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高校生夫婦  作者: むかしばなしかたりぐみ
5/5

サプライズ

「だから、私のバイトは学校の許可を取ってるんです。趣味でなく生活のためにお金を稼がなければならないんです」

理沙のうんざりした声が聞こえる。もう何回、このやり取りをさせるんだ、って感じで。

「いくら生活のためだからと言って、学生の本分は勉強でしょう?」

「課題は全部提出してます。それとも先生が私たちの生活費を稼いでくれるの?」

「だから、それは役所に問い合わせれば……」

「それじゃ足りないんですってば」

僕は二人の間に割って入った。このままじゃ、また理沙がバイトに遅れてしまう。

「先生、理沙たちは将来の学費を稼いでるんだよ。もう放してあげてよ」

「内藤くん、私は綿貫さんと話してるのよ」

「理沙はもう綿貫じゃなくて土佐だよ。先生だってわかってるでしょ」

「綿貫さん」サイトウはあえて理沙を旧姓で呼ぶ。

「高校生のくせに結婚だなんて、異常だってわかってるわよね」

「私たちは夫婦です。届けだって出したんだから」

「とにかく、今すぐ職員室に来なさい。」

サイトウは理沙の手をつかもうとする。反射的に理沙は手を振り払う。

そこに掃除が終わったのか、「りさ~」と克也ののんきな声が聞こえてきた。

「何やってんの~?バイト遅れるぞ~」

みんなの視線が克也に向かう。いきなり注目を浴びて、「ん?」と克也はきょとんとした。

その時、サイトウが下を向いた。

「なにやって……」

思わず声をかけると、いきなり嗚咽に似た唸り声が聞こえた。サイトウがいきなり吐き出した。水のような吐しゃ物があたりに散らばり、サイトウはうずくまる。僕は茫然として固まった。

最初に動いたのは理沙だった。理沙はうずくまるサイトウに駆け寄り、そばにしゃがんで背中をさすった。嗚咽に似た声をあげながら、サイトウはえずき続ける。「大丈夫ですか?」とサイトウに声をかけてから、理沙は僕を見上げて言った。

「ゆうくん、保健の先生呼んできて。サイトウ先生が体調不良だからって」

「……お、おう」

「かっちゃんはおばさんに電話。今日は遅れるって言っといて。ひょっとしたら行けないかも……やっぱ休もうかな。あと、新聞紙とビニール袋。吐いたものに素手で触っちゃだめだよ」

「よしきた」

「立てますか」理沙は促し、サイトウを立ち上がらせた。克也はスマホを取り出し、バイト先に電話を始めた。

僕たちは保健室に向かって歩き出した。

「……ずいぶん手際いいのね」

弱弱しい声でサイトウは理沙に声をかける。理沙はうなずいた。

「土佐君のおばさんとおじいさんを介護してましたから。慣れてます」

「……そう」

保健の先生が駆けつけてきた。二人が保健室に入るのを見届けて、僕は現場に戻った。

現場では克也がてきぱきと後始末をしていた。購買からもらってきたビニール袋を両手にかぶせ、吐しゃ物を新聞紙で集めている。

「慣れてんな」

「まあな。ウンコシッコゲロは介護の基本だぜ」新聞紙でくるんだ吐しゃ物をビニール袋でつかむと、くるんと袋をひっくり返して新聞紙を袋に入れ、克也は袋を閉じた。「サイトウ、ヒステリーか?更年期には早くねえか?」

「理沙と保健室行ったよ。そんな様子なかったのにな」

「まあ、げろぐらいでびびんなよ。俺なんか日常だぜ」

「つくづくお前ら偉いよなあ。尊敬するわ」

「経験値の差ってことですよ、師匠」新たにかぶせたビニール袋で雑巾を持ち、さっと現場を水拭きして、「よし」とつぶやくと、克也は立ち上がった。

「母ちゃん待ってるから俺帰るわ。理沙よろしく」

「おう。また後でルミエ来いよ」

「わかった」

克也はいそいそと帰っていく。僕は「さて」と息を吐き、理沙とサイトウがいる保健室に向かった。


この場の重苦しい空気はなんだろう。

保健室に入るなり、僕はちょっとビビった。保険の先生は難しい顔をして椅子に座っていた。理沙は手持ち無沙汰に、椅子に座って足をぶらぶらさせている。小さいころ栄養不足だったせいか、理沙の身長は150センチちょっとしかない。こうやっていると小学生のようだ。

サイトウはいなかった。いくつかあるベッドの一つが白いカーテンに覆われている。そこにサイトウが寝ているのだろう。時折くすんくすんと鼻を鳴らしている。泣いてる?

「具合はどうなの?」

恐る恐る聞いてみた。ぶらぶらさせていた理沙の足が止まった。

「うん、吐いたら少しすっきりしたみたい」理沙はぶっきらぼうに言った。

「つわりだって」

「つわり?」

「うん。妊娠10週。先月判ったばかりだって」

「え、でも先生、結婚してないんじゃ……」

「来月発表する予定だったらしいのよ」保険の先生が口をはさんだ。

「みんなへのサプライズにするつもりだったらしいのよね」

「だけど、だめになっちゃったんだって。」

それって・・・・・?僕が首をかしげると、理沙はゆっくり言った。

「逃げちゃったんだって。旦那さんになる人」

嗚咽が一層ひどくなった。僕はあっけに取られて何も言えなくなった。



「ひどい話だよな、それ」

僕からことのあらましを聞いた克也は、鼻息荒くそう言った。ルミエは相変わらず人の通りがあり、ところどころに置かれたテーブルでは高校生たちがおしゃべりしている。

今日は予備校が休みなので、そのまま直帰してもよかったのだが、さすがにそんな気にもなれず、僕は克也と待ち合わせて弁当を一緒に食べていた。今日は理沙が臨時の休みを取ったので、うちの母が店頭にいたらしい。理沙のことも心配していた。

「おばさんも言ってたぜ。急に休んでどうしたのかしら、って」

「また首突っ込みたがるんだよな。おせっかいですまん」

「いいって。心配してくれてるんだろ」

克也は手をひらひら振り、にやっと笑った。

やがて、理沙がサイトウと伴ってやってきた。二人で軽く手を振ると、理沙は小走りにこっちに近づいてきた。サイトウは肩をすぼめてバツが悪そうな顔をしている。僕たちに近づくと、ゆっくりと頭を下げてきた。

「いろいろとごめんなさい。ご迷惑おかけしました」

「吐き気はいいの?」

「ここのところ体調がすぐれなくて。悩み事が多くて眠れなかったから」

「先生、座ったほうがいいよ。」

理沙が促してサイトウを座らせた。サイトウは素直にうなずき、椅子に座った。

こうしてみると、サイトウは子供のように見える。

……そっか。僕たちと6つぐらいしか違わないんだな。

僕は改めてそのことに気づいた。

「来年に式を挙げるつもりだったの」サイトウは言った。「あなたたちが卒業するタイミングで式を挙げて、仕事を辞めて海外に移住するつもりだった。でも、浮かれてたのよね。妊娠が発覚してから、彼の態度が急にそっけなくなって。なんかいきなり父親になるのが怖くなったって、話をなかったことにしようって。式も婚約もなくなって、それっきり。赤ちゃんどうするのって聞いたら、自分で何とかしてって」

「何、それ」理沙はぷんぷん怒っている。「責任逃れもほどがあるよ」

「お互いに若すぎたのよね。夢からいきなり現実を見せられた感じ。そんなときにあなたたちの姿を見て、周りから許されて、幸せそうに見えて……いやらしい嫉妬ね。年甲斐もなく、恥ずかしいことしたわ」

「先生は悪くないよ」僕は言った。みんなうなずいている。

「でも、これからどうするの」

「赤ちゃんはあきらめたくない。せっかく宿った命だもん。だけど、知られたら学校にいづらくなるのかなあ。本当にどうしよう」

サイトウはあきらめたような顔で笑っている。顔色が悪い。つわりの気持ち悪さもあるんだろうな。人知れず悩んで、今までどんなに辛かっただろう。

「先生、あきらめちゃだめだよ」克也はきっぱり言った。

「まずはみんなに言うんだ。赤ちゃんができたこと」

「え、だって……」

「だって、体つらいでしょ?」理沙が引き継いだ。「今日だって保健室でふらふらだったもん。そんなの、絶対おなかの赤ちゃんに悪いよ。それに、あんまり食べてないでしょ。そんなんだったら先生、今にほんとに倒れちゃうよ」

「つわりで食欲なくて……。」

「下の弁当屋さんに行こう」僕が言った。「うちの母が働いてるんです。そこの弁当、結構うまいから。食べられるもの選んでもらえば、食欲湧くかも」

僕たちは立ち上がり、エスカレーターで向かった。


商業施設の一角に弁当コーナーがある。そこにうちの母と、もう一人パートのおばちゃんがいた。5種類ぐらいの弁当がパック詰めされていて、店先に並んでいる。どれもおいしそうだ。

「あら、いらっしゃい」

僕たちを見て、母はふんわりと笑った。少し小太りな様子は、なんか雪だるまみたいだ。

「母さん、うちの副担のサイトウ先生」

「あら、そう?息子がお世話になってます。」

「おばさん、先生赤ちゃんがお腹にいるの。でもつわりで食べられないんだって。」

「あらまあ、それはおめでとうございます」

母は目を丸くして声を上げた。先生は引きつった笑みを浮かべた。

「つわりはねえ、酸っぱい物って言うけど、冷たい物とかも案外いいのよね。私の時はアイスだったわ。一日3個は食べて、それ以外はあんまりね。冷えるからって怒られたけど、やめられなくてね。産後も止められなくって、今この体」

「うん、さすがにアイスはあまり良くないと思う」

「どんなのなら食べられそうですか?」

「……あっさりしたものなら」

「ならこれはどうかしらね」

おばさんは並んでる弁当の中から、豆腐ハンバーグの入った弁当を選んだ。

「お代はいいですよ。いつも息子がお世話になってますし、今回はサービス」

「……ありがとうございます」

「悠馬もしっかり勉強するのよ」

礼を言い、僕たちは上階に戻った。

テーブルの上に置かれた弁当を、僕たちは囲んだ。プラのパックを止めていた輪ゴムを外すと、甘酢の香りがふわっと立ち上った。

サイトウは箸をとって豆腐ハンバーグを割り、恐る恐る口に運んだ。

「……どう?」

理沙が真剣な表情で聞いてくる。サイトウはゆっくり口を動かし、ぽつりとつぶやいた。

「……おいしい」

「よかった。レシピ、私が考えたの」

「久しぶりにご飯を食べる気がするわ」

それからサイトウは箸を動かし、ゆっくりと弁当を食べ始めた。半分を食べたところで箸を置き、両手を合わせて「ご馳走様」と頭を下げた。

「あなた、しっかりしてるのね。本当に私誤解していたわ」

「ううん、気にしなくて大丈夫。いろいろ言われるのは慣れてるから」


次の日、ホームルームが終わった後、サイトウが教壇の上に立って言った。

「皆さんに聞いてもらいたいことがあります」

教室が一瞬ざわっとした。サイトウは静まるのを一呼吸待って、再び顔を上げた。

「実は、先生のお腹に赤ちゃんがいます」

一瞬静まった後、女子の何人かがええええ、と悲鳴を上げた。ざわめきが教室を支配する。

「うそ、先生結婚すんの?」

「相手は?だれだれ?」

「静かに」一つ咳をして、サイトウはみんなを黙らせた。

「お相手はいません。先生が一人で育てます」

教室のざわめきが一層ひどくなった。サイトウは静かに微笑みながら、生徒が落ち着くのを待っている。

やがて、教壇の様子に、生徒が一人ひとり静かになり始めた。話し声がやんでから、先生は話し始めた。

「これは、皆にも起こりえることだから、よく聞いてほしいの。」サイトウはゆっくり言った。

「先生は始め、きちんと手順を踏んで結婚するつもりでいました。それは本当よ。でも、結婚と妊娠の順番が逆になってしまった。だけど、そういう結婚は珍しくないの」

「知ってる、デキコンって言うんでしょ」男子の一人が手を挙げた。「うちの両親がそうだって言ってた」

「うちも。姉ちゃんがそれで結婚してる」

声が何人か上がった。その一人一人に先生は目を向ける。

「そうね。今時、そんな結婚も珍しくないわね。でも、先生と結婚とする人はそうじゃなかったの。子供ができたって聞いた途端、怖くなって逃げてしまった。あのね、世の中の男の人には、そういう人もいるの」

「避妊しなかったの?」

「保健の授業でコンドームのつけ方やったろ。あれ、100パーじゃないって言ってた」

「うそ、俺中出ししなきゃオッケーだと思ってた」

「ばーか、そんなわけないだろ」

「みんな、良く知ってるのね。」少し顔を赤らめながらサイトウは言った。「そう、世の中には間違った情報も多いの。それを信じてしまうこともある。先生の彼氏がそうだった。だから、先生を見習って、男子は軽率なことをしないでほしいの」

「克也は鉄の掟守ってるもんな」

教室の何人かはうんうんうなずいた。先生はちょっと言葉に詰まり、怪訝そうな顔をした。

「……なに?鉄の掟って」

「就職まではセックス禁止」

「浮気もダメだって」

「ま、その辺は克也に聞いてよ」

「内藤が詳しいよ」

「先生、後で教えてあげるよ」

僕は席から声をかけた。サイトウはちらっとこちらに目を向け、再び前を向いた。

「とにかく、先生のお腹には赤ちゃんがいるんだってことを、皆さんわかって下さい。これから迷惑かけてしまうかもしれません。

今先生はつわりが一番大変な時期です。時々吐き気がします。昨日も吐いてしまって、土佐君たちに助けられました。今後も何が起こるかわからない。もし何かあったら、皆も助けてほしい。お願いします」

一気にそれだけ言うと、サイトウはしばらく頭を下げた。教室は一瞬しずまったあと、ぽつりぽつりと声が聞こえだした。

「……助けるって、何を?」

「重い物持つなとか、自習が増えるとか?」

「あ、もしかして、サイトウのヒステリーってつわりのせい?」

「自習が増えんのはうれしいけどな」

笑い声が起こった。サイトウはそこでようやく笑顔を見せた。

「自習は無しです。五島先生にしっかり頼みます」

「えーーー!自習じゃないのかよ」

「まあいいや、俺たちがフォローしてってことっしょ?」

「任せて、しっかりサポートするから」

「ありがとう」

サイトウは再び頭を下げた。教室中に拍手と口笛が響いた。

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