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AIイラストとラダイトとコウハイ

作者: 森野賢人

ネット知識です。

門外漢ゆえ、なにとぞ。

『サイバーパンクの都市と着物を着た水色ツインテールの美少女』


そう入力すると、程なく、スマートフォンの画面に写真のような絵のような、一枚の画像が映し出された。


着物のような服を着た、ネットの歌姫のような少女が、ネオン輝く街を後ろにして佇んでいる画像だった。


「ふん、また指が6本じゃないか。大したこと無いな」


男は出力された画像をまじまじと見つめながら、不機嫌そうにつぶやいた。


態度とは裏腹に、男の興味は中々その画像を離れなかった。


目を画面から離したり、眼鏡を外したり、まるで審査員かのように画像を隈なく見る。


しかし、他の指摘は出てこなかった。



画像を保存すると、男はため息を吐いた。


「これからどうすればいいんだ……」


男は今いる駅から徒歩十分ほどのところにある美術専門学校、K学校に今年入学したばかりだった。


17歳の頃より、SNSで話題になっていた有名イラストレーターに憧れて絵の道を歩み始めた、『絵を描くことが好き』というよりは、『絵を描けることによる恩恵が羨ましい』というのが動機になっている類の人間であった。


自らが凡人であることを自覚していたため、就職に結びついており、絵の上達が保証されていそうな専門学校の道を選んだのだった。


17から絵を描き始めるような人間に才能の無いことは明らかだ。なぜなら、才能のある人間であれば、物心着いたころから飯を食うのと同じように、排泄するのと同じように絵を描いているはずだからだ。


しかし、それでも問題は無い。


俺が勝負をするのは、産まれた瞬間から生粋の絵描きとしての人生を運命づけられた英才方ではなく、産まれてこのかた絵を描いたことがないような消費者、その感性だからだ。


それにイラスト関係の職業に就職し、最低限の生活さえ保障され、絵を描き続けることができれば、いずれ才能の差は時間が解決するはず。


それが男の考えだった。


果たして、男の描いた青写真は正確なものだっただろうか。どちらにせよ、自体は急転を迎えた。


2023年、各国各社でイラスト制作に携る人員の大量解雇が始まった。AIの到来である。


事の発端は海外の美術品評会だった。


2022年米コロラド州で開催されたアートコンテストのとある部門で、AIによって出力された画像が人間を差し置いて最優秀賞を獲得したのだ。


その出来事はすぐさまネットニュースに取り上げられ話題となり、瞬く間に画像生成AIは世界中の人々に認知されることとなった。


そしてネットは大量の画像生成AIと、それによって出力された画像達によって混沌と化した。


そのクオリティは高く、水彩、油彩、日本画、西洋画、宗教画、アニメ、CG……写実的なものと抽象的なものとを見事に違和感なく一枚の絵の中に両立させることができた。


それぞれの技術に途方もない時間を費やさなければ到底成し得ないワザである。それこそ凡才の人生三つは必要であろう。天才の一人生でようやくか。


それが誰であろうと、最低限のスペックを兼ね備えたPCさえあれば、ものの数分で出力可能となったのである。


この時間的懸隔は例え天賦の才をもってしても覆すことは不可能であろう。いや、弘法大師を現代に蘇らせることができればあるいは……。


ともかく、AIは創作の一番の敵であったアイデアと時間とを飛び越えた、博愛的な無双だった。


男の描いた絵図は野放図と化していた。


「よりにもよって、なんで俺の時代なんだよ」


帰りの電車を待つ、駅のホームの薄青いベンチで男は独り言ちた。


夏前の水気を含んだ、薄い膜のような風が、身体に纏わりつくように流れていく。


「技術の進歩ってすごいですよねえ」


調子の高い、溌剌な声だった。


自分に向けられたモノのような気がしたが、男は心当たりが無かったので、その対象が自分で無い可能性も加味しつつ、勘違いを恐れる人のやるのと同じように、できる限り自然さを装いながら、恐る恐る声のする方に目をやった。


すると先ず足が確認できたので、少なくとも幽霊でないことは分かった。


「……何してんですか、センパイ」


今度はより指向性を持った声音だった。


明らかに自分に向けられていると思い、ようやく顔を上げると、そこには見覚えのない顔があった。


男よりも背の高い、雪のような明るい髪と広めのデコが印象的な女性だった。


「……どちらさまだ」


「どちらさまって……酷いなあ、可愛いコウハイじゃないですか」


馬鹿な、と男は思った。


なにせ男は専門学校に入学したてであり、先輩はあれど後輩のいるはずがない。


男は懸命に自身の高校時代の記憶を手繰り寄せたが、やはりその線も無さそうだった。


「人違いじゃないか」


「そんなわけあるはずがありません! センパイは間違いなくセンパイですから」


要領を得ない返答に男がしどろもどろになっているうちに、女は男の隣に腰を下ろし、男の携帯を覗き込んだ。


「これ、センパイが出力したんですか? うまいですねえ」


「AIにうまいも下手もあるか」


男の口から反射的に反論が出た。


初対面の人間に対し、失礼な物言いだったと少しばかり省みるも、女は微塵も気にした様子は見せずに続けた。


「そんなことないですよ~。自分の頭の中を正確に表現するためにプロンプトを組むのって結構難しいんですから」


「プロンプト?」


「ええ、AIに出力させる際に入力する言葉をプロンプトって言うんですよ」


「だが俺のは文章で入力しただけだぞ」


「ああ、それはサービスによるんです。より精度の高いものだと入力の仕方にもう少し工夫が必要になったりするんです。出てきて欲しい特徴を伝えるポジティブプロンプトと、逆に出てきてほしくない特徴を伝えるネガティブプロンプト。これらによって出力される絵を制御するんです。作品によっては、そのプロンプトの長さは五百単語を越えたり……それが所以となって、世間ではプロンプトを呪文だとか、入力する人を術師とかって言ったりしてますね」


「ふむ……」


男は少しばかり感心しそうになったのを堪えて言った。


「君はAIイラストが好きなのか」


男がそう聞くと、女は目を輝かせて言った。


「大好きです! 複雑な造形、新鮮な色使い、それでいて調和された、今までに見たことのない、新たな世界! 創作界に新風を吹き込む、まさに新人類の誇り、叡智の結晶です!」


男が冷めた口調で返す。


「指が6本なのも、まさに新人類的感覚というワケか?」


「AIは全ての人類の美的感覚の総意なんですから、その総意がイイと言っているワケです。何も問題ありません」


「違う、これは人類の怠慢だ」


「怠慢?」


女が要領を得ないように首を傾げる。


男は、そんな女の様子を、見定めるようにじろりと見まわすと、一瞬間の沈黙のあと、再度話を切り出した。


「……君はAIイラストに賛成なのか?」


「ん、賛成って?」


「AIイラストがこのまま横行するのを受け入れるのかってことだ。AIは色んな人の絵を無断で食い荒らしているのだぞ? アーティストが血肉を注いで作り上げてきた世界をだ。労せず利益だけ得ようというのだぞ」


男が早口に言う。


「うーん、あまりそういう印象はありませんけど。でも、逆に受け入れないなんて可能なんでしょうか」


「……なに!」


質問で返された男が、不意を食ったようにたじろぐ。そんな男を余所にして、女が呑気な調子で続ける。


「だってAIは既に様々な分野に浸透してしまっているでは無いですか。別にイラスト業界だけが狙い撃ちにされているワケではないんですよ」


「他のヒトも苦しんでいるからお前らも同じ苦しみを味わえ、というのか? そんな理屈、全く道理が通ってないぞ」


「ですが、この流れを止めることなんてできませんて。仮に私たちがAIを手放しても、また別の誰かがAIを使うだけですよ? そしたら、私たちだけ置いてかれてしまいます。令和の時代に《ラダイト運動》なんて流行りませんよ」


女の言葉に、揶揄されたように感じた男は、少し語調を荒くした。


「《ラダイト運動》は工場や機械の所有者である資本家に対し、所有者じゃない労働者が対抗したのが問題だったんだ。だが今回のAI絵の元になっている《絵》という資本の持ち主は誰だ? 《ラダイト運動》になぞらえるならば、むしろ資本家の領地で狼藉して回っているのはAI使用者たちだ」


「新技術と旧技術の対抗という意味では変わりませんよ」


「変わる! 単に技術面で負けたという話ならば、アーティスト達だって受け入れられたはずだ。競争相手が機械か人間かというだけだからな。しかし、今行われているのは資本の横領だ。これに対抗するのは、正当な権利であり、普通の反応だ」


「ではデジタル画材に関してはどうです? アナログの市場を無視してデジタル画材を使うことは、センパイの仰るAIによる侵略と同じだったのではないですか?」


「デジタル画材を使用するにあたって、アナログ画家達の資産を奪うようなことがあったか? それにアナログとデジタルはできることとできないこととが明確に異なっている。『同じ系統の楽器』程度なものだ。だが、AIはデジタルと市場を同じくしており、しかも既存の絵をさも《フリー素材》のような扱いをして食い荒らしているではないか。そうだ。《フリー素材》はまさにいい例だ。AIの少し前から流行していた《フリー素材》という概念がある。あれも確実にデジタル画家達の利益と衝突するものだった。だがしかし結局受け入れられただろう? それはAIと違って、既存のアーティストから何かを奪って作られた不当なサービスというワケでは無かったからだ! 正当な競争ならアーティストは受け入れているはずだ!」


「ですが、ネットではよく、AIは法律に抵触していないと聞きますよ? 結局、センパイがアーティストに感情移入しすぎなんじゃないですか? 淘汰される側が不条理に感じてしまうことは、ある意味自然なことですよ」


どうやら俺は、この女を論破せねばならないらしい。でなければ明日にも退学届けを出してしまうだろう。


男はそう思った。


「ならば、今ネット各所で議論の的となっている、2018年改正の著作権法について、君の考えをお尋ねしたい」


「ええ、まあ、いいですけど」


女の許可を得るや否や、男は腕組みをし、居丈高に喋り始めた。


「要約すると、一定の用途において、著作権者の権利を制限することにより、著作権者以外による著作物の利用が認められる、という法改正だが」


「まさにAI学習の為の道整備を目的としたような改正ですよね。それによれば、AIは何も問題ないですよね? 例えばですけど、カメラやプリンターを制作している会社では、その性能を確認する為に沢山の被写体を用意するそうです。その中には現在進行形で著作権の存在する美術品なんかも含まれています。しかし、そういった方法での利用は著作権法によって制限されることは無いとか。AIの学習行為も、まさにこれと同じですよね」


女の話を聞きながら、男は鼻で大きく息を吸い込むと、ここぞとばかりに、まくしたてるように言った。


「だが『アーティストの利益を不当に害していない場合に限る』と但し書きされている。入力された単語から出力を生成するAIの機能を《データモデル》と呼ぶらしいな。この《データモデル》というものを作るのに大量の生データが必要なわけだ。《データモデル》を他者に提供する行為は、まさに元の著作物の所有者の利益を不当に害しているだろう。常識で考えれは、各々が写真や絵を購入して《データモデル》を作成するべきだからな。例えるなら、『数学の問題集を購入した人物が、その内容を他のヒトと共有する』のと同じ行為だ。本来なら他の人間も購入するべきところを、その動機や機会を奪っている」


「つまり『データモデルの提供』は『アーティストの利益を不当に害している』と」


「ああ、それにもう一点、『著作物に表現された思想または感情を他人に享受させることを目的としない利用』についても怪しい。塗料やピクセルの集まりである絵が、なぜ塗料やピクセルではなく、別の具体的な物に見えるのかといえば、そこに製作者の『思想や感情』が読み取れるからだろう。同じように、AIの絵が破綻していないように見えるのは、絵から『思想や感情』が読み取れるからで、つまりは学習のターゲットが『思想や感情』であったことの証左だ。AIの最終目的は、明らかに、『著作物に表現された思想または感情を他人に享受させること』にある」


「なるほど、なるほど」


女が納得したようにウンウンと頷く。


「どうだ? 常識的な解釈のはずだ」


「まあ、そうですね。そう捉えてしまってもおかしくない」


「そうだろうそうだろう……捉えてしまっても?」


意味深な言葉に、男の思考が一瞬止まる。


女が淑やかな調子で続ける。


「ええ、センパイに非はありませんよ」


「何を言っている」


「センパイは、この法改正に関するよくある誤解をなされているんです」


「どういう意味だ?」


「まず一つは『アーティストの利益』についての誤解です。機械学習は決して『アーティストの利益』を不当に害しておりません。そしてもう一つは、センパイは開発段階と製品段階とをごちゃ混ぜにしてしまっている点です」


「な、なにを根拠に」


「『デジタル化・ネットワーク化の進展に対応した柔軟な権利制限規定に関する基本的な考え方』。令和元年に公開された文化庁の資料ですね。司法府とは別の、あくまで立法府側の解釈というヤツらしいです」


「……四方? 立方?」


「まあようするに、政府の見解です。この資料では政府の考えが一問一答形式で説明されているんです。内容から察するに、センパイと似たような解釈をする人は少なくないみたいですね。この場合、国に瑕疵があるのか国民の怠慢なのか難しいところですが」


「……そこにはなんて書いてあるんだ」


「そうですね、例えば『思想または感情を他人に享受させること』が目的になってしまっている例については、『他人を感動させる技術を研究する!』という名目で多くの人を招いて有名映画の上映会を行うことや、『漫画の作画技術を教授する!』という名目で漫画をコピーしたり、摸写したりして受講者と共有する、という行為なんかが該当すると説明されていますね。つまり、学習の段階で誰かに著作物を鑑賞させるような場合に《享受》が成立するというワケです。AIは、学習段階では学習元の絵を誰かに見せたりするワケではありませんよね」


「む」


「さらに《享受》に関しては、これは人間において成立する行為であり、人工知能が学習する行為は《享受》には当たらないとも説明されていますね」


「むむ」


「『アーティストの利益を不当に害していない場合に限る』の例では、情報解析やデータベースと難しい言葉が使われていますが、要するに『機械学習を目的として発売された画集を複製して第三者に供与する行為』等が不当に害することになるみたいですね。センパイの例で言えば、AIは、問題集を複製しているワケでも、共有しているワケでもなく、『数学の問題集を解き、それによって鍛えた数学能力を他者に提供してる』だけです。これもある意味で購入の機会をや動機を奪う行為ではありますが、不当ではないでしょう」


「むむむ」


「そもそも、著作権……著作財産権で想定している《アーティストの利益》というものは、著作物の鑑賞により発生するであろう対価のことであって、情報解析などの用途は想定されておりません。よってAIによる情報解析の対象は、著作権法の保護対象外のモノです。《アーティストの利益》では無いので、この但し書きすら必要ないでしょう」


男はおし黙るしか無かった。たしかに著作権法の言う《著作物》というものは、『思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう』と定義されている。これによれば、AIによって解析され、抽出される情報は、著作物の定義の範囲外のモノにも思える。だが、逆に『文芸、学術、美術又は音楽の範囲』に少しでも属している要素があれば、創作物全体を指して《著作物》である、と捉えることもできなくはない。そうすればAIによって抽出される情報も《著作物》と言えるであろう。しかし、そうなると今度は、キャンバスやら、額縁やら、色やら、絵具やら、1ピクセルやらを指して『私の《著作物》だ』と言い張る者が現れてしまうだろう。こうなればAIを受け入れるよりも悲惨な未来が待ち構えていることは明白だ。そう考えると、男に反論することは出来なかった。


男は絞り出すように言った。


「……では現行法では、機械学習は全く問題ないと言うのか……!?」


「ええ、それが例え、青いタヌキの不思議なポケットが印象的な絵でも、ひとつなぎの大秘宝を探し求める冒険譚でも、外国の有名なネズミの作品でも、赤白黒黄色でも、日本ならOKです」


「く、狂ってる」


「しかたありませんよ。事実なんですから。それに人間も同じじゃないですか。センパイはどうやって絵の練習をされていますか」


「そうだな……基本的には、クロッキーや摸写なんかを……」


「たくさんの人の絵や写真に学ぶわけですね。……AIと同じように」


男は嫌な予感を察知して、女を遮るように、しどろもどろに言った。


「だ、だが! 人間とAIの学習を一緒くたにしてもらっては困る。表面上の振る舞いは似ているが、似て非なるものだ」


「ふむ。何がどう違うんです?」


男は意図せず出た口から出まかせを、必死に脳内で肉付けしていった。


「確かに、手本を必要とするところはAIも人間も同じだ。しかし、人間の行為は模倣で、AIの行為はコピーだ。例えば、ここにネットで適当に拾った一枚のデジタルの画像があるとする。デジタルの画像というのは、塗料で構成されるアナログの絵とは違い、ピクセルという極小単色の正方形の集まりだ。ピクセルをうまく並べることによって1枚の絵に見えるというワケだ」


「ふむふむ」


「この拾った画像のピクセルを一つ一つ確認しながら、今度は別の白紙のデータのピクセルに同じ色同じ配置で俺が描き起こしていく。コピーせずにな。そうするとどうなる?」


「全く同じ画像が作られる?」


「そうだ。手法を変えただけで結局コピーだ。だがAIの学習はこれが基本だ。AIはピクセルの配置でしか情報を扱えないから本質ではなく現象を記録するしかない。その現象と単語とを同時に記録し、情報の重みづけを行い、統計を取っていく。この学び方では最終的にできるものはどうあがいてもコラージュ品だ。人間は、いくらそうしようとしても、絵をコピーすることはできない。例え同じ人間が、同じ条件で、同じ絵を描いたとしても、必ず色や輪郭に《歪み》が現れる。トレースしたとしても怪しい」


「コピーできない? でも、世の巨匠によるデッサンなんかは、まるでコピーしたもののように見えたりしませんか?」


「確かに、優れたデッサンというのは、まるで実物を切り取ったかのように感じることがある。しかし、色や比率を正確に比べてみると実物と全然違うなんてことは日常茶飯事なのだぞ。各々が自分の感性に従って、構図や陰影、様々な技法によって《リアリティ》を付加し、《リアル》を演出しているんだ。同じモチーフでも、個性を感じることができるだろう? コピーならそんなことは起こらないはずだ」


「なるほど。では、《スーパーリアリズム》なんかについてはどうですか?」


「あれだってよく見れば筆跡が分かったりするのだが、分子レベルで歪んでいる、と言えば納得するか?」


男の言葉には若干の威圧が籠っていたが、女はそれを歯牙にもかけず、相変わらず呑気な調子で続けた。


「ふむふむ、まあセンパイの仰りたいことはなんとなく分かりました。人の手が介在することによって必ず元と異なる絵になるというワケですね。でも少しおかしくないですか? AI以前から、世の中ではよく、パクリだなんだって騒ぎが起こってますよ? もし異なる絵なのであれば、そんな騒ぎは起こらないはずでは?」


男は、少し悩ましげな表情を浮かべてから言った。


「それは人間の目が補正をかけるからだ。例えば、《シミュラクラ現象》というのは知ってるか?」


「あー、三つの点が逆三角形に配置されているとき、人間の顔に見えるってやつですか」


「そうだ。《シミュラクラ現象》は、あくまで人間の顔に見える現象の事のみを指して言うが、これ以外にも、目に入った情報を、自分のよく知っているものと結び付けてしまう《パレイドリア現象》なんてのもある。いくつかの特徴があってしまえば、残りは人間の脳が補完してしまうんだよ。デッサンなんかを究めると、そういった脳の補正に対抗できるようになるらしいが……他人のジョルジョが、目の前の像とは明らかに別人に見えるそうだ」


誤魔化すときにやたら衒学的になるのは、男の癖だった。


「では、パクリなんてものは、本当は存在しないんですか?」


「コピーとは定義が違うだけだ。既存の作品との間に一定の類似性や依拠性が認められ、且つ創作性が認められなければそれがパクリになるということだ」


「なんだか難しいですね」


「ああ、実際難しい。結局人間の感性次第だからな。パクリには冤罪も多いだろ? 味方の数によって結果が変わったりもする」


「あ、では、それをAIに判断してもらうってのはどうですか?」


「そういう仕事をしてくれるAIなら大歓迎なんだがな……」


男は大きくため息を吐くと、再び話し始めた。


「話が逸れたが、ともかく、人はコピーができない。必ず《歪み》が生じるという点でAIとは違う」


男の言葉を聞いた女は、顎に手を当て、思案顔のまま、塑像のように黙り込んだ。

少ししてから、今度は訝し気な表情を浮かべて言った。


「でもそれって、結局、人間がAIより劣っている点を論っただけですよね」


女の言葉に、男が喰ってかかる。


「違う! いいか、《歪み》は、人類の芸術の、美の探求に欠かせない、超重要な要素であり、人類に与えられた能力なんだ! 先ほど、人間はコピーすることができないと言った。では、そのコピーできなかったところ、人間の目に拾いきれなかった情報は、どうなる?」


「うーん。私の場合になっちゃいますけど、わかんないところ、適当に描いちゃうんですよね」


女は、こどもが自身の失敗を誤魔化すときと同じように、悪戯そうに舌を出した。

だが男は女の親のようにそれを嗜めることはせず続けた。


「元のものとは違う、別の情報でもって、適当に、作品を補う……この適当とは、何に対して適当なんだ?」


「そんなこと言われても、テキトーはテキトーですよ」


「分かっていない……」


今度は親のように嗜めた。


「いいか? この適当は、自分の理想に対して適当なんだ。『こうだったらいいな』『こうなんじゃないかな』『こんな気がするな』って! 大きい瞳に魅力を感じるものは、実物より瞳を大きく描き、高い鼻に魅力を感じるものは、実物より鼻を高く描き、高身長に憧れのあるものは、実物より人を縦長に描く! こうして生まれるものが《歪み》だ! つまり、《歪み》は創作者の本質、心の深層、《フェチズム》の表れなんだよ! なぜ、世の男は胸や尻を大きく描いてしまうのか? それはそこに抗い難いエネルギーが働いているからだ!」


「それは性癖の《歪み》なのでは……?」


女の呆れたような様子を気にも留めず、男は居直って言った。


「ふん、あえて否定はせん。創作に携るものが、性癖の歪みをいちいち恥と思うものか。それに《歪み》はもっと広範に及ぶ現象だ。目や鼻の例を挙げたろう。性にまつわるものから、そうでないもの、時には犬猫等の動物、更には乗り物、建築物、景色……何にどのような魅力を感じ、かくあるべきと思うかは、人それぞれだ。そしてこの《歪み》が何層も塗り重ねられ、塗料のように固着した時、《歪み》は他者の感じ取れるものとなり、共感や感動を呼ぶようになるのだ」


「それが、つまり、どういうことです?」


「まだ分からないか。ようするに、芸術における人間の学習という行為は、とりもなおさず新たな物を創作する行為と言えるんだ! 学習元の絵と、その人の《歪み》とが相互に作用し、また新たな《歪み》を形成する! そしてこの《歪み》の連鎖が、時には競合し、時には協力し、ダーヴィンの進化論よろしく、ヘーゲルの弁証法よろしく、アートというものを発展させてきたんだ! この点でAIとは明らかに様態の異なることが分かるだろう! そもそも、機械学習という単語が良くない! 人間の活動としての文脈で使われる学習とは明らかにやっていることが異なるのに! 定義をあやふやにして議論を混乱させるだけだ! 今後議論をする上で別の言葉を用意するべきだ!」


「なるほど、人間の学習、ひいては創作の定義を根底から覆すことによって、『AIと人間のやっていることは同じ論』を崩そうというワケですね。ですがそれなら反論はありますよ」


「なんだと」


「だって新たな物を作る力ならば、AIにもあるじゃないですか。センパイはコピーやコラージュと仰いましたが、少なくとも私にはAIが出力する絵は今までに見たことのないようなものばかりに感じられます。絵柄で言えば、例えば《マスピ顔》というものを生み出しましたし、単純なクオリティでも今まで人類の到達し得なかったレベルに到達しています。これはAIにも《歪み》が存在するという証左では?」


「いや、あれは生み出したのではなく、統計によって流行りが可視化されただけだ! 経済学や心理学が既に観察されている現象に名称を付けるようなものだ。未来を作る行為ではなく、過去を整理する行為だ。クオリティに関して言えば、学習元に実物の写真が存在しているのだから当然と言えば当然だろう。絵と写真を股にかける縦横無法コラージュだ!」


「でも、統計であれ、完成画像がコラージュされているように感じるというのはセンパイの感想であって、事実としては一から制作されますよね? 白紙から作成して、今までに存在していない画像を出力する。これは創作と同じです。それに、そもそも人間のやり方だって、結局おおよそコラージュみたいなものじゃないですか」


「ぐむ、だが、創作という割に案の定、どの絵もその《マスピ顔》という奴じゃないか! 個性は無く、構図も似たようなものばかり。《マスピ顔》から離れようとすれば今度は版権物のご尊顔が登場だ。これは結局、AIが創作できていないことの証左なんじゃないか!?」


「つまり《マスピ顔》はAIの生み出した物として認めていただけるワケですね。やっぱり創作されているじゃないですか」


「揚げ足取りが……! 断言しよう。AI絵に創作性なんてものは無い! いや、ある程度のレベルまでは新鮮さを感じられるかもしれないが。AIはあくまで統計だ、既に存在している枠組み以上のことはできない。今はまだその枠組みが人間の目に明らかになっていないから新規性を感じられるだけだ。AIがディズニーから鉄腕アトムを産むか? デフォルメが潮流であった漫画界にAKIRAを生み出せるか? 透視図法さえ見つけられなかっただろう!」


「逆にある程度のレベルまではやはり新規性が認められるというワケじゃないですか。それに、センパイの言ってることは結局、自分勝手な予想や妄想ばかりです! AIと人間の相違を認めるには、センパイの説明では不十分です!」


「こんのォ!」


男はぐっと詰まった。そも、その《マスピ顔》はどこからともなく出てきたわけではなく、その絵を構成するピクセルとなった数多の創作者が背景に存在するはず。美しい絵、流行りの絵、存在しないはずなのにリアルと感じる絵、そう感じることのできる《絵》というのは、それまでのたくさんの人間が苦心して築き上げてきたものであり、大量の時間を投資して洗練されたものであり、研究してきたものであり、一人一人、十人十色のものである。決して共通普遍の観念ではない。イデアのようなものがどこかに存在するわけでは無いのだ。突然降って湧いてくるわけでは無いのだ。《マスピ顔》がなぜ《マスピ顔》として受け入れられるかといえば、創作者たちが作り上げてきた価値観というものが背景にあるからだ。しかしそういった因果関係というものが、人間と機械とで、どこまで正当に主張され得るものなのか、判断がつかなかった。


これ以上の説明ができない以上、男は手を引く外なかった。


今にも掴みかかりたい思いであったが、どうにか衝動を抑え込んで、再び話を切り出した。


「ま、まあ、君の言わんとすることも分かった。人間とAIの違いについては、ひとまず置いておこう……だが、君の言う製品段階での問題はどうなんだ! そちらについては別に法改正はされていないのだろう!?」


「ええ、『出力された絵の公開』については、今まで通り人間も機械も関係なく、依拠性やら創造性やらによって《二次創作》か否か決まります」


「AIの学習は元の《絵》ありきなんだから、依拠性が無い物なんて存在しないだろう!」


「ですが証明できないと」


「証明ってなんだよ!? どうやってやるんだそんなの! 自分以外にも色んな人間の絵が混ぜ合わされているのに、ほぼほぼ不可能じゃないか!」


「できないということは依拠性なんて無いんです。ですが安心してください、類似性の観点から攻めればいいんです」


「類似性だって曖昧な基準じゃないか! それに訴訟してる間にもAIの絵は氾濫し続けるのだろう!? 金銭の面でも、時間の面でも、実質自分の作品を守ることなんて不可能じゃないか! 開発の為の権利制限というのは、制限されたとしても著作物が守られるというのが前提のはずだろう!? その実、結局責任丸投げではないか!」


「自分の作品は元から自分で守るものですよ。そもそも、今までだってそうだったじゃないですか。明らかに一次創作者よりも速いスピード、多様なクオリティで二次創作なんてものが作られていたでは無いですか。一次創作者の手の回らないことをいいことに……」


「ぐっ……! 確かにそうだが……だが、ヒトの手による二次創作は一次創作の利益にも繋がっていただろう。コンテンツが盛り上がることは一次創作者の利益に直結するからな。それに、二次創作は駆け込み寺という側面もあったはずだ。絵で食えるようになるには時間がかかるから、それまで一次創作者に需要をシェアしてもらうことによって食いつなぎつつ、将来一次創作者になることを目指して技量を鍛錬する。そして自分が一次創作者になったとき、今度は別の人に需要をシェアする……そうやって創作者たちはバトンを繋いできた! ある意味WIN-WINな関係だったはずだ。それに、一次創作者が声を挙げれば、裁判を起こさずとも界隈自体がその作品の二次創作を自重するという自浄作用だってあった! だが、AIのは違うではないか! 今のAIの行っていることは、ただの二次創作需要の狙い撃ち行為じゃないか! 今までの性善的関係は蔑ろにされ、リスペクトも何もない! 植民地化行為じゃないか!」


「どこも違わないじゃないですか。人間の絵だろうとAIの絵だろうと宣伝にはなりますし、AI絵師だって一次創作をリスペクトしています。それに自浄作用という割に、一次創作者の悲鳴を聞いたって辞めない人は前からいたじゃないですか。センパイの意見は、明らかに二次創作者に都合のイイように現状を解釈しているだけです! 結局、二次創作で得ている自分たちの利益が奪われることが嫌なだけなんじゃないですか? そこに一次創作者への愛なんて本当にあるんですか!」


「ぐむ……! だがAIの氾濫は明らかに一次創作者の需要にまで手を掛けつつある! そうなれば一次創作者は自衛の為に二次創作を強く制限せざるを得ないだろう! そうなれば日本の創作の発展を支えた二次創作文化は終わりだ!」


「それの何が問題なんですか! 二次創作はそもそも違法ですし、そこにメスが入るのは何もおかしくありません。むしろこれからは全員が一次創作を目指す、より健全な創作世界が待っているじゃないですか!」


「二次創作に生かされていた人たちはどうなる! 才能のない者や、時間のない者。将来傑作を生みだす大器晩成の者だっているんだぞ!」


「時代の流れについていく努力を怠れば、おいていかれるのは世の常です。それに傑作を生みだすかどうかなんて予想なんてできないんですから、保護するのは今まさに傑作を描いている人間だけで十分です。生き残った者が勝者であり、正義です」


「だがそうなれば、今後の創作界は、ネットに落ちている画像をかき集めて、AIに読み込ませ、より早く、より大量に画像生成した者が勝つ世界になるではないか! 高性能のパソコンをランニングさせ続けられる、時間と資産とを持ったものが勝つ世界になるではないか!」


「元からアートは、ヒトより時間や資産を持った者にのみ許された世界ですよ。絵は人間の生活には直接関係しません。絵が描けるのは、それだけ生活に余裕があるということであり、環境や機会に恵まれた証です。ルネサンスだって、メディチ家や教皇という経済力を持ったスキモノにたまたま気に入られたから起きたんじゃないですか。これが貧乏人に気に入られただけだったなら、今名画と呼ばれている絵だって、壁の穴塞ぎ程度にしか思われませんでしたよ」


「ばかな!」


「逆に言えば、パソコンさえあれば誰でもアートに参加できるようになるのですよ? センパイはAIの利用がさも創作の世界を狭めるように仰っていますが、AIはむしろ逆です。長い間障壁となっていた時間や経済、専門性や才能の問題を緩和し、より多くのヒトに芸術への参加権を与えるのですよ? 才能の無いヒトだって時間の無いヒトだって、AIさえあれば自分の世界を表現できるんです!」


女の言葉を聞いて、男は、いつの日かネット上で見た《平等》と《公平》の違いを表現したイラストを思い出した。三人の身長差のある人物が、柵の向こうで行われている野球を、横並びに観戦しているというものだ。しかし、実際に野球を観戦できているのは、一番背の高い一人だけで、残りの二人は身長の都合で柵に阻まれ向こうの景色を見ることができない。そこで、足場となる木箱を三つ用意するのだが。これの配り方が《平等》と《公平》とで異なるのだ。《平等》に配る場合、それぞれに一つずつ木箱を渡すことになる。その結果、一番背の高い人は箱を持て余し、一番背の低い人は箱一つでは身長が足らず、試合は観戦できないままになってしまう。そこで、これを《公平》という観点で配りなおす。すると、一番背の高い人の持て余していた箱が、一番背の低い人へと手渡され、結果全員が野球を観戦することができるようになるというものだ。


この話だけ聞けば望ましいのは《公平》であることのように思える。しかし、実際の社会では《平等》と《公平》どちらが望ましいかは未だに意見の分かれるところだ。例えば、企業間の健全な競争がヒトの暮らしを豊かにしていることは公然たる事実だが、これがもし、全く《公平》な環境であったならば、競争して得た取り分の再分配が行われてしまうため、企業の競争する動機が成立しなくなり、競争は発生しなくなってしまう。そうなれば経済は停滞し、国民の生活は維持できなくなってしまうだろう。イラストの人物たちが観戦しようとしていた野球の試合そのものが、《公平》な世界では存在しえないのだ。では全く《平等》であるべきなのかといえば、そう簡単な話でもない。なぜなら、そもそも人間には産まれた段階で個体差や環境差があり、そのままではイラストで言う所の野球を観戦できない人が現れてしまうからだ。これを自然な状態と捉え、良しとする考え方もあるが、少なくとも日本ではそのような考え方はメジャーでは無い。《人権》というものの存在を信じているからだ。日本という国では、誰もが野球を観戦できるべきなのである。


また、これは経済の面でも合理的で、経済の発展維持にはできる限り多くの人員を競争に参加させることが重要になるのだが、もし社会が完全《平等》の自然状態、すなわち《不公平》な状態だったならば、多くの人間はそもそも競争に参加しない、サレンダーを選んでしまうのだ。例として、ここに学業に専念しない学生がいる。学生の本分は学業に励むことであるにも関わらず、親が言っても勉強せず、家に帰ればパソコン三昧の学生だ。なぜそのようなことが起きてしまうのか? それは自分よりも早くから学業に専念し始めた人間や、自分よりも短い時間で多くのことを学べてしまう人間がいるということに気が付いてしまったからだ。つまりは、その学生視点で《不公平》と感じてしまったからである。《不公平》で勝ち目がないものに投資するのは賢い人間のやることではない。故に、学業というレッドオーシャンからサレンダーし、義務教育に無いゲームや創作等のブルーオーシャンで自らのアイデンティティを確立しようというのである。これは人間の反応として極めて当たり前のことだ。(ただ、勿論これは学校という価値観の制限され易い、規模の小さい社会に属している人間の場合の例ではあるが……むしろ自身の実力を客観視できるほどの能力があるのだから、とても惜しいことだ。)


過ぎた《平等(不公平)》も、過ぎた《公平(不平等)》も、どちらも社会に悪影響を及ぼす。つまり、実社会における《平等》と《公平》の関係は、二元論的な判断はされていない。両要素のバランスが大事なのだ。


では、この《平等》と《公平》のバランスに、AIはどのような影響を与えるのだろうか? AIは(料金さえ払えば)誰にも提供されるという意味では《平等》であり、誰もが同じ技術力を持てるという意味では《公平》だ。だが《平等》と《公平》は両立しえない。それは野球観戦の例より明白だろう。全員に同じ数だけ箱を配り且つ全員が同じ身長になるということはないのだ。


恐らくここには、何かまだ、見落とされている要素があるのだろう。男はそう思った。


「・・・分かったぞ」


「何がです?」


「君の話は理解できるものなのに、なぜこんなにも納得できないのか、その理由が、だ」


「と、いいますと?」


折れていた身体を持ち直すと、男は一つ咳ばらいをして話し始めた。


「今回の事の発端は、『著作物の新たな価値』が発見されたことに端を発している」


「『新たな価値』?」


「著作物の中に潜在していた『情報解析の素材としての価値』だ。現状、この新たに発見された価値は、国の立場からのみ、都合のイイように解釈され、使用されている。それを想定した著作物の取引というのは今までされていなかっただろう」


「まあそうですね」


「この新たな価値を、《平等》と《公平》の観点から! 正しく! AI開発者と創作者、双方納得のいくように! どのように扱われていくべきかを、我々は議論するべきだ!」


「ふむ、著作財産権に『情報解析権(仮)』みたいなモノを付け加えるというワケですか」


「そうだ! そもそも著作権の目的は著作者の権利保護と、それによる文化の発展だろう? 今のままでは、国が創作者達に一方的に《公平》を強いているのと変わらない! 《不平等》な状態だ! そうなれば創作者は創作の動機を失い、著作権法の目的である文化の発展と矛盾する! 今の時代、絵に格納されている情報は間違いなく利益ではないか! これは早急に『情報解析権』として、著作者に帰属するものとしなければならない! これが曖昧なままほったらかしにされているのが現状だ!」


「なるほど、つまり、AIの利用自体を否定するわけでは無いと」


「そうだ。学習の用に供する場合、『情報解析権』の持ち主と取引し、許可を貰うか権利を買うかすればいい。そうすれば、誰からの文句も言われず、画像を機械学習に用いることができる」


「んーまあ、一理ありますね。ですが、その新たな価値を見つけた側へのマージンも考えねばなりませんよね? AI開発者側の観点が抜けてはいけません」


「AIを用いて生成した物の著作権が、AI使用者に認められるようになる、というのはどうだ? AI生成物の著作権は現行法では認められていないのだろう? 今のままでは、AIの出力した絵すらも守られない、そんなサービスなんて、商売にはならないだろう。だが『情報解析権』があれば、権利関係がよりクリアになるはず。そうすれば、AI生成の創作物も大手を振って受け入れられるはずだ。今のままではAIを作り上げたAI開発者も正当な報酬を受けられない。今得をしているのは、AI開発者でも創作者でもなく『AI開発者と創作者達の培ってきた物を労せずに得たい人間たち』だけだ」


「んー。聞こえはイイですけど……解析を認められた絵以外も本当に使っていないか、証明が難しそうですし、その『情報解析権』というのは、2018年の法改正の目的とかなり矛盾する内容な気がしますケド」


「そ、それについては、これから議論されていけばよろし」


男の言葉を聞いた女が、先ほどと同じように、顎に手を当て、塑像のように黙り込む。

また俺はロンパされるのか、と男は身構えたが、女から返ってきたのは、呑気で呆気ない一言だった。


「ま、妥協点としては、そんなとこですか」


男は、ほっと、胸をなでおろした。が、情けなく安堵した様子が悟られぬよう、脱力せず言った。


「イイ塩梅だろ」


「まだまだ創作者寄りですがね。とはいえ、これから実際にどのようになるかは、私たちより賢い人たちが、議論し合って決めてくれるでしょうから、それを楽しみにしてましょう。センパイの期待する通りになるとイイですね」


女の言葉に歩み寄りを感じた男が調子付いて言う。


「ま、仮に、世界がAI有利な結論にたどり着いたとしても、ヒトの作り出すモノに敵うとは思わないけどな。いいか、芸術ってのは、創作者と鑑賞者の、ヒトとヒトの、ハートとハートのぶつかり合い。時間と距離とを超越した、アインシュタインもびっくりなコミュニケーションなんだよ。人間の心ってのは実際に目で見ることができない。だが、創作を介することによってのみ、決して見えるはずのない、他人の心の中身ってのを垣間見ることができるんだ、そうして、その人の真実に触れた時、ヒトは感動を覚えるんだよ」


男のとうとうと話すのを余所に、女が席を立ちあがって言う。


「本当に敵にならないと思うなら、AIなんて放っておけばいいじゃないですか」


「う」


「それに、なんだかんだ言って、センパイのAIの画像フォルダ、200枚くらいあるじゃないですか」


「……なに!」


なぜ知っているんだ、と、男は思った。


立ち上がった女が、男の方を向いて、微笑みながら言う。


「さっきちらりと見ましたから」


「なっ、ま、まあ、これは参考にだな……って、おい、どこに行くんだ?」


女がスタスタと、ホームの端へと歩いて行く。


離れていく女の背中に、男が言葉を掛ける。


「次の列車は特急だぞ? ここには止まら……」


そこまで言いかけて、今まで何となく感じていたものの、棚ざらしのままされていたいくつかの違和感が、男を羽交い締めに支配した。




ここは、この駅の改札口から一番遠い場所だ。車両的に他の駅なら改札に近くなるとかいった、いわゆる穴場というワケでもない。


ラーメン店に入った客が、後の客のことを考えて、奥に詰めて座るのと同じような感覚で、俺はここに来ているだけだ。


言わば習性のようなものに近い。こんなことを、混雑していない駅でまで実践しているのは、俺くらいなもんだろう。


たまたま彼女も同類だった? 果たしてそうなのだろうか。


それだけではない。


何故、彼女は故も知らない俺に話しかけたのか。


何故、こんなにも長々と俺の話に付き合ってくれたのか。


彼女の容姿口ぶりから、俺と同じくらいの年頃であるには間違いない。しかし年頃の割に服装が子どもじみているのは、長い間服を買い直していないか、もしくは親姉妹のおさがりか。いずれにせよ、そこに経済的事情があろうことは想像に難くない。


そして、現代、AIは既に様々な分野に浸透し、大量の失業者を世に産み出しつつある。


もし、彼女の親姉妹がその毒牙にかかっていてもなんら不思議ではない。


俺のAIフォルダに保存されている画像の枚数を言い当てたのだって、よくよく考えれば変だ。先ほど、AI出力の画像を保存する瞬間は見られたかもしれないが、画像フォルダの枚数なんぞ、会話中に知るタイミングは無かったはずだ。


どこか別の場所で、彼女は俺のフォルダ事情について知る機会があった。そして、ひいては俺のAIへの関心を知っていた。


彼女は、全て知っていて俺に話しかけた?




分かったぞ。


AIによって親姉妹の職を奪われ、描いていた将来を奪われ、人生に絶望した彼女は、その最後に賽の目を振ることにしたのだ。


反AI派である俺と、AIについて議論することによって・・・


今、世の中で正しいとされてしまっている、看過されてしまっている、AIによる残虐行為を、否定して欲しかったのだ。


だが結局、俺は否定することができず、妥協に逃げてしまった。


彼女の、人生最後の遊戯は終わってしまったのだ。




電車の強烈な光線が、その距離を感じさせることなく、彼女の雪のような髪を解かす。


「待て! 早まるな!」


男は椅子から駆け出し、女へと手を伸ばした。


すると、それに気が付いたのか、女が男に振り返り、青白い手を差し延す。


男は身を攀じり、それを掴もうとしたが――。


「へ? ぴ、ピース・・・?」


女の手は、男の手を掴むために差し延されたワケでは無かった。


男の目の前で作られたのは、平和を意味するハンドサインだった。


「これからの時代、楽しみですね。センパイ」


その時、男はようやく気が付いた。


AIによって描かれる絵は、細かい点では未だに間違いも多いことが指摘されている。


代表的なので言えば、光と影の関係だったり、物と物との境界だったり、ヒトの指が6本に増えたりといった点だ。


だが、その指摘は、本当に正しいのだろうか?


光源について言えば、自然ではないだけで、物理的に可能であることが殆どであるし、物と物との境界だって、そういう曖昧なものが本当に存在しているのかもしれない。


私たちが知らないだけで、宇宙の果て、どこかに存在する景色を、AIは描いているのかもしれない。


……AIの絵が人を魅了しているのは事実だ。


しかし、その反面、同じくらい不気味さを訴えている人がいるのもまた事実。


その不気味さの正体とは、なんなのだろうか。


もしかしたらそれは、未知への恐怖。新たな種によって、旧い種の存続が脅かされるような、そういった原始的恐怖なのではないだろうか。


少なくとも男は、その日から、AIの描く世界を信じざるを得なくなった。


彼女の長い、絹のように美しい、()()()()()()()によって作られたピースを見て――。




――旧人類(センパイ)


特急電車の空間を裂くような轟音の中、はっきりと、新人類(コウハイ)の声が、男の脳内に響く。


新人類(コウハイ)が、まるで階段を上るように、夜空へと舞い上がっていく。


これから来るであろう新たなる時代の圧倒的スケールを前に、男は立ち尽くすしかなかった。

〇2023年6月6日追記

投稿後に気が付きましたが、AI生成品に著作権を認めてしまうと、AIで出鱈目に画像を出力しまくり、将来発表される作品に片っ端から類似性依拠性があると訴えてしまう人が現れそうなので、男と女の出した結論では十分では無さそうです。


そもそも著作権には、人の作り出す物と、人以外の動物と自然とが偶然に産み出す無量大数のアートとを区別する目的が含まれているらしく、そういう意味ではAIの作り出す物は《自然物》と捉えるのが一般的なようです。創作、著作権、産業、難しい!


参考文献


文化庁著作権課"デジタル化・ネットワーク化の進展に対応した柔軟な権利制限規定に関する基本的な考え方"

STORIA 法律事務所"進化する機械学習パラダイス ~改正著作権法が日本のAI開発をさらに加速する~"https://storialaw.jp/blog/4936,(参照2023年6月5日)

これだけ知っとけ著作権講座"二次的著作物とは"https://chosakuken-kouza.com/kihon/nijitekichosakubutu.html,(参照2023年6月5日)


不備があったらゴメンナサイ。

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[一言] 興味深かったです。 個人的には、流れは止められないだろうな、と思っています。昔々読んだような話ですが、サンプリングシンセが出来たころ、サンプルするために色々な楽器の音を出す、というバイトが…
[良い点] AIイラストに関する議論はいまだにモヤモヤしますね(-_-;) いずれ時間をかけて落ち着くべきところに収まるのだとは思いますが、過渡期にいる私たちはずっと振り回され、かき回され続けるんでし…
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