第9話 聖女の提案
リラは聖女の変化を感じていた。
初めて王太子と会った時はとても戸惑い、悩ましい顔をしていた聖女だったが、今では王太子からの誘いにどことなく嬉しそうな顔をするようになった。
王太子であるベルナールは妃を娶る年頃であり、相手を見極めるために適齢期の御令嬢方と日常的に交流の場を持っている。今のところ特別なお付き合いをしている女性はいないのだが、王太子は女性に対しては誰にでも紳士的で優しく、その甘い美貌と相まって社交界の蝶達を虜にしている。
結婚レース真っただ中の御令嬢方にとって、王太子は最高級で最良の結婚相手であり、王太子に本気で熱を上げている令嬢の数は手足の指を全部使っても数えきれない。もちろん、御令嬢方だけでなく、臣民の誰しもが王太子の関心を買いたいと願っている。
王太子がいるだけで場は華やかになり、誰もが王太子を褒め称え、それに応えるように彼は笑顔を振りまく。だが、その笑顔にはどこか打算が隠されているようにリラは感じていた。
彼の美しく輝くような笑顔は人々を魅了するが、自分の思い通りにするための見えない糸をするりと絡めて来るような、そんな危うい香りがする。それは人心掌握に長けた王族特有のものなのかも知れないが。
下級の身分であるリラからすると、距離を置いて客観的に見たならば、王太子はその地位や権力や魅力的な外見はとても素晴らしいと思う反面、上流階級特有の自賛傾向が垣間見えたり、身分が低い者へは尊大に振る舞う面があったりと、決して聖人君子とは言えないのだとも感じていた。
しかし、以上のことを踏まえても、王太子ほど人を惹きつけてやまない人間はいないのではないかとリラは思っていた。
だから、いかに独特な感性の持ち主である聖女だとしても、王太子の気の利いたエスコートや、優しい気遣いや、話し上手で楽しい会話などにすっかり心を許してしまったとしてもおかしくないとリラは思うのだ。
心なしか聖女が王太子を見つめる瞳に熱っぽさがあるようにも、リラは感じていた。
いつも破天荒な行いをする聖女だが、そういう点では同世代の御令嬢方と同じなのかも知れない。
リラはそんな普通の感覚があった聖女に安心した反面、少しがっかりした気持ちを感じ、自分でも何故そんな風に思うのかはよく分からなかった。
『聖女よ、今日は何か面白いことでもあったか?』
ベルナールが穏やかな笑顔を向けながら紫苑に聞いた。
「残念ながら、面白いことは特には。毎日街へ通っていますので、すっかり見慣れてしまいましたし」
『はは、それもそうか。そう言えば以前、孤児院で子供達の支援をしていると聞いたが、まさかそれも毎日行っているのか?』
「はい、毎日子供達といろいろな事を一緒にしています」
『聖女はそんなに子供が好きなのか?』
「はい、子供達はとてもかわいいですよ。殿下はいかがです?」
『そうだな、いずれはこの国を継ぐ者として子供を作らねばならないし、多ければ多いほど良いとは思っているが』
「素敵ですね、たくさんの子供を授かれたら、とても幸せでしょうね」
紫苑はにっこりと笑う。ベルナールは見惚れるように、その笑顔に艶のある視線を向けている。
リラは二人の言葉をつなぐ役として必要不可欠だが、この雰囲気の中に自分がいてもいいのかと、最近はリラのほうがとても悩ましい思いをしていた。
そんなリラはチラリとヴァルターの方を見てみたが、場の空気など読めない鈍感な男は特に何も考えていなさそうな顔で通訳に専念していた。
自分ひとりだけ、もどかしい気持ちに苛まれているのかと思うとリラは小さく溜息を吐いた。
「殿下、実は今日はご相談したいことがあるのです」
ベルナールが用意させた軽くて飲みやすいワインに今日は酒が進んだのか、頬を少し上気させた顔で、紫苑はベルナールをまっすぐ見ながらそう切り出した。
『相談?』
「はい、よろしいですか?」
『何を遠慮する、言ってみよ』
「実は、先程のお話にもあったように、わたしは孤児院の支援を続けているのですが、建物の修繕費用をどう捻出したらいいのか思い浮かばず、とても困っているのです」
『なるほど』
「ですので、ここは思い切って殿下にご相談をと思いまして。どうか国家予算の中から福祉の名目で費用を出しては頂けないでしょうか?」
『ふむ』
ベルナールはワインをひと口飲んで、少し考えるような素振りをした。
『分かった、そなたの通っている孤児院の修繕費くらいなら出せるだろう』
「あの、できれば王都の孤児院全てを調査して、必要な修繕費を計上して頂きたいのです。食事も粗末ですし、着ている服もかなり古くて擦り切れています。子供達の生活がもっと向上するように取り計らってはいただけないでしょうか?」
切実そうな顔でベルナールを見つめる紫苑は、懇願するように胸の前で手を組んだ。
その健気な姿にベルナールも心を痛めたようだが、
『聖女よ、そなたの気持ちはよく分かるが、孤児院はこの王都だけでもいくつもあるし、全てに支援するとなると莫大な予算が必要だ。それを国費から賄うのは現実的ではない』
「そこを、何とかならないでしょうか?」
『私もそなたの願いなら何でも叶えてやりたいところだが、いかに聖女の頼みとは言え、そこまでの費用を追加予算として捻出するのは難しいだろう』
「……そうですか。では、来年の予算に組み込むことは出来ないでしょうか?」
『予算の編成には貴族院の承認が要る。期待させたくはないからはっきり言うが、大きく税収が増える見込みがあるわけではないし、彼らが承認するとはとても思えない』
ベルナールの言葉に、紫苑は悲しそうな表情で俯いた。
そんな紫苑の姿を見て、ベルナールは席を立って紫苑の傍まで行くと、膝をついて紫苑の手を強く握りしめた。
王太子と言えど意見が何でもまかり通るわけではない。それを理解してもらいたいのと、美しい紫苑が心を痛めていることを慰めたくてベルナールは膝までついたのだ。
『聖女よ、そう気を落とすな。何かできる事があれば私も協力するから』
「殿下、ありがとうございます」
悲しみで潤んだ瞳を向けながら、紫苑はベルナールの手を握り返した。
「それならば……殿下、こういうのはどうでしょうか?」
『何だ、申してみよ』
「寄付を募るパーティーを開くのです。貴族や富裕層などの上流階級の方々をお招きして、孤児院の実情を知っていただければ、きっと篤志の寄付がたくさん集まると思うのです」
『ふむ、それは良い案かも知れないな』
「そこで、より多くの寄付が集まるように殿下にご協力頂きたいのです」
『私に何が出来るのかな?』
「はい、わたしがパーティーの発案者と言うより、王太子殿下がお声掛けくださったほうがたくさんの方が興味を示してくださると思うのです。そして一番多くの寄付をしていただいた方の御令嬢には殿下と一日、二人きりになれる権利を差し上げるのです」
『なに、私が景品だというのか!?』
紫苑の提案にベルナールはすごく驚いた顔をした。怒っているわけではなく呆気に取られているといった感じだ。
「はい、何せ御令嬢方は王太子様に見染めてもらいたいと、それはそれは大変な努力をされていますもの。そこへこんなチャンスがあるとなれば、必ずたくさんの寄付をして頂けるはずですわ」
確かに、王太子として令嬢方とお茶会や晩餐会などをする時は一対一で会うということは基本的に無い。時間は限られているし、必ず複数人の令嬢と同席する。それが一日独占出来るとなれば、とても価値のある権利だろう。
『ふ、ははは、なんと、面白い事を考える』
ベルナールはひとしきり笑うと再び紫苑を見つめ、いたずらな笑顔を見せた。
『良かろう、私がその景品になってやろうではないか』
「ありがとうございます。この機会に改めて殿下が積極的に慈善活動をなされる慈悲深い御方だと皆が知れば、王太子殿下に対する尊敬の念が強くなることでしょう」
紫苑は満面の笑みでベルナールを褒め称え、また強くその手を握りしめた。
晩餐が終わると二人はバルコニーに席を替え、お茶とデザートを楽しみながらパーティの計画を話し合った。
会場と食事の手配、招待客への招待状など、すべてベルナールの秘書官であるトビアスへ指示を出していく。トビアスは時折不満顔を見せながらも指示を書き取り、必要な予算を頭で計算しているようだった。
いくら寄付を募る慈善活動と言えど、トビアスは王太子が聖女の言いなりになっている事に腹立たしい思いをしていた。だいたい、王太子を寄付の景品にするなど言語道断だ。
寄付なのに他の者には分からないよう、金額の書かれた手形を箱に入れる入札形式で、誰が一番になるかは蓋を開けてみるまでは分からないというのだ。
結婚適齢期の娘を持つ父親なら相当な金額を積んでくるに違いない。王太子に良い印象を与えたい思惑もあるだろうし、父娘双方が王太子を独占する権利を獲得するために躍起になるのは目に見えているではないか。
そうなると相当な金額が集まるはずだ。もちろん、孤児院の修繕費や子供達の生活費に充てるのはトビアスだって反対する理由も無い。
それなのにトビアスは何が気に入らないのかと言えば、聖女が自分の役目から逸脱した行いを王太子を使って実現しようとしている事だ。
聖女の生活には十分な予算を当てている。「来たるべき時」まで貴族の令嬢のように優雅な暮らしでもして大人しくしていればいいものを、王太子を巻き込んで自分のやりたい放題ときた。まったくはた迷惑な女が来たものだとトビアスは思っていた。
「殿下、それともう一つお願いしたいことがございます」
聖女が更なるおねだりを始めると、トビアスは額に青筋を浮かべた。
『聖女様、いかに聖女様といえど、殿下に次から次へとねだるなど、自分の立場をわきまえてはどうなのですか?』
声のトーンは低いが、なるべく冷静に発言したトビアスは、座っている紫苑を睨んで見下ろした。
『トビアス、やめないか。聖女の提案は私利私欲ではなく、孤児達にとって有益な事なのだから、素直に耳を傾けようではないか』
『しかし、殿下、いくらなんでも度が過ぎます』
『まったく、お前は融通が利かないな。聖女の提案であっても、私が自分の意志で行うのだから問題は無い。書き取りが終わったのならすぐ出来る事から始めろ。もう下がってよい』
『……かしこまりました』
トビアスは苦々しい表情を浮かべながらも、ベルナールの言葉に従ってその場を後にした。
『聖女よ、すまないな』
「いいえ、トビアス様の忠誠心は尊敬に値しますわ。殿下の事をよほど大切にしていらっしゃるのでしょう」
『はは、単に口うるさいだけだ。それで、さっきの続きは何だ?」
「はい、実は、ひとつ法令を成立させて欲しいのです」
『法令だと?』
「はい、孤児院の自立を促すためには自分達で収入を得るのが一番だと思うのです。ですから、孤児院で製造、販売する物に対して専売権を認める法令を制定して欲しいのです。それに加えて孤児院が委託する業者のみが製造、販売できることも付帯させて頂きたいです」
ベルナールは紫苑の言葉に驚いた。寄付金を募るパーティーの立案から、更に孤児院の自立を考えての法令まで、女性でここまでの知恵を働かせる者など身近にいなかったからだ。
異界から来た美しい娘というだけでもベルナールにとってはとても興味を引く存在だったが、その知的さに更に惹かれていく自分がいた。
『ふむ、それは良い考えだと思うが、既に広く一般に出回っている物を専売にすることは難しいと思うぞ。そんな事をすれば激しい反発が起きるだろう』
「もちろんです。ですから、これから新しく開発した物に対して専売を認めて頂けたらいいのです」
『新しい物か、そんな宛てはあるのか?』
「はい、実はもういろいろ試しているところなのです」
『なるほど、用意周到というわけだな、気に入った。約束しよう、その法令、必ずや私の名に掛けて採決を通すと』
「ありがとうございます!」
紫苑はベルナールの頼もしい言葉に心から感謝した。ベルナールも紫苑の喜ぶ顔を見て、胸にこみ上げる熱いものを感じた。
ロウソクのやわらかい灯りの中、二人の間ではその後もたわいのない会話が続いていたが、夜も更けて晩餐は終わりを迎えた。
ベルナールは紫苑をエスコートして西棟まで歩く。
広い王城のためかなり距離があるのだが、ゆっくり歩いたはずなのに時間はすぐに過ぎ去ってしまい、ベルナールは紫苑の部屋の前で名残惜しそうに彼女の手を握った。
『聖女よ、こんなにも誰かと別れがたいと思ったことは今までに無い、本当だ』
「殿下、今日はありがとうございました。明日もお務めがございますし、もうお休みになってください」
『そうだな、では、またの晩餐の機会に』
ベルナールは紫苑に顔を近づけ、しばらく彼女の瞳を見つめていた。唇と唇がもう触れそうなほど近づいた時、紫苑が恥ずかしそうに顔をそむけた。紫苑のその仕草に、ひと息置いてからベルナールは紫苑の頬へキスをした。
『そなたも早く休むのだぞ』
「はい、おやすみなさい」
踵を返し歩き始めたベルナールの背中へ向けて、紫苑は礼をして見送った。
紫苑はその後、今日の仕事はもう終わり、とリラを下がらせ、ひとりになってゆっくりと湯浴みの時間を楽しんだ。
温まった体にネグリジェを着た紫苑はベッドへゴロンと転がると、イヤホンをしてスマホの音を聞きながら時々何かを口ずさむ。
ふいにキラキラと光りの粒が散らばったと思うと、あのハムスターもどきの精霊が現れ、眠そうな目をしながら紫苑のおでこへと着陸した。
「わあ、久しぶりに見た。夜はやっぱり眠いの?」
ぺちゃんと紫苑のおでこに張り付いたハムスターもどきを見て、紫苑はくすくすと笑う。
「そうだ、名前無かったんだよね。何がいいかな?うーん、やっぱりハムスターっぽいから、ハム、ハム、ハム……ハム助!どう、いいでしょ?」
ネーミングセンスは良いとは言えない紫苑だったが、名前をつけると愛着が増したのか、おでこにいるハム助をなでなでしながら自分も眠そうにあくびをした。
ハム助の眠気にあてられたのか、紫苑も今日はスマホを使うのをやめ、ベッド脇のランプの火を消すとすぐに静かな寝息を立て始めた。




