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3年後、美波の父が亡くなり、東京に転勤していた実來がひかりと娘を連れて葬儀に出る為、帰ってきた。
喧嘩別れしてから3年間、2人は一度も顔をあわせていない。
「ほんま久しぶりやなぁ。2年前か。お正月に帰ってきたん」
「そうですね。ホンマはもっと帰りたいんやけどね、別に行きたくて東京行ったわけやないし」
「やっぱ恋しなる?大阪」
「なりますよ〜。人の温かみがちゃいますわ」
美波の母と実來が話をしている。
美波は壁にもたれて座って、スマホを見ている。
「美波、あんた座ってんと実來君に挨拶しぃな」
美波は黙って立ち上がり、引き戸の方へ向かった。
「ちょっとあんた、いい加減にしなさい。いつまで拗ねてるの」
「そんなんちゃう。トイレ行きたいだけ」
足早に、美波は引き戸を開け、外へと出ていった。
「ごめんね、実來君」
「いえいえ」
「びっくりせんかった?あんな髪なってて」
美波は髪を金髪に染めていた。
「いや別に、普通やけどね。あれくらいのは友達にもいますよ」
「それはそうやねんけど、あの子そんなことする子やなかったやん?キャラに合わへんいうの?」
「あー。まぁ、おしゃれしたくなったんちゃいますか」
内心では実來は驚いていた。美波の母が言う通り、美波はそういうタイプではないし、正直、金髪は似合っていなかった。
「実來君には、気遣わせるんやないかて、お父さんとも話して言わへんようにしてたんやけど、美波、実來君と喧嘩してから、ちょっと大変やったんよ」
「え、そうなんですか」
「もう、毎日夜中まで帰ってこないし、煙草は吸いはじめるし、髪もあんなにするし」
「反抗期か」
「それくらいなら、よかったんやけど、そのなんていうの、夜のお店、風俗?みたいなところで働きだして」
「はあ?」
「それはほんまに偶然、近所の片山さんがお店に行った時に見かけはって、接客する前に連れ戻せたんやけど」
「片山さん、奥さんおるやろ」
「奥さんには内緒にしといて。でもそれからは、働きもせずに毎日フラフラして、友達もみんな離れていってしもうたんちゃうかな」
「そうやったんですか。あれから僕も美波のことは誰からも聞かなかったんで、知らなかったすわ。まぁ聞いてても、何もしてやれなかったですけど」
「そうやね、実來君もう東京やし、お父さんやもんね。あんな子供みたいに拗ねたままの子のことなんか、かまってられへんよね」
実來の頭に、あの日の、泣きじゃくっていた美波の顔が浮かんで、消えた。
「まぁ何も変わらへんと思いますけど、僕ちょっと話してみますわ」
「ほんまに?無理せんといてな。ありがとう」
「ええですよ。な?ええよな?」
実來は黙って2人の会話を聞いていたひかりに確認した。
ひかりは静かに、ええよ、と言って頷いた。
「ほな、ちょっと行ってきますわ」
実來は言って、廊下へ出た。
廊下に出ると、丁度美波がトイレから戻ってきていた。
美波は実來を無視して前を通り過ぎると、廊下にある椅子に腰掛けた。
美波は取り出したスマホを見つめて、実來の方は見ようとしない。
実來は美波に近づいた。
美波はスマホに視線を落としたまま、チッ、と舌打ちし、左手で頭を掻いた。
荒んだ心であの日から生きていたことが、美波の仕草から、実來にはわかった。
「美波、何してんねん」
「・・・・・・」
「お母さん、心配してるやんけ」
美波はスマホを見つけながら、こいこいこいこい、と呟いている。何かのゲームをしている。
「もっとちゃんとせぇよ」
「・・・・・・っさいな」
実來は自分の冗談に無邪気に笑う美波を思い出していた。目の前の美波とはかけ離れてしまった。
美波は苛立った様子でスマホを隣の椅子に置くと、煙草を取り出した。
「やめろや、こんなん」
実來は美波に近づいて、その手から煙草の箱をとりあげた。
「なにすんのよ。煙草なんかもうずっと吸ってるわ。あんたにごちゃごちゃ言われる筋合いなんてない」
美波は勢いよく実來から煙草を取り返した。
あんた、と言われて実來は少し動揺した。
実來の知ってる美波は、実來のことは名前で呼ぶ。
「ええ加減にせぇよ、いつまで拗ねてんねん」
「何怒ってんの?もしかして、責任でも感じてんの?俺がフったから、こうなったって?なめんといてよ」
美波は実來を嘲笑うと、椅子に座り直して、煙草を口にくわえた。
「戻ってくれよ、頼むから」
「どこに?」
美波はまた嘲笑した。
「美波がそんなんやと、周りがみんな辛いやろが」
「周りって誰?お母さん?私の周りにはもう誰もおらへんよ。お父さんも死んだし」
「おるやろが、ここに、俺が」
「東京の人が何言ってんの。今日だけ帰ってきて、また私の前からいなくなって、何もしてくれへん。私を捨てといて、今更なんなん」
「捨ててへん、俺は美波のこと、捨ててへん」
「どの口が言うの。泣いてた私を置いていったやん!振り返ってもくれんかった!」
「ずっと心配しとったよ、東京行ってからも、美波のこと、心の何処かで、ずっとや」
「やめてよ。忘れてたやろ。東京で幸せにひかりちゃんと、子供まで作って、その幸せの中に、どこに私がおったの?そんな幸せの中におる私なんやったら、なんで私を選べへんかったん。幸せの中でも忘れられへん女なんやろ!」
「側におると思った。何があっても、喧嘩しても、また戻るやろって、俺は」
「そんなんあるわけないやろ!私をなんやと思ってんの!あんたが幸せになって、その横で私が笑ってる意味が何処にあるんよ」
「俺は美波が側におれば、それでよかった」
「やめて、やめて、やめて!やめて!!」
美波は頭を抱えて、俯いた。
「言わんといて、そんなこと。聞きたくない。嬉しくもない」
美波の頭にもう一つの人生が、浮かぶ。選ばなかった人生。実來の側で、あの頃のまま、無邪気に笑う自分。実來の幸せを受け入れて、自分も幸せでいる。
もう手にすることはない。
「戻られへんか?あの時みたいに、もう」
「やめて。無理に決まってるやん。もう私、実來の知ってる私じゃない」
「待ってるよ、俺は。美波が戻ってくるまで。美波の望むことは、俺はしてやれんけど、美波が戻った時に、あの時と変わらへん俺で、俺は美波を待ってるよ」
「やめてって言うてるやん。腐れ縁なんか私いらへんの」