプレゼントされたノートにはだいぶ書き込みが増えていた。一冊目はすぐに使い切ってしまうかも知れない。
みんなで拾い集めて来た種、名前はカミルアという常緑樹の種を、天気の良い日に外で天日干ししていた物をユリアンが持ってきた。
遊びながら拾って集めた種の分量は全部で約四十キログラム。今日は試作なので五キログラムほどを使って作ってみることにした。
紫苑の指示で大きな鍋に湯を沸かし、底上げ用にレンガを置いた上にザルを乗せ、その上に種を敷き詰めて蒸す。
蒸した後は大きなザルに広げて熱を冷まし、水車小屋で潰す作業と圧搾作業をする。水車小屋での作業はヴァルターとユリアンにまかせ、紫苑はお茶を飲みながら子供達の作業を見守った。
『ねえ、聖女さま、もうあきたよ~』
十歳のシリーはおしゃまで元気な女の子だが、飽きっぽくてすぐに他の事に目移りするところがある。とは言っても正義感が強く、孤児院の仲間のためには力を発揮する頼りがいのある一面も持ち合わせていて、これでも作業をがんばってやっているほうだった。
「そうね、みんなも手を休めておやつにしましょうか」
お昼を食べてからまだそれ程経ってはいないのだが、毎日朝の掃除や庭の手入れの日課を終えた後はずっと作業をしっぱなしなので、たまには良いだろうと紫苑は持ってきたおやつを食べさせてあげることにした。
『聖女様、これ何?』
子供達が初めて見るそれは、紫苑が城の厨房で作ってもらった「きな粉棒」だった。
大豆を挽いて粉にしてもらい、甜菜糖と水を煮立たせてとろみを作ってから一緒に練り上げ、ひと口大の棒状に成型して更にきな粉をまぶしたお菓子なわけだが、説明が難しいので豆から作ったお菓子だと言っておいた。
「これはきな粉棒って言う、豆から作ったお菓子よ」
『これが豆なの??』
『えー、石みたい』
『芋虫みたいだよ、あははは』
えらい言われようだったが、紫苑はにこりと笑って、きな粉棒をひとつつまむと口へ放り込んだ。まずは食べれる物だと自ら示して見せる。
「うん、美味しい。さ、みんなも食べてみて」
『聖女様、もしかして、だまそうとしてる?』
見た目がどうしても食べ物には見えないようで、子供達はお互い顔を見合わせて、この得体の知れないものを誰が一番に食べるか様子を見ていたが、エルミがさっと手を出して怯むことなくパクリと食べてしまった。
『エルミ、大丈夫なの?』
みんなが注目している中、もぐもぐとほっぺを動かしていたエルミは、ごくんと飲み込んだ後、にまあーっと、とろけるような笑顔を見せた。
『……おいしいんだ』
エルミの様子を見た子供達は、次々にきな粉棒をつまむとパクっと口に入れた。その瞬間、香ばしい豆の香りと甘みが口の中に広がって、やわらかい食感に子供達は目を輝かせた。
『おいしい、聖女様、おいしいよ!石でも芋虫でもなかった!』
みんなケラケラと笑いながらその意見に同意し、すぐに二つ目に手を伸ばしていた。
用意してきたきな粉棒はたくさんあったが、あっと言う間に粉だけが残る状態になり、味の評判は上々で紫苑は安心したが、見た目はもう少し工夫する必要があると分かった。
「もっと美味しそうに見えるようにしないといけないわね」
紫苑は腕組みをして、浮彫になった課題をつぶやいた。




