Starlight Station
「おうい、いい加減あがれよー」
「ああ、わかってる」
宇宙服に備え付けられた通信機器で同僚のじいさんから声をかけられたのは、ちょうど仕事道具を片付けていたときだった。このじいさんはよくこうして声をかけてくれる。数少ない仕事仲間だから一応気にかけてくれているみたいだ。
ふと視線を動かせば、黒々とした闇の中にひときわ明るく光る星が目に入る。我らが先祖が暮らしていたという星、地球だ。
「青かった」と当時宇宙飛行をした人が言い残したらしいが、確かに今もその星は青く輝いている。地表を海と呼ばれる水がほとんど覆っていて、さらに大気と呼ばれる空気の層が覆っていることでそう見えるんだとか。でも学がない俺には本当のところはよくわかってない。たまに見ると綺麗だと思うけど、その実そこは今や生命と呼べるものはほとんど住むことができない毒の星なのだと思うと、少しの不気味さも感じる。
ステーションの出入り口から中間層の部屋に入り、気圧が正常になったことを確認して宇宙服を脱ぐ。もうずいぶん長いこと使っているから、そろそろメンテナンスが必要かもしれない。中と違って外では宇宙放射線をずっと浴び続けているわけだから、目に見えない劣化がどこで起きてても不思議じゃない。
中間部屋での作業を終えて、居住区へつながるハッチから中に入る。その先に続いている白い廊下が今までいた宇宙空間の暗さとの対比でやけに明るく感じた。
「ヒロノ君?」
目をしばたたいていると、横のドアから出てきた人物に声をかけられた。見知った顔だ。
「サキ。今帰り?」
「そう。ヒロノ君、こんな時間まで仕事?」
「同じ時間に出くわしたサキに言われても」
「私はほら、遅番だから」
居住区内の隣り合う部屋に住んでいるサキとは昔からの馴染みだ。彼女の仕事はプラント管理という、食用の野菜を含む様々な植物の育成管理をする類のものだ。時間と関係なく人手がいるから、遅番に回されるのもわかるけれど。
「遅番なんて男に回しときゃいいのにな。こんな時間に一人で帰すとか」
「大丈夫だよ。さすがにこの後の時間の夜番に入ることはないし」
サキはのんびりと応える。それがちょっと心配だ。
ちょうど行きあったこともあって、俺たちは連れだって帰路についた。この時間、人通りなどほとんどないステーション内の廊下はしんとしている。今は時間帯としては夜の内だから、ここに住んでいる人間はほとんどが居住区で休んでいるはずだ。サキの言う夜番のように夜通し働く人間を除いて。
こうして並んで歩くのはずいぶん久しぶりな気がして思い返してみたら、サキの顔をまともに見たのは母の葬儀以来だった。
今年の初め、母は亡くなった。去年、長い順番待ちの末に精密検査を受けたときには末期のガンだった。闘病生活があまり長引かなかったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
ここではほとんどの人間がガンで命を落とす。それはあまりにありふれていて、悲劇のうちには入らない。やっぱりか、という諦めのような気持ちがあるだけ。父も幼い頃に亡くしているから、居住区の部屋には今は俺しか住んでいない。
悲しいのかどうかもよくわからない俺とは対照的に、サキは俺の母の葬儀で泣いた。他人のはずのサキがなんで泣くんだろう、と俺は不思議な気持ちで見つめていることしかできなかった。本当は、その涙は俺が流すべきなんじゃないのか。そう思ってみても、やっぱりよくわからなかった。
俺は感情のどこかが壊れているのかもしれない。
宇宙放射線の被ばく量が尋常じゃないほど多くなるから、若者はほとんど就かないステーション外部のメンテナンスという仕事に、俺は十代のころから従事している。学力がなくても、特別な資格を持っていなくても初任給から破格の給料が出る仕事だったから選んだ。既に父もなく、母と二人きりの生活。閉塞的なこのステーションで、せめていい暮らしがしたかった。はじめはそんなことを考えていたはずなのに、いつしか自分が生きるために仕事をしているのか、仕事をするために生きているのかもわからなくなった。
母も見送ってしまった今、その目的はさらにあいまいになっている。
「ヒロノ君」
存外はっきりした声で名前を呼ばれて、ずいぶん長いこと考え事をしていたことに気づいた。もう居住区の自分の部屋の前にいる。隣のサキは少し怒ったような、険しい顔でこっちを見ていた。でもそれはつかの間のことで、すぐにいつもの柔らかな表情に戻る。
「今日はもう遅いけど、もしまた帰りが一緒になったら、二人でご飯でも食べよ」
「うん?ああ、いいけど」
「ふふ、約束ね。じゃあおやすみなさい」
なぜか楽しそうに去っていくサキを、隣の部屋の中に消えるまで見送る。その姿に抱いた想いを、俺はまだ正しく理解することができない。