第ニ話 とある弁護士の非日常のはじまり
年度末が目の前まできていました。
何かと仕事が増えて忙しいです。
今日も今日とて書類と格闘していると、事務所の電話が鳴りました。
僕が勤めるこの弁護士事務所は、安倍家のための事務所です。
安倍家の法務、財産管理、その他多岐にわたる仕事をしています。
所長の一条さんは父の親友で右腕と言える人です。
電話で話をしているその所長の顔がどんどん険しくなっていくことに、ひとり、ふたりと気がつきました。
所員が手を止め所長を見守ります。
もちろん僕も所長から目が離せません。
何かが起こったと、誰もが察しました。
「安倍家に非常事態が起こった」
電話を切った所長の言葉に、全員が息を飲みました。
「大きな封印が解けて、安倍家全体で対処することになった。
この事務所からも人員を割くことになる。
全員、今やっている仕事の進捗を報告しろ!
仕事を振り分けるぞ!」
今でもいっぱいだった仕事を、半分の人間で処理するといいます。
仕事を引き継ぐ人間も、引き継がれる人間も、悲鳴を上げました。
「まだ悲鳴を上げる余裕があるなら大丈夫だな」
ニヤリと笑った所長に、全員何も言えませんでした…。
僕は引き継ぐ側の人間でした。
『霊力なし』の『役立たず』だけど、一応当主の息子。次期当主の父親です。
使う場面もあるでしょう。
慌ただしく仕事を引き継いでいると、スマホが鳴りました。
息子のヒロです。
珍しく思いながら電話に出ます。
「オミさん。今大丈夫?」
息子達は僕のことを『オミ』『オミさん』と呼ぶのです。
昔は二人とも『オミパパ』って呼んでくれてたのに。
ヒロが小学二年生頃に「なんか『パパ』て呼ぶの、恥ずかしい」と言ってきて、それからこうなりました。
さみしいですが、これも成長の証ですよね。
「大丈夫だよ。何?」
あまり大丈夫ではありませんが、次期当主の右腕として活動しているヒロからの、今この非常時にかかってくる電話です。
何かあるとしか思えません。
「ちょっと、ナツのところに行ってほしいんだ」
そしてヒロが事情を説明してきます。
ヒロ達霊玉守護者の霊玉のもとである『禍』の封印が解けたこと。
ヒロのところにその『禍』が来たが、散らした? こと。
他の霊玉守護者の安全確認をしたが、なっちゃんだけがどうしても居所がわからないこと。
ついに来た。
ヒロの生命の危機が。
十二年前、ハルに提示されていた可能性のひとつ。
『禍』の封印の影響。
何とかしなければならない。
ヒロが助かるために。
僕にできることは何だ!?
僕は何をすればいい!?
ぐるぐると、いろいろなことが頭の中をまわります。
それを深呼吸で落ち着かせ、ヒロに返事をします。
「――わかった。すぐになっちゃんのところに行く。
わかり次第また連絡する」
電話を切り、すぐに所長に話をします。
所長のほうにも、ハルから僕はハル直属にするよう連絡が来たといいます。
大急ぎで引き継ぎを済ませ、なっちゃんのいる能楽師の家に向かいました。
何度ここに来ただろう。
この玄関に立つたびに、苦い思いが胸をしめつけます。
なっちゃんお母さんに最低なことをしたクズが、なっちゃんを連れ去った。
なっちゃんを返すよう何度も、何度も交渉に来た。
警察も、児童相談所も使った。
でも、いまだになっちゃんを取り返すことはできていない。
悔しさも苦々しさも全部笑顔の下に隠し、呼び鈴を押します。
応答してきた事務員に来訪目的を告げると、少ししてクズとクズの息子がやってきました。
クズはもう八十歳。
早くくたばればいいのにと思うのですが、憎まれっ子世にはばかるというのは本当らしいです。
ジジイのくせにまだ舞台にしがみついている、いわゆる老害です。
クズの息子は五十歳を少し超えています。
僕より十歳以上年上です。
が、クズを止めることもいさめることもしない、おまけになっちゃんの現状を間近で見ているのに何もしようとしないクズ息子です。
「こんにちは」
愛想よく見えるように、にっこりと笑顔をつくります。
正直クズの顔を見るだけでもつばを吐きかけたくなりますが、我慢、我慢。
「ナツくんに会いにきたのですが、どこですか?」
クズも、クズの息子も何も言いません。
ただ、一瞬の動揺が見えました。何だ?
「まさか、いないとか言いませんよね?」
カマをかけると、動揺がはっきりと顔に出ました。
「失礼します」と一言かけて、稽古場に向かいます。
クズがなっちゃんをずっと舞わせているのは有名な話です。
何度もこの家に交渉に来ているので、間取りはわかっています。
果たして。
稽古場の壁に、穴が空いていました。
殴ったくらいでできる穴ではありません。
車が突っ込んだような大きな穴です。
そして、稽古場には三人の少年がいました。
なっちゃんの異母兄にあたる三人。
いつもなっちゃんをいじめている三人。
その三人共が痣を作って座り込んでいます。
三人は僕の登場にうろたえています。
なっちゃんは、どこにもいません。
なっちゃんが、いない。
感情を抑えるために、しばらく息を整えます。
「――なっちゃんは、どこですか?」
つい、低い声が出ました。
まだまだ僕も未熟ですね。
三人はペラペラと喋ってくれました。
「急にナツが殴りかかってきて」
お前らが先にちょっかいかけたんだろうが。
「そしたら急に爆発したみたいな音がして」
は?
「気がついたら、もうナツはいなかったんだ」
…………。
知らずにらみつけていたらしいです。
子供達は「本当だって!!」と騒ぎます。
その様子に嘘は見えません。
これでも弁護士です。多種多様な人間を見てきました。
嘘をついている人間は、わかります。
「――つまり、ナツくんは突然いなくなった、と?」
僕の言葉に、子供達はコクコクとうなずきます。
どういうことかと一人思案していると、クズが叫びました。
「このために生かしていたのに!
肝心なときに役に立たないとは!
使い物にならない子供だ!」
――その、言葉 に。
すうっと、全身が凍りついていきました。
ずっと一族から『霊力なし』として蔑まれてきた。
親友と奥さんのおかげで吹っ切れたけど、今もその苦しみは僕の奥底でくすぶっている。
「このために生かしていたのに!」
僕は、主座様を生み出すための道具
そのためだけに生かされている
「肝心なときに役に立たないとは!
使い物にならない子供だ!」
『役立たず』『役立たず』
僕の奥底でうずくまっている、子供の頃の僕が泣いている。
苦しい。悲しい。
僕は、生きていてはいけない。
ぎゅっと拳を握ります。
許さない。
許さない。
他人を『役立たず』と蔑むやつは。
昔の僕のような思いを他人に強いるやつは。
許さない。
潰す。
今まではなっちゃんを助けるために動いていました。
でも、やめた。
潰す。
このジジイ、叩きのめす。
僕はなっちゃんの代理人だから、なっちゃんの意向を尊重して動かないといけませんでした。
なっちゃんは自分のことは無頓着で、助けようとしてもなかなかふみこめなかった。
でも、今、なっちゃんはいません。
ならば、僕の独断で動いても問題はないでしょう。
覚悟しろクソジジイ。
破滅させてやる。
「――そうですか」
なるべく平静にみえるように装い、スマホを取り出します。
「写真を撮っても?」
許可を得て、壊れた壁や、三人の怪我などの写真を撮ります。
三人に怪我の状態、細かな状況を聴き取り、その場で書面を作りました。
「正式な書類は後ほどお持ちします。
ナツくんが壊した壁と怪我をさせた彼らへの賠償に関する書面です。
この三人は病院につれていって、診断書を出してもらってください。
本日の治療費他は後日僕が支払います。
かかった病院の事務の方に、こちらの名刺の番号に連絡するように伝えてください」
僕の渡す名刺をあわてて手に取るクズの息子。
名刺にはちゃんと治療費のことをメモ書きしておきました。
「壁に関しては、すぐに修理を手配致します。
連絡を入れさせますので、しばしお待ちください。
かかる費用は全て僕が持ちます」
まずはこれでいいでしょう。
帰ってからの仕事の段取りを考えていると、クズの息子が話しかけてきました。
「な、何で貴方がそこまで…」
理解できないか。
まあそうでしょうね。
「僕は元々ナツくんのお母様の代理人です。
ナツくんのお母様が亡くなった今は、彼の代理人でもあります」
何もできない『役立たず』の代理人ですけどね。
代理人だから、なっちゃんに犯罪歴がつくようなことは潰しときたいんですよ。
「それに、ナツくんは僕の息子の特別な友達です。
ナツくんのことならば、どんなことでも僕が肩代わりすると、決めていました」
そう。
ハルとヒロのため。
それになっちゃんはもう、僕らの息子も同然です。
本当の意味で助けることはできないから、できることは何でもします。
「だからこちらの社中にも、支援金を出していたんですが」
『金がないからなっちゃんに食事をとらせないのか?』『金は出すから食事くらいちゃんととらせろよ』という意趣だったんですけど。
「ご存知なかったようですね」
伝わってないようですね。
「ですが、それも今日を限りに打ち切らせていただきます。
ご承知の上ご覚悟ください」
にっこりと、自慢の笑顔を向けてやりました。
『化狐の報復』と比べていただけると、お互いがどう見えているか比較できると思います。
よかったら『化狐』もよろしくおねがいします。