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前編

(元)大手商社のエリート社員とアパレルのサブ店長が織りなす、複雑で不安定な大人の関係を、妄想全開で書いたパルコの短編式シリーズ小説『スパイシー・モクテル』、最終作まであと一本になりました。


※この作品およびこのシリーズは別キャラ視点(特にヒーロー視点)を募集しています!

 書いてくださる優しい方はパルコまで。


今作で事実上の最終回となり、あとはエピローグを書けば完結します。

見守ってくれた皆様に心より感謝いたします。

 天国にいるあいつの女神様へ

 お元気ですか?



 そのきっかけは、高校時代から仲のいい友達との電話だった。

『ファッションイベント?』

『そう! 今回あたしが担当した企画なんだけど、人からのおさがりをリメイクした服で、コンテストやるんだよねー。琴美(ことみ)が手伝ってくれたら助かるんだけど』

『私もう服作れないけど』

『ああ、うん。作る方はあたしたちがやるんだけど、琴美にはコーディネートをお願いしたくて。もちろん交通費も出すし、ウチに泊まっていいからさ!』

『うーん……。まあ偶然取れた三連休どうせヒマだしいいよ』

『ホント!? ありがとう琴美!』



 新宿から約一時間半。この街は海が有名だからか、マリンテイストの建物がちらほら見られる。時刻は十時五十分。友達とは十三時に待ち合わせる予定で、少し時間が余っている。


 ランチにはまだ少し早い時間だけど、意識はほぼ空っぽな胃に向いた。どこか美味しいものが食べられるお店はないものか。そう考えながら駅を出て街に繰り出すべく足を進めた。



 平日だからか、車通りが多少あっても人が歩いていない。ぶらぶら適当に歩いていると、塩気のある香りがした。どうやら海が近いらしい。潮風が優しく吹く街のなか、綿雲のような髭が特徴的な可愛いコックさんのパネルを見つけた。コックさんは青と白を基調としたマリンテイストの建物の前に立って、『Micky's Burger』と書かれたボードを持っている。


 コックさんが持っているボードには十一時から十八時と営業時間も書かれている。スマホで時間を確認すると、十一時二分。もう入ってもいいみたいだ。そもそもハンバーガー自体久しぶりだし、潮風が香る街に佇む店で食事するのも雰囲気が出るかも知れない。



 私は『Micky's Burger』のドアを押して、店の中に入った。ドアをそっと閉めると「いらっしゃいませー」と程よい軽さと落ち着きを持つ男性の声が聞こえた。

「こんにちはー」

私はドアを閉め切ってから振り向いた。

「あ」


 やばい、「あ」って言っちゃったよ。私に声をかけた男性もきょとんとした顔で立っていた。男性の身体は、骨組みが大きいのか肩幅が広い。けど、袖を捲ってカウンターを拭く彼の腕は脂肪がなくて細かった。ネイビーのシャツに黒いスキニーパンツを合わせた清潔感のある服装にグレーのエプロンを着けた男前を前に、私は言葉が出なかった。


 先に言葉を発したのは、彼だった。背筋を伸ばして私に向き直る。

「一名様ですか?」

「あ、はい」

「…お好きな席、どうぞ」

「うん、はい……」

私は出入口に近い二人掛けのテーブル席についた。「一名様ご来店です」という聞き慣れた彼、いや、あいつの声が、客のいない店内に響いた。



 あいつ――(じゅん)と関係を終わらせて一年が経つ。



 席で何をいじくるでもなく時間が過ぎるのを待っていると、「失礼いたします」と淳が氷水の入った小さいグラスを持ってきた。変わらない。大きい掌と、節だった長い指。

「お決まりになりましたらお呼びくださいませ」

淳は店員の顔で私に言った。他人のふりなのか、もう無かったことにしたいのか、それは分からなかった。



 淳は誰もが聞いたことのある大手商社で、若くして課長の座についていた。その頃に知り合って、割り切った関係を二年続けていた。不毛な関係を終わらせたのは私で、関係が終わった半年後に、淳が会社を辞めたことを聞いた。


 退職の理由は、体調不良だったという。でも、私には他の理由がある気がしてならなかった。淳との関係を終わらせた日、淳が夢の中で愛する人に訴えたのは「連れてって」だったから。愛する人の側にいられないのなら、この世に留まることも嫌だと、そう言ったから。


 淳はきっと、死ぬことを考えていた。



 メニューも見ないでグラスを見つめていると、頬が濡れていて、『ああ泣いてんの? 私』って、他人事のように涙を指で拭う。涙が出て、声も出てきた。


 生きていた。淳が生きていた。よかった。私のことは忘れていても恨んでいてもいい。笑って生きていてくれていただけで。


 いい加減泣き止もう。二十六の女がレストランで声を出して泣いている光景なんて奇妙以外の何物でもない。そういえばメニューも見ていなかった。紙ナプキンで涙を吸い取るように拭いてメニューを手に取ったところで、テーブルにおしぼりが置かれた。

「よろしければご利用ください」

淳が穏やかな声で言った。

「あ……ありがとうございます」

おしぼりは冷たくて、目尻に当てると気持ちいい。私はアイシャドウがつかないように目頭と目尻を中心におしぼりを当てた。

「今日は……どちらからいらっしゃったんですか?」

淳が迷子を宥めるような声で聞いてきた。

「東京です。……友達の、仕事を手伝いに」

「あぁ、そうなんですね。東京からここまで移動長くないですか?」

「いいえ、二時間かからないので」


 ふと、淳と目が合った。今までに見たことがないくらい、棘のない優しい顔だった。

「あ、お兄さんは……ここで…働いて、長いんですか?」

淳が見ず知らずの人間のふりをするなら、私もそうするしかなかった。淳は一瞬目を丸くして、「二ヶ月目です」と目を元に戻して答えた。

「へー……え、どうして、ここ…で、働き始めたんですか?」

 淳は苦笑した。少し下がった眉には、戸惑いが見える。


 淳は苦笑したまま、口を開いた。

「いや、まあ……オーナーに拾われた、といいますか……うん、そうですね」

「拾われた?」

淳の言葉をオウム返ししながら笑ってしまう。メニューを広げると、一面にハンバーガーのメニューが美味しそうな写真と一緒に載っている。「何にします?」と笑い声が混じるテノールが心地いい。一通りメニューに目を通して、結局は一番人気のメニューに決めた。

「そうですね…じゃあ、チーズバーガーの…ポテトセットで」

「チーズバーガー、ポテトセットですね。ドリンクどうされます?」

ドリンクメニューを開いて、すぐに「ピーチサイダーで」と答えたら、「かしこまりました。しばらくお待ちください」と淳が言って、厨房につながっているんだろう通路に消えていった。



 店内のインテリアを眺める。海風で色褪せたようなドライな質感のカウンターや、白い壁にかけられた波のアートとイルカのタペストリー、古材を使ったようなお洒落なアナログ時計。爽やかさとヴィンテージ感のあるマリンスタイルは、オーナーのこだわりを感じる。カジュアルなマリンインテリアに囲まれて食事をする。そんな時間を過ごしたら、夏に放送される月曜ドラマの主人公気取りさえしそうになる。今は秋だけど。


 しばらくインテリアを眺めて過ごしていると、淳が私のテーブルに向かってきた。

「お先にドリンク失礼します。ピーチサイダーです」

「はい、ありがとうございます」

ジュースのロング缶くらいはありそうなサイズのグラスに、小さな泡が漂う透明のサイダーと大きな氷が涼しげだ。ピンク色のストローでサイダーを吸うと、舌をバチバチと刺す強炭酸と、甘い桃の香り。私の好きな味だった。


 ピーチサイダーを飲みながら料理を待っていると、来店のベルが鳴って、「いらっしゃいませ」と淳の声が優しく響いた。

「あー! めっちゃカッコいい人いるー! イケメン店員じゃーん♪」

「え? なになになに? ビックリしたー!」

淳を指さしてからかうような口調で話す男性に、たじたじとなる淳。


 溌剌としたハスキーボイスでからから笑う男性は、大人の男というより男の子だ。深いグリーンを基調にした長袖のアロハシャツを腕まくりして、細身のホワイトジーンズを合わせた彼のコーディネートは夏の香りを残している。色の薄いブルーレンズのラウンドサングラスは、彼のやんちゃさと茶目っ気がより際立つアイテムだと思う。


 男の子は出入口から離れた奥の四人掛けのテーブル席にどかりと座った。

「今日はね、友達連れてきた♪」

「ああ、そうなの?」

男の子の楽しげな知らせに、淳は何事もないように相槌を打った。それと同時に、一組の男女が店に入ってくる。

「あ、いらっしゃいませー」

「こんにちはー。ミナミの紹介で来ましたー」

淳に答えるように挨拶したのは、女の子の方だった。

「ホントだ、めっちゃカッケー! やるじゃんミナミ!」

女の子と一緒に入って来た男の子が淳を見て興奮気味に言うと、“ミナミ”と呼ばれた男の子は「だから言ったじゃん!」と誇らしげに言った。


 ミナミくんの友達もテーブルに着いたところで、淳が三人に水を出した。私の席からさほど離れていないので、淳とミナミくんのやりとりがはっきりと聞き取れる。

「大学は?」

「いや、お袋が『淳くんが手伝ってくれるんだ』って言ってたから、淳くんがいるなら行くに決まってるぜー! って感じで、一限終わってから三人でサボってきた♪」

「勉強しろよ」

淳の冷静なツッコミに三人は声を出して笑った。ミナミくんの友達二人は「ごめんなさい」「ホントですね」と笑いながらもサボりは反省しているようだった。


 ミナミくんは悪びれずに「食ったら行くよ」とあっけらかんと言った。

「ってか淳くん何時までいんの?」

「今日? 四時」

「カウンセリングないっけ? 夕方?」

カウンセリング。ミナミくんの言葉に少し引っかかりを覚えた。

「夕方だけどー……。悪い。今お客さんいるからダラダラ喋れねえわ」

「お客さん? あ、ホントだ」

ミナミくんと目が合って、私に軽く会釈をするミナミくんに、私も軽く微笑み返した。


 大学生三人はメニューを予め決めていたようで、淳はすぐに厨房につながる通路へ消えていった。



 グラスが汗をかいてきたけど、強い炭酸と桃の甘さは変わらない。自然に口角が上がるのは、淳が楽しげに話している姿を見て、ほっとしたからかも知れない。

「お姉さんめっちゃ美人じゃん。どこから来たの?」

ハスキーボイスが聞こえた方を向くと、いつの間にかミナミくんが私の向かいに座っていた。サングラスのレンズからつぶらな瞳が見えて、結構かわいい顔なんだな、と頭の片隅で認識する。私は元気印のように笑う彼に「東京」と答えた。

「いくつ? 彼氏いる?」

「……年は二十六。彼氏は……募集中」


 へえ、とサングラスを外した彼の目はキラキラしている。そしてミナミくんは、なあなあ、と身を乗り出した。

「淳くんとかどう? めっちゃイケメンじゃね?」

厨房の方を指して、ミナミくんはニコニコと笑った。そこは自分を推しそうなところだけど。

「…ああ、さっきホールやってた彼?」

「そうそう。顔だけじゃねえよ? 頭いいし、口悪いけど優しいし、いい男だと思う。三十代だけど、全然おっさん臭くなくてさ」

知ってる。だって二年間見てきたもの。表向きは完璧な男だから、本気で恋をする女性も多かった。でも、私が恋をした理由はそれじゃない。


 次にミナミくんが口にした言葉で、私の思考が止まった。

「まあ淳くんはね、今はそこそこ元気だけど、ホント最近まで病んでて夜通し泣いたりしてたから。泣き過ぎて過呼吸とかあったし」

「……え?」

「ああ、今は大丈夫。普通に生活してるよ? でもなぁ、ずっと寂しかったのかなって思うんだよ。何でここに来たのかわかんねーし、知り合いもいないっぽいし」


 初めて知った淳の状況に、ひどく混乱する。何も知らなかったし、何も聞いていなかった。淳が心を病んでいたことなんか。


 その時、パンッ! という音と、「痛ってええ!」とミナミくんが腕を押さえて上げたオーバーな声がほぼ同時に聞こえた。

「迷惑だっつってんだよ!」

私の注文した料理が乗ったトレーを持った淳が、太い眉を吊り上げてミナミくんを叱った。左手には伝票が挟まったクリップボードを持っている。どうやらそれでミナミくんの腕を叩いたようだ。

「戻れよ。ったく……」

「はーい、怒られたんで戻りまーす」

ミナミくんは口を尖らせて自分の席に戻っていった。



 淳は一瞬だけはっとして、私に向き直った。

「大変お待たせしました。チーズバーガーのポテトセットです」

「はい、ありがとうございます」

淳が出したオーバル型のプレートには、チェーン店のものより一回りは大きいチーズバーガーと、皮付きのフライドポテトがこんもりと乗っている。食欲が湧きそうな濃厚な肉と油の匂いが漂った。


 淳が困ったように眉を下げた。

「先ほどは申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」


 『迷惑』。ミナミくんを叱ったときにも出てきた言葉。それが、ミナミくんが私にナンパまがいのことをしたことなのか、自分の暗黒期を喋られたことなのかは、私には分からなかった。

「いいえ。えっと、彼は?」

「オーナーの息子です。たまに店で食事しに来るんです」

「へー……」

だからこんなに打ち解けているのか。淳が良い表情をするようになったのも、ミナミくんが気にかけていたからかも知れない。

「あいつ見たら逃げてください。面食いですから」


 淳が笑いながら私に警告すると、離れたテーブル席から「俺はモエコ一筋だもん!」とミナミくんが抗議をした。でもこれで、私をナンパのターゲットにしなかった理由がわかった。爽やかな彼らの恋愛を想像して微笑ましくなりながらフライドポテトをつまんだ。



 淳がミナミくんへの呆れ笑いを残して、私のテーブルに伝票を置いた。

「こちら伝票でございます。ごゆっくりどうぞ」

「え、っていうかお仕事何時までですか?」

気が付けば口が動いていた。ここで淳と話さなければ、自分の気持ちも淳との曖昧な関係も清算できないような気がした。

「……今日ですか?」

「はい」

本当は聞こえていたけど、盗み聞きしていたと思われるのも印象が悪い。

「今日は……四時までいますね」

「そのあと予定ってあります? 私お兄さんともっと話したいんですよ」


 淳は「えっと……」と言ったきり黙ってしまった。どう断るか考えてる?

「少しだけでいいんです。十分だけでも」

「いやすみません、まだ仕事があるので――」

「え、やだ! 離したくない離さない! 私お兄さんのこと好きになっちゃったー」

 逃げようとする淳の言葉を遮って、その大きな手を咄嗟に掴む。


 淳が、怯んだ。


 棒読みで最低な口説き方だとは自覚している。淳を見る私の目は、そんなに怖いだろうか。元々の握力は強くないけど、今の私は、痛いほどの力で淳の手を握っているだろうか。


 逃がしたくない。離したくない。逃げないで。


 淳と関係を続けて、こんなに必死になったのは初めてだった。私との関係が始まる前、そして関係が終わってから何があったのか、今の淳は何を思ってこの世に留まっているのか、何もかもが欲しい。いつからか私は、淳が嫌っている女に成り下がった。

「貴方にも恋をした人はいたでしょ?」

でも今はただ、ここにあるたった一度だけのチャンスが欲しい。

「お願い」

淳は声を出さなかった。


 長い睫毛で囲まれた切れ長の目は必死な女をじっと見ている。それは戸惑いとしか言いようのない、震える眼差しで。



 お互い、見ず知らずのふりなんて、とっくに忘れていた。



 チリン、と来店のベルが鳴る。淳が私の手から勢いよく自分の手を引き抜いた。「いらっしゃいませ、何名様でしょう?」と仕事のための笑顔に戻る淳を見て、チャンスはもらえないことを悟った。まあ、それもそうか。私はメッセージだけ残して一方的に終わらせたんだから。それも割り切った関係だったから、終わってしまえば淳には関係のないことで。


 諦めてチーズバーガーを包むワックスペーパーを剥がすと、値段に相応のバーガーが顔を出した。裏面を香ばしく焼いたバンズに挟まれたパティはチェーン店の二倍は厚みがある。崩さないように齧りつけば、肉々しいパティとそれに負けないチーズの濃厚な風味がガツンと来て、一番人気の理由がわかる味だった。



 私がチーズバーガーを完食した頃には、席がある程度埋まってきていた。店のアナログ時計を見ると、時刻は十二時過ぎている。そっか、お昼時か、なんて思いながらピーチサイダーが入ったグラスの汗を紙ナプキンで拭き取って、氷が融けたサイダーをストローでかき混ぜる。

「お皿お下げします」

淳が私の席に戻ってそう言った。「ああ、すみません」と淳が取りやすいようにプレートを通路側に出した。


 そして、淳はプレートをトレーに乗せて回収すると、エプロンのポケットから二つ折りにした小さい紙をテーブルに置いた。淳が去ったあと、紙を恐る恐る開くと、筆圧の強い角ばった字で簡潔に書かれたメモだった。

『14:30  Micky's Burger前』

淳は、私にチャンスをくれた。



 キャッシャーのあるカウンターで、千二百円を現金で支払う。

「はい、ちょうど頂きます、ありがとうございました」

店員として最低限の挨拶をした淳に、私は内緒話のように顔を近づけた。

「ありがとう。淳」

淳が私に目を合わせることは、なかった。


後編へ続きます!

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